気ままに歩いて候。

あせらず、くさらず、歩いていきましょう。 2007年5月の連休から始めた区切り打ちの四国歩き遍路の思い出を綴った記事を中心に掲載しています。

歩き遍路 - 2007年5月

「歩き遍路 - 2007年5月」の掲載を終えて

 前回の「俗世に還る」をもって、昨年の5月に行った歩き遍路の体験談は終了です。

 思っていたよりも長くかかってしまったなという気がしています。このブログを起ち上げると同時に始めたこの体験談も、回数にして42回、期間にして約半年も費やしてしまいました。掲載を始めた当初はもう少し短いものにするつもりでした。回数も半分以下の20回くらいでまとめられればいいかなと。一回分の文章も、もう少し簡潔なものにするつもりだったのですが、文章力のなさという問題はもちろんありましたが、なにより当時感じた気持ちを記憶が残っているうちにできるだけ書いておきたかったという事情から、長々としたものになってしまいました。このブログに少しでも目をとおしてくださった方にとっては、退屈で同じようなことを何度も繰り返しているように思われたかもしれませんね(笑)。申し訳なく思うと同時に、読んでくださったことへの感謝の気持ちでいっぱいです。

 でも、簡潔な文面では収まりきらないほどの感動がこの初めての歩き遍路での体験にはあったのです。初めての巡礼、初めてのへんろ道、その道で出会った人達。なにもかもが新鮮でした。僕は現在、23番札所薬王寺を過ぎ、徳島県と高知県の県境の手前までの道程を5回の遍路を行って歩ききりました。まだまだ、先は長く、これからが正念場といったところですが、ここまでの道程で体験できたことは本当に素晴らしいことばかりでした。最も印象に残っているのは昨年8月に行った9番札所法輪寺から17番札所井戸寺までを歩いた遍路でしたが(近いうちに体験談を掲載します)、やはり新鮮でなにもかもが美しく見えたという思い出が残っているのは、昨年5月の遍路だったと思います。だから、僅かな思い出でも残さず書いておきたかった。掲載した記事は「ノート日記と私」で述べたとおり、当時の旅の最中に、または旅の直後に書いたノート日記をもとに精一杯記憶を呼び起こして書いたものですが、多少は今の自分が思うことも文面に織り込んでいます。 「打ち止め」の最後の文面、『山門から少し歩いた場所に標識が見えました。「→10番 切幡寺」と。』というところは、標識が「→10番 切幡寺」だったかは正直言うと自信はありません(笑)。

 歩き遍路をしていると、沢山の素敵な「お婆ちゃん」に出会います。今までの旅でも「お婆ちゃん」の優しさや元気な笑顔に何度も助けられました。昨年9月に17番井戸寺から22番平等寺へ歩いた遍路の旅の最後で忘れられない「お婆ちゃん」に出会うのですが、この話はそのうち掲載させていただくとして、今回一番書いておきたかった話は「御婆さんと歩いた時間」でした。四国で最初に出会った素敵な「お婆ちゃん」でした。こういった「お婆ちゃん」達との出会いも全てはお大師様の御計らいによるものではありましょうが、ひょっとしたらお大師様が今まで出会った「お婆ちゃん」達の中にいらっしゃったのではないか、とも思うのです。お遍路とは何か、大師信仰とはなんなのか、遍路に於いて一番大切なことを四国の「お婆ちゃん」達には沢山教わりました。これからも色々なことを教わりたいと思っています。


 僕の書いたブログは、他の四国遍路を体験された方々のものと比べると、「道案内」的な役割はほとんど果たしていませんね(笑)。言わば、独りよがりの思うがままのことを淡々と書いているだけのものでしかありません。それでも、もし少しでも目を通してくださった方が一人でもいらっしゃったならば、本当にありがたいです。これからも、「独りよがり」で「気まま」な体験記事を書いていくつもりですので、どうかよろしくお願いします。

 最後になんとか初めての遍路体験記を書き終えることができたことをお大師様に感謝いたします。


 南無大師遍照金剛

 合掌

俗世に還る

 麻植塚から徳島線に乗って徳島駅に到着、暫しの待ち時間の後に大阪行きの高速バスに無事乗車。ついに四国ともお別れです。

 バスの窓から後ろの方向に流れてゆく徳島市街の景色を眺めながら、「必ず近いうちに此処に戻ってくる、だから決して別れではないんだ」と心に言い聞かせていました。そして、今回の旅を振り返っていました。

 
 
 いい旅になった。僅か2日間の歩き遍路の旅だったけれども、温かい人たちとの触合いや心和むへんろ道の景色は僕の精神に潤いを与えてくれた。日常生活の中でバランスをなくして乾ききっていた心を「修復」してくれた四国の大地。
 「効率」、「利益」、「損失」、「昇進」、「業績」、「地位」、「名誉」・・・。そんな言葉や概念に満ち溢れた日常の世界に再び帰って行く。僕達の本来いるべき場所であり僕達を育ててくれた故郷でもある俗世の世界に。そこでまた、僕達は本来の「自分」というものを見失ってしまうかもしれない。「優しさ」や「思いやり」。人間が本来心の中に持っている最も尊くて、かけがえのないもの。社会で生活するにつれ、それらを押し殺しながら、そして失くしてしまうこともあるだろう。心は傷つき病んで、本当の自分がわからなくなってしまう。それでも、僕等は俗世の中で懸命に生きていかなければならない。ボロボロに身も心もすり減らしながら生きていく。もうそれはしょうがない。それも人間のあるべき姿なのだろう。
 大事なことは自分を「修復」してくれる場所を見つけることかもしれない。人によって、その場所やその手段は色々あるだろう。不運なことは、その場所や手段を見つけられないことだ。
 僕は幸運なのかもしれない。本当に自分を「修復」してくれる場所を見つけることができたのだ。本来の自分を取り戻すことのできる場所が。僕をその場所に呼んでくれた四国の大地、そして旅を導いてくださったお大師様には感謝の念が絶えない。また心を病み、自分を見失った時には「遍路の世界」に還ればいい。きっと本当の自分にまた出会えるだろう。それがうれしい。



 そんなことを考えているうちに、バスは鳴戸海峡を越え、淡路島を越えて、本州に入っていきました。神戸や大阪の景色を眺めるにつれて、「ああ、本来の自分達の住む世界に戻ってきたのだな」と感じました。どこまでもつづくビルの群れ、せわしなく動き回る沢山の車の群れ・・・。良くも悪くも、やはりここが僕が頑張っていかねばならない世界なのです。

 バスは無事、大阪に到着。JR大阪駅から東海道線に乗り京都に向かいます。電車の車内は連休の最終日ということもあって、沢山の人で込み合っていました。ザックを背負い杖を持った僕の姿は周りの人たちからは少し異質な存在だったように思えますが・・・。

 茨木を過ぎたあたりで、車内の人の数も空いてきたようでしたので、空いていた席に座って一息ついていますと、向かいの席に座っておられた中年男性と若い女性の話が聞くとはなしに聞こえてきました。休日出勤されていた方たちらしく、熱心に業務についての議論をされていました。
 
 普通の議論でした。普段の生活の中で聞かれるしがない会話でした。

 ただ、この時の僕には、その会話がとても違う世界の会話に聞こえたのです。

 (なにを言ってるんだ、この人たちは・・・。)

 そんな些細なことで・・・、熱くならなくてもいいじゃないか・・・。


 話している当事者は純粋に懸命に自分達の考えをしゃべっておられただけなのです。むしろ、僕のほうに異変が起こっていたということだったのでしょうか。

 この異変が普段の生活に戻ってから後も、しばらくの期間続くことになるのです。

 遍路の世界を経験したことで、とても得がたいものを得られた。精神的にも豊かになれましたし、自分に足りないものにも気づかされた。温かい真心や美しい景色にたくさん触れることができた。ただ、それによって、日常の世界の営みというものが、とても馴染みづらいものに変わってしまったのです。なぜ、人はこうも業が強いのだろうか・・・。自分のことばかりを考え、優しい気持ちを持たなくなった人間がなんと増えたことだろうか・・・。つい、この前までは自分もそうだったのだということはわかっていながらも、周りの世界に対して嫌悪感を抱いてしまう、そんな時間が多くなってしまっていたのです。

 遍路をすることで、精神が磨かれた分、妙な「拘り」というものに囚われていたのかもしれません。

 (逆に自分はとても不自由になってしまったのではないだろうか・・・?)

 そう考えることが多くなり、自分に対しても周りの世界に対しても悩みを感じる日々が続くことになりました。

 
 遍路とは一体なんだったのだろう・・・。

 
 今から思えば、そんな時期が続いたことも、お大師様が僕に与えた試練だったのかもしれません。僕がこの悩みや拘りから本当に解き放たれるのは、この年の9月に行った四国遍路(17番札所から23番札所まで)を終えたときでした。まだ先の話となるのですが、その時を迎えるまでお大師様は僕を見守ってくださっていたのかもしれませんね。


 なにはともあれ、僕が初めて四国遍路というものに出会った、第一回目の歩き遍路の旅は無事に終わったのでした。旅で出会った方々や僕のようなものを遍路の世界の迎え入れてくれた四国の大地、そして「御導き」をくださったお大師様には本当に感謝しています。ありがとうございました。  合掌。

遍路はつづく

 吉野川。

 歩いて渡るのはこれが3度目でした。阿波中央橋という長い橋を歩きながら、自分の中にあるなにか釈然としない気持ちについて考えていました。

 (本当にお遍路としての自分は終わったのだろうか・・・?)

 今の自分。へんろ道を歩いているわけでもない。法輪寺で今回の遍路は打ち止めた。白衣を着ているわけでもない。杖をついて歩いているわけでもない。普通の一人の人間として、只々、住み慣れた日常の世界への帰途を歩んでいるだけの自分でしかないのですが・・・。

 (まだ遍路を続けたいという想いがあるから、そんな気持ちになっているのかもしれない。)

 川面を眺めながら、多分そうなんだと自分に言い聞かせてはみたものの、なにか違うような気がしていました。そんなものじゃないかも・・・。




 
 2007年5月6日、とうとう四国に別れを告げる日がやってきました。

 麻植塚のホテルをチェックアウトする際、フロントを管理されてる女性の方が前日と同じようにまた駅まで車で送りますと言って下さいました。度重なる御親切な言葉に頭の下がる想いでしたが、今日の自分はお遍路ではなく家路に着くだけのただの一人の人間なのだと考えると、とても御厚意に甘えることはできないと思いましたから、

 「ありがとうございます。でも、最後なんで一度駅まで歩いてみたいなと思っています。せっかくなんですが・・・。」

 そう言ってしまったのです。

 「そうですか・・・。」

 力なく、そう返事されたので、悪いこと言ってしまったなと少し悔やまれました。お遍路ではない自分にも御接待の心を持ってくださる。本当に四国の人は温かいなと思いながらも、ひょっとして今の自分をまだ一人のお遍路として見て下さってるのだろうかという疑問も感じました。

 (やはり、自分の「お遍路」はまだ続いているんだろうか?終わったと勝手に自分で決めつけているだけだろうか?)

 外は小雨が降っていました。用意していた薄手の合羽を着込んで外に出ると女性の方は外まで見送りに出てくださいました。

 「また続きを歩かれに来られるんですか?」

 「ええ、できれば夏にでも。またお世話になるかもしれません。ありがとうございました。」

 麻植塚のホテルに別れを告げて、駅に向かって歩き出しました。


 少し北へ歩くと徳島線の線路が見えてくる。そこから東に向かって暫く歩けば難なく駅にたどり着くだろう。そう思っていたのですが・・・。
 
 案の定、どこを歩いているのかわからなくなってしまったのです。線路沿いに東に向かっているはずなのに、いつまでたっても駅が現れない。堪り兼ねて、たまたま家先に立っておられた御婆さんに、

 「すいません、麻植塚駅はどちらの方角になるんでしょうか?」
 
 と尋ねると、

 「ああ、まだもうちょっと東に歩かにゃならん。ここは鴨島と麻植塚の真ん中くらいの場所になるで。」
 
 と教えられました。御礼を言いながら、「ホテルからこんなに遠かったかな?」と心の中で繰り返し繰り返し歩いていますと、

 (人の厚意を無駄にするから、こんな目に会うんだよ!!)

 と、どこかから声が聞こえたような気がしました。

 (ああ、そうだったのか!!)

 その時になって、ようやくわかったのです。まだ、お遍路は続いていたのだと。
 
 白衣を着て金剛杖を突いてへんろ道を歩く、それだけが遍路では実はなかったのです。同行二人は続いていく。家路に着いている間も。そして、日常の日々の中にも。四国霊場を巡る旅だけが遍路ではない、一日一日の生活そのものが遍路なのだということがおぼろげながらわかったのです。四国を去っても、お大師様は自分と常に一緒にいてくださる。見守ってくださる。そう思うと、なんともいえないうれしい気持ちになりました。やっぱり四国に来てよかった!(ちなみにへんろみち保存協力会編「四国遍路ひとり歩き同行二人 解説編」の三十八頁には「自宅到着までが修行である」と明記されていました。遍路が終わったという考えは間違っていたのですね。)


 麻植塚駅に着いたのは、それからかなり歩いた後のことでした。こんなに遠かったか・・・?やはり、人の温かい厚意を無駄にしてはいけませんね。

 誰もいない駅。電車が来るまで、かなり時間がありましたので本を読みながら座って待っていました。時間が経ち、もうすぐ電車が到着するという時間になって、地元に住む御婆さんが一人ホームにやって来られました。同じ電車に乗られるのでしょう。僕を見て声をかけてくださいました。

 「お遍路しに来られたん?」

 「はい、区切り打ちで。まだ始めたばかりですけど・・・。」

 「まあ、それはいい休みの過ごし方やね。健康にもいいしね。」

 そう、健康にはすごくいいことだったと思います。でも、それ以上のものを僕は得ることができた。今まで過ごしてきた人生の時間を大きく変えるような素晴らしいものを。


麻植塚駅



 


 

 
 『麻植塚は今でも忘れることのできない思い出の地。この年の8月に再び此処を訪れることになります。』



六根清浄

1969年4月20日生まれ

京都市在住
2007年5月から始めた区切り打ち四国歩き遍路も4年目をもちましてようやく結願いたしました。支えてくださった皆様に感謝です。2巡目の構想も視野に入れながら、さらに日本の各地を「歩き旅」で訪れてみたいと考えています。自称『歩き中毒患者』(笑)


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