2008年12月31日 真念庵(その2)


真念庵遍路道入口付近
【真念庵への山道の入口付近にて】


 石段を登っていくと、程なく山道に出た。山道はしばらく続くようだ。

 道端には登り口で見かけたものと同じような丁石が、土砂にもたれかかるようにして建っている。建っているというよりも倒れているといったほうが適切だろうか。三百年以上も遍路人を見守り続けてきた丁石は、倒れながらも今なお僕達に行くべき道を示してくれている。表面の色はくすみ、彫られた文字も満足に読みとることは難しい。はたして現在、この丁石に道標としての機能があるかどうかは判断しずらい。だが、それでも、丁石は笑って「もうすぐだよ…。真念庵はすぐそこだよ…。」と懸命に話しかけてくれているように思えて仕方がなかった。
 
 (アンタは丁石としてつくられたんやもんな…。姿かたちが無くなるまで、丁石として頑張るしかないんやもんな…。)

 それが、この石たちの悲しい運命だとは思えない。この石たちには多くの人の思いが詰まっているのだ。遍路人の思い。たくさんの遍路人が、あしずりの地を懸命に歩き何時しか道に迷い途方に暮れた遍路人には、この丁石が光り輝く灯籠のように見えたのではないだろうか。行く先を照らす灯明。どれだけの数の遍路人が心を救われたことだろうか。そして、石をつくった人たちの思いも沢山詰まっていることだろう。功徳を積むためであったかもしれない。あるいは救済の念から建立を思い立たれた方も多くいただろう。そういった人達が選びに選んだ石に自らの名と主要地点への距離を彫りこんだ。
 丁石の傍にしゃがみ込み、岩肌を、そして今はもう読み辛くなった文字を顔を近づけて見ていると、石に関わった様々な人のエネルギーのようなものが僅かながらだが心の中に入ってくるような気がする。石には人の魂が宿るという話をよく耳にする。邪念などが籠もるという話が怪談でとりあげられたりもするが、この丁石にはそんな悪しき念のようなものは感じないし、存在しないだろう。進むべき道を見つけた希望の念、少しでも助けになればという慈愛の念。そんな光り輝くエネルギーが石にはいっぱい詰まっているにちがいない。

『…まだまだ頑張るよ。…時の流れに負けないよ。』

 僕には古びた丁石が、体の不自由さなど物ともせず、ただひたすらに元気で頑張っている笑顔の素敵な老人に見えた。


真念庵遍路道の丁石1真念庵遍路道の丁石2












【山道で今も旅人を見守る江戸期の丁石】




 細い山道をしばらく進むと右手の視界が広けてきた。右手は土手になっており、すぐ下を例の車道(県道46号線と交差する道)が通っているのが見える。車道のすぐ傍を平行して山道を進んでいるといった具合だ。ドライブイン水車のそばにある小高い山、その麓に真念庵があると言ってしまえばわかりやすい。

 (…なんかなー。 …近道いうんか?これ。)

 正直、距離が稼げた優越感は全く湧いてこない。ただ、こっちの道のほうが歴史は永いんだから(丁石があるところからそう判断した)歩けて幸せなんだと自分に思い聞かせながら山道を進んでいく。

 道端には、あの丁石がいくつか見かけられた。どれも脇の斜面にもたれかかったものばかりだったが、先ほど述べたエネルギーのようなものを感じると同時に、数百年も道標をやってきたんだという厳かな貫禄のようなものも匂わせてくれる。そんな偉大な石たちが真念庵へと誘ってくれているようだ。ああ、やっぱりこの道通ってよかったなと少し気持ちが踊りだした。


真念庵の遍路道を進む





『下を見下ろせば、ほんのすぐ傍に車道が通っているのが見える。車道を進んでも真念庵の入口(別の入口となる)に辿り着くことができる。「登り道」を避けたい方は車道を選んだほうがいいかもしれないが、この山道、近道とは言えないまでも風情があって良い道なので、時間に余裕のある方は是非・・・!』


 右手の視界は再び杉の木々に覆われる。ふと視線を下に移すと、一本の杉の木の下に小さな墓石が建っていた。数百年も前のものとは思えない。石の色はそんなにくすんでもいないし、彫ってある文字もはっきり読み取れる。百年も経っていない過去の時代にひっそり建てられたような墓石。
 遍路道には(とくに旧道では)このような墓石を度々見かけることがある。見慣れているつもりだったが、今回出会った墓石にはどうしても脚を止めたい何かを感じた。杉の木の根元に建つ墓石の佇まいがそう感じさせたのかもしれないが、どうもそれだけではないような気もする。
 墓石の前に座って手を合わせた。しばらくそうした後で、目を開けて墓石の文字を読んでみた。『…・ 福岡県 …・』の文字が目に入ってきた。 ああ…、そうか…と。 なんとなくそんな気持ちにさせられた。
 僕の両親は福岡県の出身だ。そんな事情もあり僕にとって福岡県とは親しみを感じる土地である。母方の祖父が大正の御世に四国に渡り八十八ヵ所の霊場を巡礼した話は述べたと思うが、今歩いているこの山道も祖父はひょっとしたら歩いていたかもしれない(足摺岬から打ち戻りの経路を進んでいればの話だが。そこまで詳しいことは僕は聞かされていない。)。祖父が歩いた時代と同じ頃にこの墓石は建てられたのか。あるいはそれ以前なのか…。いずれにせよ、同郷の人の眠る墓石に対して祖父はなにかしらの思いをもって接したのではないだろうか。無論、祖父がここを通っていればの話だが…。
 僕の脚を止めたのは、墓石にまつわる祖父の思いだったのではないかという気がしてならない。そして、この地で生涯を終えられた墓石の下で眠る主が何かを伝えたくて、呼び止められたのか。
墓の主がお遍路さんだったかは定かではない。しかし、真念庵という場所に大変な御縁があり、この地で亡くなられた方だということは想像に難くない。どんな気持ちでこの真念庵で生涯を終えられたのだろうか…。

 真念庵への想いが更に深まっていった。

 真念庵の地蔵堂はもう目と鼻の先だ。もう一度手を合わせて墓石に別れを告げた。