前回の「俗世に還る」をもって、昨年の5月に行った歩き遍路の体験談は終了です。
思っていたよりも長くかかってしまったなという気がしています。このブログを起ち上げると同時に始めたこの体験談も、回数にして42回、期間にして約半年も費やしてしまいました。掲載を始めた当初はもう少し短いものにするつもりでした。回数も半分以下の20回くらいでまとめられればいいかなと。一回分の文章も、もう少し簡潔なものにするつもりだったのですが、文章力のなさという問題はもちろんありましたが、なにより当時感じた気持ちを記憶が残っているうちにできるだけ書いておきたかったという事情から、長々としたものになってしまいました。このブログに少しでも目をとおしてくださった方にとっては、退屈で同じようなことを何度も繰り返しているように思われたかもしれませんね(笑)。申し訳なく思うと同時に、読んでくださったことへの感謝の気持ちでいっぱいです。
でも、簡潔な文面では収まりきらないほどの感動がこの初めての歩き遍路での体験にはあったのです。初めての巡礼、初めてのへんろ道、その道で出会った人達。なにもかもが新鮮でした。僕は現在、23番札所薬王寺を過ぎ、徳島県と高知県の県境の手前までの道程を5回の遍路を行って歩ききりました。まだまだ、先は長く、これからが正念場といったところですが、ここまでの道程で体験できたことは本当に素晴らしいことばかりでした。最も印象に残っているのは昨年8月に行った9番札所法輪寺から17番札所井戸寺までを歩いた遍路でしたが(近いうちに体験談を掲載します)、やはり新鮮でなにもかもが美しく見えたという思い出が残っているのは、昨年5月の遍路だったと思います。だから、僅かな思い出でも残さず書いておきたかった。掲載した記事は「ノート日記と私」で述べたとおり、当時の旅の最中に、または旅の直後に書いたノート日記をもとに精一杯記憶を呼び起こして書いたものですが、多少は今の自分が思うことも文面に織り込んでいます。 「打ち止め」の最後の文面、『山門から少し歩いた場所に標識が見えました。「→10番 切幡寺」と。』というところは、標識が「→10番 切幡寺」だったかは正直言うと自信はありません(笑)。
歩き遍路をしていると、沢山の素敵な「お婆ちゃん」に出会います。今までの旅でも「お婆ちゃん」の優しさや元気な笑顔に何度も助けられました。昨年9月に17番井戸寺から22番平等寺へ歩いた遍路の旅の最後で忘れられない「お婆ちゃん」に出会うのですが、この話はそのうち掲載させていただくとして、今回一番書いておきたかった話は「御婆さんと歩いた時間」でした。四国で最初に出会った素敵な「お婆ちゃん」でした。こういった「お婆ちゃん」達との出会いも全てはお大師様の御計らいによるものではありましょうが、ひょっとしたらお大師様が今まで出会った「お婆ちゃん」達の中にいらっしゃったのではないか、とも思うのです。お遍路とは何か、大師信仰とはなんなのか、遍路に於いて一番大切なことを四国の「お婆ちゃん」達には沢山教わりました。これからも色々なことを教わりたいと思っています。
僕の書いたブログは、他の四国遍路を体験された方々のものと比べると、「道案内」的な役割はほとんど果たしていませんね(笑)。言わば、独りよがりの思うがままのことを淡々と書いているだけのものでしかありません。それでも、もし少しでも目を通してくださった方が一人でもいらっしゃったならば、本当にありがたいです。これからも、「独りよがり」で「気まま」な体験記事を書いていくつもりですので、どうかよろしくお願いします。
最後になんとか初めての遍路体験記を書き終えることができたことをお大師様に感謝いたします。
南無大師遍照金剛
合掌
思っていたよりも長くかかってしまったなという気がしています。このブログを起ち上げると同時に始めたこの体験談も、回数にして42回、期間にして約半年も費やしてしまいました。掲載を始めた当初はもう少し短いものにするつもりでした。回数も半分以下の20回くらいでまとめられればいいかなと。一回分の文章も、もう少し簡潔なものにするつもりだったのですが、文章力のなさという問題はもちろんありましたが、なにより当時感じた気持ちを記憶が残っているうちにできるだけ書いておきたかったという事情から、長々としたものになってしまいました。このブログに少しでも目をとおしてくださった方にとっては、退屈で同じようなことを何度も繰り返しているように思われたかもしれませんね(笑)。申し訳なく思うと同時に、読んでくださったことへの感謝の気持ちでいっぱいです。
でも、簡潔な文面では収まりきらないほどの感動がこの初めての歩き遍路での体験にはあったのです。初めての巡礼、初めてのへんろ道、その道で出会った人達。なにもかもが新鮮でした。僕は現在、23番札所薬王寺を過ぎ、徳島県と高知県の県境の手前までの道程を5回の遍路を行って歩ききりました。まだまだ、先は長く、これからが正念場といったところですが、ここまでの道程で体験できたことは本当に素晴らしいことばかりでした。最も印象に残っているのは昨年8月に行った9番札所法輪寺から17番札所井戸寺までを歩いた遍路でしたが(近いうちに体験談を掲載します)、やはり新鮮でなにもかもが美しく見えたという思い出が残っているのは、昨年5月の遍路だったと思います。だから、僅かな思い出でも残さず書いておきたかった。掲載した記事は「ノート日記と私」で述べたとおり、当時の旅の最中に、または旅の直後に書いたノート日記をもとに精一杯記憶を呼び起こして書いたものですが、多少は今の自分が思うことも文面に織り込んでいます。 「打ち止め」の最後の文面、『山門から少し歩いた場所に標識が見えました。「→10番 切幡寺」と。』というところは、標識が「→10番 切幡寺」だったかは正直言うと自信はありません(笑)。
歩き遍路をしていると、沢山の素敵な「お婆ちゃん」に出会います。今までの旅でも「お婆ちゃん」の優しさや元気な笑顔に何度も助けられました。昨年9月に17番井戸寺から22番平等寺へ歩いた遍路の旅の最後で忘れられない「お婆ちゃん」に出会うのですが、この話はそのうち掲載させていただくとして、今回一番書いておきたかった話は「御婆さんと歩いた時間」でした。四国で最初に出会った素敵な「お婆ちゃん」でした。こういった「お婆ちゃん」達との出会いも全てはお大師様の御計らいによるものではありましょうが、ひょっとしたらお大師様が今まで出会った「お婆ちゃん」達の中にいらっしゃったのではないか、とも思うのです。お遍路とは何か、大師信仰とはなんなのか、遍路に於いて一番大切なことを四国の「お婆ちゃん」達には沢山教わりました。これからも色々なことを教わりたいと思っています。
僕の書いたブログは、他の四国遍路を体験された方々のものと比べると、「道案内」的な役割はほとんど果たしていませんね(笑)。言わば、独りよがりの思うがままのことを淡々と書いているだけのものでしかありません。それでも、もし少しでも目を通してくださった方が一人でもいらっしゃったならば、本当にありがたいです。これからも、「独りよがり」で「気まま」な体験記事を書いていくつもりですので、どうかよろしくお願いします。
最後になんとか初めての遍路体験記を書き終えることができたことをお大師様に感謝いたします。
南無大師遍照金剛
合掌