2009年03月08日

冬遍路 〜足摺岬・宿毛へ〜  (13)

2008年12月30日 大岐にて

 午後7時半をとうに過ぎていただろうか。やっとのことで僕等は大岐にたどり着いた。

 民宿の前で僕等は立ち止まり、お互いに一日歩いた労をねぎらった。そして・・・。Nさんとはここでお別れとなる。彼は昨晩泊まった野宿ポイントを目指すため、此処から更にあと20分程歩かなければならない。足の怪我の状態はどうかと聞いてみると、
「・・・痛みますね、かなり。でも温泉が痛みをとってくれるでしょう。昨日もかなり癒されましたからね。大丈夫です。」
 昨晩利用した温泉施設は、彼にとっては最高の癒しポイントとなったらしい。なんでも岩盤浴もできるとかで、予想以上の癒しを満喫できたということだ。今晩も野宿ポイントに行く前に立ち寄るつもりだが、問題はこの時間も開いているのか・・・、それが気がかりらしい。施設のおっちゃん(店番の人だろう)ともすっかり仲良くなっているらしく、最悪の場合はなんとかうまく言って入れてもらうよう頼んでみるつもりだから大丈夫だと前向きに語るNさんだった・・・。
「あともう少しなので頑張って・・・。そして明日もお互い頑張って歩きましょう。」
 互いの健闘を祈りながら、僕とKさんはNさんと握手を交わした。Nさん曰く、
「皆さんと一緒に歩けてよかった。今日、もし自分独りで歩いてたら多分大岐までは歩けなかったと思います。お礼言わせて下さいね・・・。」
 それはもうお互い様だと僕とKさんが言うと、彼は合唱しながら深々と頭を下げて、
「じゃあ行きます。宿毛でまた会いましょう。御縁があれば明日遍路道で出会うこともあるでしょうね・・・。」
 そう言って彼は去っていった。

 別れの場面には違いなかった。それにしても惜別の情が湧かない。

 実をいうと、僕達は携帯の番号を教えあっていた。だから遍路をしている間は連絡ぐらいはとれるわけである。そういった意味では、ここで縁が途切れてしまったわけではないのだ。翌日の晩に延光寺付近で落ち合おうという約束(状況次第では落ち合えない可能性も大いにあったので彼としては別れの挨拶をしておきたかったのだ)ができたのも連絡先のやりとりがあったからだ。物理的な視点で考えると縁はまだつづくわけだ。
 ただ「御縁」についてはどうなのか。「御縁」とは電話などの物理的な手段によって保たれる縁とはまるで次元の違うものだ。何故か不思議とある人とよく出会ってしまったり、ここぞという場面である人ととても意味のある出会いをしてしまったりする・・・、そんな人智を超えた縁のことだと僕は解釈している。NさんやKさんとの「御縁」が旅の最後までつづくのではないかという確信が生まれたと以前に述べたが、その確信があったからこそ、ここでのNさんとの別れに対して「さよなら」の感情が生まれなかったのだと思う。多分、どこかでひょっこり出会うだろう・・・。そんな予感があったのだ。

 Nさんの後ろ姿を暫く見送ってから、僕とKさんは民宿の玄関へと入っていった。
「おつかれさま。遅くまで歩いて今日は疲れたでしょ?」
 おかみさんが玄関口で出迎えて下さった。優しい呼びかけに、遅くなって申し訳ないと思うと同時にまるで我が家に帰ってきたような安心感に心が満たされた。

 昨夜の夕食は独りで黙々といただいたが、今晩はKさんがいてくれる。仲間と一緒に食べる夜食の味はやはり格別だ。箸を動かしながら、暫くはKさんと遍路の話で盛り上がった。


 Kさんが区切り打ちの遍路を始めたのは5年前のことらしい。仕事の都合上まとまった休みがとれない中、できる範囲で四国を訪れ遍路道を歩いてきたが時間の関係もあってなかなか先へ進むことができず、気がつけば5年もの歳月が流れていたのだそうだ。僕は遍路を始めて2年目になるが、未だ土佐の国の札所を全て打ち終えていないことから「区切り打ちのペースとしては遅いほうだ」と勝手に思い込んでいた。まあ遅いか速いかなどといったことはどうでもいいことではあるが・・・。しかし、Kさんの話を聞くにつれ、改めて自分は四国へ来る機会に恵まれていたのだという感謝の気持ちが湧いてきた。
 やがて「なぜ遍路を始めたのか?」という少し突っ込んだ分野に話は及ぶ。ここでもKさんは興味深いことを語ってくれた。そもそも彼は海外旅行が好きだったらしく、若い頃は色々な国を旅したということだ(若い頃は休みがとれやすかったと思われる)。彼が特に好きだったのはヨーロッパの国々。もちろん何度か旅行したらしいのだが、ある時旅先でフランス中部からスペインに到る巡礼道の話を聞く機会があった。歩くことが好きな彼は興味を持ち、是非その道を一度歩いてみたいと考えた。帰国してから様々な資料を探してはその巡礼道について熱心に調べ倒したという。しかしながら、その距離や旅の日数を知るにつれ、「今の状況ではそんなに長い間海外には滞在できない」と諦めざるをえなかった。意気消沈しながら日々を送っていると、ある知り合いから「日本にも歴史の永い、めっぽう距離の長い巡礼道がある」という話を聞き、はじめて四国八十八ヵ所霊場の存在を知ったというのだ。海外では無理だったが、国内ならば大丈夫。一度に全ての札所を回るのは時間の都合上難しいが、何度かに分けて回ればなんとか可能だろう。よし、やってみようと腹を決めるや、彼の行動は早かった。ヨーロッパの巡礼道についてあれ程下調べをしていた彼だったが、四国霊場については何の知識も得ぬまま、いきなり一番札所に向かったということだ。敢えてそうしたのだろうか。それが5年程前の事・・・。
「いや、もうなにがなんだか訳の分からないまま、遍路を始めてしまいましたね。とりあえず霊山寺の近くにあるお店に入って店員さんにどんなものが必要なのか訊ねて・・・。参拝の仕方も最初は殆どわからなかったです。」
 僕ももちろんそうなのだが、歩き遍路をしている人は大抵はKさんのように最初はなにがなんだかわからないまま遍路を始めた人が多いようだ。
「・・・信仰心ですか?それは四国を歩くようになってから不思議と自然に芽生えてきましたね。それまでは神様や仏様に対して手を合わせる習慣は無かったですね。」
 そう話すKさんと同じく、僕も四国に呼ばれる以前は無神論者に近かった。子供の頃から信仰深い母の姿やお寺巡りが好きだった父の姿を見ながら育ったおかげか、神仏に対して手を合わす習慣はあるにはあった。しかし、今から振り返れば、それは形ばかりの習慣で行っていたように思える。
『神仏を敬うことは大事だ。でも人生を生きていく中で最後に頼ることができるのは自分の力だ。神仏には頼らない。』
 心の根っ子には常にそんな考えがあった。結局自分の力だけで生きているのだととんだ思い違いをしていたのだ。「頼る」だの「頼らない」だの、そんな発想をする事自体が心が狭かった証拠である。神仏とは頼る存在ではない。見守ってくださる存在なのだ。
 お遍路さんの中には四国巡礼を経験したことで、神様や仏様に対して自然に手を合わせるようになったり、いつも感謝の気持ちを感じることができるようになったり・・・、そんな信仰心がいつの間にか身についたという人が多い。そして気持ちを楽にして生きていけるようになったと。
 僕やKさんもそんな人達の中の一人だ。ここまで歩いてきた旅の内容には違いはあれど、皆辿り着く先は同じなのだ。

 それにしてもKさんの遍路を始めた「きっかけ」は、なんともユニークで面白い。ただ、それが本当の「きっかけ」だったかどうかは敢えて聞かない。四国巡礼の世界は過酷なものだ。過酷な環境に自分の身を置きに来る人というのは、心の中になにかしらどうにもできないものを抱えている。全ての人がそうだとは言わないが、そういう人はけっして少なくない筈だ。Kさんもあるいはなにかを抱えて四国に導かれたのかもしれない。僕もそうだ。表向きは「遍路の世界に興味があった」などと言っているが、やはりそれなりに抱えるものがあるからこそ遍路をつづけている。それは他人にはあまり言いたくないことではあるし、言っても仕方のないことだと思っている。そして他のお遍路さんに対してもそういったことは聞かないことにしている。そんな心の核心部分に触れず、さらけ出さずといった姿勢は賛否両論だろう。しかし、今の僕の姿勢はそうなのだ。まだまだ心が狭いのかもしれない。

 時間は瞬く間に過ぎた。最後に明日はどうするのかという話をする。Kさんはやはり真念庵を回ってから三原村役場・ダムを経由して宿毛に入るという。
「真念遍路道も行きたいんですけどね・・・。ここはやっぱり慎重に考えて・・・。」
 さすがはKさん、自分のスタンスは決して崩さない。やはり明日は皆それぞれ別の道を歩くことになりそうだ。
 ところで明日の夜は宿毛で再び3人で集まることができるのだろうか?Nさんは延光寺に近い駅で野宿すると言っていた。Kさんは延光寺付近の民宿に泊まるつもりらしい。僕は・・・、実は延光寺から8km近く離れた駅のそばにあるビジネスホテルに予約を入れていた(何故そんな場所に宿をとったかについては後で説明したい)。三人三様、泊まる環境・場所などから考えても宿毛での再会はかなり無理があるように思える。Kさんにそのことを話すと、
「そうかもしれませんけど・・・。まあ、なるようになるんじゃないですかね。無理ならそれは仕方のないことだし、会えれば最高だし。成り行きに任せましょう・・・。」
と落ち着いた返事。それもそうだ、今あれこれ考えても仕方ないことだと納得させられた。

 Kさんは明日の朝は早出するという。僕はしっかり睡眠をとって疲れた体をすっきりさせたうえで出発したかったので、少し遅めに宿を出るつもりでいた。明日の長丁場に疲れた体のままでは対応しきれないと考えたからだ。かなり遅い時間に宿入りすることになったとしても、ビジネスホテルに素泊まりなので差し支えもないだろうという心積もりもあった。 

「ひょっとしたらこれで顔を合わすのは最後になるかもしれませんね。明日はお互い頑張りましょう。宿毛についたらとりあえず連絡くださいね・・・。」
 そういいながら、それぞれの部屋に引き上げた。場合によってはKさんとも、この瞬間でお別れとなるのかもしれない。しかし・・・。どうもそんな実感が不思議と湧かないのだった。
 
 部屋に戻り、荷物の整理をしたり日記を書いていたりしていたが・・・。3、40分経ったぐらいだったろうか。隣の部屋からKさんの強烈な寝息が聞こえてきた。熟睡、というよりは爆睡モードのようだ。かなり疲れていたのだろう。彼にとってみれば今日という日が最大の長丁場だったに違いない。早朝、下ノ加江から歩き始めて・・・、此処までおよそ40km近くは歩いたことになるだろう。
 程なくして僕も床についたが、昨晩に比べるとすぐには寝付けなかった。体は疲れているのに・・・。明日のことが気になっていたのである。それは不安といったようなネガティブな気持ちではなく、むしろ「どんな一日が待っているのだろう」というワクワク感とでも言えばいいのだろうか。四国での大晦日、そして新しい年を迎える瞬間、自分はどんなふうに過ごしているのか・・・。そう考えるだけでまるで子供のように胸がときめくのだ。
(いかんいかん、明日は大変なのに・・・。)
 しかし、結局は疲労感が勝ったのか・・・。次第に気が遠くなっていった。恐らく僕もその後は爆睡モードだったに違いない。

taku2007 at 07:00 │Comments(0)TrackBack(0)この記事をクリップ!歩き遍路 - 2008年12月〜2009年1月 

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