気ままに歩いて候。

あせらず、くさらず、歩いていきましょう。 2007年5月の連休から始めた区切り打ちの四国歩き遍路の思い出を綴った記事を中心に掲載しています。

2008年12月

晩秋の土佐遍路                       〜その2・四万十川をめざして〜          (2008年11月23・24日)

11月24日 井の岬〜四万十大橋・中村

 24日の起床は午前7時半。遅くても午前6時半にはホテルを出発しようと予定していたのだが、思いっきり寝過ごしてしまった。なんというのか、こういった朝寝坊は最近の巡礼の旅ではパターン化してしまっている・・・。
 外を見れば雨が降っている。この日の高知県の天気が雨模様だということは既に天気予報で数日前に確認していたので、雨具も一通りは揃えてはいた。装備を整えてホテルを出発したのが午前8時過ぎだった。
 国道との合流点をめざして昨日歩いた道を進む。右手には木が生い茂り左手には海が見える簡素な田舎道だ。右手に小さな石標を発見、近づいて見てみると古い遍路道の道標だった。昔のお遍路さんはこの道を通っていたようだ。トンネルも無く国道も存在しなかった頃、この地域の通行路はこの道しかなかっただろうから、お遍路さんをはじめ多くの人が通行していたにちがいない。ちなみに井ノ岬温泉の近辺には明治時代初めの頃まで松山寺という真言宗の寺院があったらしい。御本尊が薬師如来・地蔵菩薩、寺の開基が弘法大師という由緒ある寺院であったが廃仏毀釈政策によって廃寺。現在は寺跡のみが残っているという。明治以前の時代にはお遍路さんが必ず立ち寄る場所だったのではないだろうか。


井ノ岬の街道松山寺説明書き







 【ホテル付近の海沿いの道の様子】       【松山寺跡への道標と立て札】


 国道を西へ。雨はそれほど激しくもない。歩き旅にはなんの支障もないが、空を見上げれば厚い雨雲が立ち込めていて気分的には少し重たいというのか憂鬱といった感じだ。そんな気持ちで歩いていてもつまらないので、雨の景色をポジティブに捉えながら辺りを眺めてみる。・・・遠くに見える海の水平線や遥か彼方の山々の姿がうっすらとしたグレー色で輪郭がぼんやりしている。その様がまるで水墨画のようでいいかんじだ。心に余裕を持てば、いろいろなものが見えてくる。一見、ブルーな雨の景色の中にもきれいなもの・心安らぐものは沢山ある。「雨のお遍路もエエもんやな」と思いながらのんびりと歩いていく。

 ホテルを出発してから一時間後、黒潮町上川口で休憩をとる。屋根つきのバス停で地図を見て道順を確認したりしながらしばらく脚を休めた後、再び出発。歩き始めてほどなく進んだところで左手に石碑が見えてきた。「尊良親王御上陸地」とある。石碑の隣の立て札の文面によれば、この辺りの浜の名称を「王無浜」といい、鎌倉時代末期に後醍醐天皇の皇子であった尊良親王が鎌倉幕府によってこの地に流罪となったが、親王が初めて上陸したのがこの場所ということだ。近くに土佐くろしお鉄道の駅があるが駅名が「うみのおおむかえ」となっている。『海で王を迎えた』という意味らしいが、この地の由来を理解していないと「なんのこっちゃ意味がわからん」と思ってしまうことだろう。太平記好きの僕にとってはこの場所と出会えたことはちょっと嬉しい収穫だった・・・。


王無浜の石碑と説明書き王無浜









【王無浜・尊良親王が上陸した場所だと今に伝える石碑と立て札】



 海沿いの景色を眺めながら国道を進むときれいな砂浜が見えてきた。浮鞭海岸といい、海亀の産卵場所として有名らしい。海亀といえば徳島県日和佐海岸を思い出す。あの海岸を訪れたときは天気は快晴で、本当にきれいな砂浜だったなという印象が強い。「今日ももし天気が良かったならこの海岸も素晴らしい景色だったんだろうな」と少々残念な気もしたが・・・。道路を挟んで海岸の向かい側には大師堂があったので参拝させていただいた。遍路道にひっそりと建っている小さな大師堂というのは味わい深いというかとても魅力を感じてしまう。『地元密着型お大師さん』とでもいうのだろうか。近在の人々の心の拠り所として昔から大切にされている小さな御堂。お寺の御堂よりも温かみを感じるのだ。


浮鞭海岸浮鞭の大師堂







 【浮鞭海岸】                      【海岸付近の大師堂】


 午前10時20分、道の駅ビオスおおがたに到着。ここで2度目の休憩をとる。缶コーヒーを飲みながらまた地図を開いて進路を確認する。ここから遍路道のコースは国道を離れて土佐西南大規模公園大方地区の中に入っていく。
 荷物を背負って出発。道の駅の駐車場をぬけて都市公園の区域内に入り、加持川という川にかかる橋を渡ると松林の中を進んでゆくことになるのだが、この松林が名勝・入野松原だ。史跡天然記念物に指定されており、植樹は江戸時代という数百年の歴史をもつ松林である。海に面しているため、防風林の役目も果たしているが、そんじょそこらの防風林とは歴史がちがうようだ。その松林の中に真っ直ぐ通る道を歩いていく。途中、マラソンをしていたおじさんとすれ違い挨拶を交わしたが、それからは誰一人姿を見かけることもなかった。人の気配すらしない・・・。時期的に人の少ない時に来てしまったのだろうか。ちょっと寂しい名勝巡りになってしまったが、良く捉えれば名勝の景色を独り占めできたということかもしれない・・・。


大方・都市公園内入野松原









【都市公園内、加持川に架かる橋を目指す   ・入野松原の松林の中を進む】



 都市公園区域を出て、県道42号線を南へ。この道を田野浦まで進み、そこから竹島方面に伸びる道をひたすら歩いていけば、今回の旅のゴール・四万十大橋へたどり着ける。あと7kmほどだ。蛎瀬川を渡り少し歩いたところに休憩所があったので、そこで昼食がてら休憩をとったあとで勇んで出発。旅も終わりに近づいている。
 飯積山の麓を通るため、道はゆるやかな登り坂となる。雨の勢いが強くなってきたが、山の緑の綺麗さに心を奪われていたせいか左程気にはならない。この山には弘法大師開基とされる飯積寺という由緒ある御寺があるらしいが、遍路道からはかなり離れた場所にあるようだったので興味はあったのだが今回は時間の関係上見送らせていただいた。


飯積山麓の道を行く飯積寺案内書き







 【飯積山の麓を通る車道を進む】         【飯積寺の立て札】


 登り坂はやがて下り坂へと変わる。県道339号線の交差点にさしかかったのが午後12時50分頃。四万十大橋まではあと3kmほどの距離がある。そろそろ帰りの電車の時間のことも考えなければならないが、遍路道を歩ける時間はあと1時間くらいしかないことを思えば先のことは意識せずむしろゆっくり歩いていきたいという気持ちになる・・・。雨はますます強くなり靴の中まで水が入ってきて歩きづらい。それでも「ああ、今日も日暮れまで歩きてェな・・・」という気分になる。
 左右に広がる山の深緑。山間の田園の景色。水鳥の群れが漂う大きな沼。遠くに見える山並みには幻想的な綿雲が低く垂れ込み見事な眺めを見せている・・・。様々な自然の風景に魅了されながら進むうちにやがて雨の勢いが徐々に弱くなってきた。幡多環境美化センターの煙突が見える交差点を曲がり進むと遠くに民家の立ち並ぶ一帯が見えてきた。竹島の地区に入ったのか・・・。四万十川も近い。
 気がつけば雨も小降りになっていた。前方に交差点が見えてきたが地図で判断するならば左右に流れる道はおそらく県道20号線か・・・。だとすればもう四万十川のすぐそばまで来たことになる。交差点の向こうに土手が見えるが、あの土手を登ればもう旅のゴールは近い。四万十川との対面はもうすぐだ。歩く脚に最後の力を込める・・・。


車道沿いに立つ観音像県道20号線との交差点







 【車道の傍に立つ観音像】             【県道20号線との交差点】


 午後2時10分、四万十川を見下ろす河岸にようやく到着した。左手に四万十大橋が見える。話には聞いていたが、本当に長い橋だ。旅のゴールはこの橋と決めていたので、そちらに向かって歩いていく。雨は気がつけば完全にあがっていた。
 橋の始点に立つ。今回の旅はひとまずこの地点で終わりだ。ここから先を歩くのは一月後の次回の旅となる。正直、このまま橋を渡ってしまいたい!!と思ったが、それは次回の楽しみにとっておこう。とにかく足摺岬に向けての前哨戦の旅はこれにて無事終了である。


四万十大橋四万十大橋のたもとにて









【四万十大橋
・旅のゴールである橋の始点に立つ】



 橋の傍の休憩所で雨具をしまいながら、改めて河の景色を眺めていた。中州があるため、そんなに広い河とは思えかったのが正直な印象だ。本当の広さを思い知るのは四万十大橋を渡った時となるのだろう。それも次回の楽しみだ。一月後の再会を誓いながら河の景色と別れを告げた。帰りの電車の時間も考えれば、あまりゆっくりはしてられない。足早に県道20号線を中村へ向かって歩く。
 午後3時30分、中村駅に到着。次の岡山行きの特急列車は一時間後しかないため、近くのコンビニで弁当を買って腹ごしらえをする。まともな食事を摂っていなかったからだ。外のベンチで弁当を食べている間に地元の方々に温かい声をかけていただいた。タクシーの運転手のおじさんからはお茶のお接待を受けた。今回の旅は本当に人との出会いが少なかったのだが、最後の最後で雨はあがるわ、何人もの人に励ましの声をいただくわで、なんとも幸せな締めくくりとなった。これもひょっとするとお大師様が旅の終わりに粋な計らいをしてくださったのかもしれない・・・。いつもいつも遠くから見守っていてくださるお大師様。本当に感謝である。

 午後4時46分発の特急南風に乗って中村を後にし帰途についた。今回の四国遍路はこれでおしまい。次の年末まで四国とは暫しのお別れだ。年末は足摺岬を経て宿毛まで歩ききる予定である。無事歩ききれれば、来年からはいよいよ県境をこえて伊予の国に入っていく。僕とお大師様との同行二人の旅もようやく折り返し地点まで来たというところだが、まだまだ先はながい。しかし、先がながいということはまだまだ旅の時間はたっぷり残っているということで、なんとも幸せにも思えるのである・・・。


四万十川と別れを告げる

『この景色と再会できる日もうまくいけば一月後・・・。というか、この記事をかいている今日の時点であと10日ほどに迫っている・・・!待ち遠しくて仕方ないです。』
 
 
 簡単に旅のあらましをお伝えするつもりが、かなり濃い内容の記事になってしまいました。なかなかシンプルにまとめ上げるのが苦手なのでダラダラとしたものになってしまいましたことをお詫びいたします・・・。
 師走ということもあって最近は仕事のほうも忙しく更新が遅れてしまいましたこともお詫びします。次回からは中断しておりました秩父霊場巡礼記をまたつづけていきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします。(と言いながら、年末の遍路に向けての準備などで更新が滞ると思いますが・・・。)

晩秋の土佐遍路 〜その1・井ノ岬へ〜 (2008年11月23・24日)

秋の岩本寺
【37番札所岩本寺境内】


 11月23・24日の連休を使ってまた四国を歩いてきました。今回は前回の遍路の打ち止め地点である37番札所岩本寺から四万十川流域・中村までのおよそ50kmの道程を歩かせていただきました。遍路道を歩くのは3ヶ月ぶり。真夏の気候の中で苦しみながら懸命に歩いていた前回の遍路とは打って変わって、爽やかな秋の空の下を(若干寒かったですが・・・)のんびり気ままに遍路ができたのではないかと思います。
 37番札所岩本寺から次の札所38番金剛福寺までは距離にして80kmないしは90kmあるといわれ(10kmの違いは大きいですが・・・。遍路本によって記述が違うんですな。)、四国霊場の中では札所間の距離が最も長いエリアとされています。そのエリアにいよいよ足を踏み入れていくことになるわけですが、今回はそのほぼ半分の行程を歩かせていただきました。あと半分は次の遍路で歩ききるつもりですが、その次の遍路に予定している時期というのが暮れも押し迫った一月後の年末。一年の終わりを遍路で締めくくろうという個人的にはとてもゼータクなことを目論んでいるわけですが、今回の遍路はその「序盤戦」とだったと僕の中では捉えています。年末遍路にむけての布石といったかんじでしょうか。布石で思い出すのは、今年の2月におこなった遍路のことです。23番札所薬王寺から24番札所最御崎寺のある室戸岬までの行程の約半分を歩いた(日和佐から宍喰浦まで)旅でしたが、結果的にこの旅が室戸岬へ到達する次の遍路のための布石となったわけです。今回の遍路はその2月の遍路の旅と妙に重なり合うものがありました。38番札所金剛福寺は足摺岬にあるということで、岬を目指す旅というところでは共通点がありますし、歩いた景色なんかも微妙ながら似ていたなと(あくまで個人的な感想ですが)感じました。

 今回の2日間の旅がどんなものだったかを簡単に振り返ってみたいと思います。



11月23日 窪川〜井の岬

 22日の夜に高知県須崎市行きの夜行バスに乗り京都を出発。23日の早朝にJR須崎駅前に到着した。須崎の街へ来るのは3ヶ月ぶりとなる。とても思い出深い場所だが、残念ながら観光する時間はない。窪川行きの列車に乗り、前回の遍路の打ち止め地点となった37番札所岩本寺を目指す。
 窪川駅に着いたのが午前9時前。懐かしい窪川の街並みを眺めながら岩本寺へ向かって歩く。岩本寺の山門が見えてきたときには「ああ、また遍路の世界に戻ってくることができたな・・・」と少し感動した。四国に帰ってこられたことへの感謝を伝えるために岩本寺の本堂と大師堂に参拝する。紅葉景色を眺めながら、しばし境内で時間を過ごし出発。国道56号線を南へと向かう。
 五在所ノ峯






  【国道から五在所ノ峯を望む 】


 1時間ほど歩いたところで、国道を離れ農村地帯を通る細い道を進むこととなる。集落を抜けるとやがて片坂遍路道・市野瀬遍路道といった山道に入る。国道を歩く単調な時間の中でたまにこういった昔ながらの道が現れてくれると非常に嬉しくなる。ちなみに山道までの集落や山道入口付近にある環境美化センター(ごみの焼却場のような所か?)では人の姿を見かけることが全くなかった。連休中ということも関係してのことではあるだろうが、人の気配すら感じない場所を歩くというのは少々不気味な感じがした・・・。


片坂へんろ道市野瀬の田園地帯



          
                      

      【片坂遍路道】                   【山道を抜け市野瀬の田園地帯を進む】


 山道を抜けて市野瀬の田園地帯を歩く。田園の景色は日本人の心の原風景とでもいったらいいのだろうか。こういった道を歩くと心が安らぐものだが、それも束の間で再び国道を進むこととなる。国道を進む道中というのは、単調でもあるし歩道があったりなかったりで歩くのに難渋する。しかし、こういった行程を長い時間過ごすといったところも遍路の醍醐味かもしれない。忍耐というのか、何かが心の中で練れていくような気がするのだ。
 午後12時半頃、佐賀温泉に到着。ここで昼食をとった後、宿の予約をする。井ノ岬温泉に電話をかけ無事予約がとれたが、佐賀温泉からは16kmほどの距離がある。日没までにたどり着けるか微妙なところだ。
 また暫くの間、国道を坦々と歩いてゆく。黒潮町荷稲・小黒川・不破原と進み、伊与喜に着いたのが午後2時半をまわった頃。ここから遍路道は国道を離れて熊井の集落へと入ってゆく。


熊井の集落熊井隧道







 【熊井の集落】                    【熊井隧道】


 熊井の集落でも人の姿を見かけることがなかった。気配すらも感じない。穏やかな農村の中を歩くのは好きだが、こうも静か過ぎると寂しい限りである・・・。しばらく集落を進むと細い登り坂が目に入る。遍路道の標識に従ってその坂を上ったところに熊井隧道(トンネル)がある。このトンネルが完成したのは明治38年(1905年)ということらしいのだが、100年もの間にどれほどの人がここを通ったのであろうか。沢山の人々を見守ってきたとても歴史のあるトンネルだが、今では地元の人のみが往来するに留まっているようだ。全長90m、通ってみると古いトンネルが持つ独特な空気を感じた。特に真ん中あたりの地点は、なんというのか不気味というのか息苦しいというのか・・・。知らぬうちに「南無大師遍照金剛」と唱えながら歩いていたのは気が弱いからだったのか、防衛本能の為せる業だったのか・・・。


 再び国道を進み、土佐佐賀の街に入ったのが午後4時前。日没まであと1時間しかないが、目的地の井ノ岬温泉まではまだ8kmほどの距離がある。到底1時間で歩けるものではない。夜道を歩くことになっても仕方なしと腹を括って街の中を進む。
 15分程で鹿島が浦の見える場所に出た。土佐の海を見るのは久しぶりだ。ここから左手に海を見ながらの遍路が始まる。「左手に海を見ながら歩く」というシチュエーションはもうお馴染みであり、遍路と海とは切っても切れぬものという考えは歩き遍路をされた方なら当然お持ちの筈じゃないだろうか。僕の心の中にもすっかりその考えが定着してしまったようだ。それゆえに水平線を眺めながら歩いているとなんだか嬉しくなるのだ。


鹿島が浦土佐西南大規模公園







 【鹿島が浦】                      【土佐西南大規模公園】


 鹿島が浦より先の海沿いに延々とつづく「土佐西南大規模公園」を眺めながら進む。黒潮町白浜にたどりついたあたりから徐々に道が暗くなってきた。時間は午後5時を過ぎていたが井ノ岬温泉まではあと4km強もの距離があり1時間はかかるだろう。「暗闇の海岸線を歩くのもまたオツなものかもしれへん・・・」と呑気なことを考えながら国道を進む。実際、焦ってみてもしょうがないわけで、そんなことよりも今自分のいる現状をむしろ楽しんだほうがいい。漆黒の海を眺めながら杖を突きつつ長々と歩くなんてことはそういつも体験できることではないのだから・・・。


闇夜の海岸線井の岬トンネル




              


 【日没後の海岸線を行く】              【井の岬トンネル】


 灘という地区を過ぎると国道は海岸線を離れて峠道へとさしかかる。もはや日はとっくに沈んで辺りは真っ暗だ。通り過ぎる車のヘッドライトがなんとか道を照らしてくれる。井の岬トンネルを通り抜け、更に暗闇の峠道を進む。井ノ岬温泉へ行くには伊田川という川に沿った道を海岸線のほうへ、向かって左に曲がらなければならないのだが、その道を見つけて絶句・・・。あまりにも暗すぎてとても歩ける道ではない。仕方がないので更に先へ進む。伊田トンネルを抜けると海岸線の道との合流点があるが、そこから井ノ岬温泉を目指す。元来た方角へ引き返す形となったが、止むをえない。「あともうすこし・・・」と暗い夜道を進むが、歩けども歩けどもホテルらしき建物が見えてくる様子もない。辺りは真っ暗で人の通る気配もなく困り果てて荷物を降ろし地図を見ながら途方にくれていたところで、運良くジョギングをしている初老のおじさんに出会った。

 「ああ、井ノ岬温泉ならこのまま行けば灯りが見えてくるからそこを目指して行けばいいよ。」

 親切に教えてくださった。ひたすら御礼を言いながら別れたが、本当に助かった。全く人通りもなく人の気配すらしなかったあの場所で、もしおじさんに出会わなかったらどうなっていただろうか・・・。あの人はひょっとしたらお大師様が姿を変えて助けてくださったのかもしれない。困った時にはこういった不思議なことがよくあるのだ。困った人には必ず救いの手をさしのべてくれる・・・、それが四国霊場なのだとあらためて教えられた。

 井ノ岬温泉に着いたのは午後7時半を回った頃だったと思う。温泉で一日の疲れを癒したあと、早目に床についた。翌日は旅のゴールである四万十大橋へと向かう。




六根清浄

1969年4月20日生まれ

京都市在住
2007年5月から始めた区切り打ち四国歩き遍路も4年目をもちましてようやく結願いたしました。支えてくださった皆様に感謝です。2巡目の構想も視野に入れながら、さらに日本の各地を「歩き旅」で訪れてみたいと考えています。自称『歩き中毒患者』(笑)


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