23番札所薬王寺を残して、阿波の国の霊場をほぼ歩ききることのできた自分ですが、まだまだ先は長く、お遍路としても駆け出しにすぎません。そんな僅かな期間ではありますが、僕の今までの遍路の旅をいつも支えてくれたのが金剛杖でした。

 僕が使っている金剛杖は、実は母から譲り受けたものです。バスでの四国遍路を2周終えられた母が「是非使ってほしい」と言われて僕に託されたのですが、この杖には因縁というのか、深い御縁があったように思うのです。はじめての杖との出会いは高野山でした。


 まだ僕が高校生だった頃、家族で高野山に登りました。とある宿坊で一泊し、翌日、山中の寺々などを回ったりしてのどかな夏の一日を過ごしておりましたが、そこで予期せぬ出来事がおこります。母が石段で足をくじいてしまったのです。症状があまり良くなさそうだったので、「これはなにか杖のようなものがいるな・・・。」と思った僕は、近くのお店(高野山中なので仏具関連の店だったと思います)に行って金剛杖を一本買ってきて母に渡したのですが・・・、何分あの当時の僕は仏心のかけらはひとつもなく、ましてや、金剛杖がどういうものなのかという知識すらありませんでした。ただ母の歩行の助けになればという単純な思いから買い求めたのです。

 それから十数年間、金剛杖は我が家の押入れに眠ったままだったのですが・・・。

 僕が30を過ぎた頃、母が四国遍路をはじめ、ようやく金剛杖は本来の役割を果たすこととなり、今は僕がこの杖を受け継ぐこととなりました。

 思えば、不思議な御縁なのかもしれません。

 階段で転んだりつまづいたりしたことのなかった母が、なぜ不意にあの時、あの高野山で怪我をしてしまったのか。偶然の出来事なのかもしれません、冷静に考えればそういうことなのでしょう。しかし、僕はそう単純には考えられない。母はこの時から、四国遍路をする運命だったのではないのか。高野山という場所で偶然にも金剛杖を手にするということには、意味があったのかもしれません。そして、その御縁が僕につづいている。僕もあの瞬間から四国からお呼びがあったのかもしれません。

 普段の生活の中でも、なにげないと自分でおもっている出来事が、実は大変な意味をもっていたというようなことが意外とあるのでしょうね。