気ままに歩いて候。

あせらず、くさらず、歩いていきましょう。 2007年5月の連休から始めた区切り打ちの四国歩き遍路の思い出を綴った記事を中心に掲載しています。

2009年02月

冬遍路 〜足摺岬・宿毛へ〜  (9)

2008年12月30日 大岐へ その2

 足摺岬を出発して1時間は経過していただろうか。僕達は津呂の集落に入った。
「そろそろこの辺りで休憩しませんか?少し喉も乾いてきたし、飲み物も確保したいんで・・・。」
 Nさんの呼びかけに僕とKさんも頷いた。たしか津呂にはお遍路専用の休憩所があったはずだ。へんろ小屋が2軒ほど建っていたと思うのだが・・・。どの辺だったかなと話しながら、ぼちぼちと歩いていると左手に神社とバス停が見えてきたが、はたしてその向かい側に小さなへんろ小屋はあった。ここで休ませてもらおうとへんろ小屋のベンチに荷物を下ろし暫しの間皆でくつろいだ。
「そういえば、僕昼飯まだなんです。ここで食べさせてもらってもいいですか?」
 時間は午後3時半を回っていたが、昼食を摂ることをすっかり忘れていたのだ。要するにここまで空腹感が無かったのだが、仲間と歩くことで気持ちがリラックスしてきたせいか、ようやく腹の虫が鳴り出したのである。大岐の宿で戴いたおにぎりの入ったケースをザックから取り出す。その様子を見ていたNさんも急にお腹が空いてきたらしく、ザックの中から酒のつまみなど(野宿遍路の心得として彼は常にそういった非常食を携帯している)を取り出して「よかったらどうぞ」と言いながらムシャムシャと食べ始めた。ケースの中にはおにぎりが2つ入っていたので、ひとつをKさんに勧めて、もうひとつをゆっくり味わいながらおいしくいただいた。食事というものは、新しい活力を与えてくれる。僕等のテンションは更に盛り上がっていた。記念撮影をしたり改めて納め札を交換しあったりして、ひと時の休憩時間を楽しく過ごすことができた。
「そろそろ出発しましょうか・・・。でもここからがしんどくなりそうですねえ。」
「そう、陽も落ちてくるやろうしねえ・・・。でもホンマに独りやなくてよかったですわー・・・。」
「全く、全く・・・!!」
 やんややんやと話しながら荷物を背負い直し僕達は再び歩き出した。

 やがて窪津にさしかかった。時間は午後4時半を少し過ぎていただろうか。陽は西に傾きはじめ空の青さも若干弱くなってきているようだ。この辺りから僕達の疲労もピークを迎えつつあった。口数も次第に減り、歩く速度も落ち始める・・・。そんな中でもNさんはなにかと僕等にしゃべりかけてくれるのだが、なによりも彼の足の怪我の事が心配だった。かなり痛い思いをしていたのではないだろうか・・・。ただNさんがこうして話しかけてくれることで僕等も元気づけられていたのだ。彼の健気なムードメーカーぶりには今でも頭の下がる思いがするのだ。
 県道27号線沿いに建つ窪津小学校付近から小道に入る。あの窪津の遍路道だ。僕にとっては苦い思い出の残る道である。遍路道を進みながら、
「朝、此処を通った時に一輪車を押していたおばさんがいたんですよ。しんどそうにしてはってね・・・。」
急ぐあまりおばさんの横を素通りしてしまった顛末を話していると、
「あー、会った、会いましたよ、僕等も。確かにお疲れのご様子だったんで、ちょっとこれは見てられんと思って少しだけお手伝いしてしまいましたね・・・。ありゃー、お年の割りに頑張り過ぎですよ。あんなに沢山野菜積まなくたってねえー・・・。」
と笑いながらNさんが言う。
 なんというか、どうしようもなく自分という人間が小さく思えて恥ずかしかった。
(・・・そうかー、やっぱりこの人たちは器が違うなあ。この人達に比べたらオレはまだまだや・・・。でも、いい人たちに出会えてホンマによかったよなー・・・。)
 恐らくこの時からだったと思う。この2人との出会いには御大師様の強いメッセージが込められていると感じはじめたのは。前回、遍路で出会う人との御縁は全て御大師様の御計らいによるものなのだと述べたが、彼らとの出会いに関しては少々御計らいの度合いが違うように思えた。「彼らと一緒に居れ」といったような・・・。ということは、彼らとの御縁は旅の終わりまでつづくのではないか?そんな確信めいた気持ちが湧いてきたのもこの時からだったと思う。
 

冬遍路 〜足摺岬・宿毛へ〜  (8)

2008年12月30日 大岐へ その1

 晴れた冬空の下を三人の中年男が杖をつきつつ一列に並んで北を目指す・・・。

 先頭を行くのはKさん、真ん中が僕、殿(しんがり)はNさんだ。冷静で安定感のあるKさんがペースメーカーとなり、その後を僕とNさんがウダウダと会話をしながら着いていくといったかんじである。最初のうちは皆バラバラと歩いていたのだが、Kさんは歩いているときはほとんどしゃべらないタイプの人なので自然に先頭へ・・・、Nさんは右足の親指の怪我のせいで足が痛むせいか徐々に後ろに下がりはじめ・・・、気がつけば一列になって歩いていたのである。
 Nさんも相当歩くのは辛かったと思うのだが、そんなことは大っぴらに口にせず、前日同様に楽しい話題ばかりを提供してくれる。そんなNさんが心配でならなかったが、あまり怪我の話を持ち出すと却って彼の精神面に響くだろうと思い、そのことは黙っていた。明るく振舞う彼と波長を合わすことが彼の痛みを和らげることにもなるし、僕らも精神的に救われるのだ。Kさんは先頭で黙々と歩いてはいるが、Nさんの辛さは充分理解していたので少しペースを落としながら僕達を引っ張ってくれる。本来ならKさんの歩くペースはこんなものではないだろう・・・。こんな風に僕等の中では自然な形でチームワークというものができあがっていた。これも考えてみれば不思議な現象である。僕とNさんは出会ってまだ2日目だったし、Kさんとはこの日が初めてだったのだ。にも関わらず、まるで古くからの知り合いの様にお互いを思いやり連携する・・・。何故なのか。
 様々な答えがあるかもしれないが、僕の中で連想される答えは2つある。ひとつは我々歩き遍路は「同胞」だという概念が僕等の中にあること。各人旅の内容は違うかもしれない。旅で体験したこと、旅で考えたこと、旅から教わったことなどは千差万別だろう。ただ、皆同じ道を歩いてきたわけで、その道を歩いたことから生じる苦痛や心労は共有できうるものなのだ。みんな頑張って歩いている・・・。それが痛いほど分かるからこそ、自分以外のお遍路さんに対しても優しい気持ちになれるのだ。
 もうひとつの答えは「仏縁」という言葉。四国の遍路道で出会う人達との御縁は全て御大師様の御計らいであるということ。旅で出会う人との交流が今の自分に対してなにかしらの影響を与えてくれる。心地よく感じるものもあれば、時に不快に感じるものもあるだろう。それら全てが御計らいなのだ。全てを受け入れることが今の自分の状況というものに大きな意味を与えてくれる、それが生きる指針である時もあれば、戒めである時もある。つまり、会うべくして会うように、御大師様が僕等に何かを伝えようとして、人との御縁を「仕組んで」(表現が悪いかもしれないが)くださっているのだ。
 今回、NさんやKさんに出会えたことも「仏縁」に他ならないと思う。これまでこの2人との御縁によって救われたのだと何度も述べてきたが、実は僕だけが思っていたことではなく2人も同じ気持ちだったのだということが旅の最後で分かることとなる。


 あからさまに態度には出さないが、お互いを思いやる気持ちから生まれた連帯感をもって僕達は歩いた。同世代ゆえに考え方や疲労感などといった共通項も多い。気の合う仲間と歩く時間はとても心地よく、歩く苦労も気持ちのよい刺激となる。これまでの遍路の旅でも仲良く楽しそうに歩いている2人連れのお遍路さんなんかをよく見かけたが、大抵皆さんは年の近い人をお仲間にしておられた。そんなお遍路さんたちの気持ちが今回の旅でようやく分かったような気がした。なんというのか・・・、童心に帰るといったらいいのだろうか。子供の頃に仲の良い友達と一緒に知らない場所を探検したりした思い出があるが、そんなかつての子供心が蘇ってくるような、そんな感覚だ。下手な表現をかもしれないが、四国遍路とはある種の「大人の探検ワールド」ともいえるのかも・・・・。
 僕達3人も足摺岬を出発して最初の2時間ほどは気持ちも体力もまだ余裕があったので、リラックスしていたせいか、どこか童心に帰っていたような気もする。
 大岐までの帰り道は一度通っている道にも関わらず、意外と記憶が飛んでしまっている箇所もあって、「こんなとこ通りましたっけ??」「たしかこの辺りに近道が・・・、入口ここになるんでしたっけ??」といったような会話もしばしば。そういったやりとりも楽しいもので、気分はまさに「探検隊」といったかんじだった。いい年をした大人が何を言ってるねんっ!!と若い方に笑われそうだが・・・。怪しい道、つまり先へ進めるのか判断が難しい道でもとりあえず進んでゆく。これは3人いたからできたことなのかもしれない。独りで歩いている時ならば、決してそんな「賭け」に近いようなことはしないだろう。どうも間違いだなと思えばきりのいいところで引き返す。この辺りで適切な判断が下せるのは各人がこれまでの遍路の旅で経験した知識があったからだろう。また足りない知識を仲間が補ってくれたりもする。3人寄れば文殊の知恵とはよくいったものだが、そういった安心感も精神的な疲労を緩和してくれていたと思う。


 それにしても、こんなに楽しい気分で遍路道を歩いたことが今まであっただろうか・・・。これまでの遍路の旅では常に自分というものに向き合いながら、自然と対話しながら、遍路道を歩いていた。僕の中ではそれが「遍路」なのだというイメージができつつあったのだが、今回の年越し遍路ではまた違った概念を植えつけられたような気がしている。

「楽しむことも大事。気を張り詰めすぎないことも大事。もう少し気を楽にして生きてみろや・・・。」

 NさんやKさんとの御縁は、そういった御大師様の戒めの意味もあったのかもしれない。

冬遍路 〜足摺岬・宿毛へ〜  (7)

2008年12月30日 足摺岬

 Nさん達と合流し、山門を出る。集合時間と決めていた2時にはまだ少し間があった。とはいえ、出発する時間としてはこの時点でも遅すぎるほうなのだ。足摺岬から大岐までは、およそ15kmほど。ざっと見積もっても5時間はかかるだろう。既に夕方に宿入りするという目論見は崩れ去ったと言える。僕達もそんなことは口に出さずとも其々が心の中で重々承知していたのだ。
(もう・・・、アレだ、こうなったら開き直ってじっくり歩いていくしかねえじゃねえか・・・・。)
 おそらく僕を含め3人ともそんな気持ちになっていただろう。

 ところでNさんの連れのお遍路さんだが、名前をKさん(仮名)という。Nさんと同じく僕と年齢が近い世代の人間だ。朗らかでどこかひょうきんなNさんに対して、Kさんはどっしり肝がすわっているというか、落ち着きがあって頼りがいのあるタイプとでもいったらいいのだろうか。口数は少ないが、しゃべる言葉には説得力がある。僕やNさんに比べると体つきもがっしりしているので、もうなんというか見ているだけで安定感があるというのか・・・。頼もしい仲間が増えたと喜ぶ反面、どこか飄々とした人柄を感じさせてくれる。それもまた彼の魅力なのだろう。

 同世代の人間が3人集まって時間に対して開き直る・・・。これはある意味性質が悪いとも言える。同世代の生み出す居心地のよい空気に包まれて、決してのんびりできる状況ではないにもかかわらず、僕等の行動はゆったりモードに移行してゆく・・・。
「まあねえ・・・、せっかく足摺岬まで来たんだし・・・。もう少し・・・、ねえ!!」
 Nさんは山門前の売店に夜食の調達に出かけるし、Kさんは急に姿が見えなくなるし、僕は岬を向いて立っているジョン万次郎像を見物しに行くしで・・・。慌しさのかけらもない。


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【 足摺岬「四国最南端」の碑とジョン万次郎像 】


 そのうちにKさんが戻ってきた。岬の方角からである。岬の展望台まで行ってきたのかと聞くと、
「いやー!!よかったですよ、展望台。あれは絶対見ておかないと損ですよ!!」
とおっしゃる。僕も本音を言えば見たくてしょうがなかったのだが、出発の時間を考えれば今回は縁が無かったと諦めるしかないと思っていたのだ。しかしKさんの表情を見ていると、諦めてしまうのも如何なものかと心がぐらついてきた。
「せっかくここまで来たんですから、後悔が残らないように行ってきたほうがいいですよ!!」
とNさんが有難い言葉をかけてくれた。Kさんも「展望台はほんとにすぐそこですから早く早く!!」と言ってくれる。  ・・・嗚呼、なんて素晴らしい人達なんだろう。2人を残して駆け足で展望台へと向かった。

 展望台から見た岬の景色はまさに絶景だった。青く広々とした海や水平線も素晴らしいのだが、手前に見渡せる岸壁がまた凄い。岩肌の様子がダイナミックというのか、とにかく迫力があって圧倒されてしまった。この場所に来て初めて、室戸の巨大な青年大師像を見た時と同じような「ああ、ここまで歩いて来たんだな」という感動を味わうことができた。四国最南端、本当にその先端の地に自分は今いるのだと。その感動にしばらく浸っていたかったのだが、そうも言ってはいられなかった。出発時間のこともあるし、なにより2人に待ってもらっているのだ。展望台の景色に別れを告げて、また駆け足で戻る。展望台周辺には弘法大師ゆかりの遺蹟などもあったのだが、残念ながらさすがに見ている時間はなかった。


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【 展望台からの眺め 】


 2人はジョン万次郎像の傍で待っていてくれた。待っていてくれたというよりも、くつろいでいたといったほうが正しいか・・・。ジョン万次郎像が立っている場所というのは、ちょっとした広場のようになっていて、ベンチや公衆トイレなどもあり、観光客が骨休みできる憩いの空間ともいえるだろう。広場中央のベンチ(万次郎像に近い位置にある)に2人は腰を下ろして楽しそうに会話をしている。その表情には余裕すら感じられる。これが30代後半に到った男の余裕というやつだろうか・・・。
 僕が戻ってきたのに気がつく2人。どうやら今晩の宿の話をしていたらしい。といってもNさんは昨晩同様にまた大岐海岸で野宿するらしいのだが、問題はKさんである。今晩の宿をまだとっていないということなのだ。昨晩は下ノ加江で宿をとり、今朝も早起きして下ノ加江から歩き出したのだが、実際自分が今日どのあたりまで歩くことができるのか予測しずらかったというのだ。だから敢えて宿の予約をしなかったというのだが、今から足摺岬を発つ段階となりそろそろ宿を決めておかないとまずいと思い、そのことでNさんと色々話していたらしい。
 「この時間からだと、どこも空いてないかもしれませんね・・・。以布利や大岐には宿はいくつかあるみたいですけど、ちょっと厳しいでしょうね。時期的なこともあるし、時間的にも今からじゃあ厳しいだろうなあ・・・。」
 悩むKさんに対してNさんは「最悪の場合は一緒に大岐海岸で野宿しませんか?」と熱心に誘っていたようだ。Nさん曰く、大岐海岸は野宿場所としては最高のロケーションらしい。星空はきれいだし、シャワールーム(ここで寝泊りしたらしい)も完璧なものだったと・・・。例の温泉施設も非常に良かったということだ。そんなわけで自信をもってKさんに勧めていたらしいのだが、Kさんも野宿の経験はあまり無いらしく、どうするか迷っていたようだった。
 「あー・・・、なんやったら僕の泊まってる宿だったら部屋空いてますけどね・・・。客はどうも僕だけやったみたいやし・・・。」
 何気なくKさんに言うと、
 「えっ、そうなんですか?この時期にそんなに空いている宿があったんですか?じゃあ、そこに決めようかな・・・。」
 宿の名前をいうと、早速電話をかけるKさん。後に聞いた話では、今晩は宿にありつけるのは絶望的だと思っていたらしいのだ。最悪の場合、昨晩泊まった下ノ加江の宿に連絡して素泊まりでもいいから泊めてもらうことも考えていたという。しかし、時間的にも下ノ加江まで歩くというのは無理があるし、どうしたものかと思案していたところでNさんから野宿のお誘い・・・。まあ、それもまたいいかなと。それもお大師様の御導きかもしれないなと思っていたということだ。そんな状況の中で僕が泊まっている宿の情報を得たと・・・。Kさんにとっては暗闇の中に光明を見つけた心境だったらしい。
 実際のところ、この年の暮れの時期というのは意外と宿は空いているようだ。僕もKさんと同じく、この時期は宿を押えるのは難しいだろうという先入観があった。だから四国に渡る前に宿の予約はしっかりとっていたのだが・・・(予約する際、年末は休業しますといった宿も何軒かは確かにあったことは事実である)。今回大岐で泊まった宿や以布利港で出会ったおばあさんの言葉から考えると、ちょっと先入観に囚われ過ぎていた感じもするのだ(とはいえ、やはり予約はしっかりしておいたほうが間違いはないと思う)。

 
 午後2時半も近かっただろうか。僕等3人は足摺岬をあとにした。大岐まで実際どれくらいの時間がかかるのか・・・。わからないが、わからないことを気にしても仕方のないことだ。只々、歩いていくのみである。そんなことよりも、ある意味不思議な御縁で出会うことのできた人間たちとの楽しい時間をじっくりと味わいながら歩いていきたい・・・、皆そう考えていたと思う。会話を交わしながらの和やかな出発に僕はなにか救われたような気がしていた。足摺岬まで一人で歩いた時間、それはどこか殺伐としたものが心の中にあった。もし彼らとの御縁が無かったのならば、大岐までの帰途はもっと自分を追い詰めるようなストイックな時間を過ごすことになっていたかもしれない。今にして思えば、この人達との出会いは御大師様の御計らいであったと本当に感謝している。
  



六根清浄

1969年4月20日生まれ

京都市在住
2007年5月から始めた区切り打ち四国歩き遍路も4年目をもちましてようやく結願いたしました。支えてくださった皆様に感謝です。2巡目の構想も視野に入れながら、さらに日本の各地を「歩き旅」で訪れてみたいと考えています。自称『歩き中毒患者』(笑)


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