少し間があいてしまいましたが、5月の歩き遍路の話の続きをはじめたいと思います・・・。


 御婆さんと別れてから、一人、6番札所安楽寺への道を歩いていましたが、大変な事に気づいたのでした。

 「地蔵寺で納経所に行くの、忘れた・・・・!!」

 地蔵寺を出る時に、なにか物凄く大事なことを忘れているような気はしていたのですが、御婆さんと話をしているうちにすっかり頭の中から消え去ってしまっていたのでした。なんという間の抜けた話でしょうか(笑)。

 今となっては笑い話ではありますが、この時の僕はかなりヘコみましたね。丁度、地蔵寺と安楽寺の中間地点を少し過ぎたあたりにいたのですが、歩いていた足を止めて考え込んでしまいました。
 
 戻るべきか・・・。  先に行くべきか・・・。

 時間は4時半近くにはなっていたかと思います。どちらに進んでも、普通に歩いていけば恐らく夕方の5時までには着けないでしょう。かといって、走る体力も残っていないように思えました。距離で考えれば、安楽寺へ行くほうが、若干ですが近いような気がしました。

 「とにかく先へ進んでみるか・・・。」

 かなりではありますが、急いで歩けば、なんとかぎりぎりで5時までに安楽寺に着けるかもしれない。手順としてはよくはないでしょうが、先に納経所で墨書と御朱印を貰って、それから参拝するということにすれば、なんとかいけるのでは・・・。あまり考えている時間もありませんでしたから、とにかく先へ向かって歩くことにしました。残念ながら、地蔵寺のほうは・・・、物凄く心残りだったのですが、今回はあきらめるしかないと腹をくくりました。参拝はさせてもらいましたから・・・。自分で言うのもなんですが、心をこめてお参りさせていただいたつもりです。墨書や御朱印は、お参りを済ませたという「証」のようなもの。自分は「証」こそ貰えなかったけども、納得のいくお参りはさせてもらいましたから、これはこれでいいのではないかと、そう割り切ることにしました。断腸の思いはありましたが・・・。「自分の心に偽りがないのだから、それでええやないか!!」と自分自身を励ましながら、先を急いだのでした。

 
 とにかく夢中で急ぎました。地蔵寺へ向かっていた時よりも、遥かにペースは上がっていたと思います。

 途中、橋のかかっているところがあって(恐らく上板町という場所だったと思います)、橋の傍に休憩所がありましたが、二人の男性の方がいらっしゃって僕を呼び止められたのでした。

 「今晩の宿は、もう決めてるの?」

 お二人は地元の方で、僕のような歩き遍路に声をかけて、地元の民宿などを紹介していらっしゃるようでした。何軒か宿の名前と住所の書いてある紙を見せながら、よかったら宿をお世話してあげるという話でしたが、

 「いや、もう今晩泊まる所は決めてまして・・・。」

 申し訳ないと思いながら先を急ごうとしますと、「どのあたりの宿に泊まるつもりなの?」と訊ねられてこられたので、「実は、麻植塚のあたりの・・・」と答えますと、

 「え・・・!それはかなり遠いのでは・・・!」

 と、びっくりされていました。それはそうでしょう。なんといっても吉野川の南にあるのですから!普通のお遍路さんなら、この時間帯でそこまで泊まりに行くという方はいないでしょうね(笑)。僕もなんでこんなところを選んだのやら。適当な地図を見て適当に選んでしまったのですが、そのツケが想像以上に大きいものになるとはこの時は考える余裕もありませんでした。


 とにかく先を急ぎたい。お二人のお誘いを断る形で振り切ってしまい、ひたすら歩きました。もう周りの景色を見たりする心の余裕なんてありませんでした。御婆さんと一緒に歩いた時に、御大師様が僕に教えてくださった大切なことが、すっかり頭から消え去っていたのです。慌てていました。慌てると禄なこともなく、途中で道がわからなくなったり、仕舞には遍路道からかなり逸れた道を歩いていたような気がします。そうこうしているうちに、ようやく安楽寺の傍までやって来ました。

 安楽寺につづく細い路地を急いで歩いていますと、向かいから参拝を終えられたお遍路さんが数人、笑顔で歩いて来られます。

 (この人たちは、参拝を終えられたばかりか。まだ間に合うか・・・!)

 ラストスパートです。最後の力を振り絞って、ようやく視界に入ってきた安楽寺の山門目がけて、まっしぐらに歩きました。

 山門に一礼(これだけは欠かせませんから!)して、不敬とは思いましたが、真っ先に納経所を探しました。境内に入って、まっすぐ進むと真新しく改装された本堂が目に入りましたが、どうやら納経所はその中のようでした。
 時間は夕方の5時を少し過ぎたくらいでした。(急げっ!!)と思い、なんとか間に合ったことに安堵しながら、本堂まで半ば駆け足で行きましたが・・・・。無情にも本堂の扉が閉まっていくところだったのです。

 本堂と納経所が別々の建物だったなら、参拝だけはゆっくりさせてもらえたかもしれません。こういう場合は、駆け込みで納経だけを済ますというわけにもいきません。あまりにも露骨に「納経だけ」という行為になってしまいそうだからです。それでは御本尊様に対して顔むけできるものではありません。しかし、かと言って、無理にお願いして急いで参拝させてもらうというのも、なんとなく気がひけました。ようやく一日の仕事を終えられようとしておられるお寺の方にも迷惑がかかるでしょうし、それ以上に、心のこもらない参拝をするということに抵抗があったのです。

 (・・・やりなおそう。)

 そんな考えが唐突に起こりました。或いは、これが御大師様のお導きだったのかもしれません。

 もう一度、地蔵寺からやり直せということだったんでしょう。御婆さんと別れてから、全く心に余裕のない「遍路」をしてしまった。せっかく大切なことを伝えてくださったのに、結局、なにひとつ僕はわかっていなかったのではないか。そして記帳を忘れたということもなにかの御縁だったのかもしれません。

 「もう一度、5番から歩きなおしなさい。」
 「おまえは、慌てて歩いた道の傍にどんな景色が広がっていたのか、ちゃんと見ていたのか。」
 「どんな人たちがいたのか、ちゃんと見ていたのか。」
 「なにも感じることのできない遍路にどんな意味があるのか。やり直しなさい。」

 そうおっしゃってるのかもしれません。
 
 また、ひょっとしたら、「慌てる」という行為もこの辺りで経験させておいたほうがいいともお思いになっておられたのかもしれません。「慌てる」ことの無意味さを身に染みてわからせようとされたのかも・・・。

 そう思うと、この「やり直す」という行為も無駄なことではないのかもしれないと思えたのです。すべては、修行のうちなのかと。効率良く札所を回るより、学ぶことがあるかもしれないし、なにか意味のあることが待ち受けているかもしれない・・・。

 少なくとも、今、自分が得られたことを挙げれば、
 
 「6番札所への道順が、はっきり覚えることができた」
 「諦めるという行為のおかげで、つまらない執着がなくなり、ほんの少し自分が昇華したような気がする」
 「なにより無駄になったと思える距離でも、歩いて健康効果があった」
 
 というところでしょうか・・・。


 そんなことを一人で考えていると、お寺の係りの方が一人いらっしゃって、

「今から記帳されますか?」

と、やや仕事疲れされた様子でお聞きになられて、本堂の扉を閉めておられた女性の係りの方に、

「記帳してあげられるかな・・・?」

と、声をかけられたが、

「え、今からですか・・・!?」

と、その女性の係りの方はかなり困惑した御様子でした。

「いや、また明日寄らせていただきますから、どうぞ閉めてください。ありがとうございました。」
そう御礼を言って境内を出ました。

 安楽寺の思い出は、次の日にもう一度よせていただくことにはなるのですが、なんといってもこの日の出来事が心に残っています。この日から、つまらない執着の心がなくなってしまったような・・・、その後の遍路の旅の中でも「何時までに何処まで行かなければ」といった気持ちはあることはありましたが、いつも心の奥底で「つまらないことに執着しても、物事はなるようにしかならないんだよ」とささやく声を感じていました。その声がいつも落ち着きを与えてくれて、いつも僕を支えてくれたのです。そういう声を感じるようになったのも、この安楽寺での出来事からだと思います。忘れられない思い出です。


 ● 第六番札所 温泉山 安楽寺
   
    〔御本尊〕 薬師如来
    〔御真言〕 おん ころころ せんだり まとうぎ そわか
    〔御詠歌〕 仮の世に 知行争うむやくより 安楽国の守護をのぞめよ