11月24日 井の岬〜四万十大橋・中村
24日の起床は午前7時半。遅くても午前6時半にはホテルを出発しようと予定していたのだが、思いっきり寝過ごしてしまった。なんというのか、こういった朝寝坊は最近の巡礼の旅ではパターン化してしまっている・・・。
外を見れば雨が降っている。この日の高知県の天気が雨模様だということは既に天気予報で数日前に確認していたので、雨具も一通りは揃えてはいた。装備を整えてホテルを出発したのが午前8時過ぎだった。
国道との合流点をめざして昨日歩いた道を進む。右手には木が生い茂り左手には海が見える簡素な田舎道だ。右手に小さな石標を発見、近づいて見てみると古い遍路道の道標だった。昔のお遍路さんはこの道を通っていたようだ。トンネルも無く国道も存在しなかった頃、この地域の通行路はこの道しかなかっただろうから、お遍路さんをはじめ多くの人が通行していたにちがいない。ちなみに井ノ岬温泉の近辺には明治時代初めの頃まで松山寺という真言宗の寺院があったらしい。御本尊が薬師如来・地蔵菩薩、寺の開基が弘法大師という由緒ある寺院であったが廃仏毀釈政策によって廃寺。現在は寺跡のみが残っているという。明治以前の時代にはお遍路さんが必ず立ち寄る場所だったのではないだろうか。
【ホテル付近の海沿いの道の様子】 【松山寺跡への道標と立て札】
国道を西へ。雨はそれほど激しくもない。歩き旅にはなんの支障もないが、空を見上げれば厚い雨雲が立ち込めていて気分的には少し重たいというのか憂鬱といった感じだ。そんな気持ちで歩いていてもつまらないので、雨の景色をポジティブに捉えながら辺りを眺めてみる。・・・遠くに見える海の水平線や遥か彼方の山々の姿がうっすらとしたグレー色で輪郭がぼんやりしている。その様がまるで水墨画のようでいいかんじだ。心に余裕を持てば、いろいろなものが見えてくる。一見、ブルーな雨の景色の中にもきれいなもの・心安らぐものは沢山ある。「雨のお遍路もエエもんやな」と思いながらのんびりと歩いていく。
ホテルを出発してから一時間後、黒潮町上川口で休憩をとる。屋根つきのバス停で地図を見て道順を確認したりしながらしばらく脚を休めた後、再び出発。歩き始めてほどなく進んだところで左手に石碑が見えてきた。「尊良親王御上陸地」とある。石碑の隣の立て札の文面によれば、この辺りの浜の名称を「王無浜」といい、鎌倉時代末期に後醍醐天皇の皇子であった尊良親王が鎌倉幕府によってこの地に流罪となったが、親王が初めて上陸したのがこの場所ということだ。近くに土佐くろしお鉄道の駅があるが駅名が「うみのおおむかえ」となっている。『海で王を迎えた』という意味らしいが、この地の由来を理解していないと「なんのこっちゃ意味がわからん」と思ってしまうことだろう。太平記好きの僕にとってはこの場所と出会えたことはちょっと嬉しい収穫だった・・・。
【王無浜・尊良親王が上陸した場所だと今に伝える石碑と立て札】
海沿いの景色を眺めながら国道を進むときれいな砂浜が見えてきた。浮鞭海岸といい、海亀の産卵場所として有名らしい。海亀といえば徳島県日和佐海岸を思い出す。あの海岸を訪れたときは天気は快晴で、本当にきれいな砂浜だったなという印象が強い。「今日ももし天気が良かったならこの海岸も素晴らしい景色だったんだろうな」と少々残念な気もしたが・・・。道路を挟んで海岸の向かい側には大師堂があったので参拝させていただいた。遍路道にひっそりと建っている小さな大師堂というのは味わい深いというかとても魅力を感じてしまう。『地元密着型お大師さん』とでもいうのだろうか。近在の人々の心の拠り所として昔から大切にされている小さな御堂。お寺の御堂よりも温かみを感じるのだ。
【浮鞭海岸】 【海岸付近の大師堂】
午前10時20分、道の駅ビオスおおがたに到着。ここで2度目の休憩をとる。缶コーヒーを飲みながらまた地図を開いて進路を確認する。ここから遍路道のコースは国道を離れて土佐西南大規模公園大方地区の中に入っていく。
荷物を背負って出発。道の駅の駐車場をぬけて都市公園の区域内に入り、加持川という川にかかる橋を渡ると松林の中を進んでゆくことになるのだが、この松林が名勝・入野松原だ。史跡天然記念物に指定されており、植樹は江戸時代という数百年の歴史をもつ松林である。海に面しているため、防風林の役目も果たしているが、そんじょそこらの防風林とは歴史がちがうようだ。その松林の中に真っ直ぐ通る道を歩いていく。途中、マラソンをしていたおじさんとすれ違い挨拶を交わしたが、それからは誰一人姿を見かけることもなかった。人の気配すらしない・・・。時期的に人の少ない時に来てしまったのだろうか。ちょっと寂しい名勝巡りになってしまったが、良く捉えれば名勝の景色を独り占めできたということかもしれない・・・。
【都市公園内、加持川に架かる橋を目指す ・入野松原の松林の中を進む】
都市公園区域を出て、県道42号線を南へ。この道を田野浦まで進み、そこから竹島方面に伸びる道をひたすら歩いていけば、今回の旅のゴール・四万十大橋へたどり着ける。あと7kmほどだ。蛎瀬川を渡り少し歩いたところに休憩所があったので、そこで昼食がてら休憩をとったあとで勇んで出発。旅も終わりに近づいている。
飯積山の麓を通るため、道はゆるやかな登り坂となる。雨の勢いが強くなってきたが、山の緑の綺麗さに心を奪われていたせいか左程気にはならない。この山には弘法大師開基とされる飯積寺という由緒ある御寺があるらしいが、遍路道からはかなり離れた場所にあるようだったので興味はあったのだが今回は時間の関係上見送らせていただいた。
【飯積山の麓を通る車道を進む】 【飯積寺の立て札】
登り坂はやがて下り坂へと変わる。県道339号線の交差点にさしかかったのが午後12時50分頃。四万十大橋まではあと3kmほどの距離がある。そろそろ帰りの電車の時間のことも考えなければならないが、遍路道を歩ける時間はあと1時間くらいしかないことを思えば先のことは意識せずむしろゆっくり歩いていきたいという気持ちになる・・・。雨はますます強くなり靴の中まで水が入ってきて歩きづらい。それでも「ああ、今日も日暮れまで歩きてェな・・・」という気分になる。
左右に広がる山の深緑。山間の田園の景色。水鳥の群れが漂う大きな沼。遠くに見える山並みには幻想的な綿雲が低く垂れ込み見事な眺めを見せている・・・。様々な自然の風景に魅了されながら進むうちにやがて雨の勢いが徐々に弱くなってきた。幡多環境美化センターの煙突が見える交差点を曲がり進むと遠くに民家の立ち並ぶ一帯が見えてきた。竹島の地区に入ったのか・・・。四万十川も近い。
気がつけば雨も小降りになっていた。前方に交差点が見えてきたが地図で判断するならば左右に流れる道はおそらく県道20号線か・・・。だとすればもう四万十川のすぐそばまで来たことになる。交差点の向こうに土手が見えるが、あの土手を登ればもう旅のゴールは近い。四万十川との対面はもうすぐだ。歩く脚に最後の力を込める・・・。
【車道の傍に立つ観音像】 【県道20号線との交差点】
午後2時10分、四万十川を見下ろす河岸にようやく到着した。左手に四万十大橋が見える。話には聞いていたが、本当に長い橋だ。旅のゴールはこの橋と決めていたので、そちらに向かって歩いていく。雨は気がつけば完全にあがっていた。
橋の始点に立つ。今回の旅はひとまずこの地点で終わりだ。ここから先を歩くのは一月後の次回の旅となる。正直、このまま橋を渡ってしまいたい!!と思ったが、それは次回の楽しみにとっておこう。とにかく足摺岬に向けての前哨戦の旅はこれにて無事終了である。
【四万十大橋
・旅のゴールである橋の始点に立つ】
橋の傍の休憩所で雨具をしまいながら、改めて河の景色を眺めていた。中州があるため、そんなに広い河とは思えかったのが正直な印象だ。本当の広さを思い知るのは四万十大橋を渡った時となるのだろう。それも次回の楽しみだ。一月後の再会を誓いながら河の景色と別れを告げた。帰りの電車の時間も考えれば、あまりゆっくりはしてられない。足早に県道20号線を中村へ向かって歩く。
午後3時30分、中村駅に到着。次の岡山行きの特急列車は一時間後しかないため、近くのコンビニで弁当を買って腹ごしらえをする。まともな食事を摂っていなかったからだ。外のベンチで弁当を食べている間に地元の方々に温かい声をかけていただいた。タクシーの運転手のおじさんからはお茶のお接待を受けた。今回の旅は本当に人との出会いが少なかったのだが、最後の最後で雨はあがるわ、何人もの人に励ましの声をいただくわで、なんとも幸せな締めくくりとなった。これもひょっとするとお大師様が旅の終わりに粋な計らいをしてくださったのかもしれない・・・。いつもいつも遠くから見守っていてくださるお大師様。本当に感謝である。
午後4時46分発の特急南風に乗って中村を後にし帰途についた。今回の四国遍路はこれでおしまい。次の年末まで四国とは暫しのお別れだ。年末は足摺岬を経て宿毛まで歩ききる予定である。無事歩ききれれば、来年からはいよいよ県境をこえて伊予の国に入っていく。僕とお大師様との同行二人の旅もようやく折り返し地点まで来たというところだが、まだまだ先はながい。しかし、先がながいということはまだまだ旅の時間はたっぷり残っているということで、なんとも幸せにも思えるのである・・・。
『この景色と再会できる日もうまくいけば一月後・・・。というか、この記事をかいている今日の時点であと10日ほどに迫っている・・・!待ち遠しくて仕方ないです。』
24日の起床は午前7時半。遅くても午前6時半にはホテルを出発しようと予定していたのだが、思いっきり寝過ごしてしまった。なんというのか、こういった朝寝坊は最近の巡礼の旅ではパターン化してしまっている・・・。
外を見れば雨が降っている。この日の高知県の天気が雨模様だということは既に天気予報で数日前に確認していたので、雨具も一通りは揃えてはいた。装備を整えてホテルを出発したのが午前8時過ぎだった。
国道との合流点をめざして昨日歩いた道を進む。右手には木が生い茂り左手には海が見える簡素な田舎道だ。右手に小さな石標を発見、近づいて見てみると古い遍路道の道標だった。昔のお遍路さんはこの道を通っていたようだ。トンネルも無く国道も存在しなかった頃、この地域の通行路はこの道しかなかっただろうから、お遍路さんをはじめ多くの人が通行していたにちがいない。ちなみに井ノ岬温泉の近辺には明治時代初めの頃まで松山寺という真言宗の寺院があったらしい。御本尊が薬師如来・地蔵菩薩、寺の開基が弘法大師という由緒ある寺院であったが廃仏毀釈政策によって廃寺。現在は寺跡のみが残っているという。明治以前の時代にはお遍路さんが必ず立ち寄る場所だったのではないだろうか。
【ホテル付近の海沿いの道の様子】 【松山寺跡への道標と立て札】
国道を西へ。雨はそれほど激しくもない。歩き旅にはなんの支障もないが、空を見上げれば厚い雨雲が立ち込めていて気分的には少し重たいというのか憂鬱といった感じだ。そんな気持ちで歩いていてもつまらないので、雨の景色をポジティブに捉えながら辺りを眺めてみる。・・・遠くに見える海の水平線や遥か彼方の山々の姿がうっすらとしたグレー色で輪郭がぼんやりしている。その様がまるで水墨画のようでいいかんじだ。心に余裕を持てば、いろいろなものが見えてくる。一見、ブルーな雨の景色の中にもきれいなもの・心安らぐものは沢山ある。「雨のお遍路もエエもんやな」と思いながらのんびりと歩いていく。
ホテルを出発してから一時間後、黒潮町上川口で休憩をとる。屋根つきのバス停で地図を見て道順を確認したりしながらしばらく脚を休めた後、再び出発。歩き始めてほどなく進んだところで左手に石碑が見えてきた。「尊良親王御上陸地」とある。石碑の隣の立て札の文面によれば、この辺りの浜の名称を「王無浜」といい、鎌倉時代末期に後醍醐天皇の皇子であった尊良親王が鎌倉幕府によってこの地に流罪となったが、親王が初めて上陸したのがこの場所ということだ。近くに土佐くろしお鉄道の駅があるが駅名が「うみのおおむかえ」となっている。『海で王を迎えた』という意味らしいが、この地の由来を理解していないと「なんのこっちゃ意味がわからん」と思ってしまうことだろう。太平記好きの僕にとってはこの場所と出会えたことはちょっと嬉しい収穫だった・・・。
【王無浜・尊良親王が上陸した場所だと今に伝える石碑と立て札】
海沿いの景色を眺めながら国道を進むときれいな砂浜が見えてきた。浮鞭海岸といい、海亀の産卵場所として有名らしい。海亀といえば徳島県日和佐海岸を思い出す。あの海岸を訪れたときは天気は快晴で、本当にきれいな砂浜だったなという印象が強い。「今日ももし天気が良かったならこの海岸も素晴らしい景色だったんだろうな」と少々残念な気もしたが・・・。道路を挟んで海岸の向かい側には大師堂があったので参拝させていただいた。遍路道にひっそりと建っている小さな大師堂というのは味わい深いというかとても魅力を感じてしまう。『地元密着型お大師さん』とでもいうのだろうか。近在の人々の心の拠り所として昔から大切にされている小さな御堂。お寺の御堂よりも温かみを感じるのだ。
【浮鞭海岸】 【海岸付近の大師堂】
午前10時20分、道の駅ビオスおおがたに到着。ここで2度目の休憩をとる。缶コーヒーを飲みながらまた地図を開いて進路を確認する。ここから遍路道のコースは国道を離れて土佐西南大規模公園大方地区の中に入っていく。
荷物を背負って出発。道の駅の駐車場をぬけて都市公園の区域内に入り、加持川という川にかかる橋を渡ると松林の中を進んでゆくことになるのだが、この松林が名勝・入野松原だ。史跡天然記念物に指定されており、植樹は江戸時代という数百年の歴史をもつ松林である。海に面しているため、防風林の役目も果たしているが、そんじょそこらの防風林とは歴史がちがうようだ。その松林の中に真っ直ぐ通る道を歩いていく。途中、マラソンをしていたおじさんとすれ違い挨拶を交わしたが、それからは誰一人姿を見かけることもなかった。人の気配すらしない・・・。時期的に人の少ない時に来てしまったのだろうか。ちょっと寂しい名勝巡りになってしまったが、良く捉えれば名勝の景色を独り占めできたということかもしれない・・・。
【都市公園内、加持川に架かる橋を目指す ・入野松原の松林の中を進む】
都市公園区域を出て、県道42号線を南へ。この道を田野浦まで進み、そこから竹島方面に伸びる道をひたすら歩いていけば、今回の旅のゴール・四万十大橋へたどり着ける。あと7kmほどだ。蛎瀬川を渡り少し歩いたところに休憩所があったので、そこで昼食がてら休憩をとったあとで勇んで出発。旅も終わりに近づいている。
飯積山の麓を通るため、道はゆるやかな登り坂となる。雨の勢いが強くなってきたが、山の緑の綺麗さに心を奪われていたせいか左程気にはならない。この山には弘法大師開基とされる飯積寺という由緒ある御寺があるらしいが、遍路道からはかなり離れた場所にあるようだったので興味はあったのだが今回は時間の関係上見送らせていただいた。
【飯積山の麓を通る車道を進む】 【飯積寺の立て札】
登り坂はやがて下り坂へと変わる。県道339号線の交差点にさしかかったのが午後12時50分頃。四万十大橋まではあと3kmほどの距離がある。そろそろ帰りの電車の時間のことも考えなければならないが、遍路道を歩ける時間はあと1時間くらいしかないことを思えば先のことは意識せずむしろゆっくり歩いていきたいという気持ちになる・・・。雨はますます強くなり靴の中まで水が入ってきて歩きづらい。それでも「ああ、今日も日暮れまで歩きてェな・・・」という気分になる。
左右に広がる山の深緑。山間の田園の景色。水鳥の群れが漂う大きな沼。遠くに見える山並みには幻想的な綿雲が低く垂れ込み見事な眺めを見せている・・・。様々な自然の風景に魅了されながら進むうちにやがて雨の勢いが徐々に弱くなってきた。幡多環境美化センターの煙突が見える交差点を曲がり進むと遠くに民家の立ち並ぶ一帯が見えてきた。竹島の地区に入ったのか・・・。四万十川も近い。
気がつけば雨も小降りになっていた。前方に交差点が見えてきたが地図で判断するならば左右に流れる道はおそらく県道20号線か・・・。だとすればもう四万十川のすぐそばまで来たことになる。交差点の向こうに土手が見えるが、あの土手を登ればもう旅のゴールは近い。四万十川との対面はもうすぐだ。歩く脚に最後の力を込める・・・。
【車道の傍に立つ観音像】 【県道20号線との交差点】
午後2時10分、四万十川を見下ろす河岸にようやく到着した。左手に四万十大橋が見える。話には聞いていたが、本当に長い橋だ。旅のゴールはこの橋と決めていたので、そちらに向かって歩いていく。雨は気がつけば完全にあがっていた。
橋の始点に立つ。今回の旅はひとまずこの地点で終わりだ。ここから先を歩くのは一月後の次回の旅となる。正直、このまま橋を渡ってしまいたい!!と思ったが、それは次回の楽しみにとっておこう。とにかく足摺岬に向けての前哨戦の旅はこれにて無事終了である。
【四万十大橋
・旅のゴールである橋の始点に立つ】
橋の傍の休憩所で雨具をしまいながら、改めて河の景色を眺めていた。中州があるため、そんなに広い河とは思えかったのが正直な印象だ。本当の広さを思い知るのは四万十大橋を渡った時となるのだろう。それも次回の楽しみだ。一月後の再会を誓いながら河の景色と別れを告げた。帰りの電車の時間も考えれば、あまりゆっくりはしてられない。足早に県道20号線を中村へ向かって歩く。
午後3時30分、中村駅に到着。次の岡山行きの特急列車は一時間後しかないため、近くのコンビニで弁当を買って腹ごしらえをする。まともな食事を摂っていなかったからだ。外のベンチで弁当を食べている間に地元の方々に温かい声をかけていただいた。タクシーの運転手のおじさんからはお茶のお接待を受けた。今回の旅は本当に人との出会いが少なかったのだが、最後の最後で雨はあがるわ、何人もの人に励ましの声をいただくわで、なんとも幸せな締めくくりとなった。これもひょっとするとお大師様が旅の終わりに粋な計らいをしてくださったのかもしれない・・・。いつもいつも遠くから見守っていてくださるお大師様。本当に感謝である。
午後4時46分発の特急南風に乗って中村を後にし帰途についた。今回の四国遍路はこれでおしまい。次の年末まで四国とは暫しのお別れだ。年末は足摺岬を経て宿毛まで歩ききる予定である。無事歩ききれれば、来年からはいよいよ県境をこえて伊予の国に入っていく。僕とお大師様との同行二人の旅もようやく折り返し地点まで来たというところだが、まだまだ先はながい。しかし、先がながいということはまだまだ旅の時間はたっぷり残っているということで、なんとも幸せにも思えるのである・・・。
『この景色と再会できる日もうまくいけば一月後・・・。というか、この記事をかいている今日の時点であと10日ほどに迫っている・・・!待ち遠しくて仕方ないです。』
簡単に旅のあらましをお伝えするつもりが、かなり濃い内容の記事になってしまいました。なかなかシンプルにまとめ上げるのが苦手なのでダラダラとしたものになってしまいましたことをお詫びいたします・・・。
師走ということもあって最近は仕事のほうも忙しく更新が遅れてしまいましたこともお詫びします。次回からは中断しておりました秩父霊場巡礼記をまたつづけていきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。(と言いながら、年末の遍路に向けての準備などで更新が滞ると思いますが・・・。)