どこをどう歩いたのか・・・。

 前回もお話したとおり、吉野川を渡ってから牛島駅に向かう道程を歩いた記憶は、懸命に歩いたという思い出しかなく、どういうルートを歩いたのか、どういう景色だったかということについては、ほとんど思い出せないのです。頭が朦朧としていたんでしょうね。
 ほんとうにもう限界でした。何度も座って休もうかと考えましたが、歩みを止めてしまうのが恐かった。休んでしまうと動けなくなるのではないかという恐さがあったのです。中途半端な場所で動けなくなってしまうよりは、なんとか頑張って駅まで歩こうと我慢しながら先を急ぎました。

 この牛島駅までの道は、僕にとっては修行の道でした。遍路道とはかけ離れた地域の、なんの変哲もない「現代の車道」です。世間の人からみれば、ただのありふれた道でしょう。ありふれた道だから、景色の記憶は残ってないのかもしれませんね・・・。ですが、懸命に歩いた思い出ははっきり残っている訳です。僕にとってみれば、この道程も「遍路道」でした。陽はとっっぷりと暮れ、空腹感と両踵のマメの痛みと戦いながら歩いた。そして思わずつぶやいていたのです、「南無大師遍照金剛」と。修行と祈りの世界を、遍路の世界をまだ歩いていたということですね。厳しい体験となりましたが、初日にこういうつらい思いを体験できたのは今になって思えば実は幸運だったのかもしれません。この体験が今後の歩き遍路に活かされることになりましたから。「何事も無茶はいかんぞ」ということですね。焦って速いペースで歩いてみたり、思いつきで「これくらいの距離なら歩ききってやるぞ」と気楽に考えてみたり・・・、慎重さを忘れると必ず重いツケを払わされるということですね。そんな教訓を頂いたと考えれば、ありがたい体験をさせていただいたということでしょう。


 そうして、ようやく牛島駅までたどり着くことができました。

 駅にたどり着いた時の記憶は今でも鮮明に残っています。疲れが吹き飛んだんでしょうね、よほどうれしかったのでしょう、だからはっきりと思い出すことができる。

 フラフラになりながら、ひたすら南へ南へと歩いて来て、

 「そろそろ駅のある場所なんじゃないか・・・」

 そう思って、あたりを眺めていると・・・。踏み切りが見えた。

 「踏み切りがあるということは・・・、線路がある?!」

 当たり前のことなのですが、当然そこに線路があったわけで。踏み切りのそばまで歩いて行って、左の方角を見ますと、線路沿いに建築物が・・・。

 ようやくたどり着いたのです。なんとか歩ききることができたのでした。

 疲れを忘れて、足早に駅まで歩きました。小さな駅でした。無人の駅でした。そんなことはどうだってよかったのです。そこには体を休めるベンチがある。ホテルのある場所まで自分を運んでくれる電車がやってきてくれる。それだけで充分でした。
 ベンチに荷物を下ろした時の気持ちは忘れることができません。しばらくは妙に体全体の感覚が無くなっていましたが、ベンチに座りながら時間が経つにつれて徐々にひとつひとつの体の細胞が蘇っていくように感じました。それでも当分動きたくはありませんでしたが・・・。
 電車が来るまでには、しばらく時間がありましたから、それまでは本当に死んだようにぐったり座っていました。思わず眠ってしまいそうになるぐらいに。いや、へたをすれば眠り込んでしまったかもしれませんね。幸い、睡魔に襲われる直前に電車が到着してくれましたから、事なきをえましたが。