『 番外霊場 星ガ森 』
【2010年5月3日】
横峰寺本堂の傍の石段を下り、納経所の前を通り過ぎると、山門が見えてくる。番外霊場星ガ森へは、この山門を出て500m程の坂を上っていかねばならない。山道が苦手なお遍路さんにとっては、星ガ森という場所は「行ってみたいけど、まだ坂を上らなければならないんだったら、ちょっとねえ・・・」という、いわば『手が届きそうで届かない場所』のようである。横峰寺は標高およそ800mという高地に位置する札所だが、そこから更に上を目指すということになると、気が萎えてしまうのだろう。「もうこれ以上坂を上るのは御勘弁」といった具合に・・・。
僕も正直なところ、「ちょっと、これ以上は・・・」という気持ちが全く無かったわけでもない。両脚にはまだほんのりと疲労が残っていた。しかし、どうしても星ガ森は見ておきたいという思いが勝ったせいか、500mの坂道を進むことに対しては強い抵抗は感じなかった。 ・・・いやいや、そもそもそんなことを感じている場合ではない筈である。自分はこれから四国最高峰の石鎚山を登らなければならないのだ。僅かな疲労感でどうのこうのと言っているようでは先が思いやられる!
山門の傍には真新しい立派な休憩所が建っていた。休憩所の入口には飲み物の自販機が一台置かれている。「そうそう、水を買っておかないとな」と、ひとまず休憩所の中へ入る。木製の机とベンチが何台か設置されていて、なんだか居心地もよさそうな場所だった。ベンチに荷物を置き、自販機でペットボトルの水を2本購入したあと、どうにも去りがたい気持ちが湧いてきて、何気にまた暫くの休憩タイム・・・。さてさて一体、横峰寺を出発するのは何時になることやら・・・。
机の上にへんろみち保存会の地図を広げ、星ガ森より更に先の道筋を確認していると、そこにやや重そうな荷物を背負った若いお遍路さんが入ってきた。まだ20代ぐらいだろうか。しかし、顔には顎鬚が伸びており少しやつれておられる。そのせいか実年齢よりも上の印象も受けるのだが、目元や体つきなどを見ると「あ、まだ若いわ。」と判断できる。「こんにちは」と声をかけたが、淡い笑顔で答えられただけであった。この青年お遍路さん、荷物を見るとどうやら野宿遍路のようである。白衣も少し汚れている。寡黙なタイプのように見えるのだが、実は相当疲れていらっしゃったのだろう。ベンチに座り込みグッタリされている様子を見ていると、あまり話しかけるのも悪いような気がした。本当は色々とお話を伺いたいんだけども ・・・。一昨年の暮れに行った年越し遍路で野宿遍路さんと旅を御一緒したことがあったが、それ以来、『野宿遍路』というもの(旅のかたち・お遍路さんの人間性)に妙に惹かれている。自分達のような宿泊まり遍路とは、また違った視点で旅をつづけておられるように思われるのだが、その「視点」に興味が湧くのだ。
悪いとは思いながらも、我慢できず話しかけてみた。「野宿されてるんですか・・・?」「・・・ええ、まあ。」といった具合で会話が進みだした。口数こそ少ないが、しみじみと旅の経過を語ってくださる。「・・・『通し』ではないんですけどね。歩けるだけ歩いて、気持ちにキリがついたところで打ち切るかんじで。これで3度目の旅になります・・・。」意外なことに区切り打ちのお遍路さんだった。彼のもつ雰囲気から、勝手に通し打ちお遍路さんだろうと思い込んでしまっていたのだが・・・。それにしても「気持ちにキリがついたところで区切る」というのも羨ましい旅のかたちではある・・・。その後も彼とは暫し会話を楽しんだが、彼も疲れているようだったし、僕もあまりのんびりとはしていられない状況だった。名残は惜しかったが、キリのよいところで彼に別れを告げる。
「石鎚山ですか・・・。頑張ってくださいね・・・。」
最後に彼が言葉をかけてくれた。こうして、休憩所を出て、ようやく横峰寺の山門を出発した。時間は既に午前11時40分を過ぎていた。横峰寺にはなんと2時間近くも滞在していたことになる。のんびりするにも程がある!!と言われそうだが、よい出会いもあったことだし、そしてなんといっても御寺の空気が良すぎた・・・!まあ、たまにはこんな幸せな時間をゆっくり過ごすことがあってもよいではないか(笑)。ちなみに野宿遍路の若者とは、後日、旅の最後で再び顔を合わすこととなる・・・。
『 納経所と付近の様子 』
山門を出てすぐの場所に石標が建っており、「番外霊場星ガ森580米 三教指帰(伊志都知能太気)石峯御修行之道」と文字が刻まれている。伊志都知能太気(いしづちのたけ)とは、弘法大師空海が24歳の頃に書かれた『聾瞽指帰(ろこしいき)』という書物の中に出てくる現在の石鎚山の古い呼び名である。若き日の御大師様は、横峰寺を拠点にして石鎚山を修行の場とされ、度々入山されたそうである。ちなみに横峰寺が開かれたのは西暦651年、御大師様誕生よりも123年も前になる。(以上『四国遍路ひとり歩き同行二人解説編 へんろみち保存協力会編』参照)
四国霊場最大の難路「修行の道」がここから始まるのだと石標は教えている。少し身の引き締まる気持ちにもなったが、お堅く構えてみても気が疲れるばかりだ。のんびりと坂道を登っていくことにする。なだらかな坂道に2本のストックを左右交互に突きながら進む。脚の疲労はもうかなり癒えていた。木々の匂いを感じながら、気持ちも新たに歩を進めていく。
『 山門を出るとすぐに目に入る道標。「修行の道」はここから始まる。山門から星ガ森へつづく坂道は大してキツい道ではないので、ここまで来たからにはやはり歩いてみるほうがよいと思います。 』
僕が星ガ森を憧れの地と感じた訳は、ある写真がきっかけだった。写真を見るまでの僕は、星ガ森がどういう場所なのかという簡単なあらましを知っていただけに過ぎなかった。興味はあったが、憧れを抱くほどの感情はまだ持っていなかっただろう。そのきっかけとなった写真はたまたまネットで拾ったものだった。本当にごく普通に霊場の様子を映し出していたものにすぎなかったのだが、妙にその写真に魅力を感じてしまったのだ。江戸期に建てられたあの有名な鉄の鳥居の佇まい、そしてその向こうに聳え立つ石鎚山の悠然とした姿・・・。星ガ森のごくありふれた観光写真であったろうし画像も粗いものだった。しかし ・・・。「エエな!!」「この場所に、はよいきたいな!!」と、異様な感動を覚えてしまった。今になってみても、何故この写真に感動したのかが、わからない。ひょっとすると、目に見えない何かしらの力が写真を通じて導きを与えてくださっていたのかもしれないが。まあなんにせよ、ひょんなことから湧き上がったこの『憧れ』の気持ちが、この先の旅を進めていく上での非常に良い材料となったことは確かである。高いモチベーションで「修行の道」に脚を踏み入れていくことができたからだ。
件の星ガ森に着いたのが、午前11時50分くらい。横峰寺の山門を出発してから大した時間はかからなかった。道の左手に「霊跡星ガ森 横峯寺奥の院」と書かれた絵看板が見えてくる。そこで、ひょいと左に視線を移すと、何度も写真で見たあの光景が・・・。「本物だ、あの景色が目の前に広がっている!!」と心の中で唸ってしまった。まさにあの写真と同じ景色である。天候も晴天だったので、鉄の鳥居の向こうには石鎚山が悠然とした姿を見せていた。なんというのか、有難い気持ちが湧いてきた。自分はこの場所が最も映える時に来ることができたのではないだろうか・・・。とても運がよかったのだと感じると同時に、これが「御導き」だとしたら本当に、本当に有難いことだと感謝の念が湧いてきた。
『 星ガ森の絵看板 』 『 鳥居の傍で記念撮影 』
鉄の鳥居はイメージしていたよりは、サイズが小さかった。この鳥居は寛保2年(1742年)に建てられ、昔から「石鎚山発心の門」として崇められてきたそうである。「門」と呼ばれるからには、もうすこし大きな、少なくとも自分の背丈以上のサイズを勝手に想像していたのだが、随分と小柄な佇まいに少し意表を突かれた感もあった。しかし、歴史を刻んだ風格というか貫禄のようなものは充分に感じとることができたと思う。
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