切幡寺は『四国遍路ひとり歩き同行二人 地図編』(へんろみち保存協力会編)によれば、標高150mに位置する。山の中腹にある札所で山寺の趣がある。境内の大塔はもともとは住吉神宮寺に建っていたものを明治の御世に移転したもので国の重要文化財となっている。「機織り娘」の伝説は有名で、御本尊の二体の千手観世音菩薩像(秘仏)のうちの一体がこの伝説に由来するものであるという。
四国遍路関連の解説本やウェブサイトに掲載されている切幡寺に関してのこういった基礎知識は、当時の僕の頭には全くなかった。あるのは「333段っつう、ひたすらなげー階段があるそうな・・・」ぐらいなものであった。最近でこそ改めたが、当時の僕は旅に対しての考え方はかなり大雑把だった。訪れる札所がどういう場所なのか・・・、そういうことは帰宅してから調べればいいと思っていた。「余分な知識は要らない、大事なことは目で見て体で体感して何を心に残せるかだ」といった方針のようなものが一応はあったのである。今にして思えば・・・、こういった考え方も悪くはなかったとは思うのだが、少しでも下調べをしておけばもっと札所で過ごす時間を楽しめたような気がする。この2度目となる遍路の旅で下調べをしていた霊場は翌々日に訪れることになる番外霊場の建治寺のみであった。あとは距離と時間以外の情報は全く頭に詰め込まずにぶっつけ本番で廻ったのだ。どうもこういった雑なところは若い頃から変わらないので困る・・・。
切幡寺の石段は想像していたものとは違っていた。僕が当初抱いていたイメージは333の石段が一直線に境内まで続いているといった感じのものだった。これだとなんというのか、肉体的な疲労はもちろんのこと、視覚的にも辛いものがある。長い階段を眺めながら一段一段上がるのだ・・・、「まだ上は遠いなあ!!」などとつぶやきながら・・・。
実際の石段はというと、何段階かに分かれていた。数十段(はっきりした数は記憶が曖昧だ)上がって平地となる。また数十段上がって平地・・・といった具合に何度か(これも記憶が曖昧)つづく。最後に240段が一直線に境内へとつづいている。結局は長い一直線の石段を登ることになってしまうわけだが、93段少ないだけでも有難いと思わねばならないだろう。
石段を登りはじめる。
予め段数が判っている長い階段を登る時には、何故か決まって段数を数えながら登ってしまう。別にその数を疑っているわけではないのだが、無意識に数えてしまうのである。
「22、23、24・・・。」
最初は小気味よかった数を唱える声も、そのうちに途切れ途切れとなる。
「67・・・・、71・・・・、77・・・。」
やはり最後の240段がかなりきつく思えた。膝は重くなるし、心拍数も上がる。
(192・・・・!!ハァハァ・・・。210・・・!!・・・・何段やったっけ!?)
もう何段あってもどうでもいい気がしてきたが、意固地になって数えつづけた。初志貫徹、最後までやりとげねば・・・。
『遍路初心者の僕にはかなりキツかったこの石段。しかし、これはほんの幕開けに過ぎなかった。この2度目となる遍路の旅は僕がこれまで(2008年7月現在)体験した区切り打ち遍路の旅の中では最も過酷なものとなった。まだ遍路というものに対して不慣れだったということもあったし、なにより真夏の暑さが容赦なく身体を蝕んだ。この切幡寺の石段はこれからの旅がどれ程過酷なものになるかということを教えてくれていたのかもしれない。』
ようやく境内にたどり着いた。段数は・・・、多分333段あったと思うのだが・・・。膝はフラフラ、息もあがっていた。どうも「登り」には僕の脚はもろい。こんなことでは明日の焼山寺の山道を行くのはとても無理なのではとかなり心配になったが、悩んでみてもなにも生まれないのだ、とにかく前に進むしかない・・・。明日のことは明日として、まずは参拝しようと気を取り直しザックと菅笠をベンチに置いて手水場に向かった。
境内は多くの参拝者であふれていた。殆どが車遍路の方やツアー遍路の方だったが背中にザックを背負ったお遍路さんの姿もちらほら。歩き遍路にとって真夏は避けるべき季節とはいわれているものの、区切り打ち遍路にとってお盆連休はどっぷり遍路の世界に浸かることのできる見逃せない時期なのかもしれない。ただ通し打ちをされている方に対しては本当に頭が下がる思いだ。一月以上もの時間を猛暑の中歩かれるのだから・・・。
一通り参拝を終えベンチに戻ると、暫くは境内の景色を眺めながらのんびり過ごした。急ぐこともない。今日はどのみち11番札所藤井寺で打ち止めとなる。そこから先はまた明日のこととなる。藤井寺まではここからおよそ10km弱の距離だ。ゆっくり歩いても3時間もあればたどり着けるだろう。時間はまだ昼の12時半を回ったところだ。あまり急いで此処を発っても却って時間が余ってしまう。ここまでの脚の疲れもしっかりとって、水分も充分補給してから出発するのがいいだろう。大事なのは今日はなるべく身体を労わりながら遍路をすることだ。明日からが大変なのだから・・・。
四国遍路関連の解説本やウェブサイトに掲載されている切幡寺に関してのこういった基礎知識は、当時の僕の頭には全くなかった。あるのは「333段っつう、ひたすらなげー階段があるそうな・・・」ぐらいなものであった。最近でこそ改めたが、当時の僕は旅に対しての考え方はかなり大雑把だった。訪れる札所がどういう場所なのか・・・、そういうことは帰宅してから調べればいいと思っていた。「余分な知識は要らない、大事なことは目で見て体で体感して何を心に残せるかだ」といった方針のようなものが一応はあったのである。今にして思えば・・・、こういった考え方も悪くはなかったとは思うのだが、少しでも下調べをしておけばもっと札所で過ごす時間を楽しめたような気がする。この2度目となる遍路の旅で下調べをしていた霊場は翌々日に訪れることになる番外霊場の建治寺のみであった。あとは距離と時間以外の情報は全く頭に詰め込まずにぶっつけ本番で廻ったのだ。どうもこういった雑なところは若い頃から変わらないので困る・・・。
切幡寺の石段は想像していたものとは違っていた。僕が当初抱いていたイメージは333の石段が一直線に境内まで続いているといった感じのものだった。これだとなんというのか、肉体的な疲労はもちろんのこと、視覚的にも辛いものがある。長い階段を眺めながら一段一段上がるのだ・・・、「まだ上は遠いなあ!!」などとつぶやきながら・・・。
実際の石段はというと、何段階かに分かれていた。数十段(はっきりした数は記憶が曖昧だ)上がって平地となる。また数十段上がって平地・・・といった具合に何度か(これも記憶が曖昧)つづく。最後に240段が一直線に境内へとつづいている。結局は長い一直線の石段を登ることになってしまうわけだが、93段少ないだけでも有難いと思わねばならないだろう。
石段を登りはじめる。
予め段数が判っている長い階段を登る時には、何故か決まって段数を数えながら登ってしまう。別にその数を疑っているわけではないのだが、無意識に数えてしまうのである。
「22、23、24・・・。」
最初は小気味よかった数を唱える声も、そのうちに途切れ途切れとなる。
「67・・・・、71・・・・、77・・・。」
やはり最後の240段がかなりきつく思えた。膝は重くなるし、心拍数も上がる。
(192・・・・!!ハァハァ・・・。210・・・!!・・・・何段やったっけ!?)
もう何段あってもどうでもいい気がしてきたが、意固地になって数えつづけた。初志貫徹、最後までやりとげねば・・・。
『遍路初心者の僕にはかなりキツかったこの石段。しかし、これはほんの幕開けに過ぎなかった。この2度目となる遍路の旅は僕がこれまで(2008年7月現在)体験した区切り打ち遍路の旅の中では最も過酷なものとなった。まだ遍路というものに対して不慣れだったということもあったし、なにより真夏の暑さが容赦なく身体を蝕んだ。この切幡寺の石段はこれからの旅がどれ程過酷なものになるかということを教えてくれていたのかもしれない。』
ようやく境内にたどり着いた。段数は・・・、多分333段あったと思うのだが・・・。膝はフラフラ、息もあがっていた。どうも「登り」には僕の脚はもろい。こんなことでは明日の焼山寺の山道を行くのはとても無理なのではとかなり心配になったが、悩んでみてもなにも生まれないのだ、とにかく前に進むしかない・・・。明日のことは明日として、まずは参拝しようと気を取り直しザックと菅笠をベンチに置いて手水場に向かった。
境内は多くの参拝者であふれていた。殆どが車遍路の方やツアー遍路の方だったが背中にザックを背負ったお遍路さんの姿もちらほら。歩き遍路にとって真夏は避けるべき季節とはいわれているものの、区切り打ち遍路にとってお盆連休はどっぷり遍路の世界に浸かることのできる見逃せない時期なのかもしれない。ただ通し打ちをされている方に対しては本当に頭が下がる思いだ。一月以上もの時間を猛暑の中歩かれるのだから・・・。
一通り参拝を終えベンチに戻ると、暫くは境内の景色を眺めながらのんびり過ごした。急ぐこともない。今日はどのみち11番札所藤井寺で打ち止めとなる。そこから先はまた明日のこととなる。藤井寺まではここからおよそ10km弱の距離だ。ゆっくり歩いても3時間もあればたどり着けるだろう。時間はまだ昼の12時半を回ったところだ。あまり急いで此処を発っても却って時間が余ってしまう。ここまでの脚の疲れもしっかりとって、水分も充分補給してから出発するのがいいだろう。大事なのは今日はなるべく身体を労わりながら遍路をすることだ。明日からが大変なのだから・・・。