『春の伊予路をゆく(霊峰・石鎚山へ)』の途中ですが、とりあえずの近況報告です。


去る8月13日より16日にかけてのお盆休暇に、また四国を歩いてまいりました。今回の旅は愛媛県四国中央市土居町(前回の打ち止め地点・別格十二番延命寺)からスタートし、六十五番札所三角寺・別格十三番仙龍寺・別格十四番常福寺を経て、徳島県三好市の別格十五番箸蔵寺、そして六十六番札所雲辺寺から順に進み七十一番弥谷寺で打ち止めという行程となりました。四国巡礼の終盤にあたる涅槃の道場・讃岐の国にいよいよ脚を踏み入れた「節目の旅」となったわけですが、異常とも言える猛暑の中を歩いたせいか、落ち着いた気持ちで旅を楽しめなかったのが少し心残りでした。

詳しい旅の内容は後日改めて記事にまとめることにしますが、旅を総括しての感想だけを今回は述べてみたいと思います。真夏の遍路もこれで4度目となるのですが、今年の夏の暑さはとにかく異常だったせいか、最終日を除いては旅の最中に出会った歩き遍路さんは「ゼロ」(!)でした・・・。これまでにも歩き遍路の方に全く出会わなかった旅もあるにはありましたが、まあ、なんといいますか・・・。正直、やはり寂しい気はしました。

しかし客観的に考えてみれば、こんな異常気象の中を四国に歩きに来る人が稀なのは当たり前で、ただでさえ連日ニュースでは熱中症で病院に運ばれる人の数の多さを伝えている状況下、重い荷物を背負って灼熱の四国路を歩くという行為は、ある意味「自殺行為」以外の何物でもないように思われます。本当に大袈裟な表現ではなく命に関わる・・・。

僕も旅に出る前には、そのことを充分に心得ていたつもりでしたが、実際に旅を続けてみるにつれ、予想以上の更なる過酷な環境に戸惑いを隠せませんでした。短時間で汗が滝のように流れ、体の水分やスタミナは急速に奪われてしまう。脚が思ったとおりに動かず、頭は朦朧とし始める・・・。これらは真夏の遍路には特有の症状ですが、今回ばかりはいつも以上にその症状は顕著で凄まじかったように思えます。「ヤバいな・・・」「時期に倒れるかも・・・」と感じることもしばしばでした。

そこで自分に厳しく言い聞かせたことが、とにかく「我慢しない」ことでした。頻繁にとはいわないまでも、休むときはじっくりと時間をかけて体を休めることを心がけました。一日の旅の行程を考えると、ついつい「この場所で長居をしてしまっては先へは進めない」と思ってしまいがちですが、もうそこは気持ちを抑えて先を急ぐようなことはせず身体と気力を休めるだけじっくり休ませてから出発するようにしました。当然、少しづつ遅れというものが生じてきて、その日に予約していた宿への到着も遅い時間帯になってしまうわけです。申し訳ないとは思いながらも、敢えて「今○○あたりにいるんですが、そちらへの到着が大分遅れそうです。」と何度か連絡を入れながら謝罪を繰り返す有様でした。本当にご迷惑をかけてしまったなと反省することしきりでしたが、今にして思えば、こういった旅のかたちをつづけたからこそ、4日間の猛暑の中を大きなトラブルもなく無事に歩ききることができたのだと思います。
なにより重要だったのは、言うまでもなく水分補給です。水分を切らせてしまうことが、本当に命とりにもなりかねない状況でした。とにかく飲料水は常に携帯し、こまめに少しづつ、時間を置かずに飲み続ける。飲料水を切らせてしまう前に購入できる場所では必ず購入することにしていました。おかげで飲料水代はかさみましたが、これも命を守るためと思えば致し方のないことだったかもしれません。

歩き遍路はとかく「修行」の要素の強いものに捉えられがちです。遍路の苦しさに耐え抜いてこそ、自分は成長できる、光明のようなものが見えてくるのかもしれない、そう一途に思いを抱きながら歩いておられる方も少なくはないでしょう。とくに若い方にはそういった考えを持った人が多いように思われます。弱い自分と向き合い克服しようという姿勢は素晴らしい在り様だと思いますし、自身の限界を乗り越えた後の達成感というのは大きな自信につながり日常生活に於いてもそれは大きな力となってその後の人生を支えてくれるでしょう。
しかし、「苦しさに耐え抜く」遍路をするのも時によりけりだと思うのです。あまりにも過酷な環境の中でそれを実践すれば、それはもう修行以前の問題になるのではないでしょうか。命にかかわるようなことをすれば、そしてもし命を落とすようなことになったとすれば、何の意味もなくなってしまうのではないでしょうか。現代の四国巡礼は昔とは違い「死出の旅路」などでは決してない。人を生かすため、人が再生するための旅路なのだと僕は信じます。だから、けっして無理をしてはいけない。食べるときにはきちんと食べ、休めるときにはじっくりと休み、人からの善意は素直な気持ちで受け入れる、そうした心構えは必要だと思います。「お遍路は身体が資本」という言葉が書かれた札を雲辺寺からの下りの山道で見かけたのですが、全くその通りだと思いましたし、僕自身も改めてそのことの重要性を思い知らされた気がしました。生あってこその修行。元気な姿で日常の生活に戻ってこそ、四国で学んだことは活きるのだと思います。
とはいえ、色々な諸事情からどうしても無理をせざるを得ないお遍路さんも多くいらっしゃるにちがいありません。その方達から見れば、僕の考えは甘いものだと捉えられてしまうでしょう。それでも敢えて言いたい、「命にかかわるような無理や我慢はしてはいけない」と。命を落とすためにお遍路をしているのではけっしてないのですから。

先日、ニュースで土佐清水市を歩き遍路していた男性が熱中症で亡くなったと報じていました。その方の年齢が自分と同じだったこと、そして同じ環境のもとで自分と同じように懸命に歩いていらっしゃったんだと思うにつけ、とても他人事とは思われない切実なものを感じずにはいられません。心からご冥福をお祈りすると同時に、自分自身に対しても改めて体調管理の大切さ・命の大切さを肝に銘じた遍路をすることを今後も心がけていこうと誓う次第です。