気ままに歩いて候。

あせらず、くさらず、歩いていきましょう。 2007年5月の連休から始めた区切り打ちの四国歩き遍路の思い出を綴った記事を中心に掲載しています。

年越し遍路にむけて

『春の伊予路をいく(霊峰・石鎚山へ)』の途中(かなり更新が滞っております、すいません・・・)ですが、近況報告をさせていただきます。

去る10月の連休を使って、また四国を歩いてまいりました。前回打ち止めとなった71番札所弥谷寺から歩き始め、2日をかけて78番札所郷照寺の手前のJR宇多津駅まで歩ききることができました。
この10月の遍路ですが、実は旅に出かける前の時期に仕事やプライベートの面で様々な問題が発生し、気持ちが落ち込んでいた状態でした。加えて体調面も思わしくなく、10年近く前から患っていた腰痛が突如再燃し、歩行すら辛いコンディションに見舞われてしまったのでした。
「こんな状況で遍路ができるだろうか・・・。」「もう今回は中止にしたほうがいいんじゃないか・・・。」と色々考えもしましたが、結局は断行することにしました。かねてから予定をたてていたからでもありましたが、なにより『こんなときこそ、お遍路をするべきじゃないだろうか』というなにやら直感めいたものを感じたことが決行の一番の理由だったように思えます。
気持ちをかためて四国に渡り、実際に歩き始めたときは気持ちもかなりナーバスでしたし、歩くことも困難でした。「やっぱりやめればよかったか・・・」と最初のうちは後悔と焦りの念を持ちながらお遍路をしておりましたが、旅を進めるにつれて、地元の方々や同じ歩き遍路さんなど、様々な方々との出会いがあり、それが僕に歩く力を与えてくれたのでした。これまでのお遍路の旅に於いても、人との出会いには本当に多くの力を頂いてきたのですが、今回の旅ではいつもにも増して『助けていただいた』という感覚が強かったように思えます。
腰痛も比較的に良い状態に変わることはありませんでしたが、ひたすら歩くという行為に体が少しづつ順応してゆき、気がつけばいつもと変わらない歩行をしている自分がいたのでした。痛みは残っているものの、脚が動きやすくなったということはやはり幾分かは改善していたのかもしれません。やはり歩き遍路には「治癒」の効果も多分にあるのだということを身をもって知ることができたように思えます。(ちなみに帰宅後はすっかり腰痛も治まり、普段通りのコンディションで日々を送ることができるようになりました。)
心身共に最悪の状態で決行した10月の遍路の旅でしたが、やはり決行したのは正解でした。あの旅をもし諦めていたなら、更に気持ちは暗い方向にいっていたでしょうし、体も決してよくはならなかったでしょう。全てはお大師様のお導きだったと感謝しています。『お遍路をすぶべきでは』と直感を得たのも、結局はお大師様に、そして四国に呼ばれていたということだったのでしょう。(この旅の経過は、いつの日かあらためて記事にまとめるつもりです。)


そんな10月の遍路の旅から2ヶ月の月日が経ちました。もう今年も残すところ僅かという時期になりましたが、いよいよこの年末年始にかけて最後の遍路の旅に行ってまいります。78番札所郷照寺から最後の札所88番大窪寺へ、そして1番札所の霊山寺までの道程を歩いてまいりたいと思っております。今年の四国は雪が多いとか。また大寒波も到来するということで、どんな旅になることやら、非常に不安はありますが、お大師様のお導きを信じて歩いていこうと思ってます。どんな『終わり』が待っているのか。とりたててドラマチックな終わりを期待しているわけでは更々ないんですけども、まあ自分なりの『終わり』というものがどういうものになるのかという楽しみな気持ちはあります。なにはともあれ、行ってまいります。




《追記》
へんろみち保存協力会代表・宮崎建樹さんの御冥福を改めてここでお祈りいたします。宮崎さんの御遺業を偲びながら、最後の遍路をしっかりと歩いていきたいと思います。

春の伊予路をゆく (霊峰・石鎚山へ) 5

石鎚山今宮登山道入口














『 河口 今宮登山道の入口 』


 【2010年5月3日】

 石鎚山の登山道は大きく分類すれば4つのコースに搾られる。まず一つ目は愛媛県上浮穴郡久万高原町面河(おもご)方面から面河山を経て山頂を目指すコース。昔から「石鎚山の裏参道」の名で親しまれてきたが、石鎚スカイラインが開通(1970年)して後は利用者も少なくなったという。四国八十八霊場四十五番札所岩屋寺より石鎚山を目指す場合はこのコースを通らねばならない。二つ目は同じく愛媛県上浮穴郡久万高原町の梅ヶ市から石鎚山系西端の山とされる堂ヶ森、そして二ノ森を経由するコース。二ノ森から山頂に至る道程は見晴らしもよく、その景色の素晴らしさから登山者の間では人気の高いコースとなっているようである。三つ目は石鎚神社土小屋遥拝殿のある久万高原町の土小屋から鶴ノ子ノ頭の北側を抜けて山頂を目指すコースである。土小屋という場所は石鎚スカイラインの終点に当たり、また南の岩黒山・筒上山への発信基地にも位置することから、宿泊施設なども完備されていて車を利用する参拝者にとっては便利がよく、ここを起点にする登山者は多いようだ。
 そして四つ目が「石鎚山の表参道」と呼ばれる河口・西之川方面から山頂を目指すコースだ。西之川には成就社行きのロープウェイの乗り場があり、近くには宿泊施設や駐車場も揃っている。またJR伊予西条駅からは西之川へのバスも運行しているため、車の利用者だけに留まらず、交通機関のみを利用する登山者にとっても便利がよく非常に人気の高いコースのようだ。成就社付近にはスキー場もあり、冬になれば多くのスキー客がロープウェイに乗って訪れるようである。
 今回、僕が進むルートとなるのがこの「石鎚山の表参道」と呼ばれるコースである。登山口は河口と西之川(ちなみにこの2ヶ所の距離間は4kmほどである)にあるが、横峰寺からつづく「修行の道」は河口の登山口を経て山頂へと至る行程となっている。弘法大師の足跡を追うならば、河口から山に入らなければならないのだ。
 河口から成就社までは2本の山道が通っている。一本は「黒川道」と呼ばれる山道、そしてもう一本は「今宮道」と呼ばれる山道である。

 話は遡るが、遍路の旅に出る一週間ほど前の事。改めて石鎚山道についてあれこれと下調べをしていたが、「黒川道」と「今宮道」の2本の山道のうちの何れが御大師様の通られた道なのかが結局最後まで判らなかった。できれば忠実に御大師様が歩かれた道を自分も歩いてみたかったのだが・・・。はっきりしないのであれば仕方ない。もうそこには拘らずに、むしろ時間や体力面のことを優先に考えながら進路を決めることにした。僅かな登山経験しかない自分にとって無難な道はどちらなのか?と考えてみれば、やはり距離の短そうな「黒川道」となるだろう。地図で確認すると、「黒川道」が成就社までほぼまっすぐ伸びているのに対して、「今宮道」は前半あたりまではなぜか大きく迂回するような道のりになっている。平面の地図だけで判断するならば、明らかに「黒川道」を選んだほうが有利に思える。しかし、山道というものは地図を一見しただけではどういう道なのか判別しずらいところがある。記載された等高線や距離数・時間数から大まかなイメージは得られるが、果たして実際はどういった道であるのかは行ってみなければわからない。それでもどうしても事前に知っておきたいのならば、行った人の話を聞くのが一番良いわけで、「黒川道」「今宮道」を踏破した経験を持つ人は自分の周りにはいないため、ネットでそういった人たちの体験談を探してみた。『多分、圧倒的に黒川道を選んだ人が多いだろう・・・』と正直タカをくくっていたのだが、いくつかの体験談を読むうちに予想もしなかった結果にぶち当たった。どうやら「黒川道」は現在は閉鎖されているのだという・・・。道の状態が悪いからなのか、詳しい事情までは体験談からは読み解くことはできなかったが、はっきりわかったことは「今宮道」を進むしか選択肢はないということだった。
 念のために、予約を入れておいた成就社付近のH旅館に改めて電話で状況を聞いてみることにした。電話越しに宿の御主人が色々と教えてくださった。

 「・・・うん、今は黒川道は通れんようになっとるみたいだから、今宮道を登ってくるしかないわのう・・・。」
 「今宮道を通ってそちらに行くとしたら、だいたい時間はどれくらいかかるもんなんでしょうかね?」
 「うーん。だいたい3時間くらいみといたらええと思うけどなあ。ほんまに脚の速い人じゃったら、2時間くらいじゃったか。それぐらいで登ってきた人も前におったの・・・。」
 「・・・ち、ちなみに、そっちって標高がかなり高いですよね。この時期って、ひょっとして寒いってことはありませんかね?!」
 「いやあー、そんなこともないわ。山の下の気候とそんなに変わらんけん、そこは心配せんでええと思うけどな・・・。」

 成就社の宿の御主人が言うのだから、まず間違いはないだろう。黒川道は完全に諦めたほうが良さそうだった。
 今宮道の道筋を今一度確認するために、石鎚山の地図を拡げてみた。地図には道ごとに徒歩での所要時間が細かく記載されている。それによると、河口から今宮道を通って成就社に至る時間はおよそ4時間となっていた。黒川道を通ると、それよりは30分短い3時間半。「やっぱり黒川道のほうが距離が短いんやな!残念やなあ!」と落胆しながら、何気に今度はへんろ道保存会の地図で確認してみると・・・。なんとそこには意外な表示があった。黒川道の総距離が「5.6k」と記されているのに対して、今宮道は「5.1k」となっている。わけがわからなくなった。明らかに地図で見た印象ではどう見ても今宮道のほうが長く思えるのだが。「いや・・・、実は黒川道という道は勾配がキツイのかも・・・」、勾配のきつい道筋は平面の地図では短い線で記載されてしまう。全体的に短く見える黒川道も3次元的な視点でみれば実際は思ったよりも距離は長いのかも・・・。そう考えるしかなかった。なるほど、等高線をみれば若干黒川道のほうが線が混み合っているようにも見える。しかし、山の地図にははっきりと所要時間が載っているのだ。今宮道は黒川道よりも30分多く時間を消費する。この両地図の認識の差は一体なんであろうか・・・。
 登山経験の豊富な方には笑われるかもしれないが、僕のような経験不足の人間にはやはり「山道というものは難解だ」と思わざるをえない。まあなにはともあれ、はっきりしていることは今宮道を進むしかないこと、成就社までの所要時間が3時間か4時間くらいということだ。あとは遭難しないように道筋をしっかり確かめながら進めばなんとか成就社までたどり着けるだろう。

『とにかく、やるしかないわ・・・』、そう腹を決めて今回の旅に出発したわけだが・・・。

 四国に渡った後も今宮道のことは常に頭の中の片隅にあって、遍路路を歩く僕の心に時折揺さぶりをかけていた。先のことは気に病んでも仕方がないことなので、なるべく考えないようにしながら遍路の初日、そして横峰寺までの道中を歩いてきたわけだが、モエ坂に入ってからはいよいよ考えないわけにはいかなくなってきた。一体どんな山道なのか?本当に3、4時間で成就社にたどり着けるのか?なにより自分に本格的な登山経験が無いこと、前回の遍路の旅から8ヶ月ものブランクが開いたことで脚力に自信がもてなかったことが心配の種だった。「でも、横峰寺までの山道も何の問題もなく歩けたやないか・・・。大丈夫。」と自分を励ましながらメンタル維持に努めたものの、やはり不安要素には打ち勝てず、それがモエ坂を下るペースを速めてしまうこととなった。そのおかげでなんとか予定時間内にモエ坂を下り終えることができたことも事実だが・・・。本当に怪我がなくてなによりだったと思う。

 モエ坂の行程を終え、ついに「悩みの種」だったともいえる今宮道に脚を踏み入れる時が近づいてきた。今回の遍路の旅の中で最も過酷な行程となることは間違いないだろう。
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春の伊予路をゆく (霊峰・石鎚山へ) 4

モエ坂の山道1














『モエ坂の山道』


【2010年5月3日】

 星ガ森を出発したのが午後12時20分くらいだった。モエ坂を下り終えるのに1時間ぐらいはかかるだろうと大方の目星をつけてはいたが、ここは敢えて時間のことは気にせず、足元に神経を集中しながら慎重に(それでいて敏捷に)坂道を歩くようにした。やはり予想したとおりの急勾配な坂道だったが、枯葉や枯枝がこんもりと道中に積もっていてクッションの役割をしてくれるためか、とても歩きやすい。下り坂特有の脚(特に踵や膝など)にかかる衝撃が幾分和らいでくれるばかりでなく、微妙な弾力もあって、思ったよりもスイスイと脚が動く。これなら筋肉痛を起こす心配もないかもしれない。「脚に優しい道」といったらいいのだろうか。軽やかに脚が動くと気分も高揚してくる。高揚した挙句、「これなら少しくらいはペースを上げてもいいんじゃないか?」とつい思ってしまうものだが、それはとんだ間違いである。地面はたしかに柔らかいが、なんせ急勾配の下り道だ。甘くみてはいけない。ペースを上げることで、膝の負担は大きくなってしまう。重力に逆らって坂の地面を踏ん張る膝の筋肉の疲労度は、スピードを上げることで大幅に増すことだろう。確実に筋肉痛を起こしてしまうに違いない。そればかりではなく、道には枯葉や枯枝に混じって石コロがあちらこちらに散らばっていて、急ぎ油断して踏みつけたりすると転倒する危険もある。やはり注意が必要だ。適度な緊張感をもちながら慎重に進むことが最善といえるだろう。慌てず、ゆっくりと、ストックを使って体のバランスに気を配りながら坂道を下っていく。

 モエ坂に入ってから10分程経っただろうか。突然行く手に御堂らしき建物が見えてきた。近寄って見てみると、どうやら薬師堂のようである。「こんな人の気配もない山道に、どうしてまたこんなものが・・・。」と思ってしばらく眺めていると、どこからか人の話し声が聞こえてきた。話し声の主たちはこちらに近づいてくるようだ。やがて、2人の熟年男性が薬師堂の陰からひょっこりと現れた。山道とは全くかけ離れた方向から急に出てこられたものだから少し驚いたが、どうやら地元の方のようで、この辺りの地理にも詳しいのだろう。山道以外の小道もよく知っておられるにちがいない。2人とも軽量のザックを背負い、手にはビニール袋を下げておられる。「さー、この辺で飯(めし)にしようか!」と声を掛け合いながらビニール袋の中から弁当を取り出し、薬師堂の縁側に座られた。傍に立っていた僕にもすぐに気付かれて声をかけてくださった。そこで暫しの間このお二人と一緒に時間を過ごしたわけだが・・・、今にして思えば、このお二人との出会いはとても奇妙だったというか不思議な出会いだったように感じる。それは、お二人がどういう方達であったのかということに由来する。薬師堂が建立された云われについて、そして薬師堂を取り囲むこの一帯が実はどういう場所であったのか・・・。それらの事柄に関して、とても所縁(ゆかり)の深い方達であったのだ。そんなお二人とたまたま偶然出くわしたこと自体が不思議な出来事であったように思えてならない。これだけの説明ではこの記事を読んでもらっている人にはなにがなんだか訳がわからないだろう。この出会いのあらましをここに記してしまってもよいのだが、多分話が長くなってしまって、それだけで今回の記事が終わってしまいそうな気もするので、詳しい顛末はまた別の機会にじっくりと記事にまとめようと思う。簡単な形にまとめて、ここに記してしまうのもなんだかとても惜しいように思われるのだ。それほど、個人的には想い入れがあるというか、大変興味深い出来事であったから・・・。ひとしきり、お二人と時間を過ごした後、お別れを告げて薬師堂を出発したのが午後12時40分過ぎ。僅かな時間ではあったが、薬師堂での出会いはとても印象深く今でも強く記憶に残っている。



モエ坂 観音堂
『 モエ坂の薬師堂。弘法大師・薬師如来・不動明王が奉られているが、昔は大日如来が御本尊だったという。現在は横峰寺に安置されているという大日如来像だが、この像にはある伝説が残っており御堂の創建に深く関わっている。その話はまた別の機会に・・・。 』



 モエ坂の山道を更に下っていく。本当にどこまでも急な坂が続き、最初のうちは「脚に優しい道だ」「筋肉痛は起こるまいよ」と思ってはいたものの、時間が経つにつれて、それが全く的外れの考えであったことがわかってきた。たしかに道はわるくはない。昨年(2009年)の夏に訪れた久万高原町の八丁坂(45番札所岩屋寺に至る山道)の終盤あたりの下り坂、そして久万高原町と松山市の境界に位置する三坂峠の下り坂を歩いたときの思い出は、まだ新しい記憶として残っているが、いずれの坂道も歩き辛く、挙句は膝の筋肉を傷めてしまった。それらに比べれば、このモエ坂はまだ「優しい道」だといえるかもしれない。ただ、この時の僕は何時しかモエ坂を下り終えた後のことに気を捕らわれ始めていた。「何時頃石鎚山の登山口に着けるだろうか?」「あまり遅くなってもまずいな・・・」といった小さな不安材料が徐々に歩くペースを速めてしまっていた。慌てず慎重に歩くことに充分注意していた筈であったが、結局は先を案じる気持ちに負けて本来の自分のペースを見失っていたようだ。結果、脚の筋肉にかける負担は大きくなりだんだんと辛くなってきた。「マズイな、今脚を痛めている場合じゃないんだけども・・・」と頭では考えているものの、無意識のうちに脚が勢い良く前へ前へと動く有様だった。辛いんだけれども止められない・・・、そんなジレンマを抱えながらの歩行が続いた。しかし、歩けども歩けども周囲の状況は変わることもなく、何時終わるともしれない急勾配の坂は相も変わらず延々と続いてゆく・・・。「このモエ坂もやはり難所だった!」、そう思わざるを得なくなってきた。地形的な意味合いもあるが、石鎚山登山口へと逸る気持ちがつい生まれてしまう場所なのだという意味も込めての『難所』というわけである。さすがに『修行の道』、厳しいものだと思いながらも、せめて足元の注意だけは怠ってはならぬと意識しながらセッセと坂を下っていく。



モエ坂の山道2






『 途中、杉などの山の木々が進路上に倒れている場所が多々あった。全て歩き易い道であったかといえば、あながちそうとも言い切れない。しかし、四国の遍路道ではこういった場所は珍しくはないので、特には気にならなかった。むしろ、これぞ遍路道!と嬉しくなったりしたものだった。 』

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六根清浄

1969年4月20日生まれ

京都市在住
2007年5月から始めた区切り打ち四国歩き遍路も4年目をもちましてようやく結願いたしました。支えてくださった皆様に感謝です。2巡目の構想も視野に入れながら、さらに日本の各地を「歩き旅」で訪れてみたいと考えています。自称『歩き中毒患者』(笑)


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