気ままに歩いて候。

あせらず、くさらず、歩いていきましょう。 2007年5月の連休から始めた区切り打ちの四国歩き遍路の思い出を綴った記事を中心に掲載しています。

歩き遍路 - 2008年12月〜2009年1月

冬遍路 〜足摺岬・宿毛へ〜  (22)

2008年12月31日 真念庵(その3)


真念庵
【 真念庵 地蔵大師堂 】


 狭い山道を抜けると、石仏や墓石が立ち並ぶ拓けた空間が現れた。

 (ああ…、此処が…。)

 左手には御堂が見える。まさしく此処が真念庵に違いあるまい。時間はもうすぐ正午になろうとしていた。人の気配は無い。ただ、鳥のさえずりと風にそよぐ木々の葉の擦れ合う音が聞こえるのみである。

 御堂の前には三段の緩やかな石段があり、その石段を若い木々が取り巻くようにして立っている。石段には塵ひとつ落ちている様子もなく、常に近在の方々によって綺麗に掃き清められていることが窺われる。石段や若木が我々参拝者を優しく出迎え、御堂へと誘ってくれているようだった。

 石段より少し離れた場所に荷物を降ろし、改めて辺りを眺めてみる。細い道を挟んで御堂に向かい合うようにずらりと立ち並ぶのは四国霊場八十八札所の御本尊を刻んだ小さな石像群だ。蓮の葉のような形をした石が背中を向かい合わせにして二列に分かれて八十八個並んでいる。それぞれに御本尊の御姿・御名が彫られているが、どの石にも苔が張り付いていて文字などが判別しずらいものもあった。しかし、どの御本尊のお顔も穏やかで優しく、心癒される。永い歴史を生きてきた石像だけに消耗著しいものもあったが、そんな物理的な現象などは小さなことだと御本尊達の御顔は語りかけてくれる。苔に覆われている自らの御姿も笑って受け入れておられるようにも思える。そんな泰然自若とした石仏の様子を拝見していると、自分を含めた人間というものの存在の小ささを思い知らされる。時間や小事にあくせくしている僕達に、本当の生き方とはなんなのかということを小さな石仏群は教えてくれている気がするのだ。


真念庵 御堂前の八十八の御本尊石仏1真念庵 御堂前の八十八の御本尊2







【御堂前に並ぶ八十八霊場の御本尊の石仏群】



 八十八の石仏群の他にも、御堂のまわりには無数の石仏(やはり石に仏の御姿を刻んだもの)や墓石が並んでいる。整然と並んでいるわけではない。時代が進むにつれ、空いている場所に少しずつ建てられていったのではないか。八十八の石仏群と同様に永い時間をこの場所で生きてきたのだろう。やはり所々損傷していたり、苔がこびり付いたりしている。ところで、先程から「生きてきた」という表現を使うのは、古い石の遺物に対して、とてつもない霊気のようなものを感じたからだ。僕は霊感などとは全く無縁の人間だが、なにかしらの気というか力というか、そんなものを古い遺物が発しているような気がしたのだ。例えば、山などで出会ったりする古い大木などが漂わせている言葉にできないようなオーラのようなもの…。それに似ているといえばいいだろうか。しかし、人為的に作られた遺物だけに植物の放つものよりも、より濃厚なものを放っているように思える。丁石を見たときに感じた「魂」というか、エネルギーのようなものを感じるのである。(ちなみに僕は宇宙のパワーがどうたらこうたらいった宗教団体のようなものとは何の縁も無いし興味もない。遺物がもつパワーを感じるのは動物的な本能の仕業としか言いようが無い…。)

 それにしても、墓石の数が多いのが気になった。その殆どは昔の遍路人のものであろう。足摺岬を目指す途上で力尽き、無念の思いでこの地で命を落とされたお遍路さんも多くいたことだろう。今でこそ、この市野瀬の地には新伊豆田トンネルが開通しており通行にはさして大きな苦労もないが、トンネルや国道が無かった昔は間崎から津蔵渕の一帯は難所つづきだったにちがいない。自らの限界と闘いながら難所を越え、やっとの思いで辿り着いた真念庵で大きく体調を崩され重い病にかかられて落命されたお遍路さんも沢山いらっしゃったと思う。


御堂横の景色





【 御堂の傍には遍路墓が並ぶ(画面左端) 】



 多くの墓石が立ち並ぶ景色を見ていると、ある光景が頭に蘇る。室戸市佐喜浜町の佛海庵でみた景色だ。庵の向かい側には、やはり多くの墓石が建てられていた。庵を建立した佛海上人(1700〜1769)は真念法師よりも後世の人物だが、生涯を通じて残された多くの業績は真念法師のものと極めて似ている。通行が困難だった室戸岬への道筋に庵を建立され遍路人の救済に精力を注がれた御遺業は真念法師の精神を受け継ぐものであっただろうし、真言宗の「済世利人」の教えを具現化したものであった。佛海庵で見かけた墓石もやはり殆どが遍路人のものではなかったかと思われるが、地元住民の中には上人の信者も多かったということだから、そういった方々の墓石も少なくはなかっただろう。
 真念庵も佛海庵も永い時間の中で多くのお遍路さんを看取ってきた。2つの庵の墓石群を見て感じることは、「安らぎ」だ。これは僕の個人的な感じ方なので、批判されても仕方がないかもしれない。庵で亡くなった方々が果たして「安らぎ」を得ていたかは当の本人でしかわからないところではあるし、なにしろ遠い昔のことなのだ。安楽な現代社会で生きている僕のような一遍路が推し量れるような問題ではないことは承知している。ただ、庵で亡くなられたということは誰かに看取られて亡くなられたということで、決して孤独な死を迎えられたわけではないと思う。険しい山道などで行き倒れになられた遍路人の境遇を考えると、庵で亡くなられた方には「安らぎ」があったのではないかと思わざるをえない(そうであってほしいという思いを込めて…)。
 真念庵の墓石群は「安らぎ」の心で僕達参拝者を温かく迎えてくれている気がした。この真念庵には穏やかでどこか安堵感をおぼえるというのか・・・、満ち足りた空気が漂っている。それはこの空間の地下に眠る遍路人の想いがそんな空気を作り出しているのかもしれないし、庵を創設された真念法師の心が今なお息づいているせいかもしれない。
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冬遍路 〜足摺岬・宿毛へ〜  (21)

2008年12月31日 真念庵(その2)


真念庵遍路道入口付近
【真念庵への山道の入口付近にて】


 石段を登っていくと、程なく山道に出た。山道はしばらく続くようだ。

 道端には登り口で見かけたものと同じような丁石が、土砂にもたれかかるようにして建っている。建っているというよりも倒れているといったほうが適切だろうか。三百年以上も遍路人を見守り続けてきた丁石は、倒れながらも今なお僕達に行くべき道を示してくれている。表面の色はくすみ、彫られた文字も満足に読みとることは難しい。はたして現在、この丁石に道標としての機能があるかどうかは判断しずらい。だが、それでも、丁石は笑って「もうすぐだよ…。真念庵はすぐそこだよ…。」と懸命に話しかけてくれているように思えて仕方がなかった。
 
 (アンタは丁石としてつくられたんやもんな…。姿かたちが無くなるまで、丁石として頑張るしかないんやもんな…。)

 それが、この石たちの悲しい運命だとは思えない。この石たちには多くの人の思いが詰まっているのだ。遍路人の思い。たくさんの遍路人が、あしずりの地を懸命に歩き何時しか道に迷い途方に暮れた遍路人には、この丁石が光り輝く灯籠のように見えたのではないだろうか。行く先を照らす灯明。どれだけの数の遍路人が心を救われたことだろうか。そして、石をつくった人たちの思いも沢山詰まっていることだろう。功徳を積むためであったかもしれない。あるいは救済の念から建立を思い立たれた方も多くいただろう。そういった人達が選びに選んだ石に自らの名と主要地点への距離を彫りこんだ。
 丁石の傍にしゃがみ込み、岩肌を、そして今はもう読み辛くなった文字を顔を近づけて見ていると、石に関わった様々な人のエネルギーのようなものが僅かながらだが心の中に入ってくるような気がする。石には人の魂が宿るという話をよく耳にする。邪念などが籠もるという話が怪談でとりあげられたりもするが、この丁石にはそんな悪しき念のようなものは感じないし、存在しないだろう。進むべき道を見つけた希望の念、少しでも助けになればという慈愛の念。そんな光り輝くエネルギーが石にはいっぱい詰まっているにちがいない。

『…まだまだ頑張るよ。…時の流れに負けないよ。』

 僕には古びた丁石が、体の不自由さなど物ともせず、ただひたすらに元気で頑張っている笑顔の素敵な老人に見えた。


真念庵遍路道の丁石1真念庵遍路道の丁石2












【山道で今も旅人を見守る江戸期の丁石】




 細い山道をしばらく進むと右手の視界が広けてきた。右手は土手になっており、すぐ下を例の車道(県道46号線と交差する道)が通っているのが見える。車道のすぐ傍を平行して山道を進んでいるといった具合だ。ドライブイン水車のそばにある小高い山、その麓に真念庵があると言ってしまえばわかりやすい。

 (…なんかなー。 …近道いうんか?これ。)

 正直、距離が稼げた優越感は全く湧いてこない。ただ、こっちの道のほうが歴史は永いんだから(丁石があるところからそう判断した)歩けて幸せなんだと自分に思い聞かせながら山道を進んでいく。

 道端には、あの丁石がいくつか見かけられた。どれも脇の斜面にもたれかかったものばかりだったが、先ほど述べたエネルギーのようなものを感じると同時に、数百年も道標をやってきたんだという厳かな貫禄のようなものも匂わせてくれる。そんな偉大な石たちが真念庵へと誘ってくれているようだ。ああ、やっぱりこの道通ってよかったなと少し気持ちが踊りだした。


真念庵の遍路道を進む





『下を見下ろせば、ほんのすぐ傍に車道が通っているのが見える。車道を進んでも真念庵の入口(別の入口となる)に辿り着くことができる。「登り道」を避けたい方は車道を選んだほうがいいかもしれないが、この山道、近道とは言えないまでも風情があって良い道なので、時間に余裕のある方は是非・・・!』続きを読む

冬遍路 〜足摺岬・宿毛へ〜  (20)

2008年12月31日 真念庵(その1)

 真念庵を建立した真念法師という人物については、僕は最近まで、少なくとも区切り打ちの遍路の旅が土佐の国の行程の半ばあたりにさしかかった夏頃(2008年7月)ぐらいまでは、殆ど知識が無かったと言っていい。真念庵という場所があることは遍路用の地図や解説本を見たりして確認はしていたし、かつて訪れたことのある佛海庵(室戸市佐喜浜町・二十四番札所最御崎寺より北へ20km)のように四国路往来に難渋した遍路人のための救済所であったことも何かの資料で読んだことはあった。夏までに得ていた知識というのはその程度の漠然としたものに過ぎなかった。
 その後、ネットなどを通じて少しずつ情報を集めてはみた。まだまだ勉強不足の段階ではあるが、今回の遍路の旅に出発するまでには大まかな概要は知り得ることができたと思う。


 真念法師は江戸時代に活躍した巡礼僧だが、詳しい経歴については不明な点が多いらしい。墓所が香川県牟礼町の州崎寺(番外霊場とされている)にあるらしく、墓の記述によれば没年は元禄期ということだ。深く弘法大師に帰依されていたようで、自ら四国巡礼の旅に出ること二十数回にも及び(言うまでなく二十数回四国を周られたということである)、また遍路人の便宜を図るために指南書(ガイドブックのようなもの)を製作したり、標石を設置するなどの事業もされたようである。
 真念法師による著作・出版された指南書には「四国邊路道指南」「四国邊礼功徳記」「四国邊礼霊場記」がある。中でも「四国邊路道指南」は内容的にもまさにガイドブックと呼ぶに相応しいものとなっており遍路道に関わる詳細な情報が載せられている書物だ(といいながら僕はその書物や解説本などを読んだ経験がないので詳しいことはわからない)。「四国邊路道指南」が世間に出回ることにより、四国遍路道の情報は広く一般大衆にも知れ渡り、武士階級や僧侶以外の人達が四国遍路を盛んに行うようになる。真念法師の活躍によって四国遍路はいわゆる「メジャー化」されたようである。各地で遍路道沿いに村人たちなどの手による標石が設置されだしたのも、この時代以降ではないかということだ。「メジャー化」されたとはいえ、四国に渡った遍路人は不治の病を抱えた人たちや様々な事情で国を追われた人たち、また罪によって終生遍路を続けることになった人たちなどが殆どだったようだ。病を抱えた人たちは霊場を巡ることによる功徳によって病が治るのではないかという僅かな希望をもって残る生涯を遍路に捧げた。しかし、その願いは適う事無く、行き倒れになる人や足摺岬に身を投げる人が多くいたようだ。ただでさえ、昔の四国路は「辺土」と呼ばれたほど想像を絶する難所ばかりだった。来る日も来る日も、死ぬ思いで歩き続けた遍路人の苦しみや悲しみは如何ばかりであったか…。そんな遍路人を救済する施設が四国ではあちらこちらに創られたようだ。真念庵もそんな施設のひとつであったようだが、或いは違った役割もこの庵は担っていたようである(その事についてはまた後に…)。
 真念法師は「四国遍路の父」「四国遍路中興の祖」と名で呼ばれているということだが、大師信仰や四国遍路に関わる事業に全てを捧げた生涯を総括するには本当に相応しい贈り名に思える。現在も四国遍路というものが盛んに行われている背景には、真念法師が江戸期からしっかりと土台づくりをしていたという事実があったことも忘れてはならないだろう
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六根清浄

1969年4月20日生まれ

京都市在住
2007年5月から始めた区切り打ち四国歩き遍路も4年目をもちましてようやく結願いたしました。支えてくださった皆様に感謝です。2巡目の構想も視野に入れながら、さらに日本の各地を「歩き旅」で訪れてみたいと考えています。自称『歩き中毒患者』(笑)


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