2008年12月30日 38番札所金剛福寺
山門をくぐり金剛福寺の境内へ。真っ先に目に飛び込んでくるのは大きな池だ。池を中央に配し本堂や大師堂・鐘突堂やその他の御堂がその周りを囲むようにして建っている。広々とした境内には四国最南端の札所らしい開放感が漂っていた。
さて参拝を始めようと思い、荷物の置けるベンチを探したがそれらしいベンチが見当たらない。あの「カメヤマローソク」のロゴの入った青いベンチも見当たらない・・・(これまで訪れた札所の境内には必ずといっていいほど置いてあったもんだが)!仕方がないので納経所の脇に荷物を置かせてもらい、本堂へと向かう。
本堂・大師堂と一通り参拝を終えると、しばらく境内を散策する。愛染堂や権現堂といった本堂に負けないほどの立派な御堂もあれば、多宝塔や石仏群など歴史を感じさせてくれるものもあって、なんというか見所は多い。多宝塔の傍に九輪宝塔が建てられているのだが、この宝塔が作られたのは南北朝時代だという。何百年もの間、台風や潮害にさらされながら多宝塔の屋根の上で頑張ってきたのだが、平成の大修理の折にようやく長い責務を負えて地面に下ろされたということだ。
【 境内の様子・ 多宝塔の傍らに立つ九輪宝塔 】
【 権現堂脇に立つ西国霊場の御本尊達 】 【 小さな石仏群が境内を見守る 】
早いもので金剛福寺に到着してから1時間近くは経過していたであろうか。見所が多いことももちろんなのだが、念願の足摺岬で過ごす時間を少しでも長く味わいたいという思いが、僕をこの境内に引き止めていたのだろう。しかしながら、いつまでもここに留まっているというわけにもいかない。思い入れのある時間にはいつかは別れを告げなければならないものなのだ。大岐までの帰り道のことも考えればそろそろ出発する時が来たようだった。最後にもう一度大師堂にお参りして荷物の置いてある納経所へ向かう。中央の池に沿って歩いているときにふと山門のほうに目をやると・・・、見覚えのある人物の姿が見えた。あれは・・・、Nさんではないか!!
Nさんは一人のお遍路さんと二人連れで境内へと入ってきた。とりあえず本堂へ向かっているようだ。二人が本堂で参拝し終えるのを待ち(その間、また大師堂へ戻り付近の行者堂や石仏などを見て時間をつぶしていた)、二人が大師堂へ向かってくるところを愛染堂の前でキャッチ!
「いやー・・・、また会えましたねえ・・・。」
「あっ、六根清浄さん(仮名)じゃないですかっ!!」
しばらくの間、お連れのお遍路さんを含めて三人で談笑する。僕がNさんはてっきりもう金剛福寺を打ち終えてもっと先に行っておられたんじゃないかと思っていたと話すと、
「いやいや!!じつは僕等二人で六根清浄さん(仮名)を途中まで追っかけていたんですよ。窪津のあたりだったかな、急に姿が見えなくなってしまったのでもうあきらめちゃいましたけどね・・・。」
・・・なんとも驚き。そうか、窪津の手前で僕の後ろを歩いていた二人のお遍路さんはNさんたちだったのかとようやく気付いた。歩くことに夢中になりすぎて二人の姿をよく確認できていなかったのだ。Nさんも最初のうちは僕だということがわからなかったらしい。なんとなく容貌は似ているのだが・・・、ザックの色ってあんな感じだったかな・・・??そんなことを考えていたらしいのだが、そのうちに僕だということがはっきりわかって必死に追いつこうとしたのだが、僕の歩く速度が『想像を絶するもの』だったらしい・・・。
「なんかねー、目茶目茶速かったですよ!!昨日一緒に歩いていたときとは全然歩きが違うから、びっくりしてましたよー。二人で『なんか天狗でも乗り移ってるんじゃないの?』って話しながら歩いてました。」
・・・天狗は言いすぎだと思うけども。多分、重い荷物は宿に置いてきているので、身が軽くなった分歩きが速くなっただけのことだと思う。でも気は急いていたし何かに憑かれるように必死で歩いていたのは確かだ。
【 権現堂 】 【 愛染堂 】
「せっかくだから、三人で大岐まで一緒に帰りませんか?」
Nさんの提案に無心に賛同する。『無心に』というのは、自然にというのか・・・。僕の意思とは関係のない何かが「ああ、そうしましょう!!」と僕に言わせたような・・・。そんな心の状態だったのである。このあたりが不思議なところであり、なにか大きな力が「この人たちと一緒にいたほうが、おまえにとってはいいのだよ」と導いてくれていた・・・、そう思えるのだ。正直なところ、迷いがあった。この人たちと一緒にいたいと思う半面、心の片隅に『一人で歩いたほうが早く宿入りできるのでは』という思いも僅かながらあった。その迷いを断ち切るかのように「そうしましょう」と『何か』に言わされたのだ。お大師様の導きであったのか・・・。或いは、また一人で歩くと急ぐあまりに大切なものを見失ってしまうのではないかという、自分の心の闇に対しての恐怖心がそう言わせたのかもしれない。なにかに縋りたかったのかもしれない。
「じゃあ2時に山門に集合ということで・・・。僕たちは大師堂の参拝が残ってますので。後ほど・・・。」
一旦、Nさんたちと別れて寺の外に出た。山門の向かいにある売店に入ったりしながら時間をつぶし、再び境内に戻ると丁度Nさんたちが参拝を終えて山門に向かって歩いてくるところだった。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか・・・。」
今になって感じるのだが、彼らとの出会いが今回の旅の大きな救いになっていたことをつくづく思い知らされる。彼らともし出会っていなかったならば、この先も精神的に辛い遍路になっていただろう。人の縁というものは不思議な力をもっており、人の一生も大きく左右しかねない。そして有難いものなのだ。四国遍路はそのことを痛烈に教えてくれる。
『 境内で目を引くのはこの「大師亀」だろう。かつて弘法大師は岬の海に浮かぶ不動岩に渡り祈祷を行ったとされているが、お大師様を岩まで送り届けたのがこの亀だという。愛嬌があって参拝者の心を和ませてくれる偉大な亀の像である。 』
山門をくぐり金剛福寺の境内へ。真っ先に目に飛び込んでくるのは大きな池だ。池を中央に配し本堂や大師堂・鐘突堂やその他の御堂がその周りを囲むようにして建っている。広々とした境内には四国最南端の札所らしい開放感が漂っていた。
さて参拝を始めようと思い、荷物の置けるベンチを探したがそれらしいベンチが見当たらない。あの「カメヤマローソク」のロゴの入った青いベンチも見当たらない・・・(これまで訪れた札所の境内には必ずといっていいほど置いてあったもんだが)!仕方がないので納経所の脇に荷物を置かせてもらい、本堂へと向かう。
本堂・大師堂と一通り参拝を終えると、しばらく境内を散策する。愛染堂や権現堂といった本堂に負けないほどの立派な御堂もあれば、多宝塔や石仏群など歴史を感じさせてくれるものもあって、なんというか見所は多い。多宝塔の傍に九輪宝塔が建てられているのだが、この宝塔が作られたのは南北朝時代だという。何百年もの間、台風や潮害にさらされながら多宝塔の屋根の上で頑張ってきたのだが、平成の大修理の折にようやく長い責務を負えて地面に下ろされたということだ。
【 境内の様子・ 多宝塔の傍らに立つ九輪宝塔 】
【 権現堂脇に立つ西国霊場の御本尊達 】 【 小さな石仏群が境内を見守る 】
早いもので金剛福寺に到着してから1時間近くは経過していたであろうか。見所が多いことももちろんなのだが、念願の足摺岬で過ごす時間を少しでも長く味わいたいという思いが、僕をこの境内に引き止めていたのだろう。しかしながら、いつまでもここに留まっているというわけにもいかない。思い入れのある時間にはいつかは別れを告げなければならないものなのだ。大岐までの帰り道のことも考えればそろそろ出発する時が来たようだった。最後にもう一度大師堂にお参りして荷物の置いてある納経所へ向かう。中央の池に沿って歩いているときにふと山門のほうに目をやると・・・、見覚えのある人物の姿が見えた。あれは・・・、Nさんではないか!!
Nさんは一人のお遍路さんと二人連れで境内へと入ってきた。とりあえず本堂へ向かっているようだ。二人が本堂で参拝し終えるのを待ち(その間、また大師堂へ戻り付近の行者堂や石仏などを見て時間をつぶしていた)、二人が大師堂へ向かってくるところを愛染堂の前でキャッチ!
「いやー・・・、また会えましたねえ・・・。」
「あっ、六根清浄さん(仮名)じゃないですかっ!!」
しばらくの間、お連れのお遍路さんを含めて三人で談笑する。僕がNさんはてっきりもう金剛福寺を打ち終えてもっと先に行っておられたんじゃないかと思っていたと話すと、
「いやいや!!じつは僕等二人で六根清浄さん(仮名)を途中まで追っかけていたんですよ。窪津のあたりだったかな、急に姿が見えなくなってしまったのでもうあきらめちゃいましたけどね・・・。」
・・・なんとも驚き。そうか、窪津の手前で僕の後ろを歩いていた二人のお遍路さんはNさんたちだったのかとようやく気付いた。歩くことに夢中になりすぎて二人の姿をよく確認できていなかったのだ。Nさんも最初のうちは僕だということがわからなかったらしい。なんとなく容貌は似ているのだが・・・、ザックの色ってあんな感じだったかな・・・??そんなことを考えていたらしいのだが、そのうちに僕だということがはっきりわかって必死に追いつこうとしたのだが、僕の歩く速度が『想像を絶するもの』だったらしい・・・。
「なんかねー、目茶目茶速かったですよ!!昨日一緒に歩いていたときとは全然歩きが違うから、びっくりしてましたよー。二人で『なんか天狗でも乗り移ってるんじゃないの?』って話しながら歩いてました。」
・・・天狗は言いすぎだと思うけども。多分、重い荷物は宿に置いてきているので、身が軽くなった分歩きが速くなっただけのことだと思う。でも気は急いていたし何かに憑かれるように必死で歩いていたのは確かだ。
【 権現堂 】 【 愛染堂 】
「せっかくだから、三人で大岐まで一緒に帰りませんか?」
Nさんの提案に無心に賛同する。『無心に』というのは、自然にというのか・・・。僕の意思とは関係のない何かが「ああ、そうしましょう!!」と僕に言わせたような・・・。そんな心の状態だったのである。このあたりが不思議なところであり、なにか大きな力が「この人たちと一緒にいたほうが、おまえにとってはいいのだよ」と導いてくれていた・・・、そう思えるのだ。正直なところ、迷いがあった。この人たちと一緒にいたいと思う半面、心の片隅に『一人で歩いたほうが早く宿入りできるのでは』という思いも僅かながらあった。その迷いを断ち切るかのように「そうしましょう」と『何か』に言わされたのだ。お大師様の導きであったのか・・・。或いは、また一人で歩くと急ぐあまりに大切なものを見失ってしまうのではないかという、自分の心の闇に対しての恐怖心がそう言わせたのかもしれない。なにかに縋りたかったのかもしれない。
「じゃあ2時に山門に集合ということで・・・。僕たちは大師堂の参拝が残ってますので。後ほど・・・。」
一旦、Nさんたちと別れて寺の外に出た。山門の向かいにある売店に入ったりしながら時間をつぶし、再び境内に戻ると丁度Nさんたちが参拝を終えて山門に向かって歩いてくるところだった。
「じゃあ、そろそろ行きましょうか・・・。」
今になって感じるのだが、彼らとの出会いが今回の旅の大きな救いになっていたことをつくづく思い知らされる。彼らともし出会っていなかったならば、この先も精神的に辛い遍路になっていただろう。人の縁というものは不思議な力をもっており、人の一生も大きく左右しかねない。そして有難いものなのだ。四国遍路はそのことを痛烈に教えてくれる。
『 境内で目を引くのはこの「大師亀」だろう。かつて弘法大師は岬の海に浮かぶ不動岩に渡り祈祷を行ったとされているが、お大師様を岩まで送り届けたのがこの亀だという。愛嬌があって参拝者の心を和ませてくれる偉大な亀の像である。 』