四国霊場巡礼の旅を全て終えたあの時から、もうすぐ一年という時間が経とうとしている。あらためて時間の早さというものを痛感する。今でも、第一番札所霊山寺の山門に深々と頭を下げて「お遍路」というものに暫しの別れを告げたあの瞬間の出来事は鮮明な記憶として思い起こすことが出来るし、自分を取り巻いていたあの瞬間の景色というものも未だ瞼の奥にこびり付いている。恐らくこの先の人生に於いても尚、色濃く自分の心中に残っていくであろうこの思い出の記憶が、たかだか一年といった時間の経過で色褪せてしまうようなものでないことは重々わかってはいるつもりだ。しかしながら、かくも時の過ぎ行く流れとは早いものであったのかと思うにつけ、ある種の無常ささえ感じるのだ。

『かつて自分は「お遍路」といった“人種”に属していた。』

 今の僕は一年前の自分というものをこういった言葉によって振り返ることができる。“人種”などと、まるで巡礼経験のない第三者的な立場の人間の口から発せられるような表現をいとも容易に心の中に描くことができるようになった。「お遍路」をしていた頃の僕がそんな現在の僕と向き合えばどう感じるだろうか。さぞや寂しさや遺憾の念を覚えるにちがいない。かくいう現在の僕も正直をいえば、心の奥底では同じような感情を抱いている。「お遍路」だった自分は今もなお自身の中に息づいているのだ。いや、それが土台となって現在進行形の自分を作り出しているといってしまってもいい。にもかかわらず、過去の自分をまるで他人のように捉えてしまえるようになった心境の変化の様は一体どうしたものなのか。時間の無常さを感じるのも、そういった事情によるものかもしれない。実のところ、そんな自分の変化を自分なりに分析したくて今回の記事を起こした次第である。


 2011年の1月4日、最後の遍路の旅を終えて帰宅の途についた僕の心の中には、4年掛かりの巡礼を終えた充実感よりもむしろ寂寥感が強く漂っていたことは以前に御報告させて頂いたことと思うが、加えて別の想いもあった。なにかが始まる予感。新しいなにかが自分を待っているような漠然とした予感だ。そして、これまでにない良い年が幕を開けるのではないかという期待感もあった。なにを根拠にそう思ったのかはわからないが、そんな気がしたものである。しかし反面、それは一時の高揚感より生じたことであることも重々承知していた。実際、どんな未来が待ち受けているかなどは蓋を開けてみないことにはわからないものだからだ。
 では、実際はどうであったのか。残念ながら「良い年であった」と諸手を挙げて喜べるような年ではなかったように思える。個人的にいえば、大きな支障となる出来事は起きなかった(体調面の事など細々とした問題はあるにはあったが、ここでは省きたい)ことを思えば、感謝しなければいけない年ではあったと思う。しかし、社会全般に目を向ければ、かつてない大災害(人災も含む)が東北地方を襲い、大きな悲劇にこの国は見舞われた。また、隣の大国の船舶が日本のみに留まらず周辺諸国の海域にしきりに出没するという穏やかならざる事態も起きている。欧州では経済に破綻をきたす国の数が序々に増えている。北アフリカの国々では変革の嵐が吹き荒れ、状況は流動的だ。そして、これは今年に限ったことではないが地震などの自然災害に見舞われる国は後を絶たない。あくまで私見だが、このように主だった出来事を並べて捉えてみれば、なにか社会全体が不安や閉塞感に覆われた憂鬱な一年だったように思われてならない。社会全体がそうである煽りを受けてか、自分を取り巻く環境もまた、どこか閉塞感から抜け出せない空気が濃厚に漂っていた。

 あの、年の初めに感じた漠然とした期待感はなんであったのか。所詮は一時の高揚感でしかなかったのだろうか。
 話は逸れるが、四国巡礼を終えた後の自分の事を述べたい。四国歩き巡礼というものに一区切りをつけはしたものの、「歩く」自分というものは未だに健在である。「歩く」という行為はこれまで以上に僕の生活の中では重要な要素となっている。毎日の通勤は欠かさず歩くことを心がけており、その歩くリズムや躍動感が仕事などに於いての思考や活動力の源になっている。また、歩きを中心に据えた旅も今年は回数こそは少なかったものの、相も変わらず続けている。以前、御報告させていただいた高野山への巡礼(やはり今にして思えば、あの巡礼は四国遍路の延長線上の旅だったとは言いづらい・・・)もそうであったし、10月の連休には久々の秩父巡礼も行った。様々な事情と折り合いさえついたならば、もう少し旅する機会を増やしたかったのだが、残念ながら今年はそういうわけにはいかなかった。歩き旅に限って言うならば、なにやら不完全燃焼な一年になってしまった感もあるが、歩くことへの楽しみがまだまだ持続している今の自分には充分満足している。これも四国遍路の賜物だろうか。
 それにしても、ここ数年来に比べて、どことなく空虚さを感じながら日々を送っていた気もする。昨年までの僕の頭の中を占めていたのは、仕事に関してのことはもちろんだが、やはり四国遍路への想いが大きかった。「次の旅のプランをどうするべきか」「どんな道具をそろえれば、より快適な遍路を行えるだろうか」など、常に気持ちは四国路に関する事柄に向いていた。いわゆるお四国病というものに罹っていたことは間違いないだろう。そんな心地よい病との付き合いも、今年の正月をもって終わりを迎えた筈だった。全て終わった、そこでうまく気持ちの切り替えが出来ればよかったのだが・・・。四国遍路の次にやりたいこと・行ってみたい場所などについての計画が全く無かったわけではない。むしろ、有り過ぎて困るほどだった。だが実際に遍路を終えてみると、どうもすんなりとそちらのほうに気持ちが向かないのだ。できうることなら・・・、また四国路を歩いてみたい・・・。何故かそういった思考から抜け出すことができなかった。まだ2巡目を歩くには早すぎるだろうと自分に言い聞かせてはみたものの、どこか気持ちが定まらなかった。まだまだ心地よい病との付き合いはまだ終わっていなかったのである。まさに、「恐るべし、お四国病」といったところだろうか。この病が“完治”していないことについては、むしろなんの支障もなく、喜びすら感じる・・・、と言いたいところだが、ただ少し問題があった。
 お四国病の副作用と表現するのが正しいのかどうか判断に迷うところだが、心の不自由さを感じるようになった。何処でそんなことを感じるのかというと、普段の生活を営む一般社会の中に於いてである。僕が体験したお遍路の世界は、あまりにも素晴らしい世界だったと今にして感じることができる。旅すがら眼に映る美しい自然や人里の景色、出会った人々の優しさや素朴さ。全てのものが僕が生活をおくる日常の世界には無いものばかりだった。いや、正確に言えば、あるにはあるのだろうが、その存在感は極めて希薄に感じられる。そういった素晴らしい要素を希薄にさせてしまう、押し殺してしまう、それが僕らの住む現代の日常社会だ。巡礼というものを体験して、その“素晴らしいもの”と触れ合いをもつことで、日常社会というものが如何に汲々として情の無い世界かということをより強く実感するようになった。最も痛烈に感じた瞬間が、一番最初の区切り打ちの旅を終えて帰宅する途上だった。「オレの住む世界はかくも窮屈な世界だったのか」と強い違和感を覚えたものだった。それから幾度と旅を重ねて、そんな違和感にも慣れ、また寛容に受け入れられるようになったと思ってはいたが、遍路を終えた今の自分が果たしてこの日常社会を手放しで受け入れられるかと問われれば言葉に詰まってしまう。心にゆとりのない人達、自分のことだけであくせくしながら他人を思いやれない人達、常に“戦い”を求め打ち勝つことだけを考えている人達、自分を上位に置きたがり他人を見下す人達・・・。そんな人達の姿がどうしても視野に入ってくる。そんな人達がますます増えているようにも思える。「じゃあ、自分はどうなんだ?」と自問すれば、間違ってもそんな人達とは縁もゆかりもない立派な人間ですとは胸を張って言えるわけでもない。『一体、こんな社会に生きていく意味なんてあるんだろうか。こんな社会に身を置く自分という存在もなんと不確かなものだろうか。』とどうにも情けない気持ちになってしまう。
 
 これが、お遍路を終えた『結果』なのだろうか・・・。

 僕の4年に渡る遍路の末に見たものは、より鮮明に浮き彫り化された日常社会の「膿」であったのだろうか・・・。

 いいや、断じてそうではない。そうあってはならないのだ。遍路が僕に教えてくれたことがそんなちっぽけなものであっていいわけがない。

 見方を変えてみればどうだろうか。じつは全ては自分に問題があるのではないかという視点にたって考えてみればどうだろうか。

 人の世にはいつの時代も常に「欺瞞」や「虚栄心」、「欲心(あらゆる欲に宿る心)」、「恐れ」、そんな負の要素は人と共存してきた。いや、それそのものが人といってもいいだろう。人の持つ業ともいえるだろう。人が自ら戒めるべき要素ではあるが、そんな要素があるからこそ、人が人でありえるのだ。全ての人という人が、それらのものから解き放たれて、いわゆる“解脱”の境地に至り聖人のようになってしまったならば、それは人の住む社会とは言えなくなるのではないだろうか。光と闇、善と悪、そういった二元性が保たれてこその正常な世界のように思える。(悪の存在を肯定するわけではない。ただ、悪の本質を知らぬ善こそ恐ろしいものはないのではないか?)
 僕にはそういった人の業、人の本質に対しての寛容さがまだまだ欠けているような気がする。いけないことはいけないことだと意見することは大事なことだ。ただし、何故“いけないこと”と呼ばれる行為が人から生まれてくるのか。そういう視点で周囲を見渡せば、見えてくるものはおそらく人の心の中にある「弱さ」ではないだろうか。それは全ての人が抱えるものである。そういったものに対して“厳しさ”をもって道を示すことも必要だろうが、寛容さをそこに加えたならば更によくはならないだろうか。

 僕は未だ、ゆとりをもって他人を見守る精神が未熟のようだ。それ故に日常社会に対して窮屈さを感じ、心の不自由さを覚えるのだろう。そんな僕にとって、四国路を巡る旅の世界はどれほど救いとなったことか。本来の自分自身を取り戻せる場所、本当の人の優しさを感じれる場所だったのだ。そこに身を置くことで新たな活力を自身の中で生み出し、日常社会で生きていくための糧とする。そしてまた日常社会で疲れを感じたときに、四国路へと還っていく。この数年間はそんな循環を繰り返しながら過ごしてきたように思う。
 しかし、そういった僕の行為は少し穿った見方で捉えたならば、単なる「逃避行」ともなりかねない。日常社会から“逃げる”つもりで巡礼というものを行っていた意識は全くないのだけれども、日常社会からほんの少し距離を置きたいという意識はあったと思う。ある意味、「逃避行」という表現は不本意ながらも的を得ているのかもしれない。
 
 
 お遍路を通じて学ばせてもらったことは、日々の生活の中に生かされねばならない。日々の暮らしの中に喜びを見出し、大らかな気持ちで生きていくことができればそれがなによりも幸せなことだろう。今の僕の暮らしはどうかと考えれば、お遍路を始める以前と比べれば些細なことにも喜びを感じられるようになったし、心のゆとりの幅も広がったと思う。しかし、日々の場面の中で思わず眉をしかめたくなるようなものに遭遇するたびに、どうにもやるせない気分になる自分というものに不自由さを感じるのだ。本当はもっと人というものを好きになりたいのに・・・。自分の住む世界にもっと愛情を感じたいのに。
 「また遍路の世界に還りたい・・・・」、そんな想いが気がつけばまた頭をよぎるようになっていた。あの世界で感じたこと、汗をかきながら一心に遍路道を歩いたときの清々しい爽快な気分、旅の途上で出会った遍路仲間と心を分かちながら一緒に目的地を目指す楽しかった思い出が、今となっては本当に懐かしくてならなかった。日常の中で心の不自由さを感じるときは、とりわけそんな想いは強くなっていった。「早いかもしれないけども2巡目を始めてみようか」と真剣に考えてしまうこともあった。しかし、同時に心のどこかでそんな自分の気持ちに疑問を感じてもいた。
 
『本当にそれでいいのか?同じことを繰り返して道は見えてくるのか?』
 
 「繰り返し」。結局のところ、今の僕はお遍路をしていた4年間の思考をまた繰り返しているだけにすぎなかった。心が疲れたときに日常というものから距離をおき、四国の大地を歩きながら本来の自分を取り戻す、そして日常に帰り・・・、また・・・。今の気持ちのままではこれまでと同じ循環を果てしもなく繰り返すだけのことではないのだろうか。はたして、その「繰り返し」によって僕の住む日常社会に大きな光を見出すことができるのだろうか。いや、逆にますます日常社会に対して溝を感じることになっていきはしないだろうか。2巡目の遍路の旅を始めることが今の僕にとって大きな意味があるのかと考えれば、やはり疑問符がつく。1巡目の遍路の旅を始めたときは、なにか目に見えない大きな力の導きをどこかで感じていた。その力に誘われて四国路を歩くこととなり、言葉で語りつくせないような充実した4年間をおくることができた。今の僕はその大きな力の誘いを感じることはない。あの不思議な感覚を感じることがないのだ。おそらく、まだ“御呼び”がかかっていないのだろう。そんな状況の下で、2巡目の旅を始めることが自分にとってなんの意味があるというのだろうか。なにも感じることのない不毛の旅となるであろうことは明らかなことのように思える。それでも敢えて四国路へと向かったならば、その行為はただの心の癒しを求めるだけの依存行為としかならないだろう。

 今の僕には、まだ2巡目の遍路を行う資格がないことにようやく気づいた。今の僕の修行の場は四国遍路の世界ではないように思える。今の僕が向かい合うべき場所は、僅かな光を放ちながらも大方が垢と泥に塗れた身近な世界である。闇や悪をも包み込んだ、濁ったドブのような、この日常社会なのである。自分もそのドブの中で浸かりながら、その一部になりながら、ドブの本質を見つめてゆく。ドブの中にも一筋の清流は見えてくる筈である。いや、見つけなければならない。少しでも多くの清流を。それが今の僕に課せられた修行のように思えるのだ。それがわかった気もするし、あるいはそうすることがなにか大きな力に導かれてのことかもしれないのだ。1巡目の遍路の旅では、大変多くのことを学ばせていただいたし、人生観が変わるほどの体験もさせていただいた。しかし、ついに日常社会における他人への深い寛容さを会得することはできなかった。これはまだまだ自分という人間が小さく未熟故のことだろう。今一度、俗世の中で未熟な自分と向き合い世間とも向き合いながら日々修行を重ねる必要がある。見えない力が僕にそう言っているような気もする。まだ再び四国を訪れる時ではないと・・・。その導きに素直に従っていこうと思う。そうして近い未来に自分がひとまわり成長することができたならば、ひょっとすると“御呼び”がかかるかもしれない。僕が2巡目の遍路の旅を始めるタイミングは、まさにその時なのかもしれない。それまでは、暫し四国への想いとは決別して、静かに日々を過ごしていこうと思っている。

 未だ残る四国への熱い想いと決別することは容易なことではなかった。しかし、ここで一区切りをつけなければ、僕自身が先へと進むことは困難な事だった。そこで、周りに存在する一切の遍路に関する情報を遮断することにしたのだ。書籍やネットをはじめとするあらゆる媒体から距離をおくことにした。とくにその行為に徹した期間が夏より数ヶ月の間だったと思う。辛く切ない期間だった。あれほど慕いつづけた遍路の世界との決別、「お遍路」だった自分との決別。決別とはいってもそれは“断ち切る”という行為ではない。暫しの間、別れを告げるだけなのだ。お四国との御縁が終わったなどとは到底思えないし、大切なことを教わったお四国への御恩もいつかはなにかの形で返さなければいけないと思ってもいる。“断ち切る”ことなど、僕には有り得ないことだ。ただ、手に負えないほどの覚めぬ情熱を抱える今の僕への対処法としては、どうしてもこの「暫しの決別」という行為は不可欠だったのだ。
 辛い気持ちを紛らわすために、いくつかのことにのめり込んだが、その中で楽しさを与えてくれたのが若いころにほんの少し嗜んだギターだった。いい機会だから、もう一度基礎から取り組もうと若いころの気持ちに戻って没頭した。ついでながら、新たな試みとしてウクレレもはじめてみた。こういった弦楽器の趣味にどれほど助けられたかと今にしてしみじみ感じる。10月に行った久しぶりの歩き巡礼の旅となった秩父霊場の探訪においては、「自分は遍路であった」という意識は捨てて一人の俗世間のしがない男であるという気持ちで巡礼道を歩いた。山道などにさしかかると、さすがにかつて歩いた遍路道を思い出したが・・・。

 こうした行為を積み重ねた結果か、現在の僕はお遍路だった頃の自分を客観的に見つめなおすことができるまでになった。なにを隠そう、実のところは自らそういった自分像を作り上げていたのである。「かつて自分はお遍路という“人種”だった」と口に出して言える状態に自分自身を変えたのは僕だったのだ。

 しかしながら、最初に記載させていただいとおり、お遍路であった自分というものは今でもしっかりと僕の中に根を下ろしている。そのかつての自分が、これからも僕を導いてくれると信じている。これからどんな道を歩んでいけばいいのか、その道を照らし導いてくれるだろう。「まさか、お前(オレ)がそんなに変わるなんてなあ・・・」と苦笑いを浮かべながら。そして、四国路で見守ってくださった御大師様もこれから先も御導きを与えてくださるはずだ。恐れず迷わず、これからの人生を生きていこうと思う。

 あの霊山寺から帰途についたときに感じた、「なにかがはじまる」といった予感はこういった今現在の僕の状況に対する予感だったのではないだろうか。遍路を終えて一年近く経って、ようやくそのことに納得した次第だ。