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 はじめての秩父観音霊場巡礼の旅。そのあらましを振り返ってみたいと思います。主観的で偏った表現や大袈裟な表現もあるかもしれませんがどうか御了承下さい。男独りの気ままで質素な旅の記録ですので退屈なところもあるでしょうが、その辺もどうか御容赦を・・・。



2008年10月11日(土)

東京へ向かう

 ついに待ちかねた連休を明日に迎えた。仕事を終え、急いで帰宅し簡単に入浴を済ませると前日に準備していた旅の荷物を身につけて足早に家を出た。
 「身につけて」という表現をしたのは荷物がザックと頭陀袋だからである。四国遍路の時と同様、歩きが中心となる巡礼の旅をしにいくわけだから、そういう装備となってしまう。ザック・頭陀袋は四国遍路でいつも使っているものだ。こいつらとの付き合いは1年と少しになるが、四国の遍路道での様々な経験を共にしてきただけに、愛着がある。僕にとっては「神器」といえるかもしれない。

 旅の計画としては、11日中に東京入りし12日の早朝に池袋から西武線に乗って秩父に到着後、2日間に渡って一番札所から順に霊場を巡るといった予定を考えていた。とりあえずこれから目指す先は東京池袋である。
 家から歩いて数分の距離にある駅から私鉄・地下鉄を乗り継いでJR京都駅へと向かう。18時29分発の新幹線が目当てだが、時間にはまだ余裕がありそうだった。

 今回の旅には金剛杖を持参しなかった。四国へ向かうときには必ず持参するのだが、今回はなんとなく気が引けたのだ。金剛杖は弘法大師・お大師様の分身である。弘法大師ゆかりの巡礼の道を歩く四国遍路では欠かすことのできない必需品なのだが、これから向かうのは観音霊場だ。果たして金剛杖は必要なのだろうかと思ったのである。もちろん観音霊場を参拝するスタイルとして、「南無観世音菩薩」と背中に書かれた白衣を着て菅笠を被り金剛杖を持つといったものがあるのは知っている。金剛杖は観音霊場を巡るときにも必需品ではあるだろう。ただ、自分にとってはどうなのか・・・と考えたのだ。僕にとってこれまで四国の遍路道を一緒に歩いてきた金剛杖は「必需品」といった言葉の枠を超えて、お大師様そのものといった存在になっている。そのお大師様を観音霊場にお連れするのはどうなんだろうかといった迷いがあったのだ。話にきくと、「南無大師遍照金剛」と書かれた白衣を着るのもアリということだそうだ。白衣に留まらず四国遍路の参拝用具は観音霊場でも使えるということなのだろう。それだけ懐の深い霊場だといえるのだろうが、僕にとってはなんとなく迷いというか戸惑いがあった。いや・・・、正直に言えばそういったものから離れて等身大の自分として霊場を歩いてみたかったのかもしれない。ありのままの自分の姿で気軽に歩いてみたかったのかもしれない。そんな気持ちが働いたからか、金剛杖だけでなく白衣も持参しなかった。

 列車を乗り継ぎ、18時前には京都駅に到着。東京までの切符を買い求め、改札をくぐり、ホームへと向かう。売店で飲み物などを買いながら、うだうだとやっているうちに目当ての新幹線がホームに到着した。自由席だったが、車内は混雑しているわけでもなく空いている席を見つけて座ることができた。
 
 18時29分、京都を出発。

 
 東京駅に着いたのが21時10分だった。

 2時間40分の移動時間。殆どの時間を寝てしまっていたらしく、目が覚めたのは小田原を過ぎたあたりだった。『ありゃー、今日はなんか早いねー。』と寝ぼけた頭で考えてるうちに新横浜・品川を過ぎて東京に到着。

 山手線に揺られること20数分にして、ようやく東京池袋駅に着いた。池袋という場所を訪れたのは今回が生まれて初めてとなる。東京といえば、浅草・上野や秋葉原などには行ったことはあるのだけども池袋は本当に初めてだ。そもそも関西の人間だけに東京というエリアには縁遠いものがあるのだが・・・。なにはともあれ、今晩はここで一泊しなければならない。時間は夜の10時を過ぎようとしていたが、これから泊まれる宿を探さねばならない。

 見知らぬ夜の街へと繰り出す。知らない場所をうろうろすることが最近は不安を感じるよりも楽しく思えるようになってしまっている。ワクワクしながら夜の大通りを歩く。

 さて・・・。宿がすぐ見つかればともかく、いつまでこのワクワク感がつづくことやら・・・。