気ままに歩いて候。

あせらず、くさらず、歩いていきましょう。 2007年5月の連休から始めた区切り打ちの四国歩き遍路の思い出を綴った記事を中心に掲載しています。

春の伊予路をゆく (霊峰・石鎚山へ) 1

石鎚山頂の景色

 5月2日から5日にかけての連休に、また四国に行ってまいりました。今年初めての遍路の旅でした。

 区切り打ち歩き遍路の旅も今年で4年目。今回の旅で四国に渡るのは15度目となります。伊予の国菩提の道場の行程も残すはあと僅かというところまで漕ぎ着けたわけですが、此処に至るまで本当に長かったという気持ちがある反面、なんだかアッという間だったという心境のほうが実は強いわけでして、このままストレートに香川県に入り結願を目指して進むというのもなんだか味気ないとすら思うようになりました。もう少し時間をかけて、ゆっくり進むのも悪くはないんじゃないか・・・。ならば、これから先は番外・別格と全ての霊場を可能な限り回ってみようじゃないか・・・、と考えるようになったのです。まあ早い話が、遍路も終盤戦に差し掛かってきてどうにも寂しくなってきたということなのでしょう。

 その「ゆっくり進む」遍路の旅の足掛かりとなったのが今回の旅でした。旅の出発点は前回の打ち止め地点の愛媛県西条市丹原町。そこから4日間という時間をフル活用すれば、恐らく最終日には県境を越え香川県に入ることも或いは可能だったかもしれません(微妙なところですが・・・)。でも、「ゆっくり」遍路を目指す僕の頭には香川県入りの考えは無く、むしろそれより以前からやっておきたかったことを必ず成し遂げたいという想いがあったのです。それは石鎚登山でした。

 石鎚山は標高が1982mもあり、四国はもとより西日本の中では最高峰の御山と言われています。その昔、弘法大師も六十番札所横峰寺を拠点に度々山に入られて修行をなさったそうで、山頂の石鎚神社は番外霊場とされています。個人的にはこのような御山を前にして素通りすることはどうにも心苦しいというか・・・。いや、それよりもむしろ個人的に挑戦してみたいという気持ちが強く、背中を向けて先へ進むことは逃げることになりはしないかと思ってしまったわけです。実は昨年の夏に四十五番札所岩屋寺を訪れた際にも、石鎚山に向けての想いはあったのでした。しかし、碌な登山経験も無い当時の僕は御山に登る自信も無く、また具体的な計画も立ててなかったので、残念ながら背を向けて松山への道を進むしかありませんでした。

 今回の旅を迎えるにあたって今度こそ絶対に石鎚山に登るんだという気持ちは持っていましたので、春に入ってからというものは歩くトレーニングに加えて近隣の山に登っては体を鍛えてきました。登山用のストックも購入しダブルストックを使っての歩行も練習を積んで、更には新たにザックを買い換えたりと・・・。基本的に物臭な自分が我ながらよくまあここまでやったもんだとも思うのですが・・・。その甲斐あってか(全ては御大師様の御導きだったと思います)、旅の日程の中2日を使ってなんとか石鎚山の山頂まで上りきることができました!

 今回の遍路の旅のメインは石鎚登山ではありましたが、札所のほうも順調に六十番から六十四番を打ち終え、最終日には別格の延命寺まで歩くことができました。旅の期間は有難いことに最後まで晴天に恵まれ、さらには多くの良い出会いにも恵まれて、本当にいいお遍路ができたと感謝しています。

 旅の経過を簡単に(?)ではありますが、振り返ってみたいと思います。



【2010年5月2日】

 四国入りしたのが、前日の5月1日。新幹線と予讃線を乗り継ぎ、JR伊予西条駅へ(到着が午後10時半過ぎ)。予約していた駅前のホテルで一泊、翌朝予讃線に乗り前回の打ち止め地点に近いJR壬生川駅に向かう。


 壬生川駅に着いたのが午前8時過ぎ。駅で遍路姿に着替え、いよいよ歩き始める。背負う荷物は少し重めとなった。昨年も一昨年もそうだったが、5月の遍路はいつも荷物が重くなってしまう。「まだ夜は寒くないだろうか」「急に暑くなったら着替えがいるだろうな」、そんな気の迷いが無駄な荷を増やしてしまうのだろう。荷物の重みは迷いの重みと教えられたことがあるが、全くそのとおりだ。最終日までこの重みと付き合っていけるか不安が募る。


 県道48号線を南西に進むことおよそ1時間、前回の打ち止め地点の丹原町池田の交差点にたどり着く。8ヶ月振りの遍路の旅が今ここから始まるのだと思うと感無量だった。

 この日は札所六十一番から六十四番までを打つ予定だった。加えて別格十一番の生木地蔵と番外霊場の妙雲寺も回る計画だ(別格十番興隆寺も回りたかったが、時間の都合上諦めた)。六十番札所横峰寺は翌日にまわすつもりだった。横峰寺を経由して、石鎚山に入る予定を立てていたのだ。


 県道から2筋東の通りを南西へ進む。県道との交差点付近(結局、そのまま県道を進んでいればよかったのだが・・・)に別格霊場生木地蔵・正善寺はあった。まず目を惹くのが、向かって本堂の左の巨大な霊木だ。元々は本堂と大師堂の間に立っていたらしく、その昔この地に立ち寄られた弘法大師が「お告げ」を受けて木の中に一体の地蔵菩薩像を一夜にして刻まれた伝説が残っている。昭和29年の台風で霊木は倒れ今の位置に収められたそうだが、地蔵菩薩像は不思議なことに一片の傷もなく現在は本堂に安置されている〈立札の説明書きを参照〉。本堂・大師堂と参拝を終えたあとで、しばらくは圧倒的な迫力を持つ霊木に見惚れ時間を忘れてしまう。

生木地蔵の霊木  





【 生木地蔵・正善寺の霊木 大楠 】


 県道を左折し、東へ進む。晴れた空の下、穏やかな田園地帯を歩きながら彼方の山並みを眺める。幾多の山々が折り重なり居並ぶ雄大な様を見るにつけ、どれが石鎚山なのかと気になった。「一番高いのがそうだろう」と目星をつけてはみるものの、はっきりした自信も無い。諦めて今いるこの時間と景色を楽しむことにしながら進む。

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新年おめでとうございます

 新年あけましておめでとうございます。そして、長らく御無沙汰いたしておりました。本当に久しぶりの、半年ぶりのブログ更新となります。

 昨年の7月以来、ブログは完全に放置状態となっておりました。「もう終わったのか?!」「このブログは死んだのか?!」、そんな声も聞こえてきそうですが、いやいや・・・。終わってはおりませんのです。
 「ほな、なにやっててんな?」という問題になるわけですが、実は暫くの間、ブログという媒体を離れて、これまでの旅の記録をノートブックに書き記すという作業に没頭しておりました。で、その作業・・・。未だに継続中な訳ですな、なかなか筆が進みませんで・・・。
 そもそもノートに旅の記録をつける作業は、旅の最中に行っていたものだったのですが、最近はどうも、旅の期間中に作業を終えることができず、帰宅してからつづきを行うというパターンがつづいているのです。帰宅してしまうと、どうしても筆が滞ってしまう。日常生活の雑念が入り、気持ちよく文章を書けなくなってしまうわけです。それでも頑張って少しずつ書いていくのですが・・・。限界がきてしまい、『アカン、気分転換せんと!!』となり、挙句は 『 ああ、もうすぐ連休やな。お遍路に出んと・・・。』となって、記録が未完のまま、次の遍路の旅に出てしまうという悪循環が続いておるというわけです。この悪循環を断ち切ろうと懸命に溜まりに溜まったノートブックと向き合う毎日を過ごしているのですが、なかなかはかどらんわけですわ、これが・・・。

 で、気がついてみれば、前回の更新からはや半年が経ってしまったわけです。新しい年を迎えてしまった・・・。いい加減なんとかせないかんと思い、今回の記事を掲載することにしました。まあ、言い訳がましい事ばかりの記事で面目ない次第ですが・・・。


 せっかくの機会ですので、近況をお知らせしたいと思います。

 まずは四国遍路についてですが、昨年の5月の連休には高知県宿毛市から愛媛県大洲市(札所第40番観自在寺〜第43番札所明石寺)、7月には大洲市の出石山(番外霊場金山出石寺)を経由して内子町へ、8月には内子町から久万高原町に入り松山市へ(札所第44番大宝寺〜第51番石手寺)、そして9月の連休には松山市から今治市を経て西条市まで(札所第52番太山寺〜第59番国分寺)を歩ききりました。第60番札所横峰寺まではあと僅かというところで残念ながら昨年の遍路の旅は打ち止めとなってしまいました。次回の旅は今年の5月の連休を予定しているのですが、横峰寺を打ち終えた後には石鎚山へ向かうことも現在計画中で非常に楽しみにしています。
 そして一昨年から始めた秩父巡礼ですが、昨年の11月に一年ぶりに巡礼を再開して、第12番札所から25番札所を2日間かけて歩ききりました。次回は今年の春に予定しているのですが、仕事のスケジュールの関係上、無事秩父に向かえるかどうかは秩父の観音様の御呼びがかかるかどうかというところでしょうね・・・。うまくいけば結願できるかもしれませんが、行程上、微妙なところでもあります。


 この年末年始は家族と一緒に過ごさせていただきました。千代院さんへ除夜の鐘を聞きにいったり、東寺さんで初詣をさせてもらったり、滋賀県安土町に城跡を見に行ったりと・・・。穏やかな正月を過ごすことができました。
 現在掲載が未だ継続中の「冬遍路 〜足摺岬・宿毛へ〜」ですが、あの旅からはや一年という時間が経ってしまったのだと思うにつけて、月日の流れる速さというものに改めて驚かされます。土佐遍路最後の旅となった昨年末の思い出は、僕にとってはかけがえのないもので、今でも鮮明に頭の中に残っているのです。あれから一年が経ったとは・・・。
 その後の巡礼の旅(四国遍路・秩父巡礼)の思い出も、それに劣らぬ素晴らしい記憶として心に残っているわけですが、記憶が新鮮なうちにそれらを書き留めるといった作業をつづけなければなりません。今暫くはその作業をつづけることになると思いますので、本格的なブログの再始動は先になりそうです。「冬遍路 〜足摺岬・宿毛へ〜」の続きもやらなあかんとは思ってるんですけどね・・・。どうも全ての記事がどれも中途半端になっていて、アカンアカン!!とは反省してるんですが・・・。もし何度か此処を訪れて下さっている方がいらっしゃったならば、本当に申し訳ないことだと思います。


 今年の目標。

 『旅の記録を完成させること。』

 『ブログを再始動させること。』

 そして・・・。

 『例年どおり巡礼に明け暮れること。』

 明け暮れた挙句に、また「宿題」が溜まってしまってはイカんのですけどね(笑)。

 なにはともあれ、頑張ってまいります。今年も皆様にとっては、よい年となりますように!!  

 

冬遍路 〜足摺岬・宿毛へ〜  (22)

2008年12月31日 真念庵(その3)


真念庵
【 真念庵 地蔵大師堂 】


 狭い山道を抜けると、石仏や墓石が立ち並ぶ拓けた空間が現れた。

 (ああ…、此処が…。)

 左手には御堂が見える。まさしく此処が真念庵に違いあるまい。時間はもうすぐ正午になろうとしていた。人の気配は無い。ただ、鳥のさえずりと風にそよぐ木々の葉の擦れ合う音が聞こえるのみである。

 御堂の前には三段の緩やかな石段があり、その石段を若い木々が取り巻くようにして立っている。石段には塵ひとつ落ちている様子もなく、常に近在の方々によって綺麗に掃き清められていることが窺われる。石段や若木が我々参拝者を優しく出迎え、御堂へと誘ってくれているようだった。

 石段より少し離れた場所に荷物を降ろし、改めて辺りを眺めてみる。細い道を挟んで御堂に向かい合うようにずらりと立ち並ぶのは四国霊場八十八札所の御本尊を刻んだ小さな石像群だ。蓮の葉のような形をした石が背中を向かい合わせにして二列に分かれて八十八個並んでいる。それぞれに御本尊の御姿・御名が彫られているが、どの石にも苔が張り付いていて文字などが判別しずらいものもあった。しかし、どの御本尊のお顔も穏やかで優しく、心癒される。永い歴史を生きてきた石像だけに消耗著しいものもあったが、そんな物理的な現象などは小さなことだと御本尊達の御顔は語りかけてくれる。苔に覆われている自らの御姿も笑って受け入れておられるようにも思える。そんな泰然自若とした石仏の様子を拝見していると、自分を含めた人間というものの存在の小ささを思い知らされる。時間や小事にあくせくしている僕達に、本当の生き方とはなんなのかということを小さな石仏群は教えてくれている気がするのだ。


真念庵 御堂前の八十八の御本尊石仏1真念庵 御堂前の八十八の御本尊2







【御堂前に並ぶ八十八霊場の御本尊の石仏群】



 八十八の石仏群の他にも、御堂のまわりには無数の石仏(やはり石に仏の御姿を刻んだもの)や墓石が並んでいる。整然と並んでいるわけではない。時代が進むにつれ、空いている場所に少しずつ建てられていったのではないか。八十八の石仏群と同様に永い時間をこの場所で生きてきたのだろう。やはり所々損傷していたり、苔がこびり付いたりしている。ところで、先程から「生きてきた」という表現を使うのは、古い石の遺物に対して、とてつもない霊気のようなものを感じたからだ。僕は霊感などとは全く無縁の人間だが、なにかしらの気というか力というか、そんなものを古い遺物が発しているような気がしたのだ。例えば、山などで出会ったりする古い大木などが漂わせている言葉にできないようなオーラのようなもの…。それに似ているといえばいいだろうか。しかし、人為的に作られた遺物だけに植物の放つものよりも、より濃厚なものを放っているように思える。丁石を見たときに感じた「魂」というか、エネルギーのようなものを感じるのである。(ちなみに僕は宇宙のパワーがどうたらこうたらいった宗教団体のようなものとは何の縁も無いし興味もない。遺物がもつパワーを感じるのは動物的な本能の仕業としか言いようが無い…。)

 それにしても、墓石の数が多いのが気になった。その殆どは昔の遍路人のものであろう。足摺岬を目指す途上で力尽き、無念の思いでこの地で命を落とされたお遍路さんも多くいたことだろう。今でこそ、この市野瀬の地には新伊豆田トンネルが開通しており通行にはさして大きな苦労もないが、トンネルや国道が無かった昔は間崎から津蔵渕の一帯は難所つづきだったにちがいない。自らの限界と闘いながら難所を越え、やっとの思いで辿り着いた真念庵で大きく体調を崩され重い病にかかられて落命されたお遍路さんも沢山いらっしゃったと思う。


御堂横の景色





【 御堂の傍には遍路墓が並ぶ(画面左端) 】



 多くの墓石が立ち並ぶ景色を見ていると、ある光景が頭に蘇る。室戸市佐喜浜町の佛海庵でみた景色だ。庵の向かい側には、やはり多くの墓石が建てられていた。庵を建立した佛海上人(1700〜1769)は真念法師よりも後世の人物だが、生涯を通じて残された多くの業績は真念法師のものと極めて似ている。通行が困難だった室戸岬への道筋に庵を建立され遍路人の救済に精力を注がれた御遺業は真念法師の精神を受け継ぐものであっただろうし、真言宗の「済世利人」の教えを具現化したものであった。佛海庵で見かけた墓石もやはり殆どが遍路人のものではなかったかと思われるが、地元住民の中には上人の信者も多かったということだから、そういった方々の墓石も少なくはなかっただろう。
 真念庵も佛海庵も永い時間の中で多くのお遍路さんを看取ってきた。2つの庵の墓石群を見て感じることは、「安らぎ」だ。これは僕の個人的な感じ方なので、批判されても仕方がないかもしれない。庵で亡くなった方々が果たして「安らぎ」を得ていたかは当の本人でしかわからないところではあるし、なにしろ遠い昔のことなのだ。安楽な現代社会で生きている僕のような一遍路が推し量れるような問題ではないことは承知している。ただ、庵で亡くなられたということは誰かに看取られて亡くなられたということで、決して孤独な死を迎えられたわけではないと思う。険しい山道などで行き倒れになられた遍路人の境遇を考えると、庵で亡くなられた方には「安らぎ」があったのではないかと思わざるをえない(そうであってほしいという思いを込めて…)。
 真念庵の墓石群は「安らぎ」の心で僕達参拝者を温かく迎えてくれている気がした。この真念庵には穏やかでどこか安堵感をおぼえるというのか・・・、満ち足りた空気が漂っている。それはこの空間の地下に眠る遍路人の想いがそんな空気を作り出しているのかもしれないし、庵を創設された真念法師の心が今なお息づいているせいかもしれない。
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六根清浄

1969年4月20日生まれ

京都市在住
2007年5月から始めた区切り打ち四国歩き遍路も4年目をもちましてようやく結願いたしました。支えてくださった皆様に感謝です。2巡目の構想も視野に入れながら、さらに日本の各地を「歩き旅」で訪れてみたいと考えています。自称『歩き中毒患者』(笑)


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