昨日(2008年2月3日)、京都壬生寺の「節分厄除大法会」に行ってまいりました。お目当ては壬生狂言です。先日、ブログで(洛陽三十三ヶ所観音札所めぐり 第4回)何度も訪れている壬生寺にもかかわらず壬生狂言はまだ一度も見たことがなく情けない次第であるとお話したと思いますが、早速見に行ってきました。
壬生狂言は年に3度公演されています。春の大念佛会(4月21日〜29日)、秋の特別公開(10月の連休の3日間)、そして節分の公開(2月初旬の節分の前日と当日の2日間)です。節分の公開のみが無料で観覧できるということなので、とりあえず見てきました。
壬生寺を訪れたのは、夜の8時を回ろうかとしている時間帯でした。阪急電鉄西院駅を降りて(大宮駅で降りたほうが早かったかもしれませんね)、四条通りを東へ15分ほど歩くと式内隼神社がある。神社のそばの坊城通りを南へ少し行くと壬生寺にたどり着くわけですが、この日はとにかく人が多い!!幅の狭い通りに沢山の人が行き交い、脇には様々な露店が立ち並ぶ。年に一度の節分会ということで、大変な賑わいをみせていました。
『なかなか前に進めませんでしたが、暫しの間、ゆっくりと祭りの雰囲気を楽しみながら歩いていくことにしました。』
なんでも壬生寺は京都御所から南西の方角にあることから、裏鬼門からの邪気を祓う役目を担ってきた御寺ということで、壬生寺の節分会の役割というのは昔からとても重要なものだったらしいのです。その歴史と伝統は900年もの永きにわたり、人々に大切に守られてきたということです。
『正門前の様子。普段の静かな雰囲気とは打って変わった賑やかさ。』
『正門の様子。いよいよ境内へ。』
境内に入ると、やはり目につくのは炮烙(素焼きの皿、「ほうらく」とも呼ぶ)を売っている店で、買い求める参拝客も多い。壬生狂言も素晴らしいが、節分会の参拝客の一番のお目当ては、やはりこの炮烙ということでしょう。炮烙に家内一同の性別・年齢を書いて奉納する。春の公開される壬生狂言に「炮烙割り」という有名な演目がありますが、この演目中に割られるのが節分会で奉納された炮烙であり、これによって奉納者の厄除開運の御利益があるとされているそうです。
先日、観音札所めぐりでお参りさせていただいた中院も今日は表の窓が全開されていましたから、今度ははっきりと御本尊様の御姿を拝見することができました。堂の中には関係者以外の人間は入れないようでしたので、お近くまで行くことはできませんでしたが・・・。
『本堂の様子。沢山の人がお参りされていました。御本尊の延命地蔵菩薩様への人々の信仰の厚さを感じますね。』
『いよいよ壬生狂言を見に・・・。観覧会場の前にはこのような通路が設けてある。』
さて、いよいよ僕のお目当ての壬生狂言へ。観覧場は境内の北、壬生寺会館の中に設けられていて、そこから狂言堂(大念佛堂)で行われる演目を観るというかたちでした。
『壬生寺会館。一階は壬生寺保育園となっている。』
毎年、節分会では繰り返し同じ演目が上演される。演目名は「節分」。
登場人物は後家(女主人)、赤鬼、厄払いの3人。節分の日に後家は門口に鰯の頭をまつり、厄払いに厄を祓うおまじないをさせる。厄払いが去った後に、突然赤鬼が訪ねてくる。あまりに驚いた後家はその場を逃げ出してしまう。赤鬼は一計を案じ、持っていた「打ち出の小槌」を使って着物を出して変装し後家を呼び出す。後家に沢山の着物を与え、喜ぶ後家と一緒に宴をひらくが、赤鬼は酔い潰れて寝入ってしまう。欲が出た後家はその間に「打ち出の小槌」を奪い取り、更に鬼の着ている着物まで剥ぎ取ろうとするが、ついに鬼の正体を知るに至り驚き慌てる。気がついた鬼が後家に襲いかかろうとするが、後家は家に置いてあった豆を投げつけて鬼を撃退するというお話。様々な災厄を招く誘惑に負けずに、マメに(真面目に)働くことこそ、本当の幸せを得ることができるのだという教訓が、この演目にはふくまれているということだそうです。
『残念ながら撮影不可でしたので、拾い画です・・・。』
初めて壬生狂言というものを生で観ることができましたが、面白かったですね。赤鬼の滑稽で動きのある踊り、それとは対照的なおしとやかで落ち着きのある後家の仕草。笛と和太鼓と鉦が奏でる独特の空気をもったお囃子。700年前の京の人々も自分が今目にしたものと全く同じものを観ていたのだなという。面白いと思うと同時に、不思議な感じがしました。伝統芸能というものを観ることによって、それを演じられている役者さんの芸の素晴らしさや伝統を守っておられる精神に感動させられるということは勿論なのですが、同じものを観ていたであろう遠い昔の人々の気持ちまで心に浮かんでくるような・・・、昔の人と感動を分かち合えるような、そんな気持ちになってしまいますね。
壬生狂言、本当に素晴らしかった。また春や秋の公演も是非観てみたいと思います。
壬生狂言は年に3度公演されています。春の大念佛会(4月21日〜29日)、秋の特別公開(10月の連休の3日間)、そして節分の公開(2月初旬の節分の前日と当日の2日間)です。節分の公開のみが無料で観覧できるということなので、とりあえず見てきました。
壬生寺を訪れたのは、夜の8時を回ろうかとしている時間帯でした。阪急電鉄西院駅を降りて(大宮駅で降りたほうが早かったかもしれませんね)、四条通りを東へ15分ほど歩くと式内隼神社がある。神社のそばの坊城通りを南へ少し行くと壬生寺にたどり着くわけですが、この日はとにかく人が多い!!幅の狭い通りに沢山の人が行き交い、脇には様々な露店が立ち並ぶ。年に一度の節分会ということで、大変な賑わいをみせていました。
『なかなか前に進めませんでしたが、暫しの間、ゆっくりと祭りの雰囲気を楽しみながら歩いていくことにしました。』
なんでも壬生寺は京都御所から南西の方角にあることから、裏鬼門からの邪気を祓う役目を担ってきた御寺ということで、壬生寺の節分会の役割というのは昔からとても重要なものだったらしいのです。その歴史と伝統は900年もの永きにわたり、人々に大切に守られてきたということです。
『正門前の様子。普段の静かな雰囲気とは打って変わった賑やかさ。』
『正門の様子。いよいよ境内へ。』
境内に入ると、やはり目につくのは炮烙(素焼きの皿、「ほうらく」とも呼ぶ)を売っている店で、買い求める参拝客も多い。壬生狂言も素晴らしいが、節分会の参拝客の一番のお目当ては、やはりこの炮烙ということでしょう。炮烙に家内一同の性別・年齢を書いて奉納する。春の公開される壬生狂言に「炮烙割り」という有名な演目がありますが、この演目中に割られるのが節分会で奉納された炮烙であり、これによって奉納者の厄除開運の御利益があるとされているそうです。
先日、観音札所めぐりでお参りさせていただいた中院も今日は表の窓が全開されていましたから、今度ははっきりと御本尊様の御姿を拝見することができました。堂の中には関係者以外の人間は入れないようでしたので、お近くまで行くことはできませんでしたが・・・。
『本堂の様子。沢山の人がお参りされていました。御本尊の延命地蔵菩薩様への人々の信仰の厚さを感じますね。』
『いよいよ壬生狂言を見に・・・。観覧会場の前にはこのような通路が設けてある。』
さて、いよいよ僕のお目当ての壬生狂言へ。観覧場は境内の北、壬生寺会館の中に設けられていて、そこから狂言堂(大念佛堂)で行われる演目を観るというかたちでした。
『壬生寺会館。一階は壬生寺保育園となっている。』
毎年、節分会では繰り返し同じ演目が上演される。演目名は「節分」。
登場人物は後家(女主人)、赤鬼、厄払いの3人。節分の日に後家は門口に鰯の頭をまつり、厄払いに厄を祓うおまじないをさせる。厄払いが去った後に、突然赤鬼が訪ねてくる。あまりに驚いた後家はその場を逃げ出してしまう。赤鬼は一計を案じ、持っていた「打ち出の小槌」を使って着物を出して変装し後家を呼び出す。後家に沢山の着物を与え、喜ぶ後家と一緒に宴をひらくが、赤鬼は酔い潰れて寝入ってしまう。欲が出た後家はその間に「打ち出の小槌」を奪い取り、更に鬼の着ている着物まで剥ぎ取ろうとするが、ついに鬼の正体を知るに至り驚き慌てる。気がついた鬼が後家に襲いかかろうとするが、後家は家に置いてあった豆を投げつけて鬼を撃退するというお話。様々な災厄を招く誘惑に負けずに、マメに(真面目に)働くことこそ、本当の幸せを得ることができるのだという教訓が、この演目にはふくまれているということだそうです。
『残念ながら撮影不可でしたので、拾い画です・・・。』
初めて壬生狂言というものを生で観ることができましたが、面白かったですね。赤鬼の滑稽で動きのある踊り、それとは対照的なおしとやかで落ち着きのある後家の仕草。笛と和太鼓と鉦が奏でる独特の空気をもったお囃子。700年前の京の人々も自分が今目にしたものと全く同じものを観ていたのだなという。面白いと思うと同時に、不思議な感じがしました。伝統芸能というものを観ることによって、それを演じられている役者さんの芸の素晴らしさや伝統を守っておられる精神に感動させられるということは勿論なのですが、同じものを観ていたであろう遠い昔の人々の気持ちまで心に浮かんでくるような・・・、昔の人と感動を分かち合えるような、そんな気持ちになってしまいますね。
壬生狂言、本当に素晴らしかった。また春や秋の公演も是非観てみたいと思います。