十楽寺を後にして、次の札所の8番熊谷寺へ向かいます。時間は昼の1時を少し過ぎたくらいでした。遍路のガイドブックを見ますと、十楽寺から熊谷寺までは歩きで約1時間(4km)、熊谷寺から9番札所法輪寺までは歩きで約45分(2.7km)とあります。更に法輪寺から10番札所切幡寺までは1時間20分(5km)と書いてあるのですが、当初考えていた通り、今日は法輪寺まで歩くのが精一杯だろうと判断しました。移動時間だけを考えれば、切幡寺までは約2時間あれば歩ききれる。参拝も手際よく行えば、夕方の5時までには切幡寺に着いて御朱印と墨書きをいただけるかもしれません。ですが・・・。
今日の脚の状態を考えると、とてもじゃありませんが、ガイドブックにあるような標準的な速さで歩くことは無理でした。そして、「手際よく参拝をする」というようなことにも抵抗がありました。心のこもらない形だけの参拝になんの意味があるのか。そして慌しく歩くこと、周りの景色や道で出会う人たちになんの関心も持たずにひたすら先を急ぐというのはどういうものか。昨日、学んだことを無駄にしたくはない。自分にとって意味のある遍路をしたい。今日、できる限りたくさんの札所を回ったところで、「感じること」がなければ、ただのスタンプラリーにすぎない。「どれだけ歩けるか」にこだわるのではなく、「どれだけ感じ考えることができるか」に主点を置いて遍路をするならば、余裕というものがなければならない。そんなことを考え、やはり今日は、今回の遍路は9番札所法輪寺で打ち切るという形にしたほうがいいと思ったのです。ゆっくり歩いて、ゆっくり感じて・・・。少しでもなにかを学んで日常の生活に持って帰れれば・・・。
法輪寺までは約6.7km。納経所が閉まる夕方の5時まではまだ4時間ちかくありました。かなりの時間が残されていますから、あせる必要もありません。痛みの残る脚に無理な負担をかけずに、ゆっくり歩いて、まずは熊谷寺を目指します。
しばらく行くと、車道とへんろ道の分岐点に出ましたが、ここは努めてへんろ道のほうを選んで歩くことししました。僕の持っているガイドブックの地図では若干へんろ道のほうが距離が長いように思えましたが・・・。(実質はあまり距離は変わらないかもしれませんね。)なんせ、時間はたっぷりあります。せっかくのへんろ道なのですから、のんびり景色を楽しみながら歩きました。
「そういえば、カメラ持ってきてたな・・・。」
四国に行ったらなるべく風景を撮ろう・・・、そう思って持参していたデジタルカメラでしたが、ここにきてようやく使う気になったというところですか・・・。今までは歩くことに懸命でザックの奥に仕舞いこんだカメラを取り出すのも億劫になっていたのですが、まあ、せっかく持ってきたのですから、何枚かだけでも撮っておかないともったいない。ザックを道端におろして中をかき回して一番奥に仕舞い込んでいたちょっとレンズの大きめなデジタルカメラを取り出しました。しかし・・・。
「こういう形のカメラは歩き遍路には向かんなあ・・・。」
持ち歩くのには少し負担がある。せっかく取り出したカメラですが、また仕舞ったり取り出したりするのも面倒でした。
「画質は落ちるが、ケータイの写メでええか・・・。」
利便性を考えて、結局携帯電話のカメラを使うことにしました。
『歩き遍路の記念すべき1枚目の写真がこれ。8月以降の遍路から頻繁に写真を撮るようになるのですが、この写真が原点なんですねえ・・・!!』
『橋を渡る。恐らく御所大橋という橋ではなかったかと思うのですが・・・。この時はなにもわからず杖をつきながら橋を渡っていました、なんてことを・・・。』
結局、持参したデジタルカメラの出番はこれ以降もなく、無駄な荷物となってしまいました。余談になりますが、この先の8月に行った歩き遍路から頻繁にへんろ道の写真を撮るようになります。すべて携帯電話のカメラで・・・。
今日の脚の状態を考えると、とてもじゃありませんが、ガイドブックにあるような標準的な速さで歩くことは無理でした。そして、「手際よく参拝をする」というようなことにも抵抗がありました。心のこもらない形だけの参拝になんの意味があるのか。そして慌しく歩くこと、周りの景色や道で出会う人たちになんの関心も持たずにひたすら先を急ぐというのはどういうものか。昨日、学んだことを無駄にしたくはない。自分にとって意味のある遍路をしたい。今日、できる限りたくさんの札所を回ったところで、「感じること」がなければ、ただのスタンプラリーにすぎない。「どれだけ歩けるか」にこだわるのではなく、「どれだけ感じ考えることができるか」に主点を置いて遍路をするならば、余裕というものがなければならない。そんなことを考え、やはり今日は、今回の遍路は9番札所法輪寺で打ち切るという形にしたほうがいいと思ったのです。ゆっくり歩いて、ゆっくり感じて・・・。少しでもなにかを学んで日常の生活に持って帰れれば・・・。
法輪寺までは約6.7km。納経所が閉まる夕方の5時まではまだ4時間ちかくありました。かなりの時間が残されていますから、あせる必要もありません。痛みの残る脚に無理な負担をかけずに、ゆっくり歩いて、まずは熊谷寺を目指します。
しばらく行くと、車道とへんろ道の分岐点に出ましたが、ここは努めてへんろ道のほうを選んで歩くことししました。僕の持っているガイドブックの地図では若干へんろ道のほうが距離が長いように思えましたが・・・。(実質はあまり距離は変わらないかもしれませんね。)なんせ、時間はたっぷりあります。せっかくのへんろ道なのですから、のんびり景色を楽しみながら歩きました。
「そういえば、カメラ持ってきてたな・・・。」
四国に行ったらなるべく風景を撮ろう・・・、そう思って持参していたデジタルカメラでしたが、ここにきてようやく使う気になったというところですか・・・。今までは歩くことに懸命でザックの奥に仕舞いこんだカメラを取り出すのも億劫になっていたのですが、まあ、せっかく持ってきたのですから、何枚かだけでも撮っておかないともったいない。ザックを道端におろして中をかき回して一番奥に仕舞い込んでいたちょっとレンズの大きめなデジタルカメラを取り出しました。しかし・・・。
「こういう形のカメラは歩き遍路には向かんなあ・・・。」
持ち歩くのには少し負担がある。せっかく取り出したカメラですが、また仕舞ったり取り出したりするのも面倒でした。
「画質は落ちるが、ケータイの写メでええか・・・。」
利便性を考えて、結局携帯電話のカメラを使うことにしました。
『歩き遍路の記念すべき1枚目の写真がこれ。8月以降の遍路から頻繁に写真を撮るようになるのですが、この写真が原点なんですねえ・・・!!』
『橋を渡る。恐らく御所大橋という橋ではなかったかと思うのですが・・・。この時はなにもわからず杖をつきながら橋を渡っていました、なんてことを・・・。』
結局、持参したデジタルカメラの出番はこれ以降もなく、無駄な荷物となってしまいました。余談になりますが、この先の8月に行った歩き遍路から頻繁にへんろ道の写真を撮るようになります。すべて携帯電話のカメラで・・・。