2008年12月30日 大岐へ その2
足摺岬を出発して1時間は経過していただろうか。僕達は津呂の集落に入った。
「そろそろこの辺りで休憩しませんか?少し喉も乾いてきたし、飲み物も確保したいんで・・・。」
Nさんの呼びかけに僕とKさんも頷いた。たしか津呂にはお遍路専用の休憩所があったはずだ。へんろ小屋が2軒ほど建っていたと思うのだが・・・。どの辺だったかなと話しながら、ぼちぼちと歩いていると左手に神社とバス停が見えてきたが、はたしてその向かい側に小さなへんろ小屋はあった。ここで休ませてもらおうとへんろ小屋のベンチに荷物を下ろし暫しの間皆でくつろいだ。
「そういえば、僕昼飯まだなんです。ここで食べさせてもらってもいいですか?」
時間は午後3時半を回っていたが、昼食を摂ることをすっかり忘れていたのだ。要するにここまで空腹感が無かったのだが、仲間と歩くことで気持ちがリラックスしてきたせいか、ようやく腹の虫が鳴り出したのである。大岐の宿で戴いたおにぎりの入ったケースをザックから取り出す。その様子を見ていたNさんも急にお腹が空いてきたらしく、ザックの中から酒のつまみなど(野宿遍路の心得として彼は常にそういった非常食を携帯している)を取り出して「よかったらどうぞ」と言いながらムシャムシャと食べ始めた。ケースの中にはおにぎりが2つ入っていたので、ひとつをKさんに勧めて、もうひとつをゆっくり味わいながらおいしくいただいた。食事というものは、新しい活力を与えてくれる。僕等のテンションは更に盛り上がっていた。記念撮影をしたり改めて納め札を交換しあったりして、ひと時の休憩時間を楽しく過ごすことができた。
「そろそろ出発しましょうか・・・。でもここからがしんどくなりそうですねえ。」
「そう、陽も落ちてくるやろうしねえ・・・。でもホンマに独りやなくてよかったですわー・・・。」
「全く、全く・・・!!」
やんややんやと話しながら荷物を背負い直し僕達は再び歩き出した。
やがて窪津にさしかかった。時間は午後4時半を少し過ぎていただろうか。陽は西に傾きはじめ空の青さも若干弱くなってきているようだ。この辺りから僕達の疲労もピークを迎えつつあった。口数も次第に減り、歩く速度も落ち始める・・・。そんな中でもNさんはなにかと僕等にしゃべりかけてくれるのだが、なによりも彼の足の怪我の事が心配だった。かなり痛い思いをしていたのではないだろうか・・・。ただNさんがこうして話しかけてくれることで僕等も元気づけられていたのだ。彼の健気なムードメーカーぶりには今でも頭の下がる思いがするのだ。
県道27号線沿いに建つ窪津小学校付近から小道に入る。あの窪津の遍路道だ。僕にとっては苦い思い出の残る道である。遍路道を進みながら、
「朝、此処を通った時に一輪車を押していたおばさんがいたんですよ。しんどそうにしてはってね・・・。」
急ぐあまりおばさんの横を素通りしてしまった顛末を話していると、
「あー、会った、会いましたよ、僕等も。確かにお疲れのご様子だったんで、ちょっとこれは見てられんと思って少しだけお手伝いしてしまいましたね・・・。ありゃー、お年の割りに頑張り過ぎですよ。あんなに沢山野菜積まなくたってねえー・・・。」
と笑いながらNさんが言う。
なんというか、どうしようもなく自分という人間が小さく思えて恥ずかしかった。
(・・・そうかー、やっぱりこの人たちは器が違うなあ。この人達に比べたらオレはまだまだや・・・。でも、いい人たちに出会えてホンマによかったよなー・・・。)
恐らくこの時からだったと思う。この2人との出会いには御大師様の強いメッセージが込められていると感じはじめたのは。前回、遍路で出会う人との御縁は全て御大師様の御計らいによるものなのだと述べたが、彼らとの出会いに関しては少々御計らいの度合いが違うように思えた。「彼らと一緒に居れ」といったような・・・。ということは、彼らとの御縁は旅の終わりまでつづくのではないか?そんな確信めいた気持ちが湧いてきたのもこの時からだったと思う。
足摺岬を出発して1時間は経過していただろうか。僕達は津呂の集落に入った。
「そろそろこの辺りで休憩しませんか?少し喉も乾いてきたし、飲み物も確保したいんで・・・。」
Nさんの呼びかけに僕とKさんも頷いた。たしか津呂にはお遍路専用の休憩所があったはずだ。へんろ小屋が2軒ほど建っていたと思うのだが・・・。どの辺だったかなと話しながら、ぼちぼちと歩いていると左手に神社とバス停が見えてきたが、はたしてその向かい側に小さなへんろ小屋はあった。ここで休ませてもらおうとへんろ小屋のベンチに荷物を下ろし暫しの間皆でくつろいだ。
「そういえば、僕昼飯まだなんです。ここで食べさせてもらってもいいですか?」
時間は午後3時半を回っていたが、昼食を摂ることをすっかり忘れていたのだ。要するにここまで空腹感が無かったのだが、仲間と歩くことで気持ちがリラックスしてきたせいか、ようやく腹の虫が鳴り出したのである。大岐の宿で戴いたおにぎりの入ったケースをザックから取り出す。その様子を見ていたNさんも急にお腹が空いてきたらしく、ザックの中から酒のつまみなど(野宿遍路の心得として彼は常にそういった非常食を携帯している)を取り出して「よかったらどうぞ」と言いながらムシャムシャと食べ始めた。ケースの中にはおにぎりが2つ入っていたので、ひとつをKさんに勧めて、もうひとつをゆっくり味わいながらおいしくいただいた。食事というものは、新しい活力を与えてくれる。僕等のテンションは更に盛り上がっていた。記念撮影をしたり改めて納め札を交換しあったりして、ひと時の休憩時間を楽しく過ごすことができた。
「そろそろ出発しましょうか・・・。でもここからがしんどくなりそうですねえ。」
「そう、陽も落ちてくるやろうしねえ・・・。でもホンマに独りやなくてよかったですわー・・・。」
「全く、全く・・・!!」
やんややんやと話しながら荷物を背負い直し僕達は再び歩き出した。
やがて窪津にさしかかった。時間は午後4時半を少し過ぎていただろうか。陽は西に傾きはじめ空の青さも若干弱くなってきているようだ。この辺りから僕達の疲労もピークを迎えつつあった。口数も次第に減り、歩く速度も落ち始める・・・。そんな中でもNさんはなにかと僕等にしゃべりかけてくれるのだが、なによりも彼の足の怪我の事が心配だった。かなり痛い思いをしていたのではないだろうか・・・。ただNさんがこうして話しかけてくれることで僕等も元気づけられていたのだ。彼の健気なムードメーカーぶりには今でも頭の下がる思いがするのだ。
県道27号線沿いに建つ窪津小学校付近から小道に入る。あの窪津の遍路道だ。僕にとっては苦い思い出の残る道である。遍路道を進みながら、
「朝、此処を通った時に一輪車を押していたおばさんがいたんですよ。しんどそうにしてはってね・・・。」
急ぐあまりおばさんの横を素通りしてしまった顛末を話していると、
「あー、会った、会いましたよ、僕等も。確かにお疲れのご様子だったんで、ちょっとこれは見てられんと思って少しだけお手伝いしてしまいましたね・・・。ありゃー、お年の割りに頑張り過ぎですよ。あんなに沢山野菜積まなくたってねえー・・・。」
と笑いながらNさんが言う。
なんというか、どうしようもなく自分という人間が小さく思えて恥ずかしかった。
(・・・そうかー、やっぱりこの人たちは器が違うなあ。この人達に比べたらオレはまだまだや・・・。でも、いい人たちに出会えてホンマによかったよなー・・・。)
恐らくこの時からだったと思う。この2人との出会いには御大師様の強いメッセージが込められていると感じはじめたのは。前回、遍路で出会う人との御縁は全て御大師様の御計らいによるものなのだと述べたが、彼らとの出会いに関しては少々御計らいの度合いが違うように思えた。「彼らと一緒に居れ」といったような・・・。ということは、彼らとの御縁は旅の終わりまでつづくのではないか?そんな確信めいた気持ちが湧いてきたのもこの時からだったと思う。