気ままに歩いて候。

あせらず、くさらず、歩いていきましょう。 2007年5月の連休から始めた区切り打ちの四国歩き遍路の思い出を綴った記事を中心に掲載しています。

2009年01月

冬遍路 〜足摺岬・宿毛へ〜  (3)

2008年12月29日 新伊豆田トンネル〜大岐

 彼の名をNさん(仮名)という。新伊豆田トンネルの入口で挨拶を交わしてからというもの、なぜかすっかり意気投合してしまい、このまま目的地の大岐まで連れ立って歩くこととなった。僕はこれまで滅多に他のお遍路さんと一緒に歩いたことがなかった。札所の境内で出会ったり休憩所や道端で出会ったりしたお遍路さんと長話したりするのは毎度のことなのだが、歩くときは大抵一人である。今回のように二人連れで歩くのは、一昨年(2007年)の夏の遍路以来ではないだろうか・・・。

 Nさんと妙に気が合ってしまったのは、年齢が近いということもあったし遍路に対する考え方などの共通点が多かったことが理由かもしれないが、なによりも彼の人柄というものに僕が惹かれたのだ。気さくだし、誰とでも打解ける大らかさをもっている。そんな明るさに知らず知らず僕の心が引き込まれていったのだろう。Nさんも僕と同じく区切り打ち遍路なのだが、大きな違いは彼が野宿を基本としているということだ。経済的な理由からではなく、ぎりぎりの環境の中に身を置きながら旅をつづけたいから野宿を選択したのだと彼は言う。これまでにも野宿遍路をつづけている人たちとお話する機会はあったが、「なぜ野宿遍路を選んだのか?」といった話はしたことがなかった。遍路道に関しての情報交換の話題が多かったように思う。Nさんからはそういった話をはじめとして、野宿遍路ならではの様々な苦労話を聞くことができた。食料の調達に関することや野宿ポイントの決め方など・・・。歩く時間だけではなく、一夜を過ごすための準備に費やす時間も一日のスケジュールの中に組み入れなければならないのだという。我々宿泊まり組に比べると苦労が多くて大変そうだが、それなりのメリットもあるという。僕たちの場合は予約した宿のある場所まではなんとしてでも歩ききらなければならない『制約』のようなものがあるわけだが、野宿をする遍路さんの場合は体調と相談しながらその日のうちに泊まる場所を自由に変更することができる。とはいえ、何処にでも寝泊りできるというわけでもなく野宿ポイントとなる場所の条件にはある程度の決まりはあるらしい・・・。Nさんと歩いていて一番印象的だったのは野宿ポイントを探すために彼が常に回りの景色に目を光らせていたことだ。「この場所はいけそうですね」「こういう場所・・・、いいなあ!!」と時折脚を止めてはその場所を観察する。そういった景色の見方というのは野宿遍路ならではのものかもしれない。僕は今までそんな感覚で回りの景色を観察しながら歩いたことがなかったので、とても勉強になったというか・・・、面白かった。一度通りすぎた場所というのは彼にとっては用のない野宿ポイントである筈なのだが、それでも熱心にチェックをしている。なぜかと聞くと、チェックした情報をこれまで知り合った野宿遍路の仲間たちと共有するためらしい。これからこの道を通る仲間がいれば是非参考にしてほしいということで・・・。なんとも頭の下がる話だ。彼の人柄がでているなと思った。さぞかし彼には多くの仲間がいるにちがいない。

 そんなNさんと会話をしながらの道中はとても楽しいものだった。新伊豆田トンネルを抜けて少し進んだところに「ドライブイン水車」があったが、そこで僕が昼食をとっている間、Nさんは外で僕を待っていてくれた。彼も僕に対して「御縁」のようなものを感じてくれていたのかもしれない。昼食後、再び二人で歩き出した。それから大岐まで、彼とは様々な話をしながら歩いた。これまで歩いた遍路道のこと、遍路道で出会った人達のこと、家族のこと・・・。「ドライブイン水車」から大岐までは十数キロの距離があったが、距離や時間の感覚を忘れるほど話に熱を入れながら進んだ。歩みは相当遅くなっていたにちがいないが・・・。
 下ノ加江を過ぎ、鍵掛、久百々と進むうちに日も傾き道も暗くなってきた。この辺りから僕とNさんの会話も疲労のせいもあって途切れ気味に・・・。Nさんは今夜は大岐の海岸で野宿をするとのこと。彼の遍路仲間からの情報では非常によい野宿ポイントがあるそうだ。泊まる場所については心配はないが、問題はどこで風呂に入るか・・・。彼は野宿遍路ではあるが、風呂に入ることには拘りがあるという。一日の疲れを取り除き次の日に備えるためにも風呂はなるべく入ることを心がけているという。この日の彼は実は右足の指の関節を痛めていて、怪我をかばいながらの無理な歩行をつづけてきたために脚全体が筋肉痛をおこしていたようなのだ。それだけになおさら入浴は必要となってくる。僕の泊まる宿の風呂をお借りしてはと勧めたが、彼には当てがあるようだった。これも遍路仲間からの情報らしいのだが、大岐海岸の傍に温泉施設があるというのだ。ただその情報が漠然としたものなので、本当にあるのかどうかはわからないと・・・。「あればいいね」と言いながら疲れた体に最後の元気を入れて二人で先を進む。
 途中、何人かの歩き遍路さんとすれ違った(足摺岬からの打戻りのコースを進むお遍路さんたちである)。挨拶がてら、温泉施設がこの先にあるのか聞いてみる。しかし、どのお遍路さんも「さあ・・・、あんまり聞いたことないですね。」との返事。さすがにNさんも「やっぱりないのかもしれませんね・・・」と苦笑いする。彼は温泉施設に行くことをかなり楽しみにしていたようで、かなり落胆しているようだった。とにかく僕の泊まる宿に行きませんかということで話をまとめながら歩いていると、また二人連れの熟年お遍路さんとすれ違った。多分ダメだろうと思いながらお二人にNさんが温泉施設の話を振ると、
「あー、なんかありましたね!この先のマンションのような大きな建物の近くに。」
と予期せぬ返事がかえってきた。Nさんの気力がみるみるうちに復活してゆく・・・。本当に楽しみにしていたのだなとなんだか自分までうれしくなってしまっていた。

 しばらく歩いていくと、確かに白いマンション(というかホテルのような)大きな建物が見えてきた。その傍にそれとおぼしき小さな施設も見える。「ありましたね!」と二人で喜びながら施設の傍まで歩き荷物をおろして小休止。Nさんとはここでお別れとなる。僕の泊まる宿はここから更に1km程歩かなければならない。
 最後に納め札を交換することにした。僕もNさんも翌日は打戻りのコースを歩くことにしていたので再び会う確立はかなり高いわけだが、仮に会えない場合も考えてそうしたのだ。
「遍路で出会った人の納め札は御守になってくれるんです。苦しいときなんかに励まされてそれが助けになってくれるんですよね・・・。」
彼がいったその言葉が今でも忘れられない。


 Nさんと別れて、更に国道を進む。すでに日はとっぷり暮れて道はまっくらだ。宿まではそう距離はない(とはいえ1kmだが)はずなのだが、とても長い道程に思えた。急に一人で歩くことになったからだろうか。これまで二人で歩いてきたわけだが、歩く苦労というものも実は二人で分かち合っていたのだ・・・。仲間の存在は有難いものなのだと改めて感じさせられた。

 予約を入れていた民宿に着いたのが午後6時半ぐらいだっただろう。玄関に入り声をかけると宿のおかみさんが笑顔で迎えてくれた。見たところ、かなりの御高齢のようだ。やさしいおばあちゃんである。
「いやー、心配しとったんですよ。ウチの人が『今日は大岐までたどりつけんのとちがうか?』なんていってたけど・・・。無事に着いてよかったね。」
 ・・・心配かけて申し訳ありません。もっとマメに連絡すればよかったですね。


 入浴を済ましおいしい夕食をいただいた後で、ようやく部屋で落ち着きながら翌日歩くコースを地図で確認する。明日はどんな旅になるのだろう・・・。どんな人達と出会うのだろう・・・。

 ふとNさんのことが気になった。彼は今頃海岸のどこかで一日の疲れを癒しているはずだ。どうしているのだろう。彼と再び会うことはあるんだろうか。
 あれこれ考えても仕方のないことかもしれない。遍路で出会う人との御縁はお大師様の導きによるものだ。御縁があるのならば、彼は再び僕の前に姿を現わすだろう。

 御縁については、すべてお大師様にお任せすればいい。それよりも一日の疲れをとって明日の遍路に備えることが大事だ。

 この日は泥のように眠った。 

冬遍路 〜足摺岬・宿毛へ〜  (2)

2008年12月29日 四万十川〜新伊豆田トンネル

 四万十大橋を渡る。正確な長さはちょっとわからないが、実際に渡ってみるとかなり長い橋なのだということがわかる。時折、脚を止めては四万十川の雄大な景色を眺めてみる。吉野川もそうだったが、なんで四国の川はこんなにもきれいなんだろうか・・・。

 向こう岸にたどり着くあたりで、橋の下を一本の車道が通っているのが見える。国道321号線だ。この日は大岐に着くまでひたすらこの国道を進んでいくこととなる。橋を渡りきり、階段を下りる。そこからしばらくの間、国道を川に沿って南へ進んでいく。歩くこと30分弱、間崎という地区にさしかかるあたりから国道の進路が大きく南西へと変わる。内陸方面へ向かうといったかんじになるのだろうか。


四万十大橋から川を眺めて四万十川に沿って国道321号線を南下







 【 四万十大橋から川の景色を眺めて 】     【 川に沿って国道321号線を南へ 】


 間崎を歩いていた時間帯が午後12時半くらいだった。お昼どきである。格別お腹が空いていたわけではないが、そろそろなにか食べておかないと先がもたない。地図を見ると3軒ほど食事がとれる場所があるようなので、それらを目当てにぼちぼちと進んでいくと、やがて見えてきたのが「うどん屋田子作」だった。この店は某テレビ番組で某卓球選手が立ち寄ったことのある、とても有名な(多分有名になったんじゃないかと思う)店だ。自分も是非この店には立ち寄ってみたいと思っていたので、早速道路を渡って店の入口に向かおうとしたのだが・・・。あいにく店の前には車が数台ずらりと駐車していた。やはりお昼時ということもあって、お客さんが多いみたいだ。
 (うーん・・・。こりゃ結構待たされるかもしれんなあ・・・。あんまりゆっくり待ってる時間もないやろうしなあ・・・。)
 結局、断念した。歩くペースも徐々にいい感じで仕上がってきているようだったので、このまま先を急ぐことに。残念ではあったが、日没時間を考えると時には非情な決断(大袈裟だが)もしなければならないのが冬遍路である・・・。
 間崎には大文字山がある。最初に見かけたときには「なんで高知にあるねんっ!!」と度肝を抜かれたが、我が地元に負けないくらいの歴史をもった非常に由緒ある大文字山だということが説明書きを読んでわかった。今から500有余年前、京都の戦乱を避け自領である土佐中村に下向した一条教房公(関白職も務めた高官)が、京の都になぞらえて積極的な街の整備を自領・中村で行ったということで、この間崎の大文字山もそのプロジェクトの一環であったという。当時、教房公はどのような気持ちでこの大文字の送り火を眺めていたのだろうか・・・。いやはや、勉強不足とはいえ、度肝を抜かれた上にツッコミまで入れてしまった未熟な自分を恥じるばかりである。500年もの間、その伝統を守ってこられた間崎の皆さん、すいませんでした。


間崎の大文字山





【 間崎の大文字山 】


 間崎から進み、しばらくの間国道を離れて静かな村落の中を通る遍路道を歩く。そして再び国道へ。そこから新伊豆田トンネルまで、緩やかではあるが登り坂がつづく。周囲は山また山の景色ばかりとなるが、今の時代でこそ国道が通り通行には不便さはないものの、昔はどうであっただろうか・・・。このあたりから真念庵のある市野瀬のあたりまでは相当な難所ではなかったか。新伊豆田トンネルは全長1620mあるという。かなり長いトンネルだが、昔はそんなトンネルはもちろんなかったわけだから、険しい峠道を通るしかなかっただろう。難所であるがゆえに真念庵の存在意義も大きかったのではないだろうか。その真念庵には翌々日に訪れることになるのだが、この伊豆田トンネル界隈の歴史については現在は勉強不足なので少しづつでも調べていきたいと思っている。

 登り坂を進むこと約20分、ようやく新伊豆田トンネルの入口が見えてきた。このトンネルを抜ければ、土佐清水市へ入ってゆくこととなる。高知県でもっとも西に位置する市である。
 そのトンネルの入口の手前に大師堂がある。「今大師」と呼ばれるその御堂の起源は明治5年ということで100年以上の歴史がある。弘法大師・不動明王・玉還喜伝坊の三体がお祀りされているということだが、創建された当時は玉還喜伝坊の一体のみが祀られていたらしく、三体が祀られることになったのは昭和28年からのことだそうだ(御堂の入口にあった説明書きより)。


津蔵渕の山道を行く今大師







 【 津蔵渕にて緩やかな坂道を進む 】       【 国道脇に建つ今大師 】


 そんな知識はもちろん僕にはなかったが、やはり大師堂はちゃんと参拝しなければいけないと思い入口をくぐる。手水場の水は枯れ果てていて手や口を清めることはできなかったが御堂に向かい般若心経だけは唱えさせていただいた。
 せっかくなので少し大師堂で休憩した後で荷物を背負い直して国道へと降りてゆく。そして伊豆田トンネルの入口へ・・・。「この長いトンネルの向こうは土佐清水市になるんやな」と感慨にふけりながら入口の前で写真を撮ったりしていると、後ろから杖を突く音が聞こえてきた。振り返ると片手に金剛杖・片手に登山用のストックを持った若いお遍路さんが歩いてくるのが見えた。ノルディック・ウォーキングの要領で交互に二本の杖を前に出してゆっくり歩いてくる。荷物が若干大きいところを見ると野宿遍路のようだ。顔はサングラスをしていてこの時はわからなかったのだが、どうやら四万十大橋の手前の休憩所で声をかけてくれたあのお遍路さんだったとしばらくたってからわかることとなる。

 「こんにちは!!」と声をかけると、

 「こんにちは。大師堂もお参りされてるんですね・・・。」と笑顔を返してくれた。


 これがきっかけだった。ここから彼との御縁が始まる。その御縁が旅の最終日までつづき今回の遍路を良い方向に導いてくれることになってゆく。
 

冬遍路 〜足摺岬・宿毛へ〜  (1)

38番札所金剛福寺 境内














【 補陀洛渡海の地・足摺岬の先端に建つ38番札所金剛福寺 】



 新年あけましておめでとうございます。本年が皆様にとってより良き年になるようお祈り申し上げます。


 去る2008年12月29日から今月の元旦にかけて、また四国を歩いてきました。僕にとっては初めての「年越し遍路」となったわけですが、とてもよい体験をさせていただいたと思っています。例年にはない新鮮な気持ちで一年の終わりを締めくくることができ、そして新しい年を迎えることができたような気がします。
 
 今回で10回目となる区切り打ち遍路の旅。前回の打ち止め地点である四万十大橋から足摺岬を経て、土佐の国では最後の札所となる39番延光寺のある宿毛を目指す旅となりました。修行の道場といわれる高知県の遍路も今回が最後となります。そして、これでようやく四国遍路の約半分の行程を終えることができたということで、なにかと自分にとっては意味深い「年越し遍路」となりました。さらには多くの人との出会いもありましたし、沢山の素晴らしい景色にも出会うことができたという・・・、ちょっと忘れられない思い出の詰まった旅となったのでした。

 どういう旅であったのかを前回の遍路の記事(2008年11月23・24日 窪川〜四万十川)のように簡単にダイジェストで(?)振り返ってみたいと思います。



2008年12月29日 中村〜四万十大橋

 前日の28日に高知入りした。夕方の6時12分発の新幹線で京都を出発、岡山から午後8時5分発の高知行き特急南風に乗り四国へと渡る。高知駅に到着したのが午後10時47分。のんびりしている時間もなく、足早に高知駅を後にし南へ向かって歩く。高知橋を渡り城の方角へ向かってフラフラと歩いていく。お目当てはカプセルホテルだ。下調べでは城に近いところに確かあったはず・・・、と思いながら、夜の歓楽街の中を歩く。しかし、結局カプセルホテルは見つからず、適当にビジネスホテルを見つけてチェックイン。既に時間は夜の11時を回っていたが、小腹が空いたので部屋に荷物を置くと、また夜の街へと繰り出す。コンビニでカップ麺と朝食用の菓子パンを買ってホテルへと帰る道中、ふと高知城でも見て行こうかとも思うが、明日の為に自重した。まだ学生だった頃、一人で高知旅行をしたことがあったが、最後の訪問地となったのが高知城だった。思い出に浸りたいという気持ちもあったが、夜でもあったし、一刻も早く寝て日頃の疲れをとっておかないと明日はつらいぞという気持ちのほうが勝った。「なあに、また来ることも必ずあるさ・・・」と高知城との御縁を信じながら、そのままホテルに帰って簡単に食事と入浴を済まし就寝。

 翌朝、ホテルを出発したのは午前8時。あまりにものんびりした旅立ちだが、中村(前回の打ち止め地点の四万十大橋に最も近いJRの駅)行きの特急列車の一番早い発車時間が8時19分だったのだ。仕方がないといえば仕方がない。まあ、お陰でゆっくり睡眠もとれたことだし・・・。何気に体の調子もすこぶる良さそうだ。張り切って人気のない朝の歓楽街の中を勇み足で高知駅に向かう。
 特急「しまんと1号」に乗り中村へ。およそ2時間近い列車の旅となる。須崎駅を過ぎたあたりから土佐久礼の駅まで土讃線は国道56号線に寄り添う形で進むのだが、車窓からは8月に歩いた遍路道の景色を眺めることができた。「あの時は本当に暑かったししんどかったなあ・・・」などとノスタルジックな気分に浸りながら窓辺にへばりついていた。土佐久礼駅の手前辺りで一人の歩き遍路の姿を発見。「同胞」の姿を初めて見つけたことで、嬉しさを感じると同時にモチベーションも上がってっくる。「頑張ってくださいよ。僕も頑張りますから・・・。」そんなことを考えているうちに車窓から遍路道の景色が消えてしまった・・・。影野駅あたりから37番札所岩本寺のある窪川駅まで再び車窓に遍路道の景色が映し出される。仁井田の田園景色など懐かしい風景にまた夏の思い出が蘇る。伊与喜駅から中村までは前回歩いた遍路道に沿って列車は進む。この辺りの景色は記憶に新しく鮮明に思い出が蘇ってくる。中村まではあと僅か・・・。



高知県四万十市 JR中村駅県道20号線を南下






          【 JR中村駅 】                                   

    

          
                              【 県道20号線を南へ進む 】

 中村駅に到着したのは午前10時。また遍路の世界に還ってこれたなという思いと、念願の足摺岬を目指す旅を始められるのだという感動に浸りながら駅の待合室で身支度を整える。白衣を着て金剛杖を袋から取り出すと、いよいよ歩きはじめる・・・・、今回の遍路の旅のはじまりだ。
 国道56号線を進み後川の橋を渡り、その先の交差点から県道20号線に入っていく。ここからひたすら南へ(だいたい南だと思います)約1時間、四万十大橋まで歩いてゆく。
 井沢の集落を過ぎたあたりから右手に四万十川の景色が見え始める。「また出会えたな」と川との再会を喜びながら更に進むと1軒の見覚えのあるコンビニが・・・。スリーエフ(お遍路さんに優しく四国全土を席捲するコンビニである)だ。このスリーエフには前回の遍路で四万十大橋に辿り着く直前に立ち寄った記憶がある。四万十大橋ももうすぐというわけだ・・・。

 午前11時30分頃に四万十大橋の始点に到着。先月から楽しみにしていたが、いよいよ橋を渡ることとなる。そして、川の向こうの未知の世界へ・・・。ここからが今回の遍路の本当のはじまりとなる。この日の目的地は土佐清水市大岐。橋を渡り、そこからおよそ20km歩かなければならない。時間にして6時間くらいになるだろうか。予約を入れた宿に到着するころには、どっぷり日も暮れているだろうが、それも仕方がない。暗い道を歩くのも冬の遍路の醍醐味よと割り切って、むしろ焦らずペースを維持しながら歩いていくことにする。まだ初日、次の日も遍路はつづくのだから、筋肉痛を引き起こすような無理は避けるのがいいだろう。


四万十大橋と再会する四万十大橋を渡る







 【 懐かしい四万十大橋が見えてくる 】      【 いよいよ橋を渡り未知の領域へ 】



 ところで橋の始点に辿り着く直前、休憩所でぐったりとベンチに腰をおろして休んでいた一人の若い歩き遍路に声をかけられた。

 『こんにちは、お気をつけて・・・。』

 精悍な面構えというか、なにか独特の空気をもったその男性。そのときは何気なく挨拶を返して先を急いだのだが、その彼が実は今回の遍路の旅の中でとても重要な役を担ってくれることとなる・・・。




六根清浄

1969年4月20日生まれ

京都市在住
2007年5月から始めた区切り打ち四国歩き遍路も4年目をもちましてようやく結願いたしました。支えてくださった皆様に感謝です。2巡目の構想も視野に入れながら、さらに日本の各地を「歩き旅」で訪れてみたいと考えています。自称『歩き中毒患者』(笑)


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