道は広々とした田園地帯にさしかかり、遠目にようやく法輪寺の屋根が見えてきました。
「あそこに着いてしまうと、ほんとにもう終わってしまうんやな・・・。」
早くたどり着きたい・・・。これまでの札所を訪れた際にはそんな気持ちがあったものですが、今回ばかりはどうにも複雑な心境でした。たどり着きたいけど・・・、もう少し遠くにあってくれてもいいのにな・・・。もう少し歩いていたいな・・・。でも、前に進めば進むほど、お寺の姿は大きくなってくる訳で。
農作業をされている地元の方達に挨拶を交わしながら、一歩一歩噛み締めながら前へ前へと歩く。前へ前へ・・・。そして、ついに山門の前までたどり着いてしまいました。
9番札所法輪寺は、僕の個人的な印象ですが、これまで訪れた札所の中では最も小さく感じられました。そして、素朴で質素な感じ、なにか昔なつかしい雰囲気のある場所に思えました。
一礼して境内に入りますと、僕の他にも何人かの参拝者がいらっしゃったのですが、なんとも静かな空気が満ちていました。夕暮れ時のお寺の独特の空気とでも言ったらよいのでしょうか。落ち着きがあって、どこかのんびりとしていて、なにか哀愁を感じさせるような、そんな光景でした。
境内を掃き清める近所のおばさんがいる。元気に走り回る子供達がいる。地元の方が気軽に、心のよりどころとして立ち寄れるお寺なのでしょう。こういう光景を遥か昔に見たような気がしました。僕が本当に小さかった子供の頃に、家からそう遠くない(子供の足では遠かったのですが)場所に神社があって、よくそこで遊んだ記憶がおぼろげながらに残っているのですが、その光景に似ている気がしたのです。だから「昔なつかしい」場所に思えたのかもしれません。僕だけに限らず、昔の子供は神社やお寺の境内で、神様や仏様に見守られながら日が暮れるまで遊んだ経験はあるはずです。此処、法輪寺の境内は、どんな人にも「昔なつかしい」気持ちを抱かせてくれる場所だろうと思います・・・。
ベンチに荷物をおろし、杖立てに金剛杖を立てて、最後の参拝をさせていただきました。結局、般若心経1反唱えるのみというスタイルでここまで通したわけですが、うまく読経することができずに終わってしまったようです。ただ毎回、声だけはしっかり出すことは心がけていました。そして、最後の読経はこれまで以上に自然に声に力が入ってしまいました。
(いけない、もっとちゃんと読めるようにならないと・・・。練習をして、もう少しマシなお経を唱えられるようにならないと。次までには・・・。)
また来よう、此処へ。この四国へ。できればすぐにでも・・・!
今から思えば、僕が四国遍路というものにどっぷり浸かる日々が始まったのが、この瞬間だったのかもしれません。この「初めての遍路」の旅を始めた時の気持ちですが、正直なところ、「どういう世界なのか、一度触れてみたい。できれば全ての札所を回ってみたいけども、そう急がずに長い年月をかけて回れればいいのでは・・・。」といったものでした。それが現在では「とにかく時間があるのならすぐにでも行きたい、他のことよりも四国遍路や!!」と言った具合になってしまったのです。その心境の変わり目がこの法輪寺で参拝した時だったのでしょう。
納経所は最近になって建て替えられたものでしょうか。真新しい建物で、境内の雰囲気とはどこか違ったような感じもしましたが、なにはともあれ、墨書きと御朱印を頂きました。丁度、時刻は夕方の5時をまわろうとしていました。区切りよく、ここで「打ち止め」となったわけです。
荷物の置いてあるベンチに戻り、白衣を脱いで金剛杖を袋の中にしまうと、なんともいえない寂しさがこみ上げてきました。「お遍路」としての自分は、ひとまずはここで終わったのだと。
周りを見渡せば、いつのまにか参拝者の姿は見当たらなくなり、僕の他には近所に住む子供が2人遊ぶ姿と、その子達を向かえにきた母親達だけになっていました。一日が終わる・・・。夕暮れの哀愁ただよう境内の景色、それが僕の「初めての遍路」の旅の最後の景色となりました。そういう終わりかたも嫌いじゃないですね・・・。
山門を出て、振り返って一礼。「また戻ってきます」と心の中でつぶやきながら。
山門から少し歩いた場所に標識が見えました。
「→10番 切幡寺」と。
ここから先のへんろ道。僕には残念ながら歩くことは許されてませんでした。
このつづきは必ず。近いうちに必ず・・・。
西の彼方に伸びるへんろ道に想いを馳せながら、南の方角に向かって歩き始めました。また吉野川を渡って、麻植塚のホテルに向かうために。ひとまずは遍路の世界ともこれでお別れだと思うと、なんともいえない気持ちになりましたが、必ずこの地に戻ってくると固く心に誓って俗世に還る一歩を踏み出したのでした。
● 第九番札所 正覚山 法輪寺
〔御本尊〕 涅槃釈迦如来
〔御真言〕 のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
〔御詠歌〕 大乗の誹謗も科もひるがえし 転法輪の縁とこそきけ
「あそこに着いてしまうと、ほんとにもう終わってしまうんやな・・・。」
早くたどり着きたい・・・。これまでの札所を訪れた際にはそんな気持ちがあったものですが、今回ばかりはどうにも複雑な心境でした。たどり着きたいけど・・・、もう少し遠くにあってくれてもいいのにな・・・。もう少し歩いていたいな・・・。でも、前に進めば進むほど、お寺の姿は大きくなってくる訳で。
農作業をされている地元の方達に挨拶を交わしながら、一歩一歩噛み締めながら前へ前へと歩く。前へ前へ・・・。そして、ついに山門の前までたどり着いてしまいました。
9番札所法輪寺は、僕の個人的な印象ですが、これまで訪れた札所の中では最も小さく感じられました。そして、素朴で質素な感じ、なにか昔なつかしい雰囲気のある場所に思えました。
一礼して境内に入りますと、僕の他にも何人かの参拝者がいらっしゃったのですが、なんとも静かな空気が満ちていました。夕暮れ時のお寺の独特の空気とでも言ったらよいのでしょうか。落ち着きがあって、どこかのんびりとしていて、なにか哀愁を感じさせるような、そんな光景でした。
境内を掃き清める近所のおばさんがいる。元気に走り回る子供達がいる。地元の方が気軽に、心のよりどころとして立ち寄れるお寺なのでしょう。こういう光景を遥か昔に見たような気がしました。僕が本当に小さかった子供の頃に、家からそう遠くない(子供の足では遠かったのですが)場所に神社があって、よくそこで遊んだ記憶がおぼろげながらに残っているのですが、その光景に似ている気がしたのです。だから「昔なつかしい」場所に思えたのかもしれません。僕だけに限らず、昔の子供は神社やお寺の境内で、神様や仏様に見守られながら日が暮れるまで遊んだ経験はあるはずです。此処、法輪寺の境内は、どんな人にも「昔なつかしい」気持ちを抱かせてくれる場所だろうと思います・・・。
ベンチに荷物をおろし、杖立てに金剛杖を立てて、最後の参拝をさせていただきました。結局、般若心経1反唱えるのみというスタイルでここまで通したわけですが、うまく読経することができずに終わってしまったようです。ただ毎回、声だけはしっかり出すことは心がけていました。そして、最後の読経はこれまで以上に自然に声に力が入ってしまいました。
(いけない、もっとちゃんと読めるようにならないと・・・。練習をして、もう少しマシなお経を唱えられるようにならないと。次までには・・・。)
また来よう、此処へ。この四国へ。できればすぐにでも・・・!
今から思えば、僕が四国遍路というものにどっぷり浸かる日々が始まったのが、この瞬間だったのかもしれません。この「初めての遍路」の旅を始めた時の気持ちですが、正直なところ、「どういう世界なのか、一度触れてみたい。できれば全ての札所を回ってみたいけども、そう急がずに長い年月をかけて回れればいいのでは・・・。」といったものでした。それが現在では「とにかく時間があるのならすぐにでも行きたい、他のことよりも四国遍路や!!」と言った具合になってしまったのです。その心境の変わり目がこの法輪寺で参拝した時だったのでしょう。
納経所は最近になって建て替えられたものでしょうか。真新しい建物で、境内の雰囲気とはどこか違ったような感じもしましたが、なにはともあれ、墨書きと御朱印を頂きました。丁度、時刻は夕方の5時をまわろうとしていました。区切りよく、ここで「打ち止め」となったわけです。
荷物の置いてあるベンチに戻り、白衣を脱いで金剛杖を袋の中にしまうと、なんともいえない寂しさがこみ上げてきました。「お遍路」としての自分は、ひとまずはここで終わったのだと。
周りを見渡せば、いつのまにか参拝者の姿は見当たらなくなり、僕の他には近所に住む子供が2人遊ぶ姿と、その子達を向かえにきた母親達だけになっていました。一日が終わる・・・。夕暮れの哀愁ただよう境内の景色、それが僕の「初めての遍路」の旅の最後の景色となりました。そういう終わりかたも嫌いじゃないですね・・・。
山門を出て、振り返って一礼。「また戻ってきます」と心の中でつぶやきながら。
山門から少し歩いた場所に標識が見えました。
「→10番 切幡寺」と。
ここから先のへんろ道。僕には残念ながら歩くことは許されてませんでした。
このつづきは必ず。近いうちに必ず・・・。
西の彼方に伸びるへんろ道に想いを馳せながら、南の方角に向かって歩き始めました。また吉野川を渡って、麻植塚のホテルに向かうために。ひとまずは遍路の世界ともこれでお別れだと思うと、なんともいえない気持ちになりましたが、必ずこの地に戻ってくると固く心に誓って俗世に還る一歩を踏み出したのでした。
● 第九番札所 正覚山 法輪寺
〔御本尊〕 涅槃釈迦如来
〔御真言〕 のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
〔御詠歌〕 大乗の誹謗も科もひるがえし 転法輪の縁とこそきけ