なんとかカプセルホテルを見つけることができた。ここも今回で2度目の利用となる。前回は宿がなくて途方に暮れていたところで、この場所を教えられて本当に助かったのだ。懐かしさと一先ず落ち着くことができるといううれしさで、急ぎ中へ駆け込んで受付でチェックインする。
こういった宿泊施設は、「必ず泊まれるんだ」という既成概念が僕にはあった。しかし、今回ばかりはどうも勝手が違ったようだ。
「すいません、あいにく今日は混んでいまして部屋は一杯でして・・・。VIPルームならおとりできますが・・・。」
予想外の言葉が係りの人から返ってきた。「部屋」とはいっても、大人一人がようやく体を横にできるだけの広さしかない小さな空間だ。そんな「部屋」が何十室もあるはずなのだが、この日は全部塞がっているという。
「明日から阿波踊りがはじまりますから、観光客の方で今日は部屋が塞がっておりまして・・・。」
阿波踊りか・・・。
そう言えば、ここへ来る途中で阿波踊りのポスターをいくつか見かけた。毎年、8月の12日から15日の4日間は此処徳島市街であの有名な阿波踊りのイベントがある。僕はこの歳になるまで一度も阿波踊りというものを直に観たことはなく、以前から観てみたいという気持ちは持っていたのだが、結局そういう機会をつくりきれず今日に至ったわけだ。今回四国に渡ったのは遍路をするためであったので、阿波踊りのことは全く頭になかった。阿波踊りのイベントの期間に入るということも全く認識がなかったのだ。
(そうか、阿波踊りがあるんやな・・・。是非観てみたいな・・・!!)
「ところでVIPルームって、どんなんですか?」と係りの人に尋ねると、「形ばかりではありますが一応個室になっておりまして、寝るスペースにロッカーや机などがついているようなかんじの部屋になっております」と説明をうけた。少し割高にはなるが、そこしか空いてないのなら致し方ない。寝る場所があるだけでも有り難いと思わなければ・・・。この分だと恐らく他の宿泊施設も部屋の空きはないだろう。『VIPルーム』への宿泊を決める。
『VIPルーム』に荷物を置くと、遅まきながら夜食をとるために街へと出かけた。徳島の夜の歓楽街も久しぶりである。遅い時間にもかかわらずに、以前見た時と同様、沢山の人で賑わっている。特に阿波踊りのイベントの前日ということもあって、5月の時と比べると街の熱気がまるで違った。県道136号線にはイベントで使われる雛壇式の客席が組まれていた。そういったイベントの準備の仕事を終えた人たちも街にはあふれていて、「さあ、明日に備えて盛大に飲みにいくぞ!!」というような陽気なエネルギーが街の熱気を更に盛り上げているようだった。
県道を脇に入ったところにあるラーメン屋で夜食をとる。5月の時もここで夜食をとった。一度通った場所には、ついつい次も行ってしまうものだ。食事をとる時も宿をとる時もそうなのだが、同じ場所に決めて済ませてしまうというのが僕の習性なのだ。やはり、めんどくさがりやなのだろう・・・。店に入って注文したラーメンが出来上がるのを待ちながら、店内の壁に貼ってあるカレンダーを何気なく眺めていた。
(・・・12日から14日まで遍路をして、予定通りにいけば14日の夜にはまたこの徳島市に戻ってくることになる。うまくすれば、阿波踊りをゆっくり見物できるかもしれへんな。)
何事もうまく事が進めば、の話である。14日に17番札所井戸寺まで打ち、そこから徳島市街へ戻って、翌日の15日の朝に京都行きのバスにのって帰途につく予定だった。問題は13日の遍路がどういうものになるかだった。12番札所焼山寺へはどれくらい時間がかかるかはわからないが、なんとかだどり着けるだろう。そこから後の展開がどうなるかが、全く読めなかった。下山してどこまで行くことができるのか、宿泊先も全く決めていない・・・。こんなことで本当に大丈夫なんだろうか・・・。阿波踊りどころの話ではないかもしれない。
店内に何人かのおじさんたちが賑やかに連れ立って入ってきた。明日からのイベントの準備作業に関わっておられた方たちのようだった。祭りの話で店の女主人の方と異様に盛り上がっておられた。楽しそうな会話を聞くにつれて、「よそ者」の寂しさを感じてしまうのだった・・・。
(やっぱり、観てみたいな・・・。阿波踊りは・・・!!)
話は飛ぶが、この後の14日の夜に僕は無事に徳島市街に帰り着くことができ、阿波踊りを見物することとなる。これもお大師様が僕を助けてくださったお陰だと信じているが、この11日の夜の時点では、そんな未来が待っていることなど予想できず、只々不安だけが重くのしかかっていたのだった。
こういった宿泊施設は、「必ず泊まれるんだ」という既成概念が僕にはあった。しかし、今回ばかりはどうも勝手が違ったようだ。
「すいません、あいにく今日は混んでいまして部屋は一杯でして・・・。VIPルームならおとりできますが・・・。」
予想外の言葉が係りの人から返ってきた。「部屋」とはいっても、大人一人がようやく体を横にできるだけの広さしかない小さな空間だ。そんな「部屋」が何十室もあるはずなのだが、この日は全部塞がっているという。
「明日から阿波踊りがはじまりますから、観光客の方で今日は部屋が塞がっておりまして・・・。」
阿波踊りか・・・。
そう言えば、ここへ来る途中で阿波踊りのポスターをいくつか見かけた。毎年、8月の12日から15日の4日間は此処徳島市街であの有名な阿波踊りのイベントがある。僕はこの歳になるまで一度も阿波踊りというものを直に観たことはなく、以前から観てみたいという気持ちは持っていたのだが、結局そういう機会をつくりきれず今日に至ったわけだ。今回四国に渡ったのは遍路をするためであったので、阿波踊りのことは全く頭になかった。阿波踊りのイベントの期間に入るということも全く認識がなかったのだ。
(そうか、阿波踊りがあるんやな・・・。是非観てみたいな・・・!!)
「ところでVIPルームって、どんなんですか?」と係りの人に尋ねると、「形ばかりではありますが一応個室になっておりまして、寝るスペースにロッカーや机などがついているようなかんじの部屋になっております」と説明をうけた。少し割高にはなるが、そこしか空いてないのなら致し方ない。寝る場所があるだけでも有り難いと思わなければ・・・。この分だと恐らく他の宿泊施設も部屋の空きはないだろう。『VIPルーム』への宿泊を決める。
『VIPルーム』に荷物を置くと、遅まきながら夜食をとるために街へと出かけた。徳島の夜の歓楽街も久しぶりである。遅い時間にもかかわらずに、以前見た時と同様、沢山の人で賑わっている。特に阿波踊りのイベントの前日ということもあって、5月の時と比べると街の熱気がまるで違った。県道136号線にはイベントで使われる雛壇式の客席が組まれていた。そういったイベントの準備の仕事を終えた人たちも街にはあふれていて、「さあ、明日に備えて盛大に飲みにいくぞ!!」というような陽気なエネルギーが街の熱気を更に盛り上げているようだった。
県道を脇に入ったところにあるラーメン屋で夜食をとる。5月の時もここで夜食をとった。一度通った場所には、ついつい次も行ってしまうものだ。食事をとる時も宿をとる時もそうなのだが、同じ場所に決めて済ませてしまうというのが僕の習性なのだ。やはり、めんどくさがりやなのだろう・・・。店に入って注文したラーメンが出来上がるのを待ちながら、店内の壁に貼ってあるカレンダーを何気なく眺めていた。
(・・・12日から14日まで遍路をして、予定通りにいけば14日の夜にはまたこの徳島市に戻ってくることになる。うまくすれば、阿波踊りをゆっくり見物できるかもしれへんな。)
何事もうまく事が進めば、の話である。14日に17番札所井戸寺まで打ち、そこから徳島市街へ戻って、翌日の15日の朝に京都行きのバスにのって帰途につく予定だった。問題は13日の遍路がどういうものになるかだった。12番札所焼山寺へはどれくらい時間がかかるかはわからないが、なんとかだどり着けるだろう。そこから後の展開がどうなるかが、全く読めなかった。下山してどこまで行くことができるのか、宿泊先も全く決めていない・・・。こんなことで本当に大丈夫なんだろうか・・・。阿波踊りどころの話ではないかもしれない。
店内に何人かのおじさんたちが賑やかに連れ立って入ってきた。明日からのイベントの準備作業に関わっておられた方たちのようだった。祭りの話で店の女主人の方と異様に盛り上がっておられた。楽しそうな会話を聞くにつれて、「よそ者」の寂しさを感じてしまうのだった・・・。
(やっぱり、観てみたいな・・・。阿波踊りは・・・!!)
話は飛ぶが、この後の14日の夜に僕は無事に徳島市街に帰り着くことができ、阿波踊りを見物することとなる。これもお大師様が僕を助けてくださったお陰だと信じているが、この11日の夜の時点では、そんな未来が待っていることなど予想できず、只々不安だけが重くのしかかっていたのだった。