2008年12月31日 真念庵(その3)


真念庵
【 真念庵 地蔵大師堂 】


 狭い山道を抜けると、石仏や墓石が立ち並ぶ拓けた空間が現れた。

 (ああ…、此処が…。)

 左手には御堂が見える。まさしく此処が真念庵に違いあるまい。時間はもうすぐ正午になろうとしていた。人の気配は無い。ただ、鳥のさえずりと風にそよぐ木々の葉の擦れ合う音が聞こえるのみである。

 御堂の前には三段の緩やかな石段があり、その石段を若い木々が取り巻くようにして立っている。石段には塵ひとつ落ちている様子もなく、常に近在の方々によって綺麗に掃き清められていることが窺われる。石段や若木が我々参拝者を優しく出迎え、御堂へと誘ってくれているようだった。

 石段より少し離れた場所に荷物を降ろし、改めて辺りを眺めてみる。細い道を挟んで御堂に向かい合うようにずらりと立ち並ぶのは四国霊場八十八札所の御本尊を刻んだ小さな石像群だ。蓮の葉のような形をした石が背中を向かい合わせにして二列に分かれて八十八個並んでいる。それぞれに御本尊の御姿・御名が彫られているが、どの石にも苔が張り付いていて文字などが判別しずらいものもあった。しかし、どの御本尊のお顔も穏やかで優しく、心癒される。永い歴史を生きてきた石像だけに消耗著しいものもあったが、そんな物理的な現象などは小さなことだと御本尊達の御顔は語りかけてくれる。苔に覆われている自らの御姿も笑って受け入れておられるようにも思える。そんな泰然自若とした石仏の様子を拝見していると、自分を含めた人間というものの存在の小ささを思い知らされる。時間や小事にあくせくしている僕達に、本当の生き方とはなんなのかということを小さな石仏群は教えてくれている気がするのだ。


真念庵 御堂前の八十八の御本尊石仏1真念庵 御堂前の八十八の御本尊2







【御堂前に並ぶ八十八霊場の御本尊の石仏群】



 八十八の石仏群の他にも、御堂のまわりには無数の石仏(やはり石に仏の御姿を刻んだもの)や墓石が並んでいる。整然と並んでいるわけではない。時代が進むにつれ、空いている場所に少しずつ建てられていったのではないか。八十八の石仏群と同様に永い時間をこの場所で生きてきたのだろう。やはり所々損傷していたり、苔がこびり付いたりしている。ところで、先程から「生きてきた」という表現を使うのは、古い石の遺物に対して、とてつもない霊気のようなものを感じたからだ。僕は霊感などとは全く無縁の人間だが、なにかしらの気というか力というか、そんなものを古い遺物が発しているような気がしたのだ。例えば、山などで出会ったりする古い大木などが漂わせている言葉にできないようなオーラのようなもの…。それに似ているといえばいいだろうか。しかし、人為的に作られた遺物だけに植物の放つものよりも、より濃厚なものを放っているように思える。丁石を見たときに感じた「魂」というか、エネルギーのようなものを感じるのである。(ちなみに僕は宇宙のパワーがどうたらこうたらいった宗教団体のようなものとは何の縁も無いし興味もない。遺物がもつパワーを感じるのは動物的な本能の仕業としか言いようが無い…。)

 それにしても、墓石の数が多いのが気になった。その殆どは昔の遍路人のものであろう。足摺岬を目指す途上で力尽き、無念の思いでこの地で命を落とされたお遍路さんも多くいたことだろう。今でこそ、この市野瀬の地には新伊豆田トンネルが開通しており通行にはさして大きな苦労もないが、トンネルや国道が無かった昔は間崎から津蔵渕の一帯は難所つづきだったにちがいない。自らの限界と闘いながら難所を越え、やっとの思いで辿り着いた真念庵で大きく体調を崩され重い病にかかられて落命されたお遍路さんも沢山いらっしゃったと思う。


御堂横の景色





【 御堂の傍には遍路墓が並ぶ(画面左端) 】



 多くの墓石が立ち並ぶ景色を見ていると、ある光景が頭に蘇る。室戸市佐喜浜町の佛海庵でみた景色だ。庵の向かい側には、やはり多くの墓石が建てられていた。庵を建立した佛海上人(1700〜1769)は真念法師よりも後世の人物だが、生涯を通じて残された多くの業績は真念法師のものと極めて似ている。通行が困難だった室戸岬への道筋に庵を建立され遍路人の救済に精力を注がれた御遺業は真念法師の精神を受け継ぐものであっただろうし、真言宗の「済世利人」の教えを具現化したものであった。佛海庵で見かけた墓石もやはり殆どが遍路人のものではなかったかと思われるが、地元住民の中には上人の信者も多かったということだから、そういった方々の墓石も少なくはなかっただろう。
 真念庵も佛海庵も永い時間の中で多くのお遍路さんを看取ってきた。2つの庵の墓石群を見て感じることは、「安らぎ」だ。これは僕の個人的な感じ方なので、批判されても仕方がないかもしれない。庵で亡くなった方々が果たして「安らぎ」を得ていたかは当の本人でしかわからないところではあるし、なにしろ遠い昔のことなのだ。安楽な現代社会で生きている僕のような一遍路が推し量れるような問題ではないことは承知している。ただ、庵で亡くなられたということは誰かに看取られて亡くなられたということで、決して孤独な死を迎えられたわけではないと思う。険しい山道などで行き倒れになられた遍路人の境遇を考えると、庵で亡くなられた方には「安らぎ」があったのではないかと思わざるをえない(そうであってほしいという思いを込めて…)。
 真念庵の墓石群は「安らぎ」の心で僕達参拝者を温かく迎えてくれている気がした。この真念庵には穏やかでどこか安堵感をおぼえるというのか・・・、満ち足りた空気が漂っている。それはこの空間の地下に眠る遍路人の想いがそんな空気を作り出しているのかもしれないし、庵を創設された真念法師の心が今なお息づいているせいかもしれない。
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