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<title>気ままに歩いて候。</title>
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<description>あせらず、くさらず、歩いていきましょう。

２００７年５月の連休から始めた区切り打ちの四国歩き遍路の思い出を綴った記事を中心に掲載しています。
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 <title>気ままに歩いて候。</title>
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<title>冬遍路　～足摺岬・宿毛へ～　　（２２）</title>
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<description>２００８年１２月３１日　真念庵（その３）



【 真念庵　地蔵大師堂 】


　狭い山道を抜けると、石仏や墓石が立ち並ぶ拓けた空間が現れた。

　（ああ…、此処が…。）

　左手には御堂が見える。まさしく此処が真念庵に違いあるまい。時間はもうすぐ正午にな...</description>
<dc:creator>taku2007</dc:creator>
<dc:date>2009-07-11T23:16:51+09:00</dc:date>
<dc:subject>歩き遍路 - ２００８年１２月～２００９年１月</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<u><b>２００８年１２月３１日　真念庵（その３）</b></u><br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/c/0/c055c9ba.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/c/0/c055c9ba-s.jpg?300225" width="360" height="270" border="0" alt="真念庵" hspace="5" class="pict" align="center"  /></a><br>
【 真念庵　地蔵大師堂 】<br>
<br>
<br>
　狭い山道を抜けると、石仏や墓石が立ち並ぶ拓けた空間が現れた。<br>
<br>
　（ああ…、此処が…。）<br>
<br>
　左手には御堂が見える。まさしく此処が真念庵に違いあるまい。時間はもうすぐ正午になろうとしていた。人の気配は無い。ただ、鳥のさえずりと風にそよぐ木々の葉の擦れ合う音が聞こえるのみである。<br>
<br>
　御堂の前には三段の緩やかな石段があり、その石段を若い木々が取り巻くようにして立っている。石段には塵ひとつ落ちている様子もなく、常に近在の方々によって綺麗に掃き清められていることが窺われる。石段や若木が我々参拝者を優しく出迎え、御堂へと誘ってくれているようだった。<br>
<br>
　石段より少し離れた場所に荷物を降ろし、改めて辺りを眺めてみる。細い道を挟んで御堂に向かい合うようにずらりと立ち並ぶのは四国霊場八十八札所の御本尊を刻んだ小さな石像群だ。蓮の葉のような形をした石が背中を向かい合わせにして二列に分かれて八十八個並んでいる。それぞれに御本尊の御姿・御名が彫られているが、どの石にも苔が張り付いていて文字などが判別しずらいものもあった。しかし、どの御本尊のお顔も穏やかで優しく、心癒される。永い歴史を生きてきた石像だけに消耗著しいものもあったが、そんな物理的な現象などは小さなことだと御本尊達の御顔は語りかけてくれる。苔に覆われている自らの御姿も笑って受け入れておられるようにも思える。そんな泰然自若とした石仏の様子を拝見していると、自分を含めた人間というものの存在の小ささを思い知らされる。時間や小事にあくせくしている僕達に、本当の生き方とはなんなのかということを小さな石仏群は教えてくれている気がするのだ。<br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/6/1/61abca67.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/6/1/61abca67-s.jpg?200150" width="200" height="150" border="0" alt="真念庵　御堂前の八十八の御本尊石仏１" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a><a href="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/f/d/fd50f99c.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/f/d/fd50f99c-s.jpg?200150" width="200" height="150" border="0" alt="真念庵　御堂前の八十八の御本尊２" hspace="5" class="pict" align="right"  /></a><br>
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【御堂前に並ぶ八十八霊場の御本尊の石仏群】<br>
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　八十八の石仏群の他にも、御堂のまわりには無数の石仏（やはり石に仏の御姿を刻んだもの）や墓石が並んでいる。整然と並んでいるわけではない。時代が進むにつれ、空いている場所に少しずつ建てられていったのではないか。八十八の石仏群と同様に永い時間をこの場所で生きてきたのだろう。やはり所々損傷していたり、苔がこびり付いたりしている。ところで、先程から「生きてきた」という表現を使うのは、古い石の遺物に対して、とてつもない霊気のようなものを感じたからだ。僕は霊感などとは全く無縁の人間だが、なにかしらの気というか力というか、そんなものを古い遺物が発しているような気がしたのだ。例えば、山などで出会ったりする古い大木などが漂わせている言葉にできないようなオーラのようなもの…。それに似ているといえばいいだろうか。しかし、人為的に作られた遺物だけに植物の放つものよりも、より濃厚なものを放っているように思える。丁石を見たときに感じた「魂」というか、エネルギーのようなものを感じるのである。（ちなみに僕は宇宙のパワーがどうたらこうたらいった宗教団体のようなものとは何の縁も無いし興味もない。遺物がもつパワーを感じるのは動物的な本能の仕業としか言いようが無い…。）<br>
<br>
　それにしても、墓石の数が多いのが気になった。その殆どは昔の遍路人のものであろう。足摺岬を目指す途上で力尽き、無念の思いでこの地で命を落とされたお遍路さんも多くいたことだろう。今でこそ、この市野瀬の地には新伊豆田トンネルが開通しており通行にはさして大きな苦労もないが、トンネルや国道が無かった昔は間崎から津蔵渕の一帯は難所つづきだったにちがいない。自らの限界と闘いながら難所を越え、やっとの思いで辿り着いた真念庵で大きく体調を崩され重い病にかかられて落命されたお遍路さんも沢山いらっしゃったと思う。<br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/9/f/9fc59902.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/9/f/9fc59902-s.jpg?200150" width="200" height="150" border="0" alt="御堂横の景色" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a><br>
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【 御堂の傍には遍路墓が並ぶ（画面左端） 】<br>
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　多くの墓石が立ち並ぶ景色を見ていると、ある光景が頭に蘇る。室戸市佐喜浜町の佛海庵でみた景色だ。庵の向かい側には、やはり多くの墓石が建てられていた。庵を建立した佛海上人（１７００～１７６９）は真念法師よりも後世の人物だが、生涯を通じて残された多くの業績は真念法師のものと極めて似ている。通行が困難だった室戸岬への道筋に庵を建立され遍路人の救済に精力を注がれた御遺業は真念法師の精神を受け継ぐものであっただろうし、真言宗の「済世利人」の教えを具現化したものであった。佛海庵で見かけた墓石もやはり殆どが遍路人のものではなかったかと思われるが、地元住民の中には上人の信者も多かったということだから、そういった方々の墓石も少なくはなかっただろう。<br>
　真念庵も佛海庵も永い時間の中で多くのお遍路さんを看取ってきた。２つの庵の墓石群を見て感じることは、「安らぎ」だ。これは僕の個人的な感じ方なので、批判されても仕方がないかもしれない。庵で亡くなった方々が果たして「安らぎ」を得ていたかは当の本人でしかわからないところではあるし、なにしろ遠い昔のことなのだ。安楽な現代社会で生きている僕のような一遍路が推し量れるような問題ではないことは承知している。ただ、庵で亡くなられたということは誰かに看取られて亡くなられたということで、決して孤独な死を迎えられたわけではないと思う。険しい山道などで行き倒れになられた遍路人の境遇を考えると、庵で亡くなられた方には「安らぎ」があったのではないかと思わざるをえない（そうであってほしいという思いを込めて…）。<br>
　真念庵の墓石群は「安らぎ」の心で僕達参拝者を温かく迎えてくれている気がした。この真念庵には穏やかでどこか安堵感をおぼえるというのか・・・、満ち足りた空気が漂っている。それはこの空間の地下に眠る遍路人の想いがそんな空気を作り出しているのかもしれないし、庵を創設された真念法師の心が今なお息づいているせいかもしれない。<br>

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<item rdf:about="http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/1068995.html">
<title>冬遍路　～足摺岬・宿毛へ～　　（２１）</title>
<link>http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/1068995.html</link>
<description>２００８年１２月３１日　真念庵（その２）



【真念庵への山道の入口付近にて】


　石段を登っていくと、程なく山道に出た。山道はしばらく続くようだ。

　道端には登り口で見かけたものと同じような丁石が、土砂にもたれかかるようにして建っている。建ってい...</description>
<dc:creator>taku2007</dc:creator>
<dc:date>2009-06-24T07:00:18+09:00</dc:date>
<dc:subject>歩き遍路 - ２００８年１２月～２００９年１月</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<u><b>２００８年１２月３１日　真念庵（その２）</b></u><br>
<br>
<br>
<img src="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/b/9/b9ad5967.jpg?500375" width="400" height="300" border="0" alt="真念庵遍路道入口付近" hspace="5" class="pict" align="center"  /><br>
【真念庵への山道の入口付近にて】<br>
<br>
<br>
　石段を登っていくと、程なく山道に出た。山道はしばらく続くようだ。<br>
<br>
　道端には登り口で見かけたものと同じような丁石が、土砂にもたれかかるようにして建っている。建っているというよりも倒れているといったほうが適切だろうか。三百年以上も遍路人を見守り続けてきた丁石は、倒れながらも今なお僕達に行くべき道を示してくれている。表面の色はくすみ、彫られた文字も満足に読みとることは難しい。はたして現在、この丁石に道標としての機能があるかどうかは判断しずらい。だが、それでも、丁石は笑って「もうすぐだよ…。真念庵はすぐそこだよ…。」と懸命に話しかけてくれているように思えて仕方がなかった。<br>
　<br>
　（アンタは丁石としてつくられたんやもんな…。姿かたちが無くなるまで、丁石として頑張るしかないんやもんな…。）<br>
<br>
　それが、この石たちの悲しい運命だとは思えない。この石たちには多くの人の思いが詰まっているのだ。遍路人の思い。たくさんの遍路人が、あしずりの地を懸命に歩き何時しか道に迷い途方に暮れた遍路人には、この丁石が光り輝く灯籠のように見えたのではないだろうか。行く先を照らす灯明。どれだけの数の遍路人が心を救われたことだろうか。そして、石をつくった人たちの思いも沢山詰まっていることだろう。功徳を積むためであったかもしれない。あるいは救済の念から建立を思い立たれた方も多くいただろう。そういった人達が選びに選んだ石に自らの名と主要地点への距離を彫りこんだ。<br>
　丁石の傍にしゃがみ込み、岩肌を、そして今はもう読み辛くなった文字を顔を近づけて見ていると、石に関わった様々な人のエネルギーのようなものが僅かながらだが心の中に入ってくるような気がする。石には人の魂が宿るという話をよく耳にする。邪念などが籠もるという話が怪談でとりあげられたりもするが、この丁石にはそんな悪しき念のようなものは感じないし、存在しないだろう。進むべき道を見つけた希望の念、少しでも助けになればという慈愛の念。そんな光り輝くエネルギーが石にはいっぱい詰まっているにちがいない。<br>
<br>
『…まだまだ頑張るよ。…時の流れに負けないよ。』<br>
<br>
　僕には古びた丁石が、体の不自由さなど物ともせず、ただひたすらに元気で頑張っている笑顔の素敵な老人に見えた。<br>
<br>
<br>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/d/5/d5f69b86.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/d/5/d5f69b86-s.jpg?200266" width="200" height="266" border="0" alt="真念庵遍路道の丁石１" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a><a href="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/1/1/117e7fec.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/1/1/117e7fec-s.jpg?200266" width="200" height="266" border="0" alt="真念庵遍路道の丁石２" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a><br>
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【山道で今も旅人を見守る江戸期の丁石】<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
　細い山道をしばらく進むと右手の視界が広けてきた。右手は土手になっており、すぐ下を例の車道（県道４６号線と交差する道）が通っているのが見える。車道のすぐ傍を平行して山道を進んでいるといった具合だ。ドライブイン水車のそばにある小高い山、その麓に真念庵があると言ってしまえばわかりやすい。<br>
<br>
　（…なんかなー。　…近道いうんか？これ。）<br>
<br>
　正直、距離が稼げた優越感は全く湧いてこない。ただ、こっちの道のほうが歴史は永いんだから（丁石があるところからそう判断した）歩けて幸せなんだと自分に思い聞かせながら山道を進んでいく。<br>
<br>
　道端には、あの丁石がいくつか見かけられた。どれも脇の斜面にもたれかかったものばかりだったが、先ほど述べたエネルギーのようなものを感じると同時に、数百年も道標をやってきたんだという厳かな貫禄のようなものも匂わせてくれる。そんな偉大な石たちが真念庵へと誘ってくれているようだ。ああ、やっぱりこの道通ってよかったなと少し気持ちが踊りだした。<br>
<br>
<br>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/1/b/1b59c676.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/1/b/1b59c676-s.jpg?200266" width="200" height="266" border="0" alt="真念庵の遍路道を進む" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a><br>
<br>
<br>
<br>
<br>
<br>
『下を見下ろせば、ほんのすぐ傍に車道が通っているのが見える。車道を進んでも真念庵の入口（別の入口となる）に辿り着くことができる。「登り道」を避けたい方は車道を選んだほうがいいかもしれないが、この山道、近道とは言えないまでも風情があって良い道なので、時間に余裕のある方は是非・・・！』
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</item>
<item rdf:about="http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/1065442.html">
<title>冬遍路　～足摺岬・宿毛へ～　　（２０）</title>
<link>http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/1065442.html</link>
<description>２００８年１２月３１日　真念庵（その１）

　真念庵を建立した真念法師という人物については、僕は最近まで、少なくとも区切り打ちの遍路の旅が土佐の国の行程の半ばあたりにさしかかった夏頃（２００８年７月）ぐらいまでは、殆ど知識が無かったと言っていい。真念庵と...</description>
<dc:creator>taku2007</dc:creator>
<dc:date>2009-06-20T07:00:26+09:00</dc:date>
<dc:subject>歩き遍路 - ２００８年１２月～２００９年１月</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<u><b>２００８年１２月３１日　真念庵（その１）</b></u><br>
<br>
　真念庵を建立した真念法師という人物については、僕は最近まで、少なくとも区切り打ちの遍路の旅が土佐の国の行程の半ばあたりにさしかかった夏頃（２００８年７月）ぐらいまでは、殆ど知識が無かったと言っていい。真念庵という場所があることは遍路用の地図や解説本を見たりして確認はしていたし、かつて訪れたことのある佛海庵（室戸市佐喜浜町・二十四番札所最御崎寺より北へ２０ｋｍ）のように四国路往来に難渋した遍路人のための救済所であったことも何かの資料で読んだことはあった。夏までに得ていた知識というのはその程度の漠然としたものに過ぎなかった。<br>
　その後、ネットなどを通じて少しずつ情報を集めてはみた。まだまだ勉強不足の段階ではあるが、今回の遍路の旅に出発するまでには大まかな概要は知り得ることができたと思う。<br>
<br>
<br>
　真念法師は江戸時代に活躍した巡礼僧だが、詳しい経歴については不明な点が多いらしい。墓所が香川県牟礼町の州崎寺（番外霊場とされている）にあるらしく、墓の記述によれば没年は元禄期ということだ。深く弘法大師に帰依されていたようで、自ら四国巡礼の旅に出ること二十数回にも及び（言うまでなく二十数回四国を周られたということである）、また遍路人の便宜を図るために指南書（ガイドブックのようなもの）を製作したり、標石を設置するなどの事業もされたようである。<br>
　真念法師による著作・出版された指南書には「四国邊路道指南」「四国邊礼功徳記」「四国邊礼霊場記」がある。中でも「四国邊路道指南」は内容的にもまさにガイドブックと呼ぶに相応しいものとなっており遍路道に関わる詳細な情報が載せられている書物だ（といいながら僕はその書物や解説本などを読んだ経験がないので詳しいことはわからない）。「四国邊路道指南」が世間に出回ることにより、四国遍路道の情報は広く一般大衆にも知れ渡り、武士階級や僧侶以外の人達が四国遍路を盛んに行うようになる。真念法師の活躍によって四国遍路はいわゆる「メジャー化」されたようである。各地で遍路道沿いに村人たちなどの手による標石が設置されだしたのも、この時代以降ではないかということだ。「メジャー化」されたとはいえ、四国に渡った遍路人は不治の病を抱えた人たちや様々な事情で国を追われた人たち、また罪によって終生遍路を続けることになった人たちなどが殆どだったようだ。病を抱えた人たちは霊場を巡ることによる功徳によって病が治るのではないかという僅かな希望をもって残る生涯を遍路に捧げた。しかし、その願いは適う事無く、行き倒れになる人や足摺岬に身を投げる人が多くいたようだ。ただでさえ、昔の四国路は「辺土」と呼ばれたほど想像を絶する難所ばかりだった。来る日も来る日も、死ぬ思いで歩き続けた遍路人の苦しみや悲しみは如何ばかりであったか…。そんな遍路人を救済する施設が四国ではあちらこちらに創られたようだ。真念庵もそんな施設のひとつであったようだが、或いは違った役割もこの庵は担っていたようである（その事についてはまた後に…）。<br>
　真念法師は「四国遍路の父」「四国遍路中興の祖」と名で呼ばれているということだが、大師信仰や四国遍路に関わる事業に全てを捧げた生涯を総括するには本当に相応しい贈り名に思える。現在も四国遍路というものが盛んに行われている背景には、真念法師が江戸期からしっかりと土台づくりをしていたという事実があったことも忘れてはならないだろう<br>

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</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/1048070.html">
<title>冬遍路　～足摺岬・宿毛へ～　　（１９）</title>
<link>http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/1048070.html</link>
<description>２００８年１２月３１日　市野瀬・ドライブイン水車にて




　午前１１時１３分、ドライブイン水車に到着した。土佐清水市と四万十市の境界線に程近いこの休憩所に僕は再び戻ってきたのだ。

　「水車」と白い大きな文字の書かれた食堂の赤い屋根が妙に懐かしい。あれからま...</description>
<dc:creator>taku2007</dc:creator>
<dc:date>2009-06-04T07:00:04+09:00</dc:date>
<dc:subject>歩き遍路 - ２００８年１２月～２００９年１月</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<u><b>２００８年１２月３１日　市野瀬・ドライブイン水車にて</b></u><br>
<br>
<br>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/0/b/0b9f7be9.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/0/b/0b9f7be9-s.jpg?200150" width="300" height="225" border="0" alt="12 のコピー" hspace="5" class="pict"  /></a><br /><br>
<br>
　午前１１時１３分、ドライブイン水車に到着した。土佐清水市と四万十市の境界線に程近いこの休憩所に僕は再び戻ってきたのだ。<br>
<br>
　「水車」と白い大きな文字の書かれた食堂の赤い屋根が妙に懐かしい。あれからまだ２日しか経っていないにもかかわらず…。ここで食べた丼飯の味が未だに鮮明に記憶に残っている。一昨日歩いた大岐への道程は、このドライブインを過ぎてからが正念場だった。そして、今日これから歩いていく道程も、この場所からが正念場となるだろう。<br>
<br>
　（せっかくやから、なんか食べていくか…。）<br>
<br>
　正念場を前にしての腹ごしらえといきたいところだが、食事を摂るにはまだ少し時間が早い。空腹感も全く無かったので、とりあえず休憩だけでもさせてもらおうと、食堂横のベンチへ向かった。<br>
<br>
　ベンチには若いお遍路さんが二人、身支度を整えながら、丁度出発しようとしているところだった。何となく見覚えのあるこの二人…。　いや…。　あれは、紛れもなく…！　　<br>
<br>
　（おおっ、あれはＫさんとＮさんやないかっ！！）<br>
<br>
　思わず声をかけると、「おお…」と二人共手を挙げて笑って出迎えてくれた。なんとかこの二人に追いつけたようだ。<br>
<br>
<br>
<br>
　「Ｎさん、やっぱりこちらの道を選びましたか…。」<br>
<br>
　少しニンマリした表情でＮさんに訊ねると、<br>
<br>
　「いや、Ｋさんと歩いているうちに、なんだか自分も真念庵を見ておきたくなったんでね。…というか、今朝はどうも足の怪我が少し痛むんですよ。あまり調子がよくないみたいでね…。たぶん今日は独りで歩くのはきついんじゃないかなって思うんですよ。だれかと一緒に歩いたほうが、精神的にも楽だと思うんでね。そんなわけで今日一日、Ｋさんについていこうかなって決めたわけです。」<br>
<br>
　大丈夫かと少し心配になったが、隣で黙って頷いているＫさんの顔を見ていると、不思議と安心感が湧いてくるのだった。<br>
<br>
　（この人が一緒やったら、大丈夫やろう。なんとかなるわ…。）<br>
<br>
　安定感抜群（僕の勝手に抱いているイメージだが）のＫさんがいれば、Ｎさんも心強いだろう。<br>
<br>
　「ところで六根清浄さん（仮名）、やっぱり真念遍路道は諦めきれませんか？」<br>
<br>
　唐突なＮさんの問いに一瞬戸惑った。「諦めきれませんか？」という言葉の中に「止めたほうがええぞ、考え直せよ」といったニュアンスが多分に含まれている気がしたのだ。他人の考えや方針を尊重し、決して自分の考えを押し付けないタイプのＮさんにしては珍しいセリフだった。<br>
<br>
　「今のところは、まだ諦めきれませんねえ…。どんな道なのか、どうしても見ておきたいんですよねえ…。」<br>
<br>
　「うーん…。でも、真念遍路道っていうのは山道じゃないですか。この時間からだと、山道の途中で日が暮れちゃうんじゃないですかね…。さすがにそれはマズいと思いますけどね。」<br>
<br>
　Ｎさんの言うことはもっともだ。その可能性はかなり高い。ここから真念遍路道の入口にあたる三原村上長谷の集落へはおよそ１０ｋｍの距離があり、到着するのにおよそ３時間はかかるだろう。真念庵を参拝する時間や時折休憩をとりながら進むことを考えれば、山道に入るのは午後３時を回ったくらいになるだろうか。日没を午後５時くらいと想定すると、山中でどっぷり日が暮れてしまう確率は非常に高い。<br>
<br>
　「たしかにマズいでしょうね…。遭難したらどないしましょか…。ハハハ…。」<br>
<br>
　「いや、冗談もいいですけど、なるべくなら行かないほうがいいですよ。他のことならともかくね、真冬の時期に山道を夕方になって歩くっていうのは、やっぱりやめておいたほうがいいですよ。」<br>
<br>
　Ｎさんは本気で僕のことを心配してくれているらしい。<br>
<br>
　「状況を見ながら判断することにしますよ。上長谷（の分岐点・真念遍路道の入口）に着くのが、かなり遅くなったら、諦めてそのまま県道を進みますけども。午後３時までになんとか着けたなら…・、行っちゃうでしょうね。たぶん。」<br>
<br>
　「というか…。絶対行くつもりでしょ？！なにがあっても。なんか顔に出てますよ、『オレは絶対行くぞ』って…。」<br>
<br>
　ウッ…・。さすがはＮさん…。鋭い観察力だ。<br>

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</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/1017091.html">
<title>冬遍路　～足摺岬・宿毛へ～　　（１８）</title>
<link>http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/1017091.html</link>
<description>２００８年１２月３１日　下ノ加江～市野瀬（その２）










【市野々分岐点を過ぎ市野瀬に向かって歩く】



　市野々分岐点から市野瀬までの道すがら、何人かのお遍路さんと擦れ違った。いずれも僕とは進行方向が逆で、足摺方面へ歩いている方達だった...</description>
<dc:creator>taku2007</dc:creator>
<dc:date>2009-04-27T07:00:50+09:00</dc:date>
<dc:subject>歩き遍路 - ２００８年１２月～２００９年１月</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<u><b>２００８年１２月３１日　下ノ加江～市野瀬（その２）</b></u><br>
<br>
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<img src="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/0/1/0167b700.jpg?500375" width="280" height="210" border="0" alt="市野瀬に向かって歩く" hspace="5" class="pict" align="left"  /><br>
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<br>
【市野々分岐点を過ぎ市野瀬に向かって歩く】<br>
<br>
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<br>
　市野々分岐点から市野瀬までの道すがら、何人かのお遍路さんと擦れ違った。いずれも僕とは進行方向が逆で、足摺方面へ歩いている方達だった。挨拶を交わすだけの人もいたし、脚を止めて少しばかり会話をした人もいた。中でも特に印象に残っているのが次の御二人だ。<br>
<br>
<br>
　はるか前方から、一人の中年男性（熟年男性といったほうが正しいか？）がこちらに向かって歩いてくる。どこか歩く姿勢が不安定でヨロヨロしながら前へと進んでいる。まあ、そんな人もいるわなと最初は気にもとめなかったが、距離が近くなるにつれて徐々に容貌が掴めてきた。グレーの上着にズボン、頭には同じ色のキャップ帽。どこかで見たスタイルだ。<br>
　（ああ、あれだ。工場なんかで作業員の人が身につけているものだな…。）<br>
　地元で働く職工さんだろうか。仕事の合間になにか急な用事ができて家に戻られる途中なのか…。いや、そうではなく夜間勤務をされている方なのかもしれない。フラフラになるぐらいに仕事が立て込んでいて、勤務時間が終わってからもすぐに帰宅する元気もなく会社でウダウダやっているうちに、いつの間にか日も高くなってしまった…。「そろそろ帰りますわ！」と会社を出たのはいいが、疲労困憊で足元もおぼつかない…。「なんとか頑張ろう…、家まであと少しだ…。」と自分を奮い立たせながら頑張って歩いておられる…。<br>
<br>
　…とか？？<br>
<br>
　しかし、よくよく考えれば、今日は大晦日だ。いくらなんでも大晦日は全国的に休日だろう…。でも、この不景気な御時世だ。大晦日なんていってられない会社だってあるだろう…。大変だな…。寒い時代だな…。　　<br>
<br>
　…などと、勝手な想像を進めているうちに、男性との距離は更に縮まってきた。どうやら、手に何かを持っておられるようだ。長い棒のようなものを水平にして背中に当てている。そしてその両端を左右の手で握りながら歩いておられる。なんだろう、あの棒は…。<br>
　男性の顔がはっきりわかるくらいに距離が縮まったときに、ようやく何なのかがわかった。棒というより、あれは杖だ。金剛杖ではないか…。ひょっとしてお遍路さん…？？<br>
<br>
　「こんにちはー。」<br>
<br>
　分厚い眼鏡をかけ、少し小太りな体型のおじさんだった。笑顔で挨拶をしてくれたのはいいが、その表情には覇気というか元気というものが感じられない。かなりお疲れの様子だった…。<br>
<br>
　「こ、こんにちは…。」<br>
<br>
　少したじろぎながらも挨拶を返した。まさか、お遍路さんだったとは…。昨年から区切り打ち遍路を始めてより此方、これまでも何人かの個性的な人達に出会ってはきたが…。作業服でお遍路をされている方に出会ったのはこれが初めてだった。<br>
思わず脚を止める。こういう方を見ると、ついついお話を聞きたくなってしまうのだ。物珍しさなどでは決してない。むしろ、言いようもない親近感からだといったほうがいいだろう。個性的といわれる方というのはなにかと世間では「変わり者」扱いされてしまうが、見方を変えれば立派に自分の色というものを世間に提示しているわけで、その姿勢は小心な人間には決して真似はできない。つまらない世間の風評など気にもとめず、自分自身を貫き通すその在り様は尊敬すべきものだ。僕はこういった人達は好きだし、かく言う僕自身も昔から知人に「あんたは変わってんなあ…」と言われつづけてきた人間なのである。「のんびりしてる」、「天然入ってる」、「悩みなんてなさそうだ」などと色々言われてきたが…。自分では至って普通だと思ってはいるが、周囲の人間からは個性的な人種に見えるらしい。「類は類を呼ぶ」ではないが、こんな性格だからこそ、個性の強い人に対しては親近感を抱いてしまうのだろう。<br>
<br>
　「今日は何処まで歩かれるんですか？」と訊ねてみると、<br>
<br>
　「いやあ…、とくに何処までとは決めてませんねえ…。まあ、行けるところまで…。できれば以布利あたりまで歩ければいいとは思ってるんですけど、見てのとおり、もうフラフラで…。明け方から、ぶっとおしで歩いてきたんでね…。多分、以布利までは無理だろうなあ…。」<br>
<br>
　話を聞いているうちに、（このおっちゃん、大丈夫かいな？）と心配になってきた。明るく振舞ってはおられるが、話す言葉や表情には全く元気がない。通し打ちのお遍路さんなのか…？徳島から何日もかけてここまで歩いてきて、ついにスタミナが切れたのか…？<br>
<br>
　「いや、自分は区切り打ちです。今日が２日目なんですけどね…。」<br>
<br>
　そうか、じゃあオレと同じやなあ…。２日目でこの状態だと、昨日よほど無理なペースで歩きすぎたか、はたまた歩くことにあまり慣れていらっしゃらないのか…。<br>
<br>
　「うーん、以布利はここからだと通しで歩いても４時間以上はかかりますねえ…。ちょっとキツいかもしれませんね。」<br>
<br>
　少し大袈裟に言ってみた。実際には４時間はかからないかもしれない。しかし、この男性の体調を考えると、４時間で行けるかどうかも怪しく思えてくる。無理をせず、何度か休憩を入れながら、ゆっくり行かれるのが最善に思えたので、お節介とは知りながらもそうするように言ってみた。男性も「そうですね、そのほうがいいですね」と笑って応じてくださった。<br>

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</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/1012661.html">
<title>冬遍路　～足摺岬・宿毛へ～　　（１７）</title>
<link>http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/1012661.html</link>
<description>２００８年１２月３１日　下ノ加江～市野瀬〈その１〉













　【下ノ加江のコンビニと民宿「安宿」】


　ＮさんとＫさんを見送りコンビニで用件を済ませた後、早速、宿毛のビジネスホテルにキャンセルの電話を入れた。
　『そうですか。ではまた...</description>
<dc:creator>taku2007</dc:creator>
<dc:date>2009-04-19T07:00:03+09:00</dc:date>
<dc:subject>歩き遍路 - ２００８年１２月～２００９年１月</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<u><b>２００８年１２月３１日　下ノ加江～市野瀬〈その１〉</b></u><br>
<br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/7/2/72cf335b.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/7/2/72cf335b-s.jpg?200150" width="300" height="225" border="0" alt="下ノ加江のコンビニ" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a><br>
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　【下ノ加江のコンビニと民宿「安宿」】<br>
<br>
<br>
　ＮさんとＫさんを見送りコンビニで用件を済ませた後、早速、宿毛のビジネスホテルにキャンセルの電話を入れた。<br>
　『そうですか。ではまたの御利用を心待ちにしております…。』<br>
　ホテルの受付の女性の声は事務的というか機械的というか、淡々としたものであった。お詫びの言葉を述べ電話を切る。一度予約を入れた宿をキャンセルするというのは、どうもバツが悪い。自分的には申し訳ない気分になるし後味も良くない。しかし、「機械的な」女性の声がそんな気持ちを幾分和らげてくれたように思える。<br>
　続けて、ＮさんとＫさんが予約を入れた民宿Ｓに電話を入れる。電話に出たのは、かなりしわがれた声のおばあさんだった。宿の大女将だろうか…。<br>
　　『…ああ、お遍路さんね。…おひとりですね。…はいはい、大丈夫ですよ。お部屋は空いていますから。お待ちしておりますよ。…遅くなるかもしれないんですか？大丈夫ですから気をつけておいでくださいねぇ。』<br>
　ホテルの受付の声とは対照的な、なんとも人間味あふれる応対…。そのギャップの差が何気に可笑しかった。やっぱり民宿は暖かさがあっていいものだ。<br>
<br>
<br>
　しばらく休憩した後に、再び荷物を背負ってコンビニを発ったのが午前１０時過ぎ。下ノ加江大橋を渡って川の西側に出るつもりだったが、結局やめて東側の道を北へ進む。ある程度北へ歩いた場所に橋があった筈だと記憶していたからだ。西側の道へ出るのは、その橋を渡ってからでもいいだろうと思いながら、のんびり川を眺めながら歩いていく。<br>
　ＮさんとＫさんはだいぶ先に進んでしまったようで、遥か先まで眺めてみても二人の姿は見えなかった。それにしてもあの二人、うまく落ち合えたものだ…。偶然だったのだろう。二人共、連絡をとりあって一緒に歩くタイプではないように思われる。たまたま、どこかでバッタリ出くわした結果、「それじゃあ、今日も一緒に歩きますか」という流れになったのではないか。そうして、一緒に歩いている間に「みんなで年越し飲み会やりましょ！」という話しが湧いて出てきたのだろう。<br>
　Ｋさんが僕よりも１時間早く大岐を出発した。そのＫさんにうまく合流したＮさんも大岐を出発したのは早い時間だったかもしれない。そんな彼らに僕が追いついてしまったのも、不思議な偶然だったと言える。僕は下ノ加江までペースを上げて急いで歩いていたわけでもないし、彼らにしても、よもや僕が追いついて来るのを待つためにのんびり歩いていたわけでもあるまい。下ノ加江のコンビニで休憩しているときに、「ひょっとしたら六根清浄さん（仮名）がそろそろ此処に到着するんじゃないかな？」とふと考えているうちに僕が現れた…、そんな感じだったのではないだろうか。<br>
　それにしても足を負傷しているＮさんはさておき、Ｋさんはもっと先を進んでいると思っていただけに下ノ加江での遭遇は本当に意外だった（Ｋさんは翌日の元旦の朝にも予想外な動きをとることとなるが、それはまたのちの話で）。<br>
　あの二人、この先もタッグを組みながら歩いていくのだろうか…。もしそうなら、仮にまた僕が追いついた場合は三人一緒にまた歩けることとなるのだが…。しかし残念ながら、二人はこの先で別れることになるだろう。昨日、Ｎさんはたしか県道２１号線を進んで三原村に入ると言っていた。つまり、この先にある橋を渡って川の西側の道に出て県道へ入ったものと思われる。既に二人は行動を別にしてしまっているのかもしれない。<br>
　しかし、県道２１号線を通るルートは宿毛市に入るのには近道のように思われるが、実際はそうではないようだ。へんろみち保存協力会の地図によれば、３８番札所金剛福寺から３９番札所延光寺までの距離について、『下ノ加江三原経由　５２．８Ｋｍ　　市野瀬三原経由　５０．８ｋｍ』と記されている。遠回りに思われる市野瀬から三原村に入るルートのほうが実は近道なのだ。県道２１号線は複雑に蛇行している道のようで、カーブの多い分、距離が長くなっているようだ。Ｎさんは「県道２１号線を行くほうが近道なんで…」と言っていたが、それが勘違いだったことは彼も昨晩地図を眺めながら気付いたにちがいない。気付いていたとすれば、彼は市野瀬経由の道を選ぶのではないか。今もひょっとしたらＫさんと別れずに市野瀬に向かって歩いているかもしれない…。<br>
<br>
<br>
　下ノ加江川に沿って桜並木がつづいている。春になれば、並木には一斉に花が咲き乱れることだろう。華やかな桜色が、この道の景色を様変わりさせるにちがいない。並木の向こう、川を隔てた西側には穏やかな農村の風景が広がっている。さらにその後ろには鮮やかな緑色をした山々が連なっている…。いい眺めだ。今目の前に広がる景色も申し分なく素晴らしいのだが、欲を言えば、春の景色が見たかったなと思う。いつの日かまたこの場所を訪れるときがあるならば、是非春の時期を選んでやって来ようかなと当てにもならないことを考えながら歩く。<br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/5/a/5ac5676a.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/5/a/5ac5676a-s.jpg?200150" width="200" height="150" border="0" alt="川沿いの並木" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a><a href="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/4/f/4fa698ca.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/4/f/4fa698ca-s.jpg?200150" width="200" height="150" border="0" alt="川の東側の車道を北へ進む" hspace="5" class="pict" align="right"  /></a><br>
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　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　【川沿いにつづく並木】　　　　　　　　　　　　　　　【東の車道をそのまま北へ】<br>
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　並木も途絶え、道は若干登り勾配となる。さらに進んでゆくと、いつしか川を見下ろせるくらいの高さになっていた。眼下に広がる下ノ加江川の眺めは素晴らしいものだった。上空の青い空を川面に映しながら穏やかでゆったりとした流れが視界の彼方へとつづいている。山々の緑と空・川の青のコントラストがとても美しく、その景色の魅力にしばらく取り付かれながら、ボーッと歩いていた。<br>
　（おとつい歩いた時は全く気づかんかったなあ。こんなにええ眺めやったなんて…。）<br>
　一昨日はＮさんとの会話に夢中で、この辺りの景色はあまり目に入らなかったようだ。こうやって、見逃してしまった景色と再び出会えることは打戻りのコースならではの収穫といえるだろう。<br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/a/3/a363a678.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/a/3/a363a678-s.jpg?200150" width="200" height="150" border="0" alt="国道から下ノ加江川を眺めて１" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a><a href="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/8/d/8d6588d8.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/8/d/8d6588d8-s.jpg?200150" width="200" height="150" border="0" alt="国道から下ノ加江川を眺めて２" hspace="5" class="pict" align="right"  /></a><br>
　<br>
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　                                  【車道から下ノ加江川を眺めて】<br>
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 それはそうと…。景色に見惚れながら東側の道をどれくらい歩いただろうか。西側へ渡る橋のある場所をとっくに通り越してしまっていることに気がついた。<br>
　（ありゃー…。ひょっとして、もう少しで西側の道と東側の道の合流点とちがうか…！結局、あっちには渡れへんかったか…。）<br>
　…仕方ない。諦めて先を進むことにしよう。素晴らしい景色も充分堪能できたわけだから、これはこれでよかったということにしておこうか…。<br>
　<br>

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</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/1007216.html">
<title>冬遍路　～足摺岬・宿毛へ～　　（１６）</title>
<link>http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/1007216.html</link>
<description>２００８年１２月３１日　下ノ加江にて

　(Ｎさん、Ｋさん…！！まさか、こんなところで会えるとは…。しかも、二人揃って…。)

　全く意外な展開だった。この二人、既にもっと先まで進んでいるだろうと思っていただけに、まさか大岐から歩いて２時間足らずの下ノ加江...</description>
<dc:creator>taku2007</dc:creator>
<dc:date>2009-04-10T07:00:22+09:00</dc:date>
<dc:subject>歩き遍路 - ２００８年１２月～２００９年１月</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<u><b>２００８年１２月３１日　下ノ加江にて</b></u><br>
<br>
　(Ｎさん、Ｋさん…！！まさか、こんなところで会えるとは…。しかも、二人揃って…。)<br>
<br>
　全く意外な展開だった。この二人、既にもっと先まで進んでいるだろうと思っていただけに、まさか大岐から歩いて２時間足らずの下ノ加江で出会うとは考えてもみなかったのだ。しかも、二人一緒だったとは…。<br>
　Ｎさんとは、昨日宿の前で別れたときから「たぶんこの人とはまた何処かで出会うことになるだろう」という予感がしていたことは以前にも述べたが、まさか、こんなに早く出会えるとは思ってもみなかったし、またＫさんに関しては宿を出発したのが僕よりも一時間も早かったのだ。健脚で黙々と歩くタイプのＫさんはかなり先を進んでいるものと思っていたし、宿毛に辿り着くまで、この人と会うことはまず不可能だろうとタカをくくっていたのだが…。<br>
　しかし、なんにせよ、こうしてまた二人と巡り会えたのは嬉しいことだった。歩みを速めながら、二人の座るベンチの方へ向かう。Ｋさんが僕に気がついたらしく、それとなくＮさんに声をかけていた。ゆっくりと顔を上げてこちらを見るＮさん。その表情はどこか飄々としていた。それはＫさんも同じで、どうもこの二人、僕がそろそろ下ノ加江に着く頃だろうと予測していたようだった。<br>
<br>
　「あー！！おはようございます。まさか、こんなところで二人に会えるなんて思ってませんでしたねー…。」<br>
<br>
　こちらの挨拶を笑顔で聞く二人。そして、挨拶が終わると間髪入れずにいきなりＮさんが、<br>
<br>
　「…六根清浄さん（仮名）、じつはＫさんと今話してたんですがね。せっかくこうやって三人が知り合えたわけだから、今晩は同じ宿にみんなで泊まって盛大に年越しの飲み会でもやりませんか？」<br>
<br>
　突然の二人の提案に、またも意表を突かれることとなった。Ｋさんはともかく、Ｎさん…、アンタ野宿遍路だったんじゃ…？<br>
<br>
　「いやぁー、昨日まではね。延光寺近くの駅で野宿するって言ってましたけどね！今日って、大晦日じゃないですか…。延光寺へ初詣する地元の参拝客の方で駅の構内けっこう混雑するんじゃないかって思うんですよね。落ち着いて寝られないと思うんですよ。だから…。たまには宿泊まりもいいかなって。せっかくの大晦日なんだし、できることなら御二人と賑やかに年を越すほうがいいかなって思いましてね…。」<br>
<br>
　そうだった。昨日、Ｎさんは延光寺に比較的近い平田駅（土佐くろしお鉄道）で野宿すると言っていた。さる情報によれば平田駅は綺麗な駅で野宿ポイントとしては申し分のない場所らしいと、たいそう喜んでいた…。しかし、今日は大晦日。参拝客で混雑することも充分ありえるし、それ以上に気になるのは年越し気分に浮かれた若者達が夜通し駅付近でバカ騒ぎすることだってありえる。無いとは思いたいが、万が一の「身の危険」ということも考えておいたほうがいい。<br>
<br>
　傍でＮさんの話すのを聞いていたＫさんが一声、「是非、みんなで年を越しましょう！！」と気合を入れておっしゃる。　…うーむ、いい提案なんだが。<br>
<br>
　「…じつは今夜の宿、もう決めてしまってるんですよね。宿毛駅のそばのビジネスホテルに…。」<br>

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</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/1001062.html">
<title>冬遍路　～足摺岬・宿毛へ～　　（１５）</title>
<link>http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/1001062.html</link>
<description>２００８年１２月３１日　大岐～下ノ加江

　朝の穏やかな陽光を浴びながら、独り国道を北へと向かう。昨日の朝のような焦りも不安もない。ただ目の前に伸びる道をひたすらに、ゆっくりと歩く。上空に広がる青い空や雲を見れば、「ああ、きれいだな」と素直に感じることが...</description>
<dc:creator>taku2007</dc:creator>
<dc:date>2009-04-01T07:00:29+09:00</dc:date>
<dc:subject>歩き遍路 - ２００８年１２月～２００９年１月</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<u><b>２００８年１２月３１日　大岐～下ノ加江</b></u><br>
<br>
　朝の穏やかな陽光を浴びながら、独り国道を北へと向かう。昨日の朝のような焦りも不安もない。ただ目の前に伸びる道をひたすらに、ゆっくりと歩く。上空に広がる青い空や雲を見れば、「ああ、きれいだな」と素直に感じることができるし、擦れ違う人には笑顔で「こんにちは」と声をかけることもできる。なにやら本来の自分の遍路ができているようで、嬉しくもあり一安心する。今日は一年で最後の日。とても穏やかでいい一日になりそうな予感がある。<br>
　思えば、昨日一人で歩いていた時のせわしなさは一体なんだったのか。あの時の自分の様子がまるで嘘のように感じられる。今朝の自分の気持ちはさざ波ひとつ立っていない海のように落ち着いている。昨日は大荒れとは言わないまでも、威勢のいい波が絶え間なく沸き起こっていた冬の海といった心持だったのか。「岬には昼までに…」「夕方にはなんとか宿へ…」、そういった『予定』というようなもので自分を追い詰めていたのだ。予定を気にしながらあくせく歩く自分の姿も久しぶりだった。まるで遍路をはじめた頃の未熟な自分というものが久しぶりに還ってきたかのようだった。存外、未だにそれが等身大の自分の姿なのかもしれない。普段の生活の中では、やはり諸事に気をとられ、懸命にもがいている自分というものが確かにいる。そんな自分を改めて確認し、反省するいい機会であったのかもしれない。足摺岬までの行程はそう捉えると、実は意味深いものだったのだと少し考えさせられたりもする。<br>
<br>
　道なりに進んでいくと、やがて左右に道が別れていく。向かって左（西の方角）の道は「ふるさと林道　大岐中益野線」と呼ばれる道であり、竜串方面へと伸びている。「ふるさと林道」という名前の響きに誘われて少し歩いてみたい衝動に駆られるが、今回は諦めてそのまま国道を進む。大きく右に曲がる国道の斜面は、やがて緩やかな登り勾配となる。<br>
（…ここって、こんな坂道やったっけ？）<br>
　一昨日歩いたばかりの道だが、まるで記憶が飛んでしまっている。恐らく疲労も溜まっていたし道も真っ暗だったので、勾配など気にかける余裕もなかったのだろう。<br>
　右手の視界が拓けてきて海が眼下に見渡せるようになる。風が波の音を耳元に運んでくる。海の方を眺めながら歩いていると、白い砂浜が目に入ってきた。大岐海岸だ。こうして少し高い位置から眺めてみると、改めて美しい海岸だと思い知らされる。広く伸びる砂浜のライン。海面に線を描きながら静かに進む波は、浜に打ち寄せると怒号のような音を立てて砕け散る。なんというか、まさに「日本の海岸といった感じだ。しばらく足を止めて海岸を眺めながら大岐の地に別れを告げた。<br>
<br>
<br>
<a href="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/d/7/d7d8dc6d.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/d/7/d7d8dc6d-s.jpg?200150" width="200" height="150" border="0" alt="大岐海岸を眺めながら歩く" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a><a href="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/3/2/32b97640.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/3/2/32b97640-s.jpg?200150" width="200" height="150" border="0" alt="大岐海岸に別れを告げて" hspace="5" class="pict" align="right"  /></a><br>
<br>
<br>
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<br>
　【 海を眺めながら国道を東へ 】　　　　　　　　　　【 大岐海岸に別れを告げて 】<br>
<br>
<br>
<br>
　左手に思い出深い建物が間近に見えてきた。まるで観光ホテルのような大型で白い建造物。一昨日の夕方にＮさんと別れた場所である。建造物の手前には「海癒の湯」と看板の掲げられた茶色い屋根の温泉施設が見える。Ｎさんお気に入りの癒しポイントだ。<br>
（Ｎさん、昨夜もここでくつろいでたんやろうな…。今朝はもうとっくに出発しやはったやろ…。今はどの辺を歩いてはるんやろうな。）<br>
　Ｎさん、Ｋさんの足取りは気になるところだが、だからといって連絡をとるようなことはしない。彼らも無理に連絡をとるようなことはしないだろう。各人がそれぞれ、自分の遍路というものに向き合いたい気持ちを持っているし、それをお互いが理解している。「今どこにいるの？」「もう少しでそっちに着くから、ちょっと待ってて。一緒に歩こうよ。」といったような安っぽい呼びかけはしない。そんな行為が相手の遍路の中に土足で踏み入ることになるのだと承知しているからだ。<br>
（ちなみに大型の白い建造物についてだが、サニーグリーンという名前のついた会員制のリゾートマンションということだ。紀州鉄道が管理している云々といったこともネットで調べてわかったが、こういった施設には僕自身はあまり興味も無いのでここでは詳細は省かせていただく。）<br>
<br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/3/3/3365fa39.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/3/3/3365fa39-s.jpg?200150" width="200" height="150" border="0" alt="リゾートマンションと「海癒の湯」" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a><br>
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<br>
【 リゾートマンションと温泉施設「海癒の湯」 】
<a href="http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/1001062.html">続きを読む</a>]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/990600.html">
<title>冬遍路　～足摺岬・宿毛へ～　　（１４）</title>
<link>http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/990600.html</link>
<description>２００８年１２月３１日　大岐にて

　起床は午前６時半。しっかり睡眠がとれたせいか、昨日の疲労はほとんど残っていない。起き上がって軽く体を動かしてみるが筋肉痛も無く到って体は快調だ。いいコンディションで今回の遍路の旅の最終日に臨むことができそうだ。
　布...</description>
<dc:creator>taku2007</dc:creator>
<dc:date>2009-03-15T07:00:50+09:00</dc:date>
<dc:subject>歩き遍路 - ２００８年１２月～２００９年１月</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<u><b>２００８年１２月３１日　大岐にて</b></u><br>
<br>
　起床は午前６時半。しっかり睡眠がとれたせいか、昨日の疲労はほとんど残っていない。起き上がって軽く体を動かしてみるが筋肉痛も無く到って体は快調だ。いいコンディションで今回の遍路の旅の最終日に臨むことができそうだ。<br>
　布団を畳んだり荷物の整理をしながら部屋の後片付けをしていると、７時前に宿のおかみさんが「食事の準備ができましたよ」と扉越しに声をかけてくださった。あのおかみさんの声である。「ああ、今朝は娘さん夫婦は手伝いに来られていないんだな」と思いながら、すぐ食間に向かう旨返事をする。何時でも出発できるように荷物の準備をしながら、部屋を見回す。二晩お世話になったこの部屋ともお別れだ。遍路というものを始めてから二晩泊まった部屋というのはここが初めてだっただけに、少し愛着が残る。<br>
　廊下に出て隣の部屋を覗いてみると、既に綺麗に片付いている。やはりＫさんは早い時間に宿を出発したようだ。彼は今どのへんを歩いているのだろうか・・・。あのＫさんのことだ。多分、もうかなり先に進んでいるにちがいない。宿毛までの道中、彼に追いつくことはまず不可能に思えた。<br>
　食間にはお膳の上に一人分の朝食が用意されていた。おかみさんに声をかけてから、腰を下ろして早速いただく。民宿の朝食の味というものは、寝起きの体を目覚めさせてくれるだけではなく、妙に心の芯まで癒してくれるような・・・、そんな美味しさがある。普段の僕は朝食というものを疎かにしているところがあって、それだけに余計癒しのようなものを感じてしまうのかもしれない。<br>
　お膳の端には昨日同様、おにぎりの入った白いケースがさりげなく置かれている。２日つづけての温かい心配りに頭の下がる思いかした。食事を終えると調理場で細々と仕事をされているおかみさんにおにぎりの御礼を言う。「いえいえ…」と何気ない笑いを返してくれるおかみさん。皴だらけだが、屈託の無いその笑顔がとても神々しく見えた。<br>
　部屋に戻り身支度を整える。いよいよ出発だ。再びおかみさんのいる調理場へと向かう途中、廊下の壁に架かった額縁が目に入った。古い表彰状が中に入れられている。それは５０年程前に若き日のおかみさんが取得した調理師免許の表彰状だった。どうりで…、食事が美味しかったはずである。<br>
　「そろそろ行きます」とおかみさんに声をかける。宿代を清算しながら、例の表彰状についてそれとなく聞いてみると、おかみさんは笑いながら、<br>
「もう大昔に貰ったものだから…。その頃からずうっとここで民宿やってきましたけども、今まで泊まられたお客さんは大抵『料理がおいしい』って褒めてくださいました。それが嬉しくて、励みにもなりましたね…。この歳でこうやって働けるのも皆さんのおかげです。」<br>
と、本当にいい笑顔を浮かべながら話してくださった。<br>
　玄関まで見送りに来られたおかみさんに二晩お世話になった御礼を言う。またいらっしゃいと仰ってくださったおかみさんに思わず、<br>
「あの、本当にいつまでも頑張ってくださいね…。僕等お遍路が安心して旅をつづけられるのも、おかみさんや皆さんが支えて下さってるからだと思っていますんで…。僕等のためにもいつまでもお元気でいてくださいね！」<br>
と、柄にもない台詞を口にしてしまった。少々恥ずかしい思いもしたが、それでもおかみさんは「はい、がんばりますよ！」と笑顔を返してくださった。<br>
　おかみさんや、あの以布利漁港で出会ったおばあさんにしてもそうだが、御高齢の世代の方々は実にエネルギッシュで、地元の遍路文化の牽引役（僕にはそう思えた）として本当に頑張っておられる。とはいえ、体力的にも厳しい部分はあるようだ。「団体のお客さんに対応するのは自分達ではもうしんどいですね」とおかみさんも話していた。そういった「できないこと」というのも残念ながら当然あるわけで、もうこれは仕方がないことではある。しかしながら、できる範囲で精一杯頑張っておられる姿には胸を打たれるものがあるし、ある種の凄味のようなものも感じる。僕等が歳をとっても、あそこまでは頑張れないだろう。ただ、おかみさん達の姿に少しでも近づくように歳を重ねていきたいと思うし、いつまでも元気を失わずにこれからも生きていきたいとも思うのだ。<br>
　<br>
<br>
　おかみさんに別れを告げて宿を出発した。清清しさが心の中いっぱいに広がっていた。おかみさんとの出会いもまた仏縁だったのかもしれない。あの笑顔にとても大切なものを教えられた気がしたのだ。それはこれからの人生の中で大きな指針になっていくかもしれない。あの宿に泊まったこともまた、今にして思えば御大師様の御導きだったにちがいない。<br>
　空を見上げればいい案配に澄み渡っている。そして心の中も穏やかだ。とてもいい朝を迎えられたことが幸せに思えた。昨日の朝は少し道中の不安を抱えての出発となったが今日は大丈夫、独りで歩いてもいい遍路ができる筈だ…、そんな確信があった。なにを根拠にそう感じるのかはわからない。距離的にも時間的にも昨日に比べれば厳しい道中が待っているのだ。でも、昨日よりもいい精神状態で歩くことができるという自信があった。なんとなくだが。<br>
<br>
　なにはともあれ、なんともいえないいい感じで四国での大晦日が幕を開けた。どんな一日が待っているのか。どんな年越しが待っているのか。期待に胸を膨らませながら、北を向いて国道をゆっくりと歩いていく・・・。<br>
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<a href="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/a/4/a4242a74.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/a/4/a4242a74-s.jpg?200266" width="200" height="266" border="0" alt="国道３２１号線を北へ" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a><br>
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『 出発は午前７時半。本来ならこの日は早出するべきであったが、敢えて遅い時間に出発した。体調面を考えると少しでも長く寝て疲労をとっておきたかったのだ。時間に対してはもう開き直っていたといっていいだろう。<br>
一年の最後を遍路で締めくくる、それだけでも贅沢だと思っていたのに、素晴らしい天候にも恵まれた・・・。ひたすら感謝である。 』]]>
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<item rdf:about="http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/984481.html">
<title>冬遍路　～足摺岬・宿毛へ～　　（１３）</title>
<link>http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/984481.html</link>
<description>２００８年１２月３０日　大岐にて

　午後７時半をとうに過ぎていただろうか。やっとのことで僕等は大岐にたどり着いた。

　民宿の前で僕等は立ち止まり、お互いに一日歩いた労をねぎらった。そして・・・。Ｎさんとはここでお別れとなる。彼は昨晩泊まった野宿ポイン...</description>
<dc:creator>taku2007</dc:creator>
<dc:date>2009-03-08T07:00:32+09:00</dc:date>
<dc:subject>歩き遍路 - ２００８年１２月～２００９年１月</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<u><b>２００８年１２月３０日　大岐にて</b></u><br>
<br>
　午後７時半をとうに過ぎていただろうか。やっとのことで僕等は大岐にたどり着いた。<br>
<br>
　民宿の前で僕等は立ち止まり、お互いに一日歩いた労をねぎらった。そして・・・。Ｎさんとはここでお別れとなる。彼は昨晩泊まった野宿ポイントを目指すため、此処から更にあと２０分程歩かなければならない。足の怪我の状態はどうかと聞いてみると、<br>
「・・・痛みますね、かなり。でも温泉が痛みをとってくれるでしょう。昨日もかなり癒されましたからね。大丈夫です。」<br>
　昨晩利用した温泉施設は、彼にとっては最高の癒しポイントとなったらしい。なんでも岩盤浴もできるとかで、予想以上の癒しを満喫できたということだ。今晩も野宿ポイントに行く前に立ち寄るつもりだが、問題はこの時間も開いているのか・・・、それが気がかりらしい。施設のおっちゃん（店番の人だろう）ともすっかり仲良くなっているらしく、最悪の場合はなんとかうまく言って入れてもらうよう頼んでみるつもりだから大丈夫だと前向きに語るＮさんだった・・・。<br>
「あともう少しなので頑張って・・・。そして明日もお互い頑張って歩きましょう。」<br>
　互いの健闘を祈りながら、僕とＫさんはＮさんと握手を交わした。Ｎさん曰く、<br>
「皆さんと一緒に歩けてよかった。今日、もし自分独りで歩いてたら多分大岐までは歩けなかったと思います。お礼言わせて下さいね・・・。」<br>
　それはもうお互い様だと僕とＫさんが言うと、彼は合唱しながら深々と頭を下げて、<br>
「じゃあ行きます。宿毛でまた会いましょう。御縁があれば明日遍路道で出会うこともあるでしょうね・・・。」<br>
　そう言って彼は去っていった。<br>
<br>
　別れの場面には違いなかった。それにしても惜別の情が湧かない。<br>
<br>
　実をいうと、僕達は携帯の番号を教えあっていた。だから遍路をしている間は連絡ぐらいはとれるわけである。そういった意味では、ここで縁が途切れてしまったわけではないのだ。翌日の晩に延光寺付近で落ち合おうという約束（状況次第では落ち合えない可能性も大いにあったので彼としては別れの挨拶をしておきたかったのだ）ができたのも連絡先のやりとりがあったからだ。物理的な視点で考えると縁はまだつづくわけだ。<br>
　ただ「御縁」についてはどうなのか。「御縁」とは電話などの物理的な手段によって保たれる縁とはまるで次元の違うものだ。何故か不思議とある人とよく出会ってしまったり、ここぞという場面である人ととても意味のある出会いをしてしまったりする・・・、そんな人智を超えた縁のことだと僕は解釈している。ＮさんやＫさんとの「御縁」が旅の最後までつづくのではないかという確信が生まれたと以前に述べたが、その確信があったからこそ、ここでのＮさんとの別れに対して「さよなら」の感情が生まれなかったのだと思う。多分、どこかでひょっこり出会うだろう・・・。そんな予感があったのだ。<br>
<br>
　Ｎさんの後ろ姿を暫く見送ってから、僕とＫさんは民宿の玄関へと入っていった。<br>
「おつかれさま。遅くまで歩いて今日は疲れたでしょ？」<br>
　おかみさんが玄関口で出迎えて下さった。優しい呼びかけに、遅くなって申し訳ないと思うと同時にまるで我が家に帰ってきたような安心感に心が満たされた。<br>
<br>
　昨夜の夕食は独りで黙々といただいたが、今晩はＫさんがいてくれる。仲間と一緒に食べる夜食の味はやはり格別だ。箸を動かしながら、暫くはＫさんと遍路の話で盛り上がった。<br>

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<item rdf:about="http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/982312.html">
<title>冬遍路　～足摺岬・宿毛へ～　　（１２）</title>
<link>http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/982312.html</link>
<description>２００８年１２月３０日　大岐へ　その５

　真っ暗な夜道を僕等は再び一列に並んで歩いていた。やはり先頭を行くのはＫさんである。相変わらず歩いている時は無口だが、落ち着いた歩きで集団を引っ張ってくれている。最後尾はＮさん。持参していたペンライトで後方から足元...</description>
<dc:creator>taku2007</dc:creator>
<dc:date>2009-03-05T07:00:17+09:00</dc:date>
<dc:subject>歩き遍路 - ２００８年１２月～２００９年１月</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<u><b>２００８年１２月３０日　大岐へ　その５</b></u><br>
<br>
　真っ暗な夜道を僕等は再び一列に並んで歩いていた。やはり先頭を行くのはＫさんである。相変わらず歩いている時は無口だが、落ち着いた歩きで集団を引っ張ってくれている。最後尾はＮさん。持参していたペンライトで後方から足元を照らしてくれている。機転のきく彼らしい行動だ。<br>
　僕の個人的感想なのだが、この大岐へ帰り着く途上で僕等はいわゆる「チーム」として完成度を上げていたように思う。性格は全く異なる３人ではあったが、それぞれが自分の特性を活かして互いを支えあっていたし、全てがうまく咬み合っていたのだ。夜を迎え体が疲労でクタクタになっていてもその連携は未だに機能している。これはもう完成されたチームと言ってしまってもいいのではないか。たかが半日一緒に歩いたくらいで何を言うかと笑われるかもしれない。しかし、たかが半日の時間で通常はこれだけうまく連携できるものだろうか・・・？改めてここで思い出されるのが「仏縁」という言葉だ。「仏縁」がもたらす巡り合わせの妙技には心底驚かされる。<br>
<br>
　夜の遍路道を歩いていると、身をもって教えられることがある。「本当の夜の闇とはどういうものか」ということだ。夜とは本来は暗い世界であり無数の闇が存在するものだ。当たり前といえば当たり前なのだが、都会で暮らす僕達は闇というものに縁遠くなってしまっている。本当の夜の姿を知らないのだ。闇に対して人は恐怖心を抱き、やがてはその恐れる心は畏敬の心となる。夜の世界に対しての畏敬であり、自然に対しての畏敬である。その畏敬の念こそが人間を人間たらしめ、自然界に調和をもたらせてきた。田舎と呼ばれる地域には畏敬の心が残っているように思われる。夜の闇がまだ存在するからだ。田舎の朝は早く夜も早いと言われるが、そういった生活スタイルもある意味では夜の世界に対して人間は立ち入らないといった自然界への配慮の心が遠い昔から脈々と受け継がれてきた結果そうなったということではないだろうか。自然との共存。だから田舎の人は優しさや大らかさといった人間らしい要素を多分に持っている。都会ではそういった人間らしさは崩壊しつつある。それは「闇」という財産を失った故ではないか。<br>
<br>
　夜の遍路道には現代でも無数の闇が残っている。歩くのには難渋するが、その難渋さを避けるためにお遍路さんは日が上がる時間に歩き始め日の沈む時間に宿入りする。太陽の光と共に行動するその旅のスタイルは、現代はさておき昔から人が繰り返してきた生活習慣に極めて似ている。陽光を受けながら一日を過ごす。それが人を人らしくしていた。お遍路をすると心に活力が湧くのは、知らず知らずのうちに人として本来あるべき生活習慣を歩く形で実践しているからなのかもしれない。太陽の光と共に生きる・・・、その生活習慣を生み出したものは「闇」を恐れる人の心だったのではないだろうか。「闇」は怖いものだとは限らない。そういった形で人に恩恵をもたらしている。また、僕達お遍路に対してもちょっとした恩恵を与えてくれるのだ。例えば・・・。<br>
<br>
　ふと空を仰ぐと、満天の星空が果てしなく広がっていた。星のひとつひとつが、まるで生きているかのように生き生きと輝き頭上からなにかを囁きかけているような・・・。真っ暗な空に宝石が散りばめられたような・・・。見事な星空だ。僕達３人は息を呑みながら暫くは空を見上げながら歩いていた。<br>
<br>
　これも「闇」のもたらす恩恵なのだろう。「闇」の少ない都会では、こんな空にはお目にかかれない。僕もこれまでの人生の中で見事な星空を目にする機会は度々あったが、その中で最も印象に残っている星空はふたつ。ひとつは若い頃、沖縄まで旅行した時に見た星空である。そしてもうひとつは、四国の遍路道で見た星空。まだ阿波の国の札所を回っていた頃のことだが、峠道を歩いているときに日が暮れてしまい辺りは真っ暗になってしまった。灯りというものが全く無く途方に暮れながら歩いていたが、そんな時に僕を励ましてくれたのは頭上に広がる星空だった。まるで星々が降ってくるのではないかと思われるような本当に綺麗な夜空だった・・・。このふたつの星空を見た場所には必ず「闇」が存在していた。「闇」とは「光」を引き立たせるもの。「闇」のないところに本当の「光」は存在しない。だから「闇」とは忌み嫌うべきものではないように思える。「闇」を身近に感じることで本当の「光」に出会うことができるのではないか。<br>
<br>
「あれ、まるで天の川みたいですね。きれいだな・・・。」<br>
　先頭を行くＫさんが思わず呟く。<br>
「ほんとにきれいな空ですよね。実は昨日の夜もこんな感じだったんですよ。海岸で一晩中星を眺めてました・・・。」<br>
　Ｎさんが少し誇らしげに言う。<br>
「そういえば、昨日僕と別れてからどうしてはったんですか？」<br>
　Ｎさんに何気なく訊ねてみる。一晩中、空を眺めてたって・・・？まさかこの人、寝とらんのとちがうか・・・！<br>
「いや、あれからですね。風呂も済ませて寝る場所も見つけて・・・。一安心したところで、少し海岸をブラついていたんですね。すると、あるサーファーの家族に出会いまして。その人たちも海岸でテント張って野宿してたんですけども、そこの親父さんに妙に気に入られましてね。一緒に酒でも飲まんかと誘われて皆さんと一緒に海岸で夜空を見ながら大いに楽しませてもらいました・・・。いい夜でしたよー・・・。」<br>
　なんだかＮさんらしい。この人は行く場所で必ず友達をつくってしまうという稀有な才能をもっているようだ。才能というよりは、大らかな性格の為せる業なのだろう。ある面、羨ましいと思う。僕には、そういった大らかさが欠けているからだ。<br>
<br>
　自分にないものを持っている人だから、Ｎさんに対して僕は魅力を感じているのだろう。彼もひょっとしたら同じ事を僕に対して感じているのかもしれない。それはＫさんにしてもそうだろう。お互い持っていないものに興味を感じて集い、そして補い合っている。それはまるで「闇」と「光」の関係に似通っている。其々の要素が自らの特性を活かして、お互いを引き立たせる。それが「バランス」というものなのだろう。<br>
　人は自分の特性というものに自信をもてばいい。他人の特性を羨ましがり真似するのではなく、自らの特性に気付きそれを大切にする・・・。いつか自分の特性が人の役に立つことだってあるのだから。その日まで自分に自信をもって生きていけばいい。<br>
<br>
　僕等３人が「チーム」としてまとまっていたことを考えると、僕のような人間でも仲間の役にはたっていたのではないか・・・。そう考えると、とてもうれしく思えるのだ。]]>
</content:encoded>
</item>
<item rdf:about="http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/980843.html">
<title>冬遍路　～足摺岬・宿毛へ～　　（１１）</title>
<link>http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/980843.html</link>
<description>２００８年１２月３０日　大岐へ　その４　

　以布利漁港で僕等は２度目の休憩をとった。大岐まであともう少しの距離ではあったが、それでも１時間程は歩かなければならない。最後の歩行に備えてフラフラになった体をリフレッシュする必要があった。あまり体に無理をかけて...</description>
<dc:creator>taku2007</dc:creator>
<dc:date>2009-03-03T07:00:41+09:00</dc:date>
<dc:subject>歩き遍路 - ２００８年１２月～２００９年１月</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<u><b>２００８年１２月３０日　大岐へ　その４　</b></u><br>
<br>
　以布利漁港で僕等は２度目の休憩をとった。大岐まであともう少しの距離ではあったが、それでも１時間程は歩かなければならない。最後の歩行に備えてフラフラになった体をリフレッシュする必要があった。あまり体に無理をかけては次の日にも影響するだろう。<br>
　<br>
　以布利漁港には漁師さんの休憩所のような場所がある。ベンチがいくつも並べられていてその上を屋根が覆っている。僕達はそこで荷物を下ろして束の間の休息をとった。朝方は賑やかだった漁港も今は人気がなくシンと静まり返っていた。ただ波の音が聞こえるばかりである。<br>
　ここで大岐の宿に連絡を入れる。電話からはおかみさんの声。<br>
「大丈夫？お独りで歩いてるの？外は随分暗くなってしまってるけど・・・。」<br>
　しわがれた声の中に優しさが溢れている。そんなおかみさんの声を聞くと、「また心配かけてしまったな」と申し訳ない気持ちになった。<br>
「幸いにも連れがいまして・・・。昼間そちらに電話した者がいたと思うんですが・・・。ええ、Ｋさんです。彼と、そしてもう一人仲間がいましてみんなで一緒に歩いています。今、以布利ですね。遅くなりまして・・・。ええ、もうすぐ大岐に着けますので・・・。心配かけてすいません・・・。」<br>
　おかみさんの顔を思い浮かべながら、もう少し早くに連絡を入れておけばよかったなと後悔した。本来なら休んでいる場合ではなく、直ちに大岐へ向かうべきなのだろうが・・・。しかし、体が言うことを聞かなかった。一度ベンチに腰を下ろしてしまうと、もうダメである。脚や腰の筋肉が悲鳴をあげていた・・・。<br>
<br>
　（ところでＮさん足の怪我は大丈夫やろか・・・？ここまで相当キツかったんとちがうかな・・・。）<br>
　心配してＮさんを窺うと、当の本人は意外とケロッとした様子で休憩所を見渡しながら、<br>
「いやー、遍路仲間から『この港には絶好の野宿ポイントがあるぞ』って聞いてましたけど、この場所だったんですねえ！！ああ、これは確かに泊まるのにはうってつけだな。ちゃんと屋根はあるし・・・。」<br>
　相変わらず野宿ポイントの調査に御執心のようだ。実際のところ、怪我の痛みはかなりひどかったと思われるのだが、この場所を確認できたことで痛みの感覚が幾分和らいだのかもしれない。傍目にはそう見えたが・・・。<br>
　本当のところは痛みを我慢していたのかもしれない。Ｎさんにとっての今回の区切り打ちの旅は「痛み」との戦いであり「痛み」によって左右される自分の心と向き合う旅なのではないだろうか。痛がってばかりいたところで、そこには何も生まれはしないし旅も多くのことを教えてはくれない。それよりも前向きな気持ちで歩いていこう、出会った人には明るく振る舞い元気のおすそ分けをしよう・・・、そんな考えがＮさんにはあるのかもしれない。そもそも、何故怪我を抱えた状態で四国へやってきたのか。四国路を歩く過酷さはＮさんなら充分に分かっている筈だ。それでも彼が敢えて歩きに来た理由。僕やＫさんだけではなく、すべての歩き遍路さんはその理由を知っている。「過酷さ」など比べ物にならない・・・、いや「過酷さ」があるからこそ生まれてくる大きな「喜び」があるからだ。それはスポーツ競技などを経験して得られるものとはまた違った異質の「喜び」である。達成感や到達感だけではない。もっと複雑で得難いもの。それを四国の大地は僕等に与えてくれる。<br>
　思えばここまで歩いてきたなかで、最後尾を歩いていたＮさんがしきりに話題を提供してくれて謂わばムードメーカー的な役割を果たしていたわけだが、それは彼がおしゃべり好きだからとか根がひょうきんだから故にそうしていたわけではないように思える。僕とＫさんを元気づけようとしてのことかもしれない。でもそれ以上に感じるのは、彼自身が怪我の痛みに負けそうになる自分に向き合い懸命に戦っていたのではないかということだ。陽気でいること、陽気さを他人に分け与えること、それが彼にとっては唯一の、自分自身の「負」の気持ちに対抗しうる手段なのかもしれない。<br>
　野宿ポイントを探すことやそれを仲間に伝えることも彼には楽しみでもあり喜びでもあるのだろう。怪我の痛みなど忘れてしまいそうなくらいに・・・。こういった楽しみを持っていることが彼にとっては幸運なのかもしれない。<br>
<br>
　近くの自販機で買った飲料水を飲みながら、３人でしばらく話し込んだ。ここまでの道程について・・・。大岐までの道程について・・・。そして話題は翌日の予定へと及んでいく。<br>
「今日もきつかったけど、明日はこんなもんじゃないでしょうね。」<br>
「距離も今日より長いから、ちょっとした正念場になるでしょう。」<br>
「明日はみなさん、どの道を行かれるおつもりなんですか？」<br>
　翌日の目的地が３９番札所延光寺近辺という点では僕等の思惑は一致していた。違いがでてくるのは、どのルートを通っていくかというところだろう。<br>
　３８番札所金剛福寺から３９番札所延光寺への道程は大きく２つに分かれることは以前に述べた。土佐清水市から大月町を通って宿毛市に入る「大月神社経由コース」と、足摺岬からもときた道を引き返し三原村を経由して宿毛市へと入る「打戻りコース」である。僕等３人は「打戻りコース」を選択したわけだが、このコースは三原村を抜けるにあたって更に分化される。大まかには２つに分かれるといっていいだろう。ひとつめは国道３２１号線を下ノ加江まで進み、そこから県道２１号線を伝って西へと進路をとる。村役場やダムを経由しながら宿毛市に入るという行程だ。ふたつめは国道３２１号線を下ノ加江よりも北上、市野瀬へと向かい新伊豆田トンネル付近にある真念庵を経由、県道４６号線を西へと向かい途中県道２１号線に入って宿毛市を目指すというもの。距離でいえば若干ひとつめのコースのほうが長い（妙に折れ曲がった道となるからだ）のだが、ほぼ同じくらいの時間がかかると見てよいのではないだろうか。ただ、ふたつめのコースには更に分岐点がある。県道４６号線を西へ進むと上長谷という集落があるのだが、そこから北へと伸びる一本の道がある。「真念遍路道」だ。昔から古く残る遍路道である。この道は峠道になっているが、峠までの標高差は９０ｍしかなく、さほど険しい道ではない。しかし、この道を選ぶことで宿毛市までの距離はかなり増すと思っていいだろう。<br>
　Ｎさんは足の怪我のこともあるから下ノ加江から西へ向かうコースを進むという（この道が距離的に最も短いのではないかと彼は思っていた）。Ｋさんは真念庵は是非参拝しておきたいらしく、市野瀬経由のコースを選ぶだろうということだ。僕は真念庵を見ておきたいのはもちろんのこと、真念遍路道に挑戦してみたいという思いがあったので２人に伝えると、<br>
　「いやー・・・、ちょっとしんどいんじゃないですかね・・・。」<br>
とＮさんにたしなめられた。対してＫさんは「それも捨てがたいかな・・・」と幾分興味を示している様子だ。ただＫさんにしても、またＮさんにしてもそうなのだが、彼らは年が明けても遍路を続けるわけで、そうそう体に無理な負担がかかる日程は組めないのだ。興味はあってもここは心を抑えておかないと元旦以降は大変だという考えがあっただろう。僕はといえば、翌日の大晦日が本格的な遍路の最終日となるわけで多少の無理をしても大丈夫なのだ。心は決まっていた。真念遍路道を行く・・・。<br>
　三人とも違った道を翌日は進むということで話はまとまり、「じゃあ、こうやって３人で歩くのは大岐までになりますね・・・」と少ししんみりした空気にはなったが、<br>
「まあ目的地は同じなわけだし、明日の夜はできればどこかで集まりませんか？せっかくの御縁なんだから・・・。」<br>
とＮさんが提案すると、「それもいいですねえ！！」と僕とＫさんも賛同した。ただそれもその時の体調によりけりだが・・・。だが、そうなってもなんらかの形で接触はとってみたい。せっかくの御縁なのだから。<br>
<br>
　体の疲れが程好く抜けたようだった。僕等は再び荷物を背負い歩き出した。以布利をあとにし大岐へと向かうその行程は、今にして思えば、たしかに３人揃って歩くという点では最後の行程となった・・・。]]>
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</item>
<item rdf:about="http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/979432.html">
<title>冬遍路　～足摺岬・宿毛へ～　　（１０）</title>
<link>http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/979432.html</link>
<description>２００８年１２月３０日　大岐へ　その３

　窪津漁港を通りぬけると、しばらくは海沿いの道がつづく。オレンジ色に染まる空と夕陽に照らされて、果てしなく広がる海は静かに光輝いていた。右手に海の景色を眺めながら、さざ波の音を聞きながら、僕等は一列になって黙々と歩...</description>
<dc:creator>taku2007</dc:creator>
<dc:date>2009-03-01T07:00:02+09:00</dc:date>
<dc:subject>歩き遍路 - ２００８年１２月～２００９年１月</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<u><b>２００８年１２月３０日　大岐へ　その３</b></u><br>
<br>
　窪津漁港を通りぬけると、しばらくは海沿いの道がつづく。オレンジ色に染まる空と夕陽に照らされて、果てしなく広がる海は静かに光輝いていた。右手に海の景色を眺めながら、さざ波の音を聞きながら、僕等は一列になって黙々と歩いていた。<br>
　朝方、歩くペースが上がりだしたのが、たしかこの辺りからだった。見通しもよく、平坦でほぼ一直線に伸びる県道。昔からこういった道に対しては僕の脚は過剰に反応する。なんだか妙に元気がよくなるのだ。まるで競走馬の様に、なんの理由もなく本能的に・・・。前世は犬か馬だったのかもしれない（笑）。ただそれは体力に余裕のある時に限ったことである。大岐へと向かっていたこの時はもちろんそんな余裕は無く、目の前にひたすらまっすぐ伸びる道の光景は視覚的にも憂鬱さを誘うものに過ぎなかった。疲労で脚は重く思考は衰えてゆく。しんどいといえばしんどいのだが、意外とこの疲れている時こそが、じつは一日の行程の中で最も気持ちのよい時間帯に思えるのだ。脚をはじめとする体の筋肉は悲鳴をあげ、思うように動かせないし痛みすら感じるが、それが妙に心地よかったりする。ああ、今日もよく歩いた、歩かせていただいたと体が満足しているのだろう。頭の中は思考が働かなくなった分、余計なことを考えなくてもよくなり（心の贅肉がとれたとでも言ったらいいか）、まさに無心の境地になるというのか、或いは俗に言う「ハイ」な気分になるというのか・・・。清々しさに心は満たされる。確かにどこまでも長くつづく道を歩いていると「まだまだ先は長いな・・・」という憂鬱な気分にはなるが、その憂鬱さを楽しむ気持ちもまた心の奥底にあって、決して苦痛を伴う歩行にはならないのだ。<br>
　そんな心持に加えて、荷物は軽めだったし、そして一緒に歩く仲間もいる。「へばる」などとは言ってられない。「へばる」どころか、濃密で至福の時間の中を歩かせていただいてるのだという有難い気持ちにすらなる・・・。僕個人としては、そんな思いを抱きながら歩いていたのだが、他の２人はやはり辛かったにちがいない。荷物の重さは通常通りの重さだったのに加えて、Ｎさんに至っては足の怪我からくる痛みがもう限界点まで達していたのではないだろうか。しかし、２人とも険しい表情などひとつも見せない。改めて本当に大した人達だと思う。しかし「大した人達」という言葉は彼らだけに当てはまらない。それは遍路道を歩く全ての歩き遍路さんに対して当てはまる言葉だ。皆、歩きながら苦労をし、心を鍛えられてきた人達ばかりなのだ。四国の遍路道はそんな素晴らしい人たちで満ち溢れている。<br>
<br>
　道はやがて海を離れやや内陸方面へと向かう。県道を程なく進むと、以布利の遍路道の入口が見えてきた。<br>
　「ああー・・・。ようやく以布利に帰ってきましたね・・・。」<br>
　皆でそんなことを話しながら遍路道へと入っていく。車道である県道に比べ道幅も狭く木々が鬱蒼と茂る遍路道はもはや薄暗く視界も悪くなりつつある。夜の闇がすぐそこまで迫っていることを痛感させてくれる。<br>
<br>
　以布利遍路橋に程近いあたりに着いた頃には完全に陽は落ちてしまっていたと思う。狭くて真っ暗な遍路道を僕等は進む。朝方歩いたときに感じたこの辺りののどかな雰囲気はどこに消えてしまったのか・・・。漆黒の暗闇と静寂があたりを包むのみである。<br>
　「・・・ちょっと怖いかんじがしますね、これだけ暗いと。」<br>
　「ほんまですね。なんか幽霊でも出てきそうですよね。洒落にならないっすねえ・・・。」<br>
　「・・・いやー、これ本当に独りじゃ歩けないですよ、正直。みんながいてくれてよかったですよ・・・。」<br>
　いい年をした男が三人そろってこんな話をするのも情けなく思われるだろう。しかし僕等が不気味な恐怖心を感じたのは、なにも暗闇のせいだけではない。道端にお墓があったからだ。これは視覚的にもちょっと強烈だろう。真っ暗で誰ひとり存在しない空間にお墓を見かけたりすると・・・。ただ怖い気持ちを感じることは現世の人間の勝手な行為であって、お墓で眠っているあの世の人達にとってみれば、はた迷惑な話なのかもしれない。<br>
　（そんなに怖がらなくてもいいのに・・・。別にとって食おうとしているわけじゃないんですから・・・。騒がしいのは困りますけど、せっかくこうして私達のいる傍を通って下さっているんだから、温かく見守らせてくださいな。）<br>
　墓石の下からそんな風に僕達を見て下さっているのかも・・・。怖がるよりも少しでも立ち止まって手を合わせるのが礼儀というものかもしれない。<br>
　それにしても足元は視界が悪い。慎重に地面を確認しながら坂道を下る。<br>
　・・・と、前方になにやら人の気配を感じた。「こんな夜更けに何者ぞ！」と思いながら僕等は脚を止めた。<br>
　「こんばんは・・・。」<br>
　声の主が暗闇から姿を現わした。５０代か６０代くらいの男性のお遍路さんである。白衣を着ていらっしゃらなかったので遠目からは姿がわかりにくかったのだ。こちらも挨拶を返し、少しの間会話を楽しんだ。<br>
　「これからどの辺りまで歩かれるんですか？」<br>
　「私は・・・、土佐清水の街まで歩くつもりでおります。宿も予約してますんでね・・・。」<br>
　「えー！土佐清水ですか？まだ結構距離ありますよね・・・。僕等は大岐を目指してるんですが、お互い目的地に着くのは遅い時間になりそうですね・・・。」<br>
　「そうですね。まあ、がんばっていきましょう。お気をつけて！」<br>
　男性は足どりも軽く去っていった。本当に四国の遍路道ではこういった元気な熟年遍路さんをよく見かける。通常、歩き遍路が宿に入るのは夕方の５時が基本とされる。熟年世代のお遍路さんなら体力面も考慮して５時までには必ず宿入りされる方が多いと思う。僕等がこの男性と出会った時間は夕方の５時半くらいだった。本来なら以布利で宿をとるのがこの男性にとってはベストな選択だったのではないかと思うのだが・・・。色々事情はおありだったのかもしれないが、５時を過ぎても歩くことを選択された勇ましさというかワイルドさというか、そういった姿にはとても感銘を受けた。正直、かなり体にはきついだろうし、無謀な行為とも思える（失礼な表現ですいません）。でもそうやって一生懸命に歩かれる姿は人生の後輩世代である僕等から見れば、とてもかっこよく映るし感動すら覚える。そして羨ましさすら感じるのだ。<br>
　（この人たちがこれだけ頑張れるんやったら、若いオレらはもっと頑張れるやろ！！きばらんと！！）<br>
　そんな元気が湧いてくる。熟年遍路さんの存在は僕等にとっては精神的な模範でもあり、元気を与えてくれるエネルギー源でもある。僕も将来そういう存在になれればいいなと希望している。熟年と呼ばれる年齢になっても、おそらく四国遍路はつづけているだろうし（何回結願してもしぶとく歩きにくるだろう）、その時は無鉄砲でパワフルなオヤジ遍路でいれたらいいなと思う。遍路の世界だけではなく日常の世界でもそんな人間像でいられたらなおいいなと思う。<br>
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　男性との出会いで僕等は再び元気づいた。大岐まではあと３ｋｍほど。もうひとふんばりである。<br>
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　以布利漁港に着いたのが午後５時４０分。空を見上げれば、ちらほらと星が見える。夜の帳が静かに下り始めていた・・・。<br>
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　<a href="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/a/7/a73451d7.jpg" target="_blank"><img src="http://image.blog.livedoor.jp/taku2007/imgs/a/7/a73451d7-s.jpg?200266" width="200" height="266" border="0" alt="12 のコピー" hspace="5" class="pict" align="left"  /></a><br>
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『 以布利漁港に到着した頃には、どっぷり日が暮れていた。夜空を見上げながら遍路道を歩くことにも慣れてはいたが、やはり昼間歩くのとは違い気の滅入るもの。そんな時に一緒に歩いてくれる仲間がいるとやはり心強い。金剛福寺で誘いの声をかけてくれたＮさんには本当に感謝している。』]]>
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<item rdf:about="http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/977525.html">
<title>冬遍路　～足摺岬・宿毛へ～　　（９）</title>
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<description>２００８年１２月３０日　大岐へ　その２

　足摺岬を出発して１時間は経過していただろうか。僕達は津呂の集落に入った。
「そろそろこの辺りで休憩しませんか？少し喉も乾いてきたし、飲み物も確保したいんで・・・。」
　Ｎさんの呼びかけに僕とＫさんも頷いた。たしか津...</description>
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<dc:subject>歩き遍路 - ２００８年１２月～２００９年１月</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<u><b>２００８年１２月３０日　大岐へ　その２</b></u><br>
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　足摺岬を出発して１時間は経過していただろうか。僕達は津呂の集落に入った。<br>
「そろそろこの辺りで休憩しませんか？少し喉も乾いてきたし、飲み物も確保したいんで・・・。」<br>
　Ｎさんの呼びかけに僕とＫさんも頷いた。たしか津呂にはお遍路専用の休憩所があったはずだ。へんろ小屋が２軒ほど建っていたと思うのだが・・・。どの辺だったかなと話しながら、ぼちぼちと歩いていると左手に神社とバス停が見えてきたが、はたしてその向かい側に小さなへんろ小屋はあった。ここで休ませてもらおうとへんろ小屋のベンチに荷物を下ろし暫しの間皆でくつろいだ。<br>
「そういえば、僕昼飯まだなんです。ここで食べさせてもらってもいいですか？」<br>
　時間は午後３時半を回っていたが、昼食を摂ることをすっかり忘れていたのだ。要するにここまで空腹感が無かったのだが、仲間と歩くことで気持ちがリラックスしてきたせいか、ようやく腹の虫が鳴り出したのである。大岐の宿で戴いたおにぎりの入ったケースをザックから取り出す。その様子を見ていたＮさんも急にお腹が空いてきたらしく、ザックの中から酒のつまみなど（野宿遍路の心得として彼は常にそういった非常食を携帯している）を取り出して「よかったらどうぞ」と言いながらムシャムシャと食べ始めた。ケースの中にはおにぎりが２つ入っていたので、ひとつをＫさんに勧めて、もうひとつをゆっくり味わいながらおいしくいただいた。食事というものは、新しい活力を与えてくれる。僕等のテンションは更に盛り上がっていた。記念撮影をしたり改めて納め札を交換しあったりして、ひと時の休憩時間を楽しく過ごすことができた。<br>
「そろそろ出発しましょうか・・・。でもここからがしんどくなりそうですねえ。」<br>
「そう、陽も落ちてくるやろうしねえ・・・。でもホンマに独りやなくてよかったですわー・・・。」<br>
「全く、全く・・・！！」<br>
　やんややんやと話しながら荷物を背負い直し僕達は再び歩き出した。<br>
<br>
　やがて窪津にさしかかった。時間は午後４時半を少し過ぎていただろうか。陽は西に傾きはじめ空の青さも若干弱くなってきているようだ。この辺りから僕達の疲労もピークを迎えつつあった。口数も次第に減り、歩く速度も落ち始める・・・。そんな中でもＮさんはなにかと僕等にしゃべりかけてくれるのだが、なによりも彼の足の怪我の事が心配だった。かなり痛い思いをしていたのではないだろうか・・・。ただＮさんがこうして話しかけてくれることで僕等も元気づけられていたのだ。彼の健気なムードメーカーぶりには今でも頭の下がる思いがするのだ。<br>
　県道２７号線沿いに建つ窪津小学校付近から小道に入る。あの窪津の遍路道だ。僕にとっては苦い思い出の残る道である。遍路道を進みながら、<br>
「朝、此処を通った時に一輪車を押していたおばさんがいたんですよ。しんどそうにしてはってね・・・。」<br>
急ぐあまりおばさんの横を素通りしてしまった顛末を話していると、<br>
「あー、会った、会いましたよ、僕等も。確かにお疲れのご様子だったんで、ちょっとこれは見てられんと思って少しだけお手伝いしてしまいましたね・・・。ありゃー、お年の割りに頑張り過ぎですよ。あんなに沢山野菜積まなくたってねえー・・・。」<br>
と笑いながらＮさんが言う。<br>
　なんというか、どうしようもなく自分という人間が小さく思えて恥ずかしかった。<br>
（・・・そうかー、やっぱりこの人たちは器が違うなあ。この人達に比べたらオレはまだまだや・・・。でも、いい人たちに出会えてホンマによかったよなー・・・。）<br>
　恐らくこの時からだったと思う。この２人との出会いには御大師様の強いメッセージが込められていると感じはじめたのは。前回、遍路で出会う人との御縁は全て御大師様の御計らいによるものなのだと述べたが、彼らとの出会いに関しては少々御計らいの度合いが違うように思えた。「彼らと一緒に居れ」といったような・・・。ということは、彼らとの御縁は旅の終わりまでつづくのではないか？そんな確信めいた気持ちが湧いてきたのもこの時からだったと思う。<br>
　<br>
]]>
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<item rdf:about="http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/976905.html">
<title>冬遍路　～足摺岬・宿毛へ～　　（８）</title>
<link>http://kimamaniaruite.livedoor.biz/archives/976905.html</link>
<description>２００８年１２月３０日　大岐へ　その１

　晴れた冬空の下を三人の中年男が杖をつきつつ一列に並んで北を目指す・・・。

　先頭を行くのはＫさん、真ん中が僕、殿（しんがり）はＮさんだ。冷静で安定感のあるＫさんがペースメーカーとなり、その後を僕とＮさんがウダウダ...</description>
<dc:creator>taku2007</dc:creator>
<dc:date>2009-02-25T07:00:40+09:00</dc:date>
<dc:subject>歩き遍路 - ２００８年１２月～２００９年１月</dc:subject>
<content:encoded><![CDATA[<u><b>２００８年１２月３０日　大岐へ　その１</b></u><br>
<br>
　晴れた冬空の下を三人の中年男が杖をつきつつ一列に並んで北を目指す・・・。<br>
<br>
　先頭を行くのはＫさん、真ん中が僕、殿（しんがり）はＮさんだ。冷静で安定感のあるＫさんがペースメーカーとなり、その後を僕とＮさんがウダウダと会話をしながら着いていくといったかんじである。最初のうちは皆バラバラと歩いていたのだが、Ｋさんは歩いているときはほとんどしゃべらないタイプの人なので自然に先頭へ・・・、Ｎさんは右足の親指の怪我のせいで足が痛むせいか徐々に後ろに下がりはじめ・・・、気がつけば一列になって歩いていたのである。<br>
　Ｎさんも相当歩くのは辛かったと思うのだが、そんなことは大っぴらに口にせず、前日同様に楽しい話題ばかりを提供してくれる。そんなＮさんが心配でならなかったが、あまり怪我の話を持ち出すと却って彼の精神面に響くだろうと思い、そのことは黙っていた。明るく振舞う彼と波長を合わすことが彼の痛みを和らげることにもなるし、僕らも精神的に救われるのだ。Ｋさんは先頭で黙々と歩いてはいるが、Ｎさんの辛さは充分理解していたので少しペースを落としながら僕達を引っ張ってくれる。本来ならＫさんの歩くペースはこんなものではないだろう・・・。こんな風に僕等の中では自然な形でチームワークというものができあがっていた。これも考えてみれば不思議な現象である。僕とＮさんは出会ってまだ２日目だったし、Ｋさんとはこの日が初めてだったのだ。にも関わらず、まるで古くからの知り合いの様にお互いを思いやり連携する・・・。何故なのか。<br>
　様々な答えがあるかもしれないが、僕の中で連想される答えは２つある。ひとつは我々歩き遍路は「同胞」だという概念が僕等の中にあること。各人旅の内容は違うかもしれない。旅で体験したこと、旅で考えたこと、旅から教わったことなどは千差万別だろう。ただ、皆同じ道を歩いてきたわけで、その道を歩いたことから生じる苦痛や心労は共有できうるものなのだ。みんな頑張って歩いている・・・。それが痛いほど分かるからこそ、自分以外のお遍路さんに対しても優しい気持ちになれるのだ。<br>
　もうひとつの答えは「仏縁」という言葉。四国の遍路道で出会う人達との御縁は全て御大師様の御計らいであるということ。旅で出会う人との交流が今の自分に対してなにかしらの影響を与えてくれる。心地よく感じるものもあれば、時に不快に感じるものもあるだろう。それら全てが御計らいなのだ。全てを受け入れることが今の自分の状況というものに大きな意味を与えてくれる、それが生きる指針である時もあれば、戒めである時もある。つまり、会うべくして会うように、御大師様が僕等に何かを伝えようとして、人との御縁を「仕組んで」（表現が悪いかもしれないが）くださっているのだ。<br>
　今回、ＮさんやＫさんに出会えたことも「仏縁」に他ならないと思う。これまでこの２人との御縁によって救われたのだと何度も述べてきたが、実は僕だけが思っていたことではなく２人も同じ気持ちだったのだということが旅の最後で分かることとなる。<br>
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　あからさまに態度には出さないが、お互いを思いやる気持ちから生まれた連帯感をもって僕達は歩いた。同世代ゆえに考え方や疲労感などといった共通項も多い。気の合う仲間と歩く時間はとても心地よく、歩く苦労も気持ちのよい刺激となる。これまでの遍路の旅でも仲良く楽しそうに歩いている２人連れのお遍路さんなんかをよく見かけたが、大抵皆さんは年の近い人をお仲間にしておられた。そんなお遍路さんたちの気持ちが今回の旅でようやく分かったような気がした。なんというのか・・・、童心に帰るといったらいいのだろうか。子供の頃に仲の良い友達と一緒に知らない場所を探検したりした思い出があるが、そんなかつての子供心が蘇ってくるような、そんな感覚だ。下手な表現をかもしれないが、四国遍路とはある種の「大人の探検ワールド」ともいえるのかも・・・・。<br>
　僕達３人も足摺岬を出発して最初の２時間ほどは気持ちも体力もまだ余裕があったので、リラックスしていたせいか、どこか童心に帰っていたような気もする。<br>
　大岐までの帰り道は一度通っている道にも関わらず、意外と記憶が飛んでしまっている箇所もあって、「こんなとこ通りましたっけ？？」「たしかこの辺りに近道が・・・、入口ここになるんでしたっけ？？」といったような会話もしばしば。そういったやりとりも楽しいもので、気分はまさに「探検隊」といったかんじだった。いい年をした大人が何を言ってるねんっ！！と若い方に笑われそうだが・・・。怪しい道、つまり先へ進めるのか判断が難しい道でもとりあえず進んでゆく。これは３人いたからできたことなのかもしれない。独りで歩いている時ならば、決してそんな「賭け」に近いようなことはしないだろう。どうも間違いだなと思えばきりのいいところで引き返す。この辺りで適切な判断が下せるのは各人がこれまでの遍路の旅で経験した知識があったからだろう。また足りない知識を仲間が補ってくれたりもする。３人寄れば文殊の知恵とはよくいったものだが、そういった安心感も精神的な疲労を緩和してくれていたと思う。<br>
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　それにしても、こんなに楽しい気分で遍路道を歩いたことが今まであっただろうか・・・。これまでの遍路の旅では常に自分というものに向き合いながら、自然と対話しながら、遍路道を歩いていた。僕の中ではそれが「遍路」なのだというイメージができつつあったのだが、今回の年越し遍路ではまた違った概念を植えつけられたような気がしている。<br>
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「楽しむことも大事。気を張り詰めすぎないことも大事。もう少し気を楽にして生きてみろや・・・。」<br>
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　ＮさんやＫさんとの御縁は、そういった御大師様の戒めの意味もあったのかもしれない。]]>
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