2008年12月31日 下ノ加江〜市野瀬〈その1〉


下ノ加江のコンビニ










 【下ノ加江のコンビニと民宿「安宿」】


 NさんとKさんを見送りコンビニで用件を済ませた後、早速、宿毛のビジネスホテルにキャンセルの電話を入れた。
 『そうですか。ではまたの御利用を心待ちにしております…。』
 ホテルの受付の女性の声は事務的というか機械的というか、淡々としたものであった。お詫びの言葉を述べ電話を切る。一度予約を入れた宿をキャンセルするというのは、どうもバツが悪い。自分的には申し訳ない気分になるし後味も良くない。しかし、「機械的な」女性の声がそんな気持ちを幾分和らげてくれたように思える。
 続けて、NさんとKさんが予約を入れた民宿Sに電話を入れる。電話に出たのは、かなりしわがれた声のおばあさんだった。宿の大女将だろうか…。
  『…ああ、お遍路さんね。…おひとりですね。…はいはい、大丈夫ですよ。お部屋は空いていますから。お待ちしておりますよ。…遅くなるかもしれないんですか?大丈夫ですから気をつけておいでくださいねぇ。』
 ホテルの受付の声とは対照的な、なんとも人間味あふれる応対…。そのギャップの差が何気に可笑しかった。やっぱり民宿は暖かさがあっていいものだ。


 しばらく休憩した後に、再び荷物を背負ってコンビニを発ったのが午前10時過ぎ。下ノ加江大橋を渡って川の西側に出るつもりだったが、結局やめて東側の道を北へ進む。ある程度北へ歩いた場所に橋があった筈だと記憶していたからだ。西側の道へ出るのは、その橋を渡ってからでもいいだろうと思いながら、のんびり川を眺めながら歩いていく。
 NさんとKさんはだいぶ先に進んでしまったようで、遥か先まで眺めてみても二人の姿は見えなかった。それにしてもあの二人、うまく落ち合えたものだ…。偶然だったのだろう。二人共、連絡をとりあって一緒に歩くタイプではないように思われる。たまたま、どこかでバッタリ出くわした結果、「それじゃあ、今日も一緒に歩きますか」という流れになったのではないか。そうして、一緒に歩いている間に「みんなで年越し飲み会やりましょ!」という話しが湧いて出てきたのだろう。
 Kさんが僕よりも1時間早く大岐を出発した。そのKさんにうまく合流したNさんも大岐を出発したのは早い時間だったかもしれない。そんな彼らに僕が追いついてしまったのも、不思議な偶然だったと言える。僕は下ノ加江までペースを上げて急いで歩いていたわけでもないし、彼らにしても、よもや僕が追いついて来るのを待つためにのんびり歩いていたわけでもあるまい。下ノ加江のコンビニで休憩しているときに、「ひょっとしたら六根清浄さん(仮名)がそろそろ此処に到着するんじゃないかな?」とふと考えているうちに僕が現れた…、そんな感じだったのではないだろうか。
 それにしても足を負傷しているNさんはさておき、Kさんはもっと先を進んでいると思っていただけに下ノ加江での遭遇は本当に意外だった(Kさんは翌日の元旦の朝にも予想外な動きをとることとなるが、それはまたのちの話で)。
 あの二人、この先もタッグを組みながら歩いていくのだろうか…。もしそうなら、仮にまた僕が追いついた場合は三人一緒にまた歩けることとなるのだが…。しかし残念ながら、二人はこの先で別れることになるだろう。昨日、Nさんはたしか県道21号線を進んで三原村に入ると言っていた。つまり、この先にある橋を渡って川の西側の道に出て県道へ入ったものと思われる。既に二人は行動を別にしてしまっているのかもしれない。
 しかし、県道21号線を通るルートは宿毛市に入るのには近道のように思われるが、実際はそうではないようだ。へんろみち保存協力会の地図によれば、38番札所金剛福寺から39番札所延光寺までの距離について、『下ノ加江三原経由 52.8Km  市野瀬三原経由 50.8km』と記されている。遠回りに思われる市野瀬から三原村に入るルートのほうが実は近道なのだ。県道21号線は複雑に蛇行している道のようで、カーブの多い分、距離が長くなっているようだ。Nさんは「県道21号線を行くほうが近道なんで…」と言っていたが、それが勘違いだったことは彼も昨晩地図を眺めながら気付いたにちがいない。気付いていたとすれば、彼は市野瀬経由の道を選ぶのではないか。今もひょっとしたらKさんと別れずに市野瀬に向かって歩いているかもしれない…。


 下ノ加江川に沿って桜並木がつづいている。春になれば、並木には一斉に花が咲き乱れることだろう。華やかな桜色が、この道の景色を様変わりさせるにちがいない。並木の向こう、川を隔てた西側には穏やかな農村の風景が広がっている。さらにその後ろには鮮やかな緑色をした山々が連なっている…。いい眺めだ。今目の前に広がる景色も申し分なく素晴らしいのだが、欲を言えば、春の景色が見たかったなと思う。いつの日かまたこの場所を訪れるときがあるならば、是非春の時期を選んでやって来ようかなと当てにもならないことを考えながら歩く。


川沿いの並木川の東側の車道を北へ進む






                        【川沿いにつづく並木】               【東の車道をそのまま北へ】


 並木も途絶え、道は若干登り勾配となる。さらに進んでゆくと、いつしか川を見下ろせるくらいの高さになっていた。眼下に広がる下ノ加江川の眺めは素晴らしいものだった。上空の青い空を川面に映しながら穏やかでゆったりとした流れが視界の彼方へとつづいている。山々の緑と空・川の青のコントラストがとても美しく、その景色の魅力にしばらく取り付かれながら、ボーッと歩いていた。
 (おとつい歩いた時は全く気づかんかったなあ。こんなにええ眺めやったなんて…。)
 一昨日はNさんとの会話に夢中で、この辺りの景色はあまり目に入らなかったようだ。こうやって、見逃してしまった景色と再び出会えることは打戻りのコースならではの収穫といえるだろう。


国道から下ノ加江川を眺めて1国道から下ノ加江川を眺めて2
 





  【車道から下ノ加江川を眺めて】


それはそうと…。景色に見惚れながら東側の道をどれくらい歩いただろうか。西側へ渡る橋のある場所をとっくに通り越してしまっていることに気がついた。
 (ありゃー…。ひょっとして、もう少しで西側の道と東側の道の合流点とちがうか…!結局、あっちには渡れへんかったか…。)
 …仕方ない。諦めて先を進むことにしよう。素晴らしい景色も充分堪能できたわけだから、これはこれでよかったということにしておこうか…。
 
 午前10時45分、市野々分岐点(西道と東道の合流点)に到着。真念庵のある市野瀬へは、あと1kmといったところだ。



市野々分岐点まで僅か市野々分岐点の道標





 
  【市野々分岐点まであと僅か】           【市野々分岐点の道標】


 分岐点にたどり着く少し前から、下ノ加江川の流れは視界から消え去り、左を見ても山、右を見ても農作地と山といったような「水」のない景色に変わってしまっている。一昨日、一度歩いた道であるにもかかわらず、なにか言いようもない違和感があった。
 (そうか…。もう海や大きな川のある景色を見ることは暫くはないんやな…。)
 この先、おそらく40番札所観自在寺を過ぎるあたりまで、遍路中に海の見える景色に出会うことはないだろう。観自在寺は愛媛県の札所だ。県境を越え愛媛県に入っていくのは次回の遍路となる。今回の旅の目的地である宿毛までは海というものに出会う機会はないわけだ。思えば下ノ加江に到着する少し手前、鍵掛に入るあたりが海の見える景色との別れだったのだ。「別れ」という表現は少々大袈裟かもしれない。海との「別れ」はこれまでの旅の中でもしばしばあったことだし、今になって殊更大袈裟に捉えるものでもないのだろうが、それでもどこか寂しさというか物足りなさを感じてしまうのだ。昨日の遍路の影響だろうか。大岐〜足摺岬の往路を歩いたことで、海というものを今まで以上に身近な存在として感じられるようになったのかもしれない。
 そして大きな川のある景色については…。こちらに関しては、そういった景色にこの先出会えるかどうかは微妙なところだ。少なくとも、三原村を抜けるまでは大きな川に遭遇することはないだろう。三原村上長谷という集落から真念遍路道を進むわけだが、遍路道の終点は四万十市(また四万十市に入ることとなる!)の江ノ村という地区である。江ノ村には中筋川という大きな川が流れていて、川に沿って宿毛市へと歩いていくこととなるが、おそらくその時分には日もすっかり落ちているだろうし、景色を楽しむといった状況ではなくなっている筈だ。自分的には中筋川との遭遇は形ばかりの遭遇にしかならないだろうと思っている。よって、「大きな川に遭遇することはない」と敢えて考えることにした。
 海や大河など、「水」というものを多分に感じさせてくれるものが景色の中に織り込まれていると、なぜか心が安らぐのだ。「水」というものは体内に水分を与えてくれるのみならず、精神的にも癒しを与えてくれるものなのだろう。そんな「水」のある景色を楽しむことは当分はお預けとなる。

 (なーに…。「水」のかわりに「緑」が元気を与えてくれるさ…。)

 こうやって発想転換が容易なのも、根が単純だからかもしれない…。