2008年12月29日 新伊豆田トンネル〜大岐
彼の名をNさん(仮名)という。新伊豆田トンネルの入口で挨拶を交わしてからというもの、なぜかすっかり意気投合してしまい、このまま目的地の大岐まで連れ立って歩くこととなった。僕はこれまで滅多に他のお遍路さんと一緒に歩いたことがなかった。札所の境内で出会ったり休憩所や道端で出会ったりしたお遍路さんと長話したりするのは毎度のことなのだが、歩くときは大抵一人である。今回のように二人連れで歩くのは、一昨年(2007年)の夏の遍路以来ではないだろうか・・・。
Nさんと妙に気が合ってしまったのは、年齢が近いということもあったし遍路に対する考え方などの共通点が多かったことが理由かもしれないが、なによりも彼の人柄というものに僕が惹かれたのだ。気さくだし、誰とでも打解ける大らかさをもっている。そんな明るさに知らず知らず僕の心が引き込まれていったのだろう。Nさんも僕と同じく区切り打ち遍路なのだが、大きな違いは彼が野宿を基本としているということだ。経済的な理由からではなく、ぎりぎりの環境の中に身を置きながら旅をつづけたいから野宿を選択したのだと彼は言う。これまでにも野宿遍路をつづけている人たちとお話する機会はあったが、「なぜ野宿遍路を選んだのか?」といった話はしたことがなかった。遍路道に関しての情報交換の話題が多かったように思う。Nさんからはそういった話をはじめとして、野宿遍路ならではの様々な苦労話を聞くことができた。食料の調達に関することや野宿ポイントの決め方など・・・。歩く時間だけではなく、一夜を過ごすための準備に費やす時間も一日のスケジュールの中に組み入れなければならないのだという。我々宿泊まり組に比べると苦労が多くて大変そうだが、それなりのメリットもあるという。僕たちの場合は予約した宿のある場所まではなんとしてでも歩ききらなければならない『制約』のようなものがあるわけだが、野宿をする遍路さんの場合は体調と相談しながらその日のうちに泊まる場所を自由に変更することができる。とはいえ、何処にでも寝泊りできるというわけでもなく野宿ポイントとなる場所の条件にはある程度の決まりはあるらしい・・・。Nさんと歩いていて一番印象的だったのは野宿ポイントを探すために彼が常に回りの景色に目を光らせていたことだ。「この場所はいけそうですね」「こういう場所・・・、いいなあ!!」と時折脚を止めてはその場所を観察する。そういった景色の見方というのは野宿遍路ならではのものかもしれない。僕は今までそんな感覚で回りの景色を観察しながら歩いたことがなかったので、とても勉強になったというか・・・、面白かった。一度通りすぎた場所というのは彼にとっては用のない野宿ポイントである筈なのだが、それでも熱心にチェックをしている。なぜかと聞くと、チェックした情報をこれまで知り合った野宿遍路の仲間たちと共有するためらしい。これからこの道を通る仲間がいれば是非参考にしてほしいということで・・・。なんとも頭の下がる話だ。彼の人柄がでているなと思った。さぞかし彼には多くの仲間がいるにちがいない。
そんなNさんと会話をしながらの道中はとても楽しいものだった。新伊豆田トンネルを抜けて少し進んだところに「ドライブイン水車」があったが、そこで僕が昼食をとっている間、Nさんは外で僕を待っていてくれた。彼も僕に対して「御縁」のようなものを感じてくれていたのかもしれない。昼食後、再び二人で歩き出した。それから大岐まで、彼とは様々な話をしながら歩いた。これまで歩いた遍路道のこと、遍路道で出会った人達のこと、家族のこと・・・。「ドライブイン水車」から大岐までは十数キロの距離があったが、距離や時間の感覚を忘れるほど話に熱を入れながら進んだ。歩みは相当遅くなっていたにちがいないが・・・。
下ノ加江を過ぎ、鍵掛、久百々と進むうちに日も傾き道も暗くなってきた。この辺りから僕とNさんの会話も疲労のせいもあって途切れ気味に・・・。Nさんは今夜は大岐の海岸で野宿をするとのこと。彼の遍路仲間からの情報では非常によい野宿ポイントがあるそうだ。泊まる場所については心配はないが、問題はどこで風呂に入るか・・・。彼は野宿遍路ではあるが、風呂に入ることには拘りがあるという。一日の疲れを取り除き次の日に備えるためにも風呂はなるべく入ることを心がけているという。この日の彼は実は右足の指の関節を痛めていて、怪我をかばいながらの無理な歩行をつづけてきたために脚全体が筋肉痛をおこしていたようなのだ。それだけになおさら入浴は必要となってくる。僕の泊まる宿の風呂をお借りしてはと勧めたが、彼には当てがあるようだった。これも遍路仲間からの情報らしいのだが、大岐海岸の傍に温泉施設があるというのだ。ただその情報が漠然としたものなので、本当にあるのかどうかはわからないと・・・。「あればいいね」と言いながら疲れた体に最後の元気を入れて二人で先を進む。
途中、何人かの歩き遍路さんとすれ違った(足摺岬からの打戻りのコースを進むお遍路さんたちである)。挨拶がてら、温泉施設がこの先にあるのか聞いてみる。しかし、どのお遍路さんも「さあ・・・、あんまり聞いたことないですね。」との返事。さすがにNさんも「やっぱりないのかもしれませんね・・・」と苦笑いする。彼は温泉施設に行くことをかなり楽しみにしていたようで、かなり落胆しているようだった。とにかく僕の泊まる宿に行きませんかということで話をまとめながら歩いていると、また二人連れの熟年お遍路さんとすれ違った。多分ダメだろうと思いながらお二人にNさんが温泉施設の話を振ると、
「あー、なんかありましたね!この先のマンションのような大きな建物の近くに。」
と予期せぬ返事がかえってきた。Nさんの気力がみるみるうちに復活してゆく・・・。本当に楽しみにしていたのだなとなんだか自分までうれしくなってしまっていた。
しばらく歩いていくと、確かに白いマンション(というかホテルのような)大きな建物が見えてきた。その傍にそれとおぼしき小さな施設も見える。「ありましたね!」と二人で喜びながら施設の傍まで歩き荷物をおろして小休止。Nさんとはここでお別れとなる。僕の泊まる宿はここから更に1km程歩かなければならない。
最後に納め札を交換することにした。僕もNさんも翌日は打戻りのコースを歩くことにしていたので再び会う確立はかなり高いわけだが、仮に会えない場合も考えてそうしたのだ。
「遍路で出会った人の納め札は御守になってくれるんです。苦しいときなんかに励まされてそれが助けになってくれるんですよね・・・。」
彼がいったその言葉が今でも忘れられない。
Nさんと別れて、更に国道を進む。すでに日はとっぷり暮れて道はまっくらだ。宿まではそう距離はない(とはいえ1kmだが)はずなのだが、とても長い道程に思えた。急に一人で歩くことになったからだろうか。これまで二人で歩いてきたわけだが、歩く苦労というものも実は二人で分かち合っていたのだ・・・。仲間の存在は有難いものなのだと改めて感じさせられた。
予約を入れていた民宿に着いたのが午後6時半ぐらいだっただろう。玄関に入り声をかけると宿のおかみさんが笑顔で迎えてくれた。見たところ、かなりの御高齢のようだ。やさしいおばあちゃんである。
「いやー、心配しとったんですよ。ウチの人が『今日は大岐までたどりつけんのとちがうか?』なんていってたけど・・・。無事に着いてよかったね。」
・・・心配かけて申し訳ありません。もっとマメに連絡すればよかったですね。
入浴を済ましおいしい夕食をいただいた後で、ようやく部屋で落ち着きながら翌日歩くコースを地図で確認する。明日はどんな旅になるのだろう・・・。どんな人達と出会うのだろう・・・。
ふとNさんのことが気になった。彼は今頃海岸のどこかで一日の疲れを癒しているはずだ。どうしているのだろう。彼と再び会うことはあるんだろうか。
あれこれ考えても仕方のないことかもしれない。遍路で出会う人との御縁はお大師様の導きによるものだ。御縁があるのならば、彼は再び僕の前に姿を現わすだろう。
御縁については、すべてお大師様にお任せすればいい。それよりも一日の疲れをとって明日の遍路に備えることが大事だ。
この日は泥のように眠った。
彼の名をNさん(仮名)という。新伊豆田トンネルの入口で挨拶を交わしてからというもの、なぜかすっかり意気投合してしまい、このまま目的地の大岐まで連れ立って歩くこととなった。僕はこれまで滅多に他のお遍路さんと一緒に歩いたことがなかった。札所の境内で出会ったり休憩所や道端で出会ったりしたお遍路さんと長話したりするのは毎度のことなのだが、歩くときは大抵一人である。今回のように二人連れで歩くのは、一昨年(2007年)の夏の遍路以来ではないだろうか・・・。
Nさんと妙に気が合ってしまったのは、年齢が近いということもあったし遍路に対する考え方などの共通点が多かったことが理由かもしれないが、なによりも彼の人柄というものに僕が惹かれたのだ。気さくだし、誰とでも打解ける大らかさをもっている。そんな明るさに知らず知らず僕の心が引き込まれていったのだろう。Nさんも僕と同じく区切り打ち遍路なのだが、大きな違いは彼が野宿を基本としているということだ。経済的な理由からではなく、ぎりぎりの環境の中に身を置きながら旅をつづけたいから野宿を選択したのだと彼は言う。これまでにも野宿遍路をつづけている人たちとお話する機会はあったが、「なぜ野宿遍路を選んだのか?」といった話はしたことがなかった。遍路道に関しての情報交換の話題が多かったように思う。Nさんからはそういった話をはじめとして、野宿遍路ならではの様々な苦労話を聞くことができた。食料の調達に関することや野宿ポイントの決め方など・・・。歩く時間だけではなく、一夜を過ごすための準備に費やす時間も一日のスケジュールの中に組み入れなければならないのだという。我々宿泊まり組に比べると苦労が多くて大変そうだが、それなりのメリットもあるという。僕たちの場合は予約した宿のある場所まではなんとしてでも歩ききらなければならない『制約』のようなものがあるわけだが、野宿をする遍路さんの場合は体調と相談しながらその日のうちに泊まる場所を自由に変更することができる。とはいえ、何処にでも寝泊りできるというわけでもなく野宿ポイントとなる場所の条件にはある程度の決まりはあるらしい・・・。Nさんと歩いていて一番印象的だったのは野宿ポイントを探すために彼が常に回りの景色に目を光らせていたことだ。「この場所はいけそうですね」「こういう場所・・・、いいなあ!!」と時折脚を止めてはその場所を観察する。そういった景色の見方というのは野宿遍路ならではのものかもしれない。僕は今までそんな感覚で回りの景色を観察しながら歩いたことがなかったので、とても勉強になったというか・・・、面白かった。一度通りすぎた場所というのは彼にとっては用のない野宿ポイントである筈なのだが、それでも熱心にチェックをしている。なぜかと聞くと、チェックした情報をこれまで知り合った野宿遍路の仲間たちと共有するためらしい。これからこの道を通る仲間がいれば是非参考にしてほしいということで・・・。なんとも頭の下がる話だ。彼の人柄がでているなと思った。さぞかし彼には多くの仲間がいるにちがいない。
そんなNさんと会話をしながらの道中はとても楽しいものだった。新伊豆田トンネルを抜けて少し進んだところに「ドライブイン水車」があったが、そこで僕が昼食をとっている間、Nさんは外で僕を待っていてくれた。彼も僕に対して「御縁」のようなものを感じてくれていたのかもしれない。昼食後、再び二人で歩き出した。それから大岐まで、彼とは様々な話をしながら歩いた。これまで歩いた遍路道のこと、遍路道で出会った人達のこと、家族のこと・・・。「ドライブイン水車」から大岐までは十数キロの距離があったが、距離や時間の感覚を忘れるほど話に熱を入れながら進んだ。歩みは相当遅くなっていたにちがいないが・・・。
下ノ加江を過ぎ、鍵掛、久百々と進むうちに日も傾き道も暗くなってきた。この辺りから僕とNさんの会話も疲労のせいもあって途切れ気味に・・・。Nさんは今夜は大岐の海岸で野宿をするとのこと。彼の遍路仲間からの情報では非常によい野宿ポイントがあるそうだ。泊まる場所については心配はないが、問題はどこで風呂に入るか・・・。彼は野宿遍路ではあるが、風呂に入ることには拘りがあるという。一日の疲れを取り除き次の日に備えるためにも風呂はなるべく入ることを心がけているという。この日の彼は実は右足の指の関節を痛めていて、怪我をかばいながらの無理な歩行をつづけてきたために脚全体が筋肉痛をおこしていたようなのだ。それだけになおさら入浴は必要となってくる。僕の泊まる宿の風呂をお借りしてはと勧めたが、彼には当てがあるようだった。これも遍路仲間からの情報らしいのだが、大岐海岸の傍に温泉施設があるというのだ。ただその情報が漠然としたものなので、本当にあるのかどうかはわからないと・・・。「あればいいね」と言いながら疲れた体に最後の元気を入れて二人で先を進む。
途中、何人かの歩き遍路さんとすれ違った(足摺岬からの打戻りのコースを進むお遍路さんたちである)。挨拶がてら、温泉施設がこの先にあるのか聞いてみる。しかし、どのお遍路さんも「さあ・・・、あんまり聞いたことないですね。」との返事。さすがにNさんも「やっぱりないのかもしれませんね・・・」と苦笑いする。彼は温泉施設に行くことをかなり楽しみにしていたようで、かなり落胆しているようだった。とにかく僕の泊まる宿に行きませんかということで話をまとめながら歩いていると、また二人連れの熟年お遍路さんとすれ違った。多分ダメだろうと思いながらお二人にNさんが温泉施設の話を振ると、
「あー、なんかありましたね!この先のマンションのような大きな建物の近くに。」
と予期せぬ返事がかえってきた。Nさんの気力がみるみるうちに復活してゆく・・・。本当に楽しみにしていたのだなとなんだか自分までうれしくなってしまっていた。
しばらく歩いていくと、確かに白いマンション(というかホテルのような)大きな建物が見えてきた。その傍にそれとおぼしき小さな施設も見える。「ありましたね!」と二人で喜びながら施設の傍まで歩き荷物をおろして小休止。Nさんとはここでお別れとなる。僕の泊まる宿はここから更に1km程歩かなければならない。
最後に納め札を交換することにした。僕もNさんも翌日は打戻りのコースを歩くことにしていたので再び会う確立はかなり高いわけだが、仮に会えない場合も考えてそうしたのだ。
「遍路で出会った人の納め札は御守になってくれるんです。苦しいときなんかに励まされてそれが助けになってくれるんですよね・・・。」
彼がいったその言葉が今でも忘れられない。
Nさんと別れて、更に国道を進む。すでに日はとっぷり暮れて道はまっくらだ。宿まではそう距離はない(とはいえ1kmだが)はずなのだが、とても長い道程に思えた。急に一人で歩くことになったからだろうか。これまで二人で歩いてきたわけだが、歩く苦労というものも実は二人で分かち合っていたのだ・・・。仲間の存在は有難いものなのだと改めて感じさせられた。
予約を入れていた民宿に着いたのが午後6時半ぐらいだっただろう。玄関に入り声をかけると宿のおかみさんが笑顔で迎えてくれた。見たところ、かなりの御高齢のようだ。やさしいおばあちゃんである。
「いやー、心配しとったんですよ。ウチの人が『今日は大岐までたどりつけんのとちがうか?』なんていってたけど・・・。無事に着いてよかったね。」
・・・心配かけて申し訳ありません。もっとマメに連絡すればよかったですね。
入浴を済ましおいしい夕食をいただいた後で、ようやく部屋で落ち着きながら翌日歩くコースを地図で確認する。明日はどんな旅になるのだろう・・・。どんな人達と出会うのだろう・・・。
ふとNさんのことが気になった。彼は今頃海岸のどこかで一日の疲れを癒しているはずだ。どうしているのだろう。彼と再び会うことはあるんだろうか。
あれこれ考えても仕方のないことかもしれない。遍路で出会う人との御縁はお大師様の導きによるものだ。御縁があるのならば、彼は再び僕の前に姿を現わすだろう。
御縁については、すべてお大師様にお任せすればいい。それよりも一日の疲れをとって明日の遍路に備えることが大事だ。
この日は泥のように眠った。