気ままに歩いて候。

あせらず、くさらず、歩いていきましょう。 2007年5月の連休から始めた区切り打ちの四国歩き遍路の思い出を綴った記事を中心に掲載しています。

2007年10月

宿がない・・・

 徳島駅の正面口で荷物を降ろして、ひとまずは一段落。市街の様子をボーッと眺めながら、「とうとう着いたんやねー・・・。」としばらくは感慨にふけっていました。
 
 そのうちに我にかえると、これから一番考えなければならないことに気がつきました。

 「どこに泊まろうかな・・・・。」

 呑気というか、とことん甘いというか。宿の予約もとらずに京都から出てきたのでした。几帳面な方なら必ず旅に出る前に宿の手配はなさるでしょう。もちろん一方では、僕のような、なりゆきまかせでいくアバウトな方も世の中にはたくさんいらっしゃるでしょう。僕はもう、アバウトな人間の見本みたいな男なので、「宿の予約をとる」というような言葉すら旅の前には頭に浮かぶことはなかったのです。今までの経験上、なんとかなっていたもので・・・。これがよくなかったのかもしれません。


 まずは「動き出そう」と思い、信号を渡って歩き出しました。歩き出したその先に、一人の易者のおじさんが机を前にして座っておられました。そして、僕と眼が合うや、「手相はどうやっ!!」と声をかけてこられました。しかし、手相よりも宿さがしです。「いえいえ」と言いながら通り過ぎようとすると、
「あんた!!悩んでる相がでとるで!!」
とやぶからぼうに叫ばれました。
 僕は袋に入れた状態でしたが金剛杖を手にしていましたので、「ああ、これを見て悩んでるでとか言ってはるんやなー。」と思いながら、「そ、そうですか・・・。ありがとうございます。」と言って、そそくさとその場所を離れたのですが・・・。今から思いかえせば、このおじさん、これから直面する僕の境遇を見通しておられたのかもしれません。続きを読む

四国に渡る

 僕が四国遍路を始めるために四国に渡ったのは、今年(2007年)の5月の連休でした。あれから半年ほど月日が過ぎてしまった訳ですが、今でも5月の旅の記憶は頭の中では鮮明に残っています。記憶を呼び起こしながら、この最初の遍路の旅のことを載せていきたいと思います。「鮮明に残っています」とは言っても所詮は人間の記憶です。細かいことは忘れてしまっているでしょう。心強い味方として、当時の日記があります。旅で泊まった宿でその日に体験したことを書き留めておいたものです(けっこうマメなことをやっていたと今では呆れ返っていますが・・・)。記憶と日記をつかって、当時のことを振り返ってみようと思います。

 
 2007年5月3日、15時10分京都駅発徳島駅行きの高速バスに乗って四国に渡りました。四国に行くのは実はこれが2度目で、20代の頃に香川県から高知県までJR土讃線を使って一人旅をしたことがありました。大阪の南港から船で香川県に上陸して、瀬戸大橋を見に行ったり、土讃線に乗って、途中、大歩危小歩危や祖谷のかずら橋を観光して、高知市で播磨屋橋のあたりをブラブラしたり、桂浜に行ってはその美しい日本の海岸に感動したり。なかなか楽しい一人旅でした。
 お気楽だった20代の頃とは違って、今回の四国行きは楽しさを求める気持ちは全くありません。遍路の世界に、四国のもっと深いところに触れてみたい、そこから何かを掴み取って自分を見つめ直してみたい。あまり弾けるような気持ちはありませんでした。ましてや、その前の晩に、以前からくすぶっていた風邪をこじらして発熱してしまい、解熱剤を飲んで強引に体調を整えて来ているので、そういうことへの不安もあって、どちらかというと沈みがちな気分で四国に渡ったのでした。
 体調面の不安や「本当に自分は、しっかり歩き切ることができるのだろうか?」というような旅への不安があった反面、そういうネガティブな自分を楽しむ不思議な余裕のようなものもありました。「お遍路の旅は同行二人、自分ひとりだけで歩く旅ではない。自分ばかりがしょげててもしょうがないやないか・・・。」そう考えると、なんとなく元気がでてきました。

 18時すぎ、日はとっぷりと暮れてしましましたが、ようやくバスは無事徳島駅に着いて、僕はひとりのお遍路として初めて四国の地に降り立つことができたのでした。
 

四国遍路との出会いについて

 今日は、僕が四国遍路というものに出会うきっかけのようなことについて書いていこうかなと思います。

 「お遍路さん」という人達のことをはじめて知ったのは、たぶん10代のころだったと思います。当時、ドラマなどでとりあげられたりしていて、その頃の僕は「ああ、こういう人達もいるんだな・・・。」と なにげない思いで見ていました。ただ、その異様ないでたち・・・。全身白装束で菅笠をかぶり、杖をついて鈴を鳴らしながら歩いているという・・・。お遍路さんについての知識がまるでなかった僕にとって、その姿は妙に心に焼き付いてしましました。その後、僕の両親が仏事のことは詳しかったので、「こういう人達なんだよ」ということを教えてもらい、四国遍路というのもがどういうものなのかということを漠然とではありましたが、初めて知ることとなりました。

 20代の何時頃だったでしょうか。もう亡くなってしまっていた母方の祖父が、若い頃に四国遍路をしていたということを母親から聞かされました。祖父の思い出は、僕が子供の頃のものしかないのですが、大変信心深い方だったということを記憶しています。祖父の影響もあったのでしょう、母も若い頃から信仰心が厚く、毎日欠かさず般若心経を唱えていましたし、今もその習慣は変わりません。子供の頃から、そういう親の姿を見てきたせいもあり、僕の心の中にも知らず知らずのうちに信仰心のようなものが根ざしていったように思います。今にして思えば、その信仰心のようなものに、今までの人生の時間をずっと助けられてきたように思うのです。
 30代になった頃でしたか。その母が四国遍路をはじめました。バスツアーを利用してのものでしたが、四国から帰ってきた母は生き生きとしていて、その度ごとに行った霊場の様子や体験したことなどを語ってくれました。祖父の足跡を追うという思いもあったようです。「お大師さんとの二人同行やけど、おじいさんも一緒に廻ってくれていると思うから、三人同行やな。」ということを よく言ってました。
 
 そういう母の話を聞いているうちに、四国遍路の世界というものに少しずつ興味が沸いてはいたのですが、実際に自分がやってみようという考えは、その時はありませんでした。もともと歩いて旅をすることは好きでしたし、若い頃は度々やっていましたので、ただ普通に旅行するのであれば「やってみるかな」と気軽に行くということもあったでしょう。ただ四国遍路というものは旅行というような性質のものとは一線を画するものがあります。巡礼の旅であり、修行の要素も多分に含まれている。そうしたものに対して、当時の僕は「ちょっと自分には敷居が高いものなんじゃないか・・・。」という思いがあったのです。遍路の世界というものには興味があるし、どういう世界かみてみたいという気持ちはありましたが、とても神聖な世界だというイメージがありましたし、自分のようなものが足を踏み込んでもいいのかなと思っていました。

 その僕が今年になって、突然といえば突然なのですが、ふと「四国で歩き遍路をやってみようかな」という気持ちになったのです。続きを読む



六根清浄

1969年4月20日生まれ

京都市在住
2007年5月から始めた区切り打ち四国歩き遍路も4年目をもちましてようやく結願いたしました。支えてくださった皆様に感謝です。2巡目の構想も視野に入れながら、さらに日本の各地を「歩き旅」で訪れてみたいと考えています。自称『歩き中毒患者』(笑)


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