御盆休暇(8月13日から17日)を使って、また四国へ行ってまいりました。
左手の怪我も無事に完治。一時は13日以降の通院も覚悟していました。京都から高知への往復切符も購入していましたから、実際治療が長引くと困ったことになると心配していましたが・・・。前日の12日に医者から「もうええやろ、病院来んでも。」という嬉しい言葉を頂きました。包帯も取ってもらいましたので、もうなんの心配もなく予定通り四国へ渡ることができました。やはり、御呼びがあったのですね・・・。
今回は先月打ち止めとなった31番札所竹林寺から歩き出し、高知市から土佐市・須崎市・中土佐町を経て、37番札所岩本寺のある四万十町窪川を目指す旅でした。
8月13日
午後12時半に高知駅に到着。路面電車に乗り、文殊通りへ。そこから南下し、先月の遍路で打ち止めとなった31番札所竹林寺を目指す。先月は県道376号線を南下し、五台山トンネルを抜けて竹林寺へと向かったが、今回は牧野植物園を通るコースを選択。
「また来月ここに戻ってきます」との約束を無事果たせたことのご報告、再び四国へ御呼び頂いた感謝を込めて本堂・大師堂を参拝し、その後、前回は時間の都合でゆっくり見ることのできなかった境内を散策。
『竹林寺の境内では様々な石仏に出会える。前回お参りすることのできなかった石仏達に手を合わせ旅の安全を祈願させていただいた。』
しかし、これが仇となる。あまりにのんびりしすぎたために、竹林寺を出発したのは午後4時前。この日の予定は次の札所、禅師峰寺まで打つつもりだった。竹林寺からの距離は5.7キロ。到底1時間で歩ける距離ではない。不可能を承知のうえで、禅師峰寺へと向かってしまう。県道376号線を南へ、大平山トンネルの手前で進路を東に向け懸命に歩いたが、予想通り禅師峰寺の納経所に着いたのは午後5時を回った頃。当然窓口は閉まっており、無念の撤退。翌日再び訪れることを決心し、予約をいれた宿のある仁井田へ向かう。途中、いきなりの大雨に遭い全身水浸しとなる。初日からいい修行をさせてもらい、ある意味感謝!!
8月14日
午前7時に宿を出発、仁井田から禅師峰寺を目指す。昨夜は大荒れだった天気が一転して快晴、強い日差しが体を刺す。1時間少々で禅師峰寺に到着、参拝・納経後、境内から見える見事な海の景色に見惚れ暫し時間を忘れてしまう。
再び仁井田に戻り、県道278号線を進み種崎へ向かう。次の札所雪渓寺へ行くには、浦戸湾をフェリーで渡るコースと浦戸大橋を渡り桂浜方面から進むコースがあるが、フェリーを使うコースを選択したほうが歩く距離が少ない。真夏の遍路に無理は禁物とフェリーに乗るべく発着場のある種崎へ。到着後、時刻表を見るとまだ1時間近く待ち時間があった。ここで前日禅師峰寺へ向かったようにまたしても不可解な行動をとってしまう。じっとしているくらいなら歩いているほうがいいとばかり、浦戸大橋へと向かったのだ。無理は禁物とはわかっていながら・・・。
『見晴らしはよいが歩道が狭いのがタマに傷の浦戸大橋。あまり歩行者向けの橋とは言えないかもしれない。この日は風も強く歩くのには少し恐い気もした。』
浦戸大橋を渡り浦戸湾の南岸の遍路道を西へ。雪渓寺に着いたのは午後1時をまわった頃だが、ここまでの行程で暑さにかなりスタミナを奪われてしまう。1時間程滞在の後に、次の札所種間寺へ向けて歩き出す。
種間寺に到着したのは午後4時半過ぎ。途中、昼食を摂ったりのんびりと田園風景を眺めながら歩いていたために到着時間が予定より遅れた形となった。ここまでがこの日の体力のピーク。境内のベンチで暫く休憩した後で先に納経を済ませ本堂へ向かう。参拝を先にすれば、5時を回ってしまうだろう。納経所が閉まる前に御朱印・墨書きを貰い、後でゆっくり参拝したかったのだ。筋から言えば順序は違うが致し方ない。本堂の参拝中、5時を回ってしまい堂の扉を閉められてしまう。お寺の方達にしてみれば決まり事なので仕様が無くそうされたのだろう。扉は閉められたが参拝を続ける。御本尊やお大師様は扉の向こうから唱える経を聞いてくださっていたに違いない。
午後6時前に種間寺を出発。この日の宿をとっている土佐市街へ向かう。2時間後、宿に到着。日がとっぷりと暮れていたが、なんとか無事この日の遍路を終えられたことに感謝である。
8月15日
試練の3日目が幕を開ける。
この日の目的地は須崎市街。およそ40kmもの距離を歩くことになる。札所の参拝の時間も考えれば、何時に宿入りできるのか見当もつかない。これほどの距離を歩いたことはこれまでの遍路の旅にはなかったことだ。最高で35km程しか歩いたことのない自分にとってはこの日は朝から不安が付きまとっていた。
午前6時半に宿を出発、35番札所清滝寺へと向かう。打戻りの形になるので重い荷物は宿の部屋に置かせていただいた。清滝寺への片道は約1時間、参拝の時間も含めて宿に帰り着くのは2時間半後となるだろう。実際、目算通りに進み、再び宿に着いたのが午前9時頃。荷物を背負い土佐市街を出発、36番札所青龍寺を目指す。
県道39号線を南へ。7.2km地点で旧遍路道との分岐点があった。標高190mの峠越えの旧道はこの日の遍路には無理があると判断し、そのまま県道を進む。
ようやく海が見える。海沿いに県道23号線を南西へ。宇佐大橋を渡り更に2km程南下、青龍寺へ到着したのが午後12時半くらい。かなり暑さで体はバテていたが、境内までつづく長い階段を見て更に気持ちもバテてしまう。
参拝を終え、充分に水分補給と休養をとって青龍寺を出発したのが午後1時半。ここから先は浦ノ内湾の北岸に沿って進む県道23号線のコースと起伏の激しい山間を行く県道47号線のコースがある。直前までどちらを進むか迷っていたが、打ち戻るのもなんなので県道47号線を進むことにした。歩き遍路にとっては、かなり条件の悪いコースという情報は得ていたが、逆にどんなコースなのか好奇心が湧いたのだ。こういったところは自分の悪い癖なのかもしれない。とんでもない選択ミスだったことを思い知らされる。
『灼熱の浦ノ内湾南道。この道は車で往来するための道と言ってもいいだろう。歩き遍路には向かない道なのだということが実際歩いてみて骨身に染みた。土佐の国をこれから歩かれる方は是非とも湾の北側を通ってもらいたいと思う。ただ修行を積まれたい方にはお勧めかも・・・。』
北岸の県道23号線との合流点、つまり浦ノ内湾の最西部に到達するまでの14.5kmの道程は水分補給のできる場所が全くと言っていいほど存在しない。商店はおろか、自販機も2台ほどしかなかった。基本的にやはりこのコースは山道なのである。仕方のないところではあるが・・・。起伏が激しいうえに、灼熱の日差しが体に容赦なく降り注ぐ。前日から足の裏にマメをつくってしまい、膝も筋肉痛で重い。良い状態とは言えない両脚をひきずりながら、4時間半もの時間をただ黙々と歩き続けた。体はフラフラ、水分補給もままならず、苦しさだけを感じる長い長い遍路がつづく。そんな苦しみを癒してくれたのは土佐の海の景色であった。そして途中立ち寄ったドライブインでは自販機も店もないのかと思いきや、一人のおばあさんがアイスクリンを売ってらした。溜まらずひとつ買い求めたが、その味は一生忘れることのできぬ味となった。
午後6時20分、ようやく北岸コースとの合流点に辿り付く。もう体は言うことを聞かぬくらいに限界を超えていたが、ここから更に9km西へ歩かなければならない。
「無我」の境地というのだろうか。そんな状態で歩き続けたと思う。脚の感覚も痛さを通り越してほとんどなにも感じない。只、機械的に脚を動かすのみである。心も脚も「無」の状態。しかし、これこそが遍路を体験してのみ得られる無上の心の在り様ではないだろうか。改めてこういう機会を与えられたことに胸が熱くなる。感謝感謝・・・。
午後8時半を過ぎて、ようやく須崎市街に到着。今回の遍路の旅の謂わば山場を無事越えることができたことが嬉しかった。身も心もクタクタで明日はどうなることになるやらわからない。しかし、喜びだけが心の中に広がっていた。
8月16日
この日は今回の遍路の最終目的地である37番札所岩本寺のある窪川を目指す。
午前7時に宿を出発。須崎の街を抜け国道56号線を南西へひたすら歩く。前日の疲労や体のダメージは一夜明けるとほとんど残っておらず、順調に先へ進むことができた。これもお大師様が見守っていてくださったからにちがいない。通常ではこの軽快なコンディションはちょっと考えられない。
午前11時頃、土佐久礼に到着。田園景色や素朴な街並みに心を奪われながらの穏やかな遍路がつづく。
そしてこの日の難関となる七子峠越えとなる。コースは3つある。国道56号線をそのまま進むコース、明治時代から開かれた大阪遍路道を辿るコース、そして最も歴史の古いそえみみず遍路道を辿るコースである。そえみみず遍路道は草深き山道で長沢谷から約1kmの距離は標高差が260mあり、かなり厳しい行程となる。最終的には標高409mまで坂がつづく。そこからは下りとなるが踏破するにはかなりのスタミナが要求されるだろう。興味はあったが、幸か不幸か、四国横断自動車道建設工事のため今年いっぱいは通行禁止となっていた。
残るは2つだが、国道を進むコースは安易そうに見えて実は最も過酷なコースだということを先輩遍路の方に教えていただいた。歩道らしきものはなく、折れ曲がりの多い車道を大型の輸送車が頻繁に通る。歩行者向けの道とはとても言える代物ではないらしい。おまけに真夏の日差しを浴び続ける苦しさが延々と続くらしい。前日の再現になりかねないようなので、結局、大阪遍路道のコースを選択することとした。このコースも最後は標高差200mを一気に階段で登らなければならないという。
大阪谷川に沿って穏やかな遍路道を歩いていく。木々の色、鳥のさえずり、川のせせらぎに癒されながら、峠を目指して歩く。1時間半後、ついに峠へ登る山道の入口に到着。少し進んだ場所にある滝の傍で休憩後、一気に峠を目指して突き進む。午後1時半、七子峠のドライブインに到着。
昼食を摂り、再び歩き出す。窪川までの残り16kmは今回の遍路の旅の最後の行程となる。
4時間後、道の駅あぐり窪川に到着。この辺りから雨が降り出す。雨具を装着して出発、ゴールまであと僅かだ。
午後6時半、ようやく窪川の町に着く。岩本寺の参拝を明日の朝行うこととし、予約を入れていた宿に入る。これにて今回の遍路の旅の日程は終了である。翌日は参拝と帰途に就くのみだが、自宅に帰り着くまでお大師様との同行二人の旅は終わらないのだろう。
『ようやく今回の旅の目的地の窪川に到着。町はこの日催される花火大会で賑わっていた。』
8月17日
午前7時半に起床。朝食を済ませ宿を出発、岩本寺に向かう。岩本寺は宿からは歩いて2、3分で着くことができる。
参拝を終えた頃には午前9時前となっていた。これくらいの時間帯となると参拝者の方の姿もちらほら見られるようになる。境内で写真などを撮りながら、ゆっくり時間を過ごす。後は帰途へ就くのみである。そう思うと、どうにも立ち去りがたいものがあった。もう少し遍路の世界に身を置いていたい・・・。
意を決して岩本寺をあとにした。午前10時発岡山行きの特急列車に乗るべく、窪川駅を目指し町の路地を歩いていく。なかなかすんなり駅に行く気にはなれなくて町の中をうろうろ・・・。遍路の世界への未練が断ち切れない。
午前10時、特急列車は窪川を出発し瀬戸の海の向こうの岡山へと走る。窓の外に映る景色は昨日まで自分が遍路をつづけていた世界だ。あれほど時間と労力をかけて歩いた景色が嘘のように次から次へと目の前に現れては視界から消えて行く。まるで走馬灯のように。
午後5時、ようやく自宅に帰り着いた。今回の遍路も最後まで何事もなく終えることができた。自分の中では記憶に焼きつく旅となったと思う。御呼びいただいた四国の大地、そしてお大師様に本当に感謝の気持ちでいっぱいである。どうもありがとうございました。
『何事もなく無事にいい遍路を終えることができ、お大師様には感謝の気持ちでいっぱいだった。岩本寺の境内に立つ修行大師に必ずまた此処に戻ってくると約束し、山門を出た。』
以上、旅の内容を大まかに説明いたしましたが、詳しい内容に関しましてはいずれまた記事にしていきたいと思います。様々な人との出会いや土佐の国の雄大な自然の景色が力を与えてくれました。そういったエピソードも詳しく語っていきたいと思っています。かなり先になりそうですが・・・
左手の怪我も無事に完治。一時は13日以降の通院も覚悟していました。京都から高知への往復切符も購入していましたから、実際治療が長引くと困ったことになると心配していましたが・・・。前日の12日に医者から「もうええやろ、病院来んでも。」という嬉しい言葉を頂きました。包帯も取ってもらいましたので、もうなんの心配もなく予定通り四国へ渡ることができました。やはり、御呼びがあったのですね・・・。
今回は先月打ち止めとなった31番札所竹林寺から歩き出し、高知市から土佐市・須崎市・中土佐町を経て、37番札所岩本寺のある四万十町窪川を目指す旅でした。
8月13日
午後12時半に高知駅に到着。路面電車に乗り、文殊通りへ。そこから南下し、先月の遍路で打ち止めとなった31番札所竹林寺を目指す。先月は県道376号線を南下し、五台山トンネルを抜けて竹林寺へと向かったが、今回は牧野植物園を通るコースを選択。
「また来月ここに戻ってきます」との約束を無事果たせたことのご報告、再び四国へ御呼び頂いた感謝を込めて本堂・大師堂を参拝し、その後、前回は時間の都合でゆっくり見ることのできなかった境内を散策。
『竹林寺の境内では様々な石仏に出会える。前回お参りすることのできなかった石仏達に手を合わせ旅の安全を祈願させていただいた。』
しかし、これが仇となる。あまりにのんびりしすぎたために、竹林寺を出発したのは午後4時前。この日の予定は次の札所、禅師峰寺まで打つつもりだった。竹林寺からの距離は5.7キロ。到底1時間で歩ける距離ではない。不可能を承知のうえで、禅師峰寺へと向かってしまう。県道376号線を南へ、大平山トンネルの手前で進路を東に向け懸命に歩いたが、予想通り禅師峰寺の納経所に着いたのは午後5時を回った頃。当然窓口は閉まっており、無念の撤退。翌日再び訪れることを決心し、予約をいれた宿のある仁井田へ向かう。途中、いきなりの大雨に遭い全身水浸しとなる。初日からいい修行をさせてもらい、ある意味感謝!!
8月14日
午前7時に宿を出発、仁井田から禅師峰寺を目指す。昨夜は大荒れだった天気が一転して快晴、強い日差しが体を刺す。1時間少々で禅師峰寺に到着、参拝・納経後、境内から見える見事な海の景色に見惚れ暫し時間を忘れてしまう。
再び仁井田に戻り、県道278号線を進み種崎へ向かう。次の札所雪渓寺へ行くには、浦戸湾をフェリーで渡るコースと浦戸大橋を渡り桂浜方面から進むコースがあるが、フェリーを使うコースを選択したほうが歩く距離が少ない。真夏の遍路に無理は禁物とフェリーに乗るべく発着場のある種崎へ。到着後、時刻表を見るとまだ1時間近く待ち時間があった。ここで前日禅師峰寺へ向かったようにまたしても不可解な行動をとってしまう。じっとしているくらいなら歩いているほうがいいとばかり、浦戸大橋へと向かったのだ。無理は禁物とはわかっていながら・・・。
『見晴らしはよいが歩道が狭いのがタマに傷の浦戸大橋。あまり歩行者向けの橋とは言えないかもしれない。この日は風も強く歩くのには少し恐い気もした。』
浦戸大橋を渡り浦戸湾の南岸の遍路道を西へ。雪渓寺に着いたのは午後1時をまわった頃だが、ここまでの行程で暑さにかなりスタミナを奪われてしまう。1時間程滞在の後に、次の札所種間寺へ向けて歩き出す。
種間寺に到着したのは午後4時半過ぎ。途中、昼食を摂ったりのんびりと田園風景を眺めながら歩いていたために到着時間が予定より遅れた形となった。ここまでがこの日の体力のピーク。境内のベンチで暫く休憩した後で先に納経を済ませ本堂へ向かう。参拝を先にすれば、5時を回ってしまうだろう。納経所が閉まる前に御朱印・墨書きを貰い、後でゆっくり参拝したかったのだ。筋から言えば順序は違うが致し方ない。本堂の参拝中、5時を回ってしまい堂の扉を閉められてしまう。お寺の方達にしてみれば決まり事なので仕様が無くそうされたのだろう。扉は閉められたが参拝を続ける。御本尊やお大師様は扉の向こうから唱える経を聞いてくださっていたに違いない。
午後6時前に種間寺を出発。この日の宿をとっている土佐市街へ向かう。2時間後、宿に到着。日がとっぷりと暮れていたが、なんとか無事この日の遍路を終えられたことに感謝である。
8月15日
試練の3日目が幕を開ける。
この日の目的地は須崎市街。およそ40kmもの距離を歩くことになる。札所の参拝の時間も考えれば、何時に宿入りできるのか見当もつかない。これほどの距離を歩いたことはこれまでの遍路の旅にはなかったことだ。最高で35km程しか歩いたことのない自分にとってはこの日は朝から不安が付きまとっていた。
午前6時半に宿を出発、35番札所清滝寺へと向かう。打戻りの形になるので重い荷物は宿の部屋に置かせていただいた。清滝寺への片道は約1時間、参拝の時間も含めて宿に帰り着くのは2時間半後となるだろう。実際、目算通りに進み、再び宿に着いたのが午前9時頃。荷物を背負い土佐市街を出発、36番札所青龍寺を目指す。
県道39号線を南へ。7.2km地点で旧遍路道との分岐点があった。標高190mの峠越えの旧道はこの日の遍路には無理があると判断し、そのまま県道を進む。
ようやく海が見える。海沿いに県道23号線を南西へ。宇佐大橋を渡り更に2km程南下、青龍寺へ到着したのが午後12時半くらい。かなり暑さで体はバテていたが、境内までつづく長い階段を見て更に気持ちもバテてしまう。
参拝を終え、充分に水分補給と休養をとって青龍寺を出発したのが午後1時半。ここから先は浦ノ内湾の北岸に沿って進む県道23号線のコースと起伏の激しい山間を行く県道47号線のコースがある。直前までどちらを進むか迷っていたが、打ち戻るのもなんなので県道47号線を進むことにした。歩き遍路にとっては、かなり条件の悪いコースという情報は得ていたが、逆にどんなコースなのか好奇心が湧いたのだ。こういったところは自分の悪い癖なのかもしれない。とんでもない選択ミスだったことを思い知らされる。
『灼熱の浦ノ内湾南道。この道は車で往来するための道と言ってもいいだろう。歩き遍路には向かない道なのだということが実際歩いてみて骨身に染みた。土佐の国をこれから歩かれる方は是非とも湾の北側を通ってもらいたいと思う。ただ修行を積まれたい方にはお勧めかも・・・。』
北岸の県道23号線との合流点、つまり浦ノ内湾の最西部に到達するまでの14.5kmの道程は水分補給のできる場所が全くと言っていいほど存在しない。商店はおろか、自販機も2台ほどしかなかった。基本的にやはりこのコースは山道なのである。仕方のないところではあるが・・・。起伏が激しいうえに、灼熱の日差しが体に容赦なく降り注ぐ。前日から足の裏にマメをつくってしまい、膝も筋肉痛で重い。良い状態とは言えない両脚をひきずりながら、4時間半もの時間をただ黙々と歩き続けた。体はフラフラ、水分補給もままならず、苦しさだけを感じる長い長い遍路がつづく。そんな苦しみを癒してくれたのは土佐の海の景色であった。そして途中立ち寄ったドライブインでは自販機も店もないのかと思いきや、一人のおばあさんがアイスクリンを売ってらした。溜まらずひとつ買い求めたが、その味は一生忘れることのできぬ味となった。
午後6時20分、ようやく北岸コースとの合流点に辿り付く。もう体は言うことを聞かぬくらいに限界を超えていたが、ここから更に9km西へ歩かなければならない。
「無我」の境地というのだろうか。そんな状態で歩き続けたと思う。脚の感覚も痛さを通り越してほとんどなにも感じない。只、機械的に脚を動かすのみである。心も脚も「無」の状態。しかし、これこそが遍路を体験してのみ得られる無上の心の在り様ではないだろうか。改めてこういう機会を与えられたことに胸が熱くなる。感謝感謝・・・。
午後8時半を過ぎて、ようやく須崎市街に到着。今回の遍路の旅の謂わば山場を無事越えることができたことが嬉しかった。身も心もクタクタで明日はどうなることになるやらわからない。しかし、喜びだけが心の中に広がっていた。
8月16日
この日は今回の遍路の最終目的地である37番札所岩本寺のある窪川を目指す。
午前7時に宿を出発。須崎の街を抜け国道56号線を南西へひたすら歩く。前日の疲労や体のダメージは一夜明けるとほとんど残っておらず、順調に先へ進むことができた。これもお大師様が見守っていてくださったからにちがいない。通常ではこの軽快なコンディションはちょっと考えられない。
午前11時頃、土佐久礼に到着。田園景色や素朴な街並みに心を奪われながらの穏やかな遍路がつづく。
そしてこの日の難関となる七子峠越えとなる。コースは3つある。国道56号線をそのまま進むコース、明治時代から開かれた大阪遍路道を辿るコース、そして最も歴史の古いそえみみず遍路道を辿るコースである。そえみみず遍路道は草深き山道で長沢谷から約1kmの距離は標高差が260mあり、かなり厳しい行程となる。最終的には標高409mまで坂がつづく。そこからは下りとなるが踏破するにはかなりのスタミナが要求されるだろう。興味はあったが、幸か不幸か、四国横断自動車道建設工事のため今年いっぱいは通行禁止となっていた。
残るは2つだが、国道を進むコースは安易そうに見えて実は最も過酷なコースだということを先輩遍路の方に教えていただいた。歩道らしきものはなく、折れ曲がりの多い車道を大型の輸送車が頻繁に通る。歩行者向けの道とはとても言える代物ではないらしい。おまけに真夏の日差しを浴び続ける苦しさが延々と続くらしい。前日の再現になりかねないようなので、結局、大阪遍路道のコースを選択することとした。このコースも最後は標高差200mを一気に階段で登らなければならないという。
大阪谷川に沿って穏やかな遍路道を歩いていく。木々の色、鳥のさえずり、川のせせらぎに癒されながら、峠を目指して歩く。1時間半後、ついに峠へ登る山道の入口に到着。少し進んだ場所にある滝の傍で休憩後、一気に峠を目指して突き進む。午後1時半、七子峠のドライブインに到着。
昼食を摂り、再び歩き出す。窪川までの残り16kmは今回の遍路の旅の最後の行程となる。
4時間後、道の駅あぐり窪川に到着。この辺りから雨が降り出す。雨具を装着して出発、ゴールまであと僅かだ。
午後6時半、ようやく窪川の町に着く。岩本寺の参拝を明日の朝行うこととし、予約を入れていた宿に入る。これにて今回の遍路の旅の日程は終了である。翌日は参拝と帰途に就くのみだが、自宅に帰り着くまでお大師様との同行二人の旅は終わらないのだろう。
『ようやく今回の旅の目的地の窪川に到着。町はこの日催される花火大会で賑わっていた。』
8月17日
午前7時半に起床。朝食を済ませ宿を出発、岩本寺に向かう。岩本寺は宿からは歩いて2、3分で着くことができる。
参拝を終えた頃には午前9時前となっていた。これくらいの時間帯となると参拝者の方の姿もちらほら見られるようになる。境内で写真などを撮りながら、ゆっくり時間を過ごす。後は帰途へ就くのみである。そう思うと、どうにも立ち去りがたいものがあった。もう少し遍路の世界に身を置いていたい・・・。
意を決して岩本寺をあとにした。午前10時発岡山行きの特急列車に乗るべく、窪川駅を目指し町の路地を歩いていく。なかなかすんなり駅に行く気にはなれなくて町の中をうろうろ・・・。遍路の世界への未練が断ち切れない。
午前10時、特急列車は窪川を出発し瀬戸の海の向こうの岡山へと走る。窓の外に映る景色は昨日まで自分が遍路をつづけていた世界だ。あれほど時間と労力をかけて歩いた景色が嘘のように次から次へと目の前に現れては視界から消えて行く。まるで走馬灯のように。
午後5時、ようやく自宅に帰り着いた。今回の遍路も最後まで何事もなく終えることができた。自分の中では記憶に焼きつく旅となったと思う。御呼びいただいた四国の大地、そしてお大師様に本当に感謝の気持ちでいっぱいである。どうもありがとうございました。
『何事もなく無事にいい遍路を終えることができ、お大師様には感謝の気持ちでいっぱいだった。岩本寺の境内に立つ修行大師に必ずまた此処に戻ってくると約束し、山門を出た。』
以上、旅の内容を大まかに説明いたしましたが、詳しい内容に関しましてはいずれまた記事にしていきたいと思います。様々な人との出会いや土佐の国の雄大な自然の景色が力を与えてくれました。そういったエピソードも詳しく語っていきたいと思っています。かなり先になりそうですが・・・