気ままに歩いて候。

あせらず、くさらず、歩いていきましょう。 2007年5月の連休から始めた区切り打ちの四国歩き遍路の思い出を綴った記事を中心に掲載しています。

「我慢しない」遍路

『春の伊予路をゆく(霊峰・石鎚山へ)』の途中ですが、とりあえずの近況報告です。


去る8月13日より16日にかけてのお盆休暇に、また四国を歩いてまいりました。今回の旅は愛媛県四国中央市土居町(前回の打ち止め地点・別格十二番延命寺)からスタートし、六十五番札所三角寺・別格十三番仙龍寺・別格十四番常福寺を経て、徳島県三好市の別格十五番箸蔵寺、そして六十六番札所雲辺寺から順に進み七十一番弥谷寺で打ち止めという行程となりました。四国巡礼の終盤にあたる涅槃の道場・讃岐の国にいよいよ脚を踏み入れた「節目の旅」となったわけですが、異常とも言える猛暑の中を歩いたせいか、落ち着いた気持ちで旅を楽しめなかったのが少し心残りでした。

詳しい旅の内容は後日改めて記事にまとめることにしますが、旅を総括しての感想だけを今回は述べてみたいと思います。真夏の遍路もこれで4度目となるのですが、今年の夏の暑さはとにかく異常だったせいか、最終日を除いては旅の最中に出会った歩き遍路さんは「ゼロ」(!)でした・・・。これまでにも歩き遍路の方に全く出会わなかった旅もあるにはありましたが、まあ、なんといいますか・・・。正直、やはり寂しい気はしました。

しかし客観的に考えてみれば、こんな異常気象の中を四国に歩きに来る人が稀なのは当たり前で、ただでさえ連日ニュースでは熱中症で病院に運ばれる人の数の多さを伝えている状況下、重い荷物を背負って灼熱の四国路を歩くという行為は、ある意味「自殺行為」以外の何物でもないように思われます。本当に大袈裟な表現ではなく命に関わる・・・。

僕も旅に出る前には、そのことを充分に心得ていたつもりでしたが、実際に旅を続けてみるにつれ、予想以上の更なる過酷な環境に戸惑いを隠せませんでした。短時間で汗が滝のように流れ、体の水分やスタミナは急速に奪われてしまう。脚が思ったとおりに動かず、頭は朦朧とし始める・・・。これらは真夏の遍路には特有の症状ですが、今回ばかりはいつも以上にその症状は顕著で凄まじかったように思えます。「ヤバいな・・・」「時期に倒れるかも・・・」と感じることもしばしばでした。

そこで自分に厳しく言い聞かせたことが、とにかく「我慢しない」ことでした。頻繁にとはいわないまでも、休むときはじっくりと時間をかけて体を休めることを心がけました。一日の旅の行程を考えると、ついつい「この場所で長居をしてしまっては先へは進めない」と思ってしまいがちですが、もうそこは気持ちを抑えて先を急ぐようなことはせず身体と気力を休めるだけじっくり休ませてから出発するようにしました。当然、少しづつ遅れというものが生じてきて、その日に予約していた宿への到着も遅い時間帯になってしまうわけです。申し訳ないとは思いながらも、敢えて「今○○あたりにいるんですが、そちらへの到着が大分遅れそうです。」と何度か連絡を入れながら謝罪を繰り返す有様でした。本当にご迷惑をかけてしまったなと反省することしきりでしたが、今にして思えば、こういった旅のかたちをつづけたからこそ、4日間の猛暑の中を大きなトラブルもなく無事に歩ききることができたのだと思います。
なにより重要だったのは、言うまでもなく水分補給です。水分を切らせてしまうことが、本当に命とりにもなりかねない状況でした。とにかく飲料水は常に携帯し、こまめに少しづつ、時間を置かずに飲み続ける。飲料水を切らせてしまう前に購入できる場所では必ず購入することにしていました。おかげで飲料水代はかさみましたが、これも命を守るためと思えば致し方のないことだったかもしれません。

歩き遍路はとかく「修行」の要素の強いものに捉えられがちです。遍路の苦しさに耐え抜いてこそ、自分は成長できる、光明のようなものが見えてくるのかもしれない、そう一途に思いを抱きながら歩いておられる方も少なくはないでしょう。とくに若い方にはそういった考えを持った人が多いように思われます。弱い自分と向き合い克服しようという姿勢は素晴らしい在り様だと思いますし、自身の限界を乗り越えた後の達成感というのは大きな自信につながり日常生活に於いてもそれは大きな力となってその後の人生を支えてくれるでしょう。
しかし、「苦しさに耐え抜く」遍路をするのも時によりけりだと思うのです。あまりにも過酷な環境の中でそれを実践すれば、それはもう修行以前の問題になるのではないでしょうか。命にかかわるようなことをすれば、そしてもし命を落とすようなことになったとすれば、何の意味もなくなってしまうのではないでしょうか。現代の四国巡礼は昔とは違い「死出の旅路」などでは決してない。人を生かすため、人が再生するための旅路なのだと僕は信じます。だから、けっして無理をしてはいけない。食べるときにはきちんと食べ、休めるときにはじっくりと休み、人からの善意は素直な気持ちで受け入れる、そうした心構えは必要だと思います。「お遍路は身体が資本」という言葉が書かれた札を雲辺寺からの下りの山道で見かけたのですが、全くその通りだと思いましたし、僕自身も改めてそのことの重要性を思い知らされた気がしました。生あってこその修行。元気な姿で日常の生活に戻ってこそ、四国で学んだことは活きるのだと思います。
とはいえ、色々な諸事情からどうしても無理をせざるを得ないお遍路さんも多くいらっしゃるにちがいありません。その方達から見れば、僕の考えは甘いものだと捉えられてしまうでしょう。それでも敢えて言いたい、「命にかかわるような無理や我慢はしてはいけない」と。命を落とすためにお遍路をしているのではけっしてないのですから。

先日、ニュースで土佐清水市を歩き遍路していた男性が熱中症で亡くなったと報じていました。その方の年齢が自分と同じだったこと、そして同じ環境のもとで自分と同じように懸命に歩いていらっしゃったんだと思うにつけ、とても他人事とは思われない切実なものを感じずにはいられません。心からご冥福をお祈りすると同時に、自分自身に対しても改めて体調管理の大切さ・命の大切さを肝に銘じた遍路をすることを今後も心がけていこうと誓う次第です。

春の伊予路をゆく (霊峰・石鎚山へ) 3

番外霊場 星ガ森

『 番外霊場 星ガ森 』


【2010年5月3日】

 横峰寺本堂の傍の石段を下り、納経所の前を通り過ぎると、山門が見えてくる。番外霊場星ガ森へは、この山門を出て500m程の坂を上っていかねばならない。山道が苦手なお遍路さんにとっては、星ガ森という場所は「行ってみたいけど、まだ坂を上らなければならないんだったら、ちょっとねえ・・・」という、いわば『手が届きそうで届かない場所』のようである。横峰寺は標高およそ800mという高地に位置する札所だが、そこから更に上を目指すということになると、気が萎えてしまうのだろう。「もうこれ以上坂を上るのは御勘弁」といった具合に・・・。
 僕も正直なところ、「ちょっと、これ以上は・・・」という気持ちが全く無かったわけでもない。両脚にはまだほんのりと疲労が残っていた。しかし、どうしても星ガ森は見ておきたいという思いが勝ったせいか、500mの坂道を進むことに対しては強い抵抗は感じなかった。 ・・・いやいや、そもそもそんなことを感じている場合ではない筈である。自分はこれから四国最高峰の石鎚山を登らなければならないのだ。僅かな疲労感でどうのこうのと言っているようでは先が思いやられる!

 山門の傍には真新しい立派な休憩所が建っていた。休憩所の入口には飲み物の自販機が一台置かれている。「そうそう、水を買っておかないとな」と、ひとまず休憩所の中へ入る。木製の机とベンチが何台か設置されていて、なんだか居心地もよさそうな場所だった。ベンチに荷物を置き、自販機でペットボトルの水を2本購入したあと、どうにも去りがたい気持ちが湧いてきて、何気にまた暫くの休憩タイム・・・。さてさて一体、横峰寺を出発するのは何時になることやら・・・。
 机の上にへんろみち保存会の地図を広げ、星ガ森より更に先の道筋を確認していると、そこにやや重そうな荷物を背負った若いお遍路さんが入ってきた。まだ20代ぐらいだろうか。しかし、顔には顎鬚が伸びており少しやつれておられる。そのせいか実年齢よりも上の印象も受けるのだが、目元や体つきなどを見ると「あ、まだ若いわ。」と判断できる。「こんにちは」と声をかけたが、淡い笑顔で答えられただけであった。この青年お遍路さん、荷物を見るとどうやら野宿遍路のようである。白衣も少し汚れている。寡黙なタイプのように見えるのだが、実は相当疲れていらっしゃったのだろう。ベンチに座り込みグッタリされている様子を見ていると、あまり話しかけるのも悪いような気がした。本当は色々とお話を伺いたいんだけども ・・・。一昨年の暮れに行った年越し遍路で野宿遍路さんと旅を御一緒したことがあったが、それ以来、『野宿遍路』というもの(旅のかたち・お遍路さんの人間性)に妙に惹かれている。自分達のような宿泊まり遍路とは、また違った視点で旅をつづけておられるように思われるのだが、その「視点」に興味が湧くのだ。
 悪いとは思いながらも、我慢できず話しかけてみた。「野宿されてるんですか・・・?」「・・・ええ、まあ。」といった具合で会話が進みだした。口数こそ少ないが、しみじみと旅の経過を語ってくださる。「・・・『通し』ではないんですけどね。歩けるだけ歩いて、気持ちにキリがついたところで打ち切るかんじで。これで3度目の旅になります・・・。」意外なことに区切り打ちのお遍路さんだった。彼のもつ雰囲気から、勝手に通し打ちお遍路さんだろうと思い込んでしまっていたのだが・・・。それにしても「気持ちにキリがついたところで区切る」というのも羨ましい旅のかたちではある・・・。その後も彼とは暫し会話を楽しんだが、彼も疲れているようだったし、僕もあまりのんびりとはしていられない状況だった。名残は惜しかったが、キリのよいところで彼に別れを告げる。
「石鎚山ですか・・・。頑張ってくださいね・・・。」
 最後に彼が言葉をかけてくれた。こうして、休憩所を出て、ようやく横峰寺の山門を出発した。時間は既に午前11時40分を過ぎていた。横峰寺にはなんと2時間近くも滞在していたことになる。のんびりするにも程がある!!と言われそうだが、よい出会いもあったことだし、そしてなんといっても御寺の空気が良すぎた・・・!まあ、たまにはこんな幸せな時間をゆっくり過ごすことがあってもよいではないか(笑)。ちなみに野宿遍路の若者とは、後日、旅の最後で再び顔を合わすこととなる・・・。


横峰寺 納経所付近の様子





『 納経所と付近の様子 』


 山門を出てすぐの場所に石標が建っており、「番外霊場星ガ森580米 三教指帰(伊志都知能太気)石峯御修行之道」と文字が刻まれている。伊志都知能太気(いしづちのたけ)とは、弘法大師空海が24歳の頃に書かれた『聾瞽指帰(ろこしいき)』という書物の中に出てくる現在の石鎚山の古い呼び名である。若き日の御大師様は、横峰寺を拠点にして石鎚山を修行の場とされ、度々入山されたそうである。ちなみに横峰寺が開かれたのは西暦651年、御大師様誕生よりも123年も前になる。(以上『四国遍路ひとり歩き同行二人解説編 へんろみち保存協力会編』参照)
 四国霊場最大の難路「修行の道」がここから始まるのだと石標は教えている。少し身の引き締まる気持ちにもなったが、お堅く構えてみても気が疲れるばかりだ。のんびりと坂道を登っていくことにする。なだらかな坂道に2本のストックを左右交互に突きながら進む。脚の疲労はもうかなり癒えていた。木々の匂いを感じながら、気持ちも新たに歩を進めていく。


横峰寺山門付近の道標 横峰寺山門より坂道を進む







『 山門を出るとすぐに目に入る道標。「修行の道」はここから始まる。山門から星ガ森へつづく坂道は大してキツい道ではないので、ここまで来たからにはやはり歩いてみるほうがよいと思います。 』

 
 僕が星ガ森を憧れの地と感じた訳は、ある写真がきっかけだった。写真を見るまでの僕は、星ガ森がどういう場所なのかという簡単なあらましを知っていただけに過ぎなかった。興味はあったが、憧れを抱くほどの感情はまだ持っていなかっただろう。そのきっかけとなった写真はたまたまネットで拾ったものだった。本当にごく普通に霊場の様子を映し出していたものにすぎなかったのだが、妙にその写真に魅力を感じてしまったのだ。江戸期に建てられたあの有名な鉄の鳥居の佇まい、そしてその向こうに聳え立つ石鎚山の悠然とした姿・・・。星ガ森のごくありふれた観光写真であったろうし画像も粗いものだった。しかし ・・・。「エエな!!」「この場所に、はよいきたいな!!」と、異様な感動を覚えてしまった。今になってみても、何故この写真に感動したのかが、わからない。ひょっとすると、目に見えない何かしらの力が写真を通じて導きを与えてくださっていたのかもしれないが。まあなんにせよ、ひょんなことから湧き上がったこの『憧れ』の気持ちが、この先の旅を進めていく上での非常に良い材料となったことは確かである。高いモチベーションで「修行の道」に脚を踏み入れていくことができたからだ。

  件の星ガ森に着いたのが、午前11時50分くらい。横峰寺の山門を出発してから大した時間はかからなかった。道の左手に「霊跡星ガ森 横峯寺奥の院」と書かれた絵看板が見えてくる。そこで、ひょいと左に視線を移すと、何度も写真で見たあの光景が・・・。「本物だ、あの景色が目の前に広がっている!!」と心の中で唸ってしまった。まさにあの写真と同じ景色である。天候も晴天だったので、鉄の鳥居の向こうには石鎚山が悠然とした姿を見せていた。なんというのか、有難い気持ちが湧いてきた。自分はこの場所が最も映える時に来ることができたのではないだろうか・・・。とても運がよかったのだと感じると同時に、これが「御導き」だとしたら本当に、本当に有難いことだと感謝の念が湧いてきた。


星ガ森 絵看板星ガ森で記念撮影







  『 星ガ森の絵看板 』                『 鳥居の傍で記念撮影 』


 鉄の鳥居はイメージしていたよりは、サイズが小さかった。この鳥居は寛保2年(1742年)に建てられ、昔から「石鎚山発心の門」として崇められてきたそうである。「門」と呼ばれるからには、もうすこし大きな、少なくとも自分の背丈以上のサイズを勝手に想像していたのだが、随分と小柄な佇まいに少し意表を突かれた感もあった。しかし、歴史を刻んだ風格というか貫禄のようなものは充分に感じとることができたと思う。

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春の伊予路をゆく (霊峰・石鎚山へ) 2

横峰寺境内の様子1














                     『 第六十番札所 石鉄山横峰寺 境内の眺め 』


【2010年5月3日】

 起床は午前5時20分。相部屋の2人を起こさないよう注意しながら、床をかたずけ、出発の準備をすすめる。洗面所で用を済ませ部屋に戻ってくると、年配のお遍路さんが起きてらして「出発するのか?」と声をかけてくださった。もう一人の若いお遍路さんはまだ熟睡中、起こしてはいけないので小声で2人で暫し談笑する。「ひょっとしたら、これでお別れになるかもしれないので・・・」と一応別れの挨拶を交わしたあと、荷物を背負い部屋を出た。別れの挨拶は実にあっさりとしたものとなったが、それはお互いがまだ縁がつづくのではないかということを薄々感じていたからかもしれない・・・。

 午前5時50分、ビジネス旅館小松を出発。一旦、国道に出て近くのコンビニに寄る。朝食を摂らねばならなかったし、昼食用の食料も調達しなければならなかったからだ。
 店の外に腰を下ろし、朝食のパンをむさぼりながら、遥か南に聳える山並みを眺める。「今日は一日、どっぷり山の世界と付き合うことになるな」などと考えながら・・・。
 午前6時40分にコンビニを出発する(結局、早出とはいえない時間帯となった)。出発する際に昨日まで温存しておいた2本のストックをザックから取り出した。この日の行程は殆どが山歩きとなるため、出だしからノルディック歩行でいこうと決めていたのだ。金剛杖を紐でザックにくくりつけ、2本のストックを使っていよいよ歩きはじめる。2ヶ月間練習を積んだノルディック歩行、全てはこの日のためだったのだ。ついに成果を見せるときがやってきた、嗚呼・・・。嬉しいやら恥ずかしいやら、複雑な心境で遥か山並みの方角を目指して歩を進めていく。


小松より横峰寺へと歩き始める




『 国道11号線から南に聳える山並みに向かって歩く・・・ 』



 広々とした農作地や点在する民家の景色を眺めながら歩くこと、およそ20分。松山自動車道の高架下を通過してから先は少しずつ景色の様子が違ってきた。あまり人気(ひとけ)を感じない、そして自然の密度が濃くなっていくような景色が拡がってくる・・・。「そろそろ山道に入っていくのか」と思うにつけ、ちょっとわくわくした気分になる。今回の旅の正念場がここから始まるのだ。

 途中、大きな砕石場の傍を通り抜ける。更に先へ進むこと二十数分後、左手に「60番札所横峰寺近道」と書かれた白い小さな立札が見えてきた。立札が示す左手の細い道に入るが、そこから先は本格的な登山道だった。左右に樹木がうっそうと生い茂る山道。いよいよだなと思った。横峰寺へのきつい道中のはじまりである。

 僕の選んだルートは地図上では確かに近道ではあった。しかし距離が短い分、勾配が激しくなるのだ。急な登り坂が度々現れ、その都度、呼吸を荒げながらせっせと脚を踏み出して行く。2本のストックを使いながらの坂道歩行は膝の負担を軽減してくれるし、身体のバランスがうまく保てるという利点もあって、これまでの金剛杖のみに頼った歩行に比べると正直楽である(とはいえ、やっぱりしんどいですが・・・)。背中のザックにぶら下がっておられる『お大師さん』には今日だけはゆっくりお休みしていただく。いつも一緒に歩いて下さる『お大師さん』を背中にしょっているような感じがなんとも新鮮だった。


横峰寺への山道








『 急な坂道の多い山道。僕は歩くのに少し苦労したが、山歩きの達者な方なら左程きつい道ではないのかもしれない。 』


 道端に時折、蓮の形をした小さな石碑を見かけるようになる。お地蔵様の御姿が刻まれており、その真横に漢数字と「丁」の文字が・・・。「ああ、丁石か」と合点がいった。丁石が設置されているということは、この道も白滝奥の院を経由する山道と同様に昔から遍路道として利用されていたのだろうか。しかし、この丁石なるもの・・・。距離や現在位置を知る上では非常に重宝するものの、こういったきつい坂のつづく山道を進む場合にはモチベーションを下げる要因にもなりかねないように思える。距離を意識しながら坂道を登るというのは精神的にはかなり辛くなる(個人的な意見だが)。むしろ何も考えずにひたすら脚を動かしているほうが楽な気もするので敢えてそうして歩くのだが、丁石が目に入ることによって嫌でも距離というものを意識せざるをえなくなる。「これだけしんどい思いをして歩いてきたのに、まだ○丁しか進んでないのか・・・」と、ため息が漏れることもしばしばである。善意によって設置されたものとはわかってはいるのだが、僕のような未熟者には通行者の心の修行を促すために設置されたのではと思われてならない(ありがたいことである)。


横峰寺へ向かう山道にて 丁石










『 山道に設けられた丁石。何時頃造られ設置されたかは不明。 』


 やや長い坂道にさしかかり、少しスタミナも切れてきたので荷物を下ろし休憩を摂る。前後には人影もなく、辺りは鬱蒼と生い茂る木々のみ、聞こえてくるのは鳥のさえずりだけである。地面に腰を下ろし水分を補給しながら何も考えずに周りの景色を眺めたり空気を感じたりしながら時間を過ごしていると、なにか自分も自然の一部になったかのような錯覚を覚えてしまう。こういった時間・・・。じつは僕が遍路の旅の中で一番好きな時間なのである。わずらわしいものは何もなく、自然の栄養素を身体いっぱいに浴びながら満ち足りた気持ちになれる。遍路を始めた頃は、こういった時間をもつことはあっても、「あまりゆっくりしてられない、先を急がないと・・・」と目的地を目指すことばかりが頭をよぎり、その瞬間を楽しむ心の余裕が無かった。旅を重ねるごとに心の余裕が生まれ、お陰様で今では充分に自然と語らえる時間を楽しむことができるようになった。その「心の余裕」は日常生活の中に於いても生きているように思える。遍路の旅をここまでつづけてきてよかったと、つくづく感じるのだ。


 山道を進みだしてから、およそ1時間。険しい坂を登りきり、ようやく白滝奥之院経由の山道との合流地点にたどり着いた。白滝奥之院経由の山道(通称は香園寺道というらしい)は見たところ、なだらかな山道であった。そのなだらかな道を一人の女性のお遍路さんが此方に向かって歩いてくる。彼女には見覚えがあった。確か昨夜宿の本館の食間でお見かけしたような・・・。「同じ宿でしたよね?」と思わず声をかけると、「そうですよ!」との返事。そこから話が弾み、一緒に歩くこととなった。「そちらの道(香園寺道のこと)はきつくなかったですか?」と聞くと、「途中確かにしんどい場所はありましたけど・・・、そんなに大変だったという程では無かったですね。」とおっしゃる。さては僕の選んだ道は間違っていたのだろうか・・・。どうやら分の悪い道を選んでしまったようである。

 合流地点から少し歩いた場所にベンチをいくつか並べた休憩所があった。そこに1人の熟年お遍路さんが座っておられるのが見えたので、声をかけ話しを伺ってみる。この方は既に横峰寺を打ち終え、これから香園寺へ向かわれるそうである。ここから先の山道の様子を聞くと、「まだまだ先は長いよ。これからもっときつくなる。」との事。それから暫く3人で談笑する。60代とおぼしきこの熟年遍路さん、なんと一日に50km近くもの距離を歩かれるのだそうだ。「すごいですね!とても真似できないな。」と女性遍路さんと顔を見合わせながら苦笑い・・・。いやはや、最近の熟年世代のパワーには本当に頭が下がる思いだ。


横峰寺へ 香園寺奥の院経由の道との合流点 



『 白滝奥之院経由の山道との合流点。ここから先は少しは道が歩きやすくはなったが、それも束の間だった・・・。』


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六根清浄

1969年4月20日生まれ

京都市在住
2007年5月から始めた区切り打ち四国歩き遍路も4年目をもちましてようやく結願いたしました。支えてくださった皆様に感謝です。2巡目の構想も視野に入れながら、さらに日本の各地を「歩き旅」で訪れてみたいと考えています。自称『歩き中毒患者』(笑)


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