気ままに歩いて候。

あせらず、くさらず、歩いていきましょう。 2007年5月の連休から始めた区切り打ちの四国歩き遍路の思い出を綴った記事を中心に掲載しています。

歩き遍路 - 2007年8月

見守ってくれる力

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 道は再び住宅地へと入る。日陰がある分、いくらかは歩きやすくはなったが、体から出る汗の量は変わることはない。ザックを背負った背中は既にびしょ濡れである。水分を摂れども摂れども、アッという間に体から出ていってしまうのだ。滝のように次から次へと流れ出る汗。僕は汗かきなので、常に水分補給をしなければならないのだ。ペットボトルを左手に持ちながら、時折、ボトルのキャップを開けては水を口に含ませながら歩いて行く・・・。

 少しづつだが、暑さというものに体が順応してくるのがわかる。猛暑でスタミナが奪われてしまうのではないかという心配もあったが、奪われるどころか、ますます軽快に脚が動くのである。ようやく脚の筋肉が本来の動きというものを思い出してきたかなといったかんじである。汗の量は相変わらずだ。しかし、水分さえマメに摂っていれば、体は順調に動くし、スタミナが切れることもないようだ。

 しかし、これは単に体が暑さへ順応しはじめたといったことだけではない気もする。なにかに力を与えられている・・・、そんな感覚がある。自分だけの力でこの2本の脚は動いているわけではないような・・・。なにかに後押しされているみたいに思えるのだ。自分の身体能力を超えた力。限界を超えた力。そんなものがいつしか体の中に宿って常に僕の歩きを見守ってくれているような・・・、うまく言えないがそういう不思議な感覚があったのだ。自分とは別の力と一緒に歩く・・・。

 (こういうのを「同行二人」っていうんかな・・・?)

 前回の遍路の旅は杖にすがる有り難さを教えられた。杖と一緒に歩くことが「同行二人」なのだと深く考えさせられたが、今回はまたそれとは異質の「同行二人」を体験していくことになりそうだ。

 不思議なことといえば・・・、風が吹いていたことだ。ただの偶然に過ぎないと言われればそれまでかもしれないが、この日は一日中心地よい風が吹いていてくれた。この風がなければ、早い段階から暑さで体はバテていたかもしれない。有難いことにこの日の遍路を終える最後まで風が途切れることがなかった。「たまたまそういう気象条件に恵まれていただけでは?」と人には思われるかもしれないが、僕にとってみればただの恵みの風というだけのものではなかった。なにかに守られている、そんなふうに思えたのだ。僕を含めて、この日遍路道を歩いていたお遍路さんはとてつもない大きな存在に温かく見守られていたのではないか。

 どんなに辛い状況になっても、目に見えない「何か」がいつも見守ってくれている。遍路道の世界にはそう感じさせてくれることがよくある。


 
 些細な道しるべも見逃さないように、注意深く住宅地の中を歩いて行く。進む方向に戸惑うような場所には必ずなにかしらの道しるべが用意されている。それを見逃せばえらいことになる。
 
 なるべく視野を広く保って辺りをキョロキョロ眺めながら慎重に進んで行く。

 ふと、これまで歩いた道を振り返ってみたくなり何気なく後ろを向くと、少し距離をおいて見覚えのある人が歩いてくるのが見えた。緑のザックに小さな菅笠・・・、あのおっちゃんだ・・・。切幡寺の近くで追い抜いてからどうしたものかと気になってはいたが、元気に歩いておられる。少しホッとすると同時に、「この人とは今日は一日中縁がありそうだな・・・」と微笑ましい気分になった。
 

南へ

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 11番札所藤井寺への道程は僕の持っていたガイドブックでは10km、『四国遍路ひとり歩き同行二人』(へんろみち保存協力会編)では9.3kmと表示されている。3時間もかからない距離だろう。遍路慣れしていない当時の僕にとってはこの3時間弱という道程は歩き応えのあるものに思えた。1番札所霊山寺からここまで、札所間の距離は短く、最も長いものでも5km程で歩行時間も1時間半にも満たなかった。言わばここまでは遍路の入門コースといったところなのかもしれない。10番札所切幡寺を境に、それから先は札所間の距離はぐっと伸びてくる(13番大日寺から17番井戸寺にかけての区間はそれほど距離も開いてはいないが)。ここからが本格的な歩き遍路のはじまりになるのではないだろうか。2007年8月の遍路の旅は本当の「歩き遍路」というものに出会う旅となった。その最初の洗礼を浴びたのが、この藤井寺までの道程だった。

 県道237号線を南下、吉野川を渡り阿波市から吉野川市へ入る。県道240号線をひたすら歩き最後は少し山道っぽい道を経て藤井寺へ至るのだが、その道中の殆どはアスファルトの道を歩くこととなる。これまでの遍路道も大概はアスファルトの道ではあったが、真夏の猛暑の中を重い荷物を背負ってアスファルトの道を3時間近く歩くのは当然のことながら今回が初めての体験となる。放射熱が容赦なく体の水分を奪うだろう。暑さ対策には充分気をつけなければならない。水分の補給はもちろんのこと、適度な休憩もはさみながらあまり速度をあげて歩かないことが大切だろう。時間はたっぷりあるのだから、3時間以上はかけるつもりでゆっくり歩いて行こうと思っていた。


 237号線を進む。時間はそろそろ昼の1時をまわろうとしていた。そういえば、昼食をまだ摂っていない。少しお腹が空いてきた。やはり食べるものは食べておかないと夕方までしっかり歩くことができるかどうか心配だ。どこか適当な場所で食事にしなければ・・・、と思いながら歩いていたものの、空腹感よりも先に喉が渇きが気になって仕方がない。無性に暑い。ザックのサイドポケットにつっこんでいたペットボトルを取り出し水を少し口に含んだ。暑さのせいで、もう既にぬるくなってはいたが、やはりおいしい。こうやって少しづつ水分を摂るのがいいのかもしれない。一気に飲むと後でトイレが必要となってくるだろう。道中、早々うまい具合にトイレがあるわけでもないので一気飲みは控えてタイミングをみて少しずつ水を飲むようにした。

 切幡寺までの道ではあのおっちゃん以外は全く見かけることのなかった歩き遍路の姿が、ここにきてようやく何人か目にすることができるようになった。やはりこういった「同士」の姿が多いと安心する。

 (ああ、今の道で間違いないんやな・・・。みんなも歩いてはるし・・・。)

 (暑いけど、みんな頑張って歩いてはるな・・・。自分も頑張らんと・・・。)

 仲間の姿は励みにもなる。そしてそれはお互い様ということかもしれない。僕の歩いている姿も他の人に元気を与えているのかも・・・。もしそうだとしたらとてもうれしいことだ。こうやってひとりひとりが懸命に歩くことで知らず知らずのうちに元気というものを与えたり与えられたりしている。それだけで「援け合い」というものが成立しているのかもしれない。

 印象的だったのが前を歩いていた初老の夫婦のお遍路さん。お揃いでお手製の杖をつきながら同じペースを守って仲良く歩いておられる。見ていてなんとも微笑ましい。途中、脚を止められた奥さんを旦那さんが気遣う場面もあった。こういう夫婦像っていいな、こういう歳の重ね方って素敵だなと思った。

 
 県道12号線との交差点で右手にうどん屋さんを発見。ここらで食事を摂るかなと思っていると、周りを歩いていた人達も同じことを考えていた様子。皆、うどん屋さんの方角に向かって歩いて行かれる。僕もその後に従って歩いて行く。皆で交差点を渡りうどん屋へ・・・。まるで団体歩き遍路御一行のような様相だ。店先で中の様子を窺うと、とんでもない混雑ぶり。席が空くのを待っているお客さんもけっこういらっしゃった。

 (こりゃ、あかんわ・・・。)

 まともに待っていては、30分以上は掛かりそうだった。時間に余裕はあるものの、こういった脚止めは避けたかった。待ち時間と食事をする時間を考えると此処で1時間は費やしてしまうこととなるだろう。そうなると、此処を出た後にそれなりにペースを上げて歩くことになってしまう。長い時間冷房の効いた店内にいたせいで、脚の筋肉も硬くなって歩くのがつらくなるだろう。暑さもますます厳しく感じられるだろう。それはちょっと困る。

 ここは諦めるのが賢明だ。踵を返して遍路道へと戻る。今のペースを守ってこのまま歩いて行くのが最善に思えた。この先にスーパーでもあればパンでも買って食べるほうがいいだろう。食事も適量のほうが歩くのに負担にならない。
 
 結局、うどん屋を去ったのは僕一人だった。他のみなさんは席の空くのを待たれるようだった。

 (みなさん、我慢強いな・・・!!)

 「我慢」の問題なのだろう、早い話が。長い時間順番を待つということが苦手なのである、僕という人間は。

 
 また暫くは歩き遍路の姿を見かけることのない時間の中を歩いた。

 
 これ以降、この日に昼食を摂ったという記憶は僕にはない。スーパーのような店もこの先にあったような気もするが、恐らくそのまま素通りしてしまっていたのではないかと思う。水分を補給したりしているうちに空腹感が薄れてしまっていたのではないだろうか。歩くことに夢中になって食事がどうでもよくなっていたのだろう。考えてみれば、とても危険な状態で遍路をつづけていたようである・・・。よくやったものだと今にして思う。褒められたこととは到底言えないが。
 

石段を下る

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切幡寺の大塔
               『境内のベンチから大塔を眺める・・・』



 境内で束の間の長閑な時間を過ごした。やはり山寺はいいものだ。濃密な自然の空気を感じながら、鐘の音や本堂や大師堂から流れてくる読経の声などが耳にはいってくると真夏の暑さも気にならなくなってしまう。心が安らぐのだ。山の精気が、或いは歴史を刻んだ寺のもつ霊気のようなもの、そして参拝者の信心がつくりだす空気がそんな気持ちにさせてくれるのかもしれない。

 自販機でペットボトルのミネラルウォーターを2本購入し、1本は飲み干してもう一本はザックに詰める。脚の疲れもとれてきたし、また歩きたくなってきた。名残惜しいがそろそろ出発しなければ。荷物を背負い菅笠をかぶる。金剛杖を手に持ち次の札所へ向けて歩きはじめる。


 石段も下りは楽である。そしてなんというか気分がいい。この長い石段を無事クリアできたという達成感というか満足感のようなものがある。まあ所詮は独り善がりの感傷にすぎないのだけれども・・・。でも他の参拝者の方達も同じ気持ちでこの石段を下られるのではないかと思う。此処へ来る途中ですれ違ったお遍路さん達の清々しい表情が思い出される・・・。おかげさまで僕も今あの人達の心持になれたような気がする。石段を経験したことで感じることのできるこの清々さこそがこの霊場で得られる最大の御利益なのかもしれない。
 下からはまだ沢山の参拝者の方々が懸命に石段を登って来られる。すれ違い際に挨拶を交わしながら皆さんの御様子を窺っていると、やはり段数を数えておられる人は結構いらっしゃった。肩で息をしながら、「・・・よいしょ!!250、251!!」と頑張って数えておられる若い父親の姿なんかも見られる。その傍らで小さな娘さんが「頑張れー!!」と応援している。子供にとってはこの石段はたいして苦にもならないようだ。なんだかとても楽しそうである。それにしてもこの段数を数えてしまうという人の心理というのは一体なんなのだろうか・・・。面白い現象である。



 石段を下りきったところで見覚えのある姿を見かけた。

 あの車輪の小さな自転車に乗った女の子のお遍路さんである。丁度、今到着したらしく、両手で自転車を引きながら停める場所を探しているようだった。

 (何故・・・??歩きよりも自転車のほうが遅れているのは何故・・・??)
 
 素朴な疑問が湧いた。法輪寺から歩き始めて間もない頃にとっくに僕やあのおっちゃんを颯爽と追い抜いていった筈なのに・・・。

 一概に「自転車のほうが速い」とは言い切れないということなのだろうか。僕達歩き遍路は確かに進む速度は遅い。でも遅いが故のメリットもある。へんろ道を示す標識(へんろみち保存会によって設置された小さな標識や電柱などに貼り付けられた小さなワッペン)を見落とすことは滅多にないし、要所要所で地図を出して確認しながら進むことができる。自転車の場合は(僕は自転車遍路は未経験なのでなんともいえないが)速いが故に長い距離を一気に進むため、一度道を間違えたりすると厄介な状況になってしまうのではないだろうか。細かい標識も見落としやすいかもしれないし、頻繁に地図を荷物から引っ張りだして確認するのも結構手間だろう。自転車の旅に慣れている人ならともかく、そうでない人ならメリット半分リスクも半分といったところではないだろうか。道の選択に間違えがなければ問題はないのだけれども・・・。

 この女の子が僕よりも到着が遅れた原因が道を間違えたためであったかどうかはわからない。自転車の利点を生かしてひょっとしたら別の場所に脚を伸ばしていたのかもしれない。まあなんにせよ、またこうやってお会いすることができたわけだ。なんとなく、「この子はまたちょくちょく姿を見かけることがあるかもしれない」という予感めいたものを感じた。やはり御縁のようなものがあったのかもしれない。

 
 修復中の山門に一礼して切幡寺をあとにした。再び県道139号線と237号線との交差点に戻るため、もと来た道を歩いて行く。ここより、遍路道は南へと大きく針路を変えることとなる。一番札所霊山寺からつづいた吉野川以北の旅は残すところあと僅かだ。




 ● 第十番札所 得度山 切幡寺
   
   〔御本尊〕 千手観世音菩薩
   〔御真言〕 おん ばざら たらま きりく
   〔御詠歌〕 欲心をただひとすじに切はた寺 のちの世まで障りとぞなる



六根清浄

1969年4月20日生まれ

京都市在住
2007年5月から始めた区切り打ち四国歩き遍路も4年目をもちましてようやく結願いたしました。支えてくださった皆様に感謝です。2巡目の構想も視野に入れながら、さらに日本の各地を「歩き旅」で訪れてみたいと考えています。自称『歩き中毒患者』(笑)


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