石鎚山今宮登山道入口














『 河口 今宮登山道の入口 』


 【2010年5月3日】

 石鎚山の登山道は大きく分類すれば4つのコースに搾られる。まず一つ目は愛媛県上浮穴郡久万高原町面河(おもご)方面から面河山を経て山頂を目指すコース。昔から「石鎚山の裏参道」の名で親しまれてきたが、石鎚スカイラインが開通(1970年)して後は利用者も少なくなったという。四国八十八霊場四十五番札所岩屋寺より石鎚山を目指す場合はこのコースを通らねばならない。二つ目は同じく愛媛県上浮穴郡久万高原町の梅ヶ市から石鎚山系西端の山とされる堂ヶ森、そして二ノ森を経由するコース。二ノ森から山頂に至る道程は見晴らしもよく、その景色の素晴らしさから登山者の間では人気の高いコースとなっているようである。三つ目は石鎚神社土小屋遥拝殿のある久万高原町の土小屋から鶴ノ子ノ頭の北側を抜けて山頂を目指すコースである。土小屋という場所は石鎚スカイラインの終点に当たり、また南の岩黒山・筒上山への発信基地にも位置することから、宿泊施設なども完備されていて車を利用する参拝者にとっては便利がよく、ここを起点にする登山者は多いようだ。
 そして四つ目が「石鎚山の表参道」と呼ばれる河口・西之川方面から山頂を目指すコースだ。西之川には成就社行きのロープウェイの乗り場があり、近くには宿泊施設や駐車場も揃っている。またJR伊予西条駅からは西之川へのバスも運行しているため、車の利用者だけに留まらず、交通機関のみを利用する登山者にとっても便利がよく非常に人気の高いコースのようだ。成就社付近にはスキー場もあり、冬になれば多くのスキー客がロープウェイに乗って訪れるようである。
 今回、僕が進むルートとなるのがこの「石鎚山の表参道」と呼ばれるコースである。登山口は河口と西之川(ちなみにこの2ヶ所の距離間は4kmほどである)にあるが、横峰寺からつづく「修行の道」は河口の登山口を経て山頂へと至る行程となっている。弘法大師の足跡を追うならば、河口から山に入らなければならないのだ。
 河口から成就社までは2本の山道が通っている。一本は「黒川道」と呼ばれる山道、そしてもう一本は「今宮道」と呼ばれる山道である。

 話は遡るが、遍路の旅に出る一週間ほど前の事。改めて石鎚山道についてあれこれと下調べをしていたが、「黒川道」と「今宮道」の2本の山道のうちの何れが御大師様の通られた道なのかが結局最後まで判らなかった。できれば忠実に御大師様が歩かれた道を自分も歩いてみたかったのだが・・・。はっきりしないのであれば仕方ない。もうそこには拘らずに、むしろ時間や体力面のことを優先に考えながら進路を決めることにした。僅かな登山経験しかない自分にとって無難な道はどちらなのか?と考えてみれば、やはり距離の短そうな「黒川道」となるだろう。地図で確認すると、「黒川道」が成就社までほぼまっすぐ伸びているのに対して、「今宮道」は前半あたりまではなぜか大きく迂回するような道のりになっている。平面の地図だけで判断するならば、明らかに「黒川道」を選んだほうが有利に思える。しかし、山道というものは地図を一見しただけではどういう道なのか判別しずらいところがある。記載された等高線や距離数・時間数から大まかなイメージは得られるが、果たして実際はどういった道であるのかは行ってみなければわからない。それでもどうしても事前に知っておきたいのならば、行った人の話を聞くのが一番良いわけで、「黒川道」「今宮道」を踏破した経験を持つ人は自分の周りにはいないため、ネットでそういった人たちの体験談を探してみた。『多分、圧倒的に黒川道を選んだ人が多いだろう・・・』と正直タカをくくっていたのだが、いくつかの体験談を読むうちに予想もしなかった結果にぶち当たった。どうやら「黒川道」は現在は閉鎖されているのだという・・・。道の状態が悪いからなのか、詳しい事情までは体験談からは読み解くことはできなかったが、はっきりわかったことは「今宮道」を進むしか選択肢はないということだった。
 念のために、予約を入れておいた成就社付近のH旅館に改めて電話で状況を聞いてみることにした。電話越しに宿の御主人が色々と教えてくださった。

 「・・・うん、今は黒川道は通れんようになっとるみたいだから、今宮道を登ってくるしかないわのう・・・。」
 「今宮道を通ってそちらに行くとしたら、だいたい時間はどれくらいかかるもんなんでしょうかね?」
 「うーん。だいたい3時間くらいみといたらええと思うけどなあ。ほんまに脚の速い人じゃったら、2時間くらいじゃったか。それぐらいで登ってきた人も前におったの・・・。」
 「・・・ち、ちなみに、そっちって標高がかなり高いですよね。この時期って、ひょっとして寒いってことはありませんかね?!」
 「いやあー、そんなこともないわ。山の下の気候とそんなに変わらんけん、そこは心配せんでええと思うけどな・・・。」

 成就社の宿の御主人が言うのだから、まず間違いはないだろう。黒川道は完全に諦めたほうが良さそうだった。
 今宮道の道筋を今一度確認するために、石鎚山の地図を拡げてみた。地図には道ごとに徒歩での所要時間が細かく記載されている。それによると、河口から今宮道を通って成就社に至る時間はおよそ4時間となっていた。黒川道を通ると、それよりは30分短い3時間半。「やっぱり黒川道のほうが距離が短いんやな!残念やなあ!」と落胆しながら、何気に今度はへんろ道保存会の地図で確認してみると・・・。なんとそこには意外な表示があった。黒川道の総距離が「5.6k」と記されているのに対して、今宮道は「5.1k」となっている。わけがわからなくなった。明らかに地図で見た印象ではどう見ても今宮道のほうが長く思えるのだが。「いや・・・、実は黒川道という道は勾配がキツイのかも・・・」、勾配のきつい道筋は平面の地図では短い線で記載されてしまう。全体的に短く見える黒川道も3次元的な視点でみれば実際は思ったよりも距離は長いのかも・・・。そう考えるしかなかった。なるほど、等高線をみれば若干黒川道のほうが線が混み合っているようにも見える。しかし、山の地図にははっきりと所要時間が載っているのだ。今宮道は黒川道よりも30分多く時間を消費する。この両地図の認識の差は一体なんであろうか・・・。
 登山経験の豊富な方には笑われるかもしれないが、僕のような経験不足の人間にはやはり「山道というものは難解だ」と思わざるをえない。まあなにはともあれ、はっきりしていることは今宮道を進むしかないこと、成就社までの所要時間が3時間か4時間くらいということだ。あとは遭難しないように道筋をしっかり確かめながら進めばなんとか成就社までたどり着けるだろう。

『とにかく、やるしかないわ・・・』、そう腹を決めて今回の旅に出発したわけだが・・・。

 四国に渡った後も今宮道のことは常に頭の中の片隅にあって、遍路路を歩く僕の心に時折揺さぶりをかけていた。先のことは気に病んでも仕方がないことなので、なるべく考えないようにしながら遍路の初日、そして横峰寺までの道中を歩いてきたわけだが、モエ坂に入ってからはいよいよ考えないわけにはいかなくなってきた。一体どんな山道なのか?本当に3、4時間で成就社にたどり着けるのか?なにより自分に本格的な登山経験が無いこと、前回の遍路の旅から8ヶ月ものブランクが開いたことで脚力に自信がもてなかったことが心配の種だった。「でも、横峰寺までの山道も何の問題もなく歩けたやないか・・・。大丈夫。」と自分を励ましながらメンタル維持に努めたものの、やはり不安要素には打ち勝てず、それがモエ坂を下るペースを速めてしまうこととなった。そのおかげでなんとか予定時間内にモエ坂を下り終えることができたことも事実だが・・・。本当に怪我がなくてなによりだったと思う。

 モエ坂の行程を終え、ついに「悩みの種」だったともいえる今宮道に脚を踏み入れる時が近づいてきた。今回の遍路の旅の中で最も過酷な行程となることは間違いないだろう。
 県道142号線を東に向かう。程なく行くと(というかモエ坂の出口のすぐ近くだったが)、あの黒川道の山道の入り口が見えてきた。山道が閉鎖されていることは重々承知してはいたものの、未練がましいとは思ったが僅かな望みをかけて入り口近くまで行ってみる。と、道標が一本建っていてなにやら白いプレートが括り付けられている。プレートにはデカデカと『黒川道は通行できません』との表示と今宮道入り口に関する情報が載せられていた。
 (やっぱりアカンか・・・。しかし、なにもここまではっきり書かんでもねェ・・・。)
 一応想定内のことだったとはいえ、どうにもシビアに現実を突きつけられたような気がして落胆もひとしおだった・・・。まあ落胆してボヤくのは僕の勝手であって、こういった表示は実際にはハッキリ書いてもらわないとそれはそれで問題がある。曖昧な表示だと「かまへん、行ったれ!」と脚を踏み入れる無鉄砲な登山者も多く出てくることだろう。挙句、遭難事件が多発しては、目もあてられない事態になることは間違いない。災いが起こる前に充分な備えをしておくことはとても大事なことである。プレートの設置は当然の事であり、ここは設置された方々に対しての感謝の念を持つべきだろう。


石鎚山黒川登山道入口黒川登山道の注意書き







『 黒川山道入口と注意書きのプレート 』



 黒川道の入り口を通り過ぎ、今宮道の入り口に向けて県道を進んで行く。県道に沿って加茂川という河が流れている。加茂川と聞くと、僕のような京都市民としては京の町を流れる鴨川(賀茂川・加茂川)を連想してしまうが、じつは日本全国のいたる場所にこの名を持つ河川が無数に存在する。「加茂川」の名前の河川は特に多く、北は北海道から南は九州の福岡県まで、ほぼ日本の国土を席捲するかの如くの数にのぼる。この県道沿いに流れる加茂川は、四国で唯一「加茂川」の名を持つ河川であり、水資源に恵まれた愛媛県西条市に於いては最長の長さを誇る県内有数の二級河川ということらしい(詳しいことは「西条市 水の歴史館」のサイトを参照)。水源は石鎚山で、その流れは黒瀬湖を経て瀬戸内海に注ぐ。(ちなみに石鎚山下山後は、この川の流れを追うかたちで伊予西条の街を目指して長い徒歩行をすることになるのだが、それはまた続きの講釈で・・・。)
 県道142号線から眺める加茂川の景色はいかにも上流の河の景色といったかんじのもので、河川の幅は広くはなく水の流れは穏やかでとても澄んでいるのだが、河中の至る所にゴツゴツとした巨大な岩が居座っている。その形状の荒々しさ、ダイナミックさは人の目を惹きつける得体の知れない魅力があり、そういった意味では河の主役である水の流れの存在を完全に食ってしまっている。「此処の主役は俺達なんだぜ」といわんばかりの存在感。そんな自然が生んだ造形物の素晴らしさに見惚れながら歩く時間はなんとも楽しいものだった。
巨岩に劣らぬ存在感を見せるのが、左右間近に壁のように拡がる山々の姿である。木々の緑が晴天に映えて生き生きとした色彩を放っている。そこから感じ取れる自然の息吹や躍動感のようなものが圧倒的なスケールで見る者の心に迫ってくる。これはまさに、『絶景』である・・・。


加茂川の景色県道142号線を進む







『 県道より加茂川を眺めて 』             『 県道142号線を河口へ進む 』



 この素晴らしい自然に満ち溢れた景色が、僕を石鎚山の世界へと誘っているかのように思えた。その扉はもう間近である。扉の向こうにはどんな世界が待ち受けているのだろうか?

(オレみたいなもんが、入ってもいい世界なんかね・・・。)

 山間の地の壮大な景色に圧倒されたのか、景色に息づく自然の息吹にたじろいたのか。知らぬ間に少し弱腰になってきている自分に気づき、ハッとする。いけない、こんな気持ちでは・・・。
 たしかに自分には本格的な登山のキャリアはない。1000m以上の山に自分の脚で登った経験など生まれてこのかた全くないのだ。そんな自分にはたしてできるのだろうか。これから目指す石鎚山成就社は標高およそ1400mの位置にある。そんな場所にたった一人で辿り着くことが可能なのだろうか。『本当に今から行くのか?やれるのか?登れるのか?自分の脚だけで。本当に・・・。』
 自分の「負」の要素について考えをめぐらせば、それは果てしの無い作業になるだろう。キリがないのだ。ある種の「負」の要素が、また違う「負」の要素を呼び、その連鎖はとめどもなくつづいてしまう。最終的には自分の存在というものを完全否定してしまうことになっていくだろう。だが、そんな行為になんの意味があるというのか。

(やれる!絶対やれる・・・。そう思わんと・・・。)

 経験の浅い自分に不信感を抱いてばかりいても、なにも始まらないのだ。前向きに考えよう。現在の自分というものの存在をもっと肯定的に考えよう。確かに立派な登山のキャリアは無いに等しいが、自分には四国遍路の道をここまで歩いてきたのだという自負がある。山あり谷あり決して平坦な道ばかりではなかった。時には灼熱の暑さの中で悶えながら、時には漆黒の暗闇の山道をさまよいながら、此の場所に至るまでの数々の行程を懸命に乗り越えてきたという自負は確かにある・・・。四国路に鍛えられたこの脚があれば、絶対に『やりきれる』筈だ!

 弱気を振り払い、改めて気力を漲らせながら県道を進んでいった。モエ坂の出口を出発してから15分程は経っただろうか。ようやく今宮登山道の入り口にあたる河口に到着した。

 三碧橋という橋のたもとに、せとうちバスの停留所があった。停留所のベンチに荷物を下ろし、ここで昼食を摂ることにした。座り込んで、今朝小松のコンビニで買い込んだおにぎりとパンを頬張りながら、あたりの景色を見渡してみる。三碧橋の向こうに伸びる県道12号線は加茂川の流れに沿いながら西条の街方面に繋がっている。石鎚山下山後は、この道を歩いていくことになるだろう。橋を渡らずに南西方向へと道なりに進めば、西之川の地にたどり着く。ロープウェイの乗り場がある場所だ。河口から歩いても1時間はかからないだろう。ふと、『考え直すのなら、今のうちだぞ。西之川に向かう機会は今しかないぞ。ロープウェイに乗ったほうが正解かもしれんぞ・・・。』とよからぬ邪念が湧いてくるのに気づき、懸命に頭を振った。いかん、いかん。オレは絶対に自分の脚で登りきるぞ、「修行の道」を見事に歩ききってみせるぞ、ここまできたら後には引けんやろ・・・!そう強く念じながらまだ微かに残っている弱気を押し殺そうと躍起になっていた。

(あかん・・・、もう早く山道に入ってしもたほうがええわ・・・。)

 じっとしていても、ろくなことはない。いらぬ考えが頭をよぎるだけだ。動きだそう、腹ごしらえも済んだことだし・・・。

 視線を登山口へと移す。

 バス停とは車道を挟んだ場所に建つ白い建築物(なんの建物だったかは記憶が定かでない)の位置から、なだらかな坂道が山中に向かって伸びている。道の入り口には「今宮登山道 成就まで6.6km」と書かれた白い看板が見える。6.6kmという距離は平坦な道であればおよそ2時間あれば歩ききることができるだろう。しかし、複雑な山道となると・・・。2時間というわけにはいかないのは明らかで、おそらくその倍の時間が必要になってくるのではないだろうか。
(宿のおっちゃんは3時間かかると言ってはったけども・・・。ほんまに3時間で済むんやろか・・・?)
 多分、それ以上の時間がかかると覚悟しておいたほうがいい。『3時間ぐらい』というのは、登山慣れした人の歩く速さを基準としたものであって、僕のようないわゆるド素人はその基準には到底当てはまらないだろう。早くて4時間ぐらいか・・・?最悪の場合は一体・・・?
 いや、もう最悪のケースについては考えるのはよそう。気が滅入るだけだ。落ち込んだ気分で物事を成し遂げようとしても碌な結果にはならないのだ。ここはひとつ、「馬鹿」になりきろう。登山慣れした人間のつもりになって、『3時間ぐらい』の壁に挑んでみようではないか。それぐらいの気持ちにならないとこの山道は進めないだろう。

(早くて3時間、遅くて4時間・・・。これでいこう!!)

 地図で確認すると、現在の河口の標高は210mで成就社が1400m。つまり、標高差およそ1200mの行程を3時間で乗り切る。単純計算すると1時間に400mの高さを登り切らねばならない。やれるのだろうか、果たして。
 あれこれと考えている時間もなかった。時刻はもう午後の2時をまわろうとしている。すぐにも出発しないと、日が暮れて大変なことになるだろう。「やれるかどうか」は問題ではない。「やる」のである。

 腹を決めて、ついに坂道へと脚を踏み入れた。

 後戻りのできない石鎚登山がこの時から始まった。予想していた通りの、いや、予想を遥かに上回る過酷な道中がいよいよ始まる。ここまで四国の遍路路で体験してきたものを遥かに凌ぐ辛い道中になることを、この時はまだ知る由もなかった・・・。



河口バス停にて




『 河口のバス停。奥に見えるのが三碧橋。ここで改めてコンディションを整えて登山道に挑む。 』