石鎚山頂の景色

 5月2日から5日にかけての連休に、また四国に行ってまいりました。今年初めての遍路の旅でした。

 区切り打ち歩き遍路の旅も今年で4年目。今回の旅で四国に渡るのは15度目となります。伊予の国菩提の道場の行程も残すはあと僅かというところまで漕ぎ着けたわけですが、此処に至るまで本当に長かったという気持ちがある反面、なんだかアッという間だったという心境のほうが実は強いわけでして、このままストレートに香川県に入り結願を目指して進むというのもなんだか味気ないとすら思うようになりました。もう少し時間をかけて、ゆっくり進むのも悪くはないんじゃないか・・・。ならば、これから先は番外・別格と全ての霊場を可能な限り回ってみようじゃないか・・・、と考えるようになったのです。まあ早い話が、遍路も終盤戦に差し掛かってきてどうにも寂しくなってきたということなのでしょう。

 その「ゆっくり進む」遍路の旅の足掛かりとなったのが今回の旅でした。旅の出発点は前回の打ち止め地点の愛媛県西条市丹原町。そこから4日間という時間をフル活用すれば、恐らく最終日には県境を越え香川県に入ることも或いは可能だったかもしれません(微妙なところですが・・・)。でも、「ゆっくり」遍路を目指す僕の頭には香川県入りの考えは無く、むしろそれより以前からやっておきたかったことを必ず成し遂げたいという想いがあったのです。それは石鎚登山でした。

 石鎚山は標高が1982mもあり、四国はもとより西日本の中では最高峰の御山と言われています。その昔、弘法大師も六十番札所横峰寺を拠点に度々山に入られて修行をなさったそうで、山頂の石鎚神社は番外霊場とされています。個人的にはこのような御山を前にして素通りすることはどうにも心苦しいというか・・・。いや、それよりもむしろ個人的に挑戦してみたいという気持ちが強く、背中を向けて先へ進むことは逃げることになりはしないかと思ってしまったわけです。実は昨年の夏に四十五番札所岩屋寺を訪れた際にも、石鎚山に向けての想いはあったのでした。しかし、碌な登山経験も無い当時の僕は御山に登る自信も無く、また具体的な計画も立ててなかったので、残念ながら背を向けて松山への道を進むしかありませんでした。

 今回の旅を迎えるにあたって今度こそ絶対に石鎚山に登るんだという気持ちは持っていましたので、春に入ってからというものは歩くトレーニングに加えて近隣の山に登っては体を鍛えてきました。登山用のストックも購入しダブルストックを使っての歩行も練習を積んで、更には新たにザックを買い換えたりと・・・。基本的に物臭な自分が我ながらよくまあここまでやったもんだとも思うのですが・・・。その甲斐あってか(全ては御大師様の御導きだったと思います)、旅の日程の中2日を使ってなんとか石鎚山の山頂まで上りきることができました!

 今回の遍路の旅のメインは石鎚登山ではありましたが、札所のほうも順調に六十番から六十四番を打ち終え、最終日には別格の延命寺まで歩くことができました。旅の期間は有難いことに最後まで晴天に恵まれ、さらには多くの良い出会いにも恵まれて、本当にいいお遍路ができたと感謝しています。

 旅の経過を簡単に(?)ではありますが、振り返ってみたいと思います。



【2010年5月2日】

 四国入りしたのが、前日の5月1日。新幹線と予讃線を乗り継ぎ、JR伊予西条駅へ(到着が午後10時半過ぎ)。予約していた駅前のホテルで一泊、翌朝予讃線に乗り前回の打ち止め地点に近いJR壬生川駅に向かう。


 壬生川駅に着いたのが午前8時過ぎ。駅で遍路姿に着替え、いよいよ歩き始める。背負う荷物は少し重めとなった。昨年も一昨年もそうだったが、5月の遍路はいつも荷物が重くなってしまう。「まだ夜は寒くないだろうか」「急に暑くなったら着替えがいるだろうな」、そんな気の迷いが無駄な荷を増やしてしまうのだろう。荷物の重みは迷いの重みと教えられたことがあるが、全くそのとおりだ。最終日までこの重みと付き合っていけるか不安が募る。


 県道48号線を南西に進むことおよそ1時間、前回の打ち止め地点の丹原町池田の交差点にたどり着く。8ヶ月振りの遍路の旅が今ここから始まるのだと思うと感無量だった。

 この日は札所六十一番から六十四番までを打つ予定だった。加えて別格十一番の生木地蔵と番外霊場の妙雲寺も回る計画だ(別格十番興隆寺も回りたかったが、時間の都合上諦めた)。六十番札所横峰寺は翌日にまわすつもりだった。横峰寺を経由して、石鎚山に入る予定を立てていたのだ。


 県道から2筋東の通りを南西へ進む。県道との交差点付近(結局、そのまま県道を進んでいればよかったのだが・・・)に別格霊場生木地蔵・正善寺はあった。まず目を惹くのが、向かって本堂の左の巨大な霊木だ。元々は本堂と大師堂の間に立っていたらしく、その昔この地に立ち寄られた弘法大師が「お告げ」を受けて木の中に一体の地蔵菩薩像を一夜にして刻まれた伝説が残っている。昭和29年の台風で霊木は倒れ今の位置に収められたそうだが、地蔵菩薩像は不思議なことに一片の傷もなく現在は本堂に安置されている〈立札の説明書きを参照〉。本堂・大師堂と参拝を終えたあとで、しばらくは圧倒的な迫力を持つ霊木に見惚れ時間を忘れてしまう。

生木地蔵の霊木  





【 生木地蔵・正善寺の霊木 大楠 】


 県道を左折し、東へ進む。晴れた空の下、穏やかな田園地帯を歩きながら彼方の山並みを眺める。幾多の山々が折り重なり居並ぶ雄大な様を見るにつけ、どれが石鎚山なのかと気になった。「一番高いのがそうだろう」と目星をつけてはみるものの、はっきりした自信も無い。諦めて今いるこの時間と景色を楽しむことにしながら進む。

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