吉野川を越えてしばらく行くと、ようやく「四国霊場5番札所地蔵寺まで〜km」と書かれた標識を目にすることができるようになる。あと少しです。

 県道12号線との交差点にさしかかった辺りで、観光バスが僕を追い抜いていきます。なにげなく、バスを眺めると、乗客は白衣を着た人ばかり。どうやら、遍路ツアーのバスのようでした。ようやく遍路の世界に戻ることができたなという思いがしました。前方を見れば、地蔵寺が見えます。バスはその駐車場のほうへゆっくりと向かっている。僕もそろそろ、俗世から遍路の世界に入る準備をしなければならないと思い、歩道脇に荷物を置いて、ザックから白衣を取り出し、金剛杖を袋の中から取り出しました。道端で行うことでもないんですが・・・、ここから再びお遍路姿となり、杖をついて歩き始めました。ここからが、2日目の遍路のはじまりというところでしょうか。ここまで時間にして、約1時間半の道程でした。脚の痛みと付き合いながらの1時間半でしたが、だいぶ痛みにも慣れることができてきましたし、この体調で平均してどのくらいの速さで歩けるのかということもわかってきました。ここまでの時間、無駄ではなかった。そして再び訪れることになる5番札所地蔵寺、6番札所安楽寺への道程も無駄な時間の消費ということにはならない、そんな気がしました。そもそも「無駄」というものなどはないのではないでしょうか。人がどんな形であれ、前を向いて行動を起こす、これは大きかろうが小さかろうが、長かろうが短かろうが、「前進」なんだと僕は思っています。物事や時間を「無駄」にしてしまうかは、人がそれをどう考えるかで決まってくるものではないでしょうか。プラス思考で生きていけば、「無駄」というものは存在しない。脳天気と思われるかもしれませんが、そういう考え方をするようにしています・・・。

 
 ようやく地蔵寺の山門までたどり着きました。昨日は裏側からこの寺に入ることになりましたが、今日は手順よく山門から境内に入ることができる。山門の前に立って、一礼して・・・、しばらく門を眺めていました。昨日の地蔵寺での思い出、そしていよいよ本格的に2日目の遍路がはじまる、そんなことを頭に浮かべながら。

 境内に入ってすぐ目にするのは、何台かベンチが置いてある憩いの空間。思い出深い場所です。あの大師像にもまたお会いすることができました。昨日、御婆さんとここで出会ったな・・・、その出会いをこの大師像が見守ってくださっていたな・・・。そんなことを思い出しながら、ベンチに荷物を置き、大師像に手を合わせに行きました。

 (昨日はありがとうございました。今日の旅もどうか見守ってください。)

 大師像の目を見ますと、厳しいような、御優しいような目をされている。今日も大切ななにかを教えてくださるのでしょうか・・・。

 ベンチのほうに戻り、参拝を始めようと荷物の中から数珠などを取り出していますと、門の方から突然、

 「ブォォォォォーーーーーーーーー!!!」

 と、凄まじい音が!!
 「ブォォォォォーーーーーーーーー!!!」

 どこかで聞いたような・・・・。

 この法螺貝の音。ああ、これは昨日、2番札所極楽寺で聞いた音と同じだ!!


 ひとしきり、音がなり続いて、突然止む。そして、見覚えのある方が山門をくぐってスタスタと境内に入ってこられました。


 (ああ、やっぱり、あれは・・・。昨日、極楽寺で見かけた修行中のお坊さんやんか!!!)


 このお坊さんのことは、昨日から気にはなっていたのです。あれから、どうしてはるんやろうなと思ってはいましたが、まさか、ここで再びお見かけするとは・・。


 ふと、なんとはなしに大師像に目が行きました。御大師様の目がどことなく御優しい目でこちらを見てくださっているようでした。

 (ああ、そういうことだったのですね・・・。それでもう一度、地蔵寺を訪れるようにお導きくださったのですね・・・。)

 僕に「打ち直し」をするようにしむけられた御大師様の御計らいの意図が、またひとつ、わかったような気がしました。僕は、このお坊さんと会うようになっていた。決められた「御縁」だったのです。そういった人との「御縁」を大切にするように、また「御縁」のある人との交流で得られたことを大事にするように、それを御大師様は教えようとしてくださっているのかもしれません。

 しかし、本当に・・・。偶然な出来事といえばそれまでですが、まさか、このお坊さんとお会いできるとは思わなかった。とっくに、僕よりも先へ行かれていると思っていましたから。人との「御縁」とは不思議なものです。
 とはいえ、このお坊さんとの深い交流はありませんでしたが。こちらから話しかけるというようなことをしてもよかったとは思いますが、お見かけしたところ、厳しい「行」を積まれている最中のようでしたし、お顔つきを見ていても、そういった雰囲気が強く感じられましたから。お邪魔をしては悪いという思いもあって、ご遠慮させてもらったという感じになってしまいましたね。せっかくの「御縁」ではあったのですが・・・。
 ただ、次に訪れた安楽寺で、この方と再び会うことになるのですが、ここで僅かではありますが、お声をおかけする機会がありました。
 僕が安楽寺での参拝を終えて山門に向かっていると、丁度、お坊さんが境内に入って来られました。これから参拝されるようで、本堂のほうに向かって歩いて来られる。手洗い場のあたりですれ違う格好になったので、こちらから「お先です。」と声をかけさせていただきました。お坊さんも「お気をつけて。」と返事をしてくださいましたが、その際にしばらく目が合ったのです。やはり厳しいお顔つきをされてはいましたが、眼差しがとても御優しいというか思いやりのあるというのか・・・。

 「お互いに頑張りましょう。」

 そんな言葉が聞こえてくるような、なんともいえない眼差しをされていたのが、とても印象的でした。この方との御縁はここまでとなってしまうのですが、とても忘れられない出会いとなりました。人との出会いとは、沢山の言葉を交わすということだけで成り立つものでもない。一瞬だけではあるけれども、その僅かな時間の間に、相手から強い思いを受け取ったり、こちらから送ったりするようなこともある。それだけで、充分出会いというものが成立してしまう時があるのです。そういう出会いをした方との記憶のほうが、実は強烈に心に残っているということがあるのです。このお坊さんとの出会いは、この「一瞬だが強烈な」出会いでした。


 お坊さんとのこういった出会いを経験したのも、全ては御大師様の御導きだったのでしょう。2日目の遍路は、「御導きに全て身を委ねる」、そういう思いを持ちながら歩いて行くこととなったのです。脚の痛みと付き合いながら歩くつらさも、心の迷いも、全て御導きに委ねていこう。そういう気持ちがあったからこそ、初日に比べて、とても穏やかな心持で9番札所までの遍路道を歩くことができたのでした。