気ままに歩いて候。

あせらず、くさらず、歩いていきましょう。 2007年5月の連休から始めた区切り打ちの四国歩き遍路の思い出を綴った記事を中心に掲載しています。

「お遍路」のその後

 四国霊場巡礼の旅を全て終えたあの時から、もうすぐ一年という時間が経とうとしている。あらためて時間の早さというものを痛感する。今でも、第一番札所霊山寺の山門に深々と頭を下げて「お遍路」というものに暫しの別れを告げたあの瞬間の出来事は鮮明な記憶として思い起こすことが出来るし、自分を取り巻いていたあの瞬間の景色というものも未だ瞼の奥にこびり付いている。恐らくこの先の人生に於いても尚、色濃く自分の心中に残っていくであろうこの思い出の記憶が、たかだか一年といった時間の経過で色褪せてしまうようなものでないことは重々わかってはいるつもりだ。しかしながら、かくも時の過ぎ行く流れとは早いものであったのかと思うにつけ、ある種の無常ささえ感じるのだ。

『かつて自分は「お遍路」といった“人種”に属していた。』

 今の僕は一年前の自分というものをこういった言葉によって振り返ることができる。“人種”などと、まるで巡礼経験のない第三者的な立場の人間の口から発せられるような表現をいとも容易に心の中に描くことができるようになった。「お遍路」をしていた頃の僕がそんな現在の僕と向き合えばどう感じるだろうか。さぞや寂しさや遺憾の念を覚えるにちがいない。かくいう現在の僕も正直をいえば、心の奥底では同じような感情を抱いている。「お遍路」だった自分は今もなお自身の中に息づいているのだ。いや、それが土台となって現在進行形の自分を作り出しているといってしまってもいい。にもかかわらず、過去の自分をまるで他人のように捉えてしまえるようになった心境の変化の様は一体どうしたものなのか。時間の無常さを感じるのも、そういった事情によるものかもしれない。実のところ、そんな自分の変化を自分なりに分析したくて今回の記事を起こした次第である。


 2011年の1月4日、最後の遍路の旅を終えて帰宅の途についた僕の心の中には、4年掛かりの巡礼を終えた充実感よりもむしろ寂寥感が強く漂っていたことは以前に御報告させて頂いたことと思うが、加えて別の想いもあった。なにかが始まる予感。新しいなにかが自分を待っているような漠然とした予感だ。そして、これまでにない良い年が幕を開けるのではないかという期待感もあった。なにを根拠にそう思ったのかはわからないが、そんな気がしたものである。しかし反面、それは一時の高揚感より生じたことであることも重々承知していた。実際、どんな未来が待ち受けているかなどは蓋を開けてみないことにはわからないものだからだ。
 では、実際はどうであったのか。残念ながら「良い年であった」と諸手を挙げて喜べるような年ではなかったように思える。個人的にいえば、大きな支障となる出来事は起きなかった(体調面の事など細々とした問題はあるにはあったが、ここでは省きたい)ことを思えば、感謝しなければいけない年ではあったと思う。しかし、社会全般に目を向ければ、かつてない大災害(人災も含む)が東北地方を襲い、大きな悲劇にこの国は見舞われた。また、隣の大国の船舶が日本のみに留まらず周辺諸国の海域にしきりに出没するという穏やかならざる事態も起きている。欧州では経済に破綻をきたす国の数が序々に増えている。北アフリカの国々では変革の嵐が吹き荒れ、状況は流動的だ。そして、これは今年に限ったことではないが地震などの自然災害に見舞われる国は後を絶たない。あくまで私見だが、このように主だった出来事を並べて捉えてみれば、なにか社会全体が不安や閉塞感に覆われた憂鬱な一年だったように思われてならない。社会全体がそうである煽りを受けてか、自分を取り巻く環境もまた、どこか閉塞感から抜け出せない空気が濃厚に漂っていた。

 あの、年の初めに感じた漠然とした期待感はなんであったのか。所詮は一時の高揚感でしかなかったのだろうか。
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春の伊予路をゆく (霊峰・石鎚山へ) 7


石鎚今宮道 砂利道と道しるべ















【2010年5月3日】

 登山口を出発してから、かれこれ50分は歩いた頃だったろうか。道の両側を埋め尽くしていた杉木立が途切れて視界の拡がる場所に出た。明るい春の日差しが道を照らし出した。辺りの木々や草の緑がここまでの道程で見かけたものよりも色が映えて見えて、とてもきれいだ。そして頭上に広がる晴天の空の青さの美しさ。思わず、「ああ、オレはなんて贅沢な日に山登りをしてるんだろう」と少し感動する。昨日の行程では、この燦燦とした日差しがやや負担に感じられたものだった。春にもかかわらず、まるで夏の日差しを浴びているようで、とくに車道沿いの狭い歩道を歩いているときなどはなおさらその暑さが堪えたものだった。今もその日差しを同じように浴びているはずなのに、それがまるで性質の違うもののように思えた。けっして「強い」ものではなく、「柔らかで優しい」本当の春の日差しだ。街中と山の中とでは太陽の光の感じ方がこうも変わるものかと、改めて山の自然の恩恵を有難く感じた。


 細い山道をさらに歩いていくと、いきなり眼の前に左右に伸びる広い砂利道が現れた。車2台が横に並んでもまったく問題ない程の幅の広い道である。細い山道はこの辺りで途切れ、先へ進むにはこの砂利道を歩いていくしかないようだ。なだらかな勾配がつづく砂利道を明るい日差しを受けながら山頂方向に向かって進む。右手の景色に目をやれば、石鎚山系の山並みがよく見える。どの山々の頂も今いる場所の高さに比べれば遥かに高いのが遠目にもよくわかる。「こりゃ、登山口から100mほどしか登っていないのも頷ける」と納得しながら、ぼつぼつと砂利を踏みしめながら歩いた。



石鎚今宮道 砂利道を進む石鎚今宮道 砂利道より石鎚山系の景色を望む







【 広い砂利道を進む・右手に見えた山々の景色の様子 】



 見晴らしのよい景色を眺めながら、遠くから聞こえてくる山鳥の声を聞きながら、人の気配の全くないこのだだっ広い道の真ん中を進む時間のなんと穏やかなことだったろうか。何時までもこの道を歩く時間が続けばいいのに、いっそこの道が成就社まで続いてくれればいいのにな・・・、とあらぬ妄想を抱いたりしたものだったが、実際問題としてもしもこんな緩やかな坂道が成就社まで通じていたなら、辿り着くまでに一体どれくらいの時間がかかるものやら・・・。きっと、かなりの時間を要するだろう。妄想はあくまで妄想だ。予定時間内で成就社を目指すならば、この道を離れて再び狭く険しい山道に入っていかねばならない。どこかに山道の入り口がある筈だ、その道標がどこかにある筈だと周囲を注意深く見回しながら進んでゆく。

 僕ら歩き遍路がいつも頼りにしている、あの道標は当然ながらこの石鎚山道には存在しない。あの道標とは、皆さん御存知のへんろ道保存協力会が設置している道標である。この石鎚山道は、弘法大師が足跡を残した道とはいえ、ぶっちゃけ本来の遍路コースとはあまり関係のないルートと言えるだろう。あくまで石鎚頂上社への登拝道であり、登山を楽しむ人のための登山道であって、遍路道ではないのだ。あの道標がこのルート上に存在する謂れは無いのである。そのかわりといってはなんだが、この山独自の道標はちゃんと設置されている。この山に限らず、大方どこの山にも道標は設置されているものである。ただ、僕ら歩き遍路はあまりにもへんろ道保存会の道標に慣れてしまっている傾向があって、どうも山の道標だけでは心許ない気もしてしまう。あの道標がないと、なにか不安だな・・・といった感覚。ある意味、それは「心の不便さ」を得ているといったらいいのだろうか。道標の恩恵に慣れてしまっているが故に、その恩恵の届かない範囲の土地に脚を踏み入れた時に起こる迷いや恐れといった心の硬直。便利で有難いものに対して常に感謝の気持ちをもつことは必要だが、それに慣れてしまった挙句に「それがあって当たり前」といった感覚に陥ることは極めて危険だ。あるべきものを見失ったと思った時に心の均衡を崩しパニックになってしまう。むしろ「無くて当たり前」といった認識を持ち続けることで、初めて道標という存在が暗闇を照らす灯明のように本当に有難く感じられるのではないか。そしてなによりも、平常心と柔軟な心を保つことこそが大切なことに思える。

 偉そうなことを綴っているが、これは当時の僕が自分自身に必死に言い聞かせていたことだ。平常心を失わないようにすること、それを失えば山中でどんな目に逢うかわかったものではなかったからだ。



石鎚今宮道 道しるべ








【 今宮山道の道標。赤い色彩が施されているのが嬉しい。 】



 砂利道を15分程歩いたところで、ようやく山道の入り口を見つけた。「成就」と書かれた小さな道標が山道脇に設置されている。ここから再び杉の木々の居並ぶ狭い坂道を進んでゆく。坂の勾配はまだそこそこといったところだったろうか。体力にもまだ余裕があった時期だったので、ペースアップすることもこの時点では可能だったかもしれないが、いずれ出会うであろう「難所」と対峙する時のために無理は控えた。できるかぎりスタミナを温存し、また発汗の量を抑えるためにもペースアップは厳禁だった。2本のストックでボディバランスを保ちながら(下手な姿勢で歩きつづけると却って疲労度が増すだろう)、自分の出せる7分か8分目くらいの力を両脚に込めながら進んだ。

 この山道はたいした距離はなく、しばらく進むとまたさっき歩いたような広い砂利道が行く手に現れた。あの道のつづきのようである。どうやらこの砂利道は蛇行しながら山上方面に向かっているように思えた。

 『ひょっとしたら、この道を進んだほうがいいのかもしれない・・・。』

 ふとそう思った。先程はこの砂利道が本当に山上へ続いているのかどうか疑わしかったので真剣に進むことを考えたわけではなかったのだが・・・。これは意外と使える道なのかもしれないぞと思った。時間はかかるかもしれないが、この道を選択した方が格段に疲労度を緩和できるかもしれないと考えた。ただ、僕の手持ちの地図にはこの道の記載が無かったため、果たして本当に成就社まで続いているのかどうかはわかりかねた。ここはやはり、道標の指示に素直に従って進むほうが無難であるように思えた。道に迷ってしまう危険を犯してまでも疲労度の心配を優先するのは賢明とはいえないだろう。

 山道がここで途切れていたので、ひとまずはこの砂利道を進むことにする。道沿いに道標もちゃんと設置してあることも確認できたので、不安を感じることもなく砂利道を進んだが、数分後には道標の指示に従って道を逸れ更に次の山道に入った。その後、もう一度砂利道と山道との交差地点に出くわすこととなるが、砂利道への未練は既に無く、道標の指示通り迷わず山道を進んだ。いや、正確に表現すれば、そんな気持ちの余裕が無かったと言ったらいいだろうか。じつはこの辺りから、そろそろ山道の勾配が厳しくなってきたように思う。「ついにきたか」と気持ちを引き締めながら歩きはじめたのも、道選びで迷っているような精神的な余裕が無くなり始めていたのも、だいたいこの辺りからだったように記憶している。



石鎚今宮道 山道の様子








【 山道の様子。ここらあたりから歩行が辛くなってきたように思う・・・。 】続きを読む

春の伊予路をゆく (霊峰・石鎚山へ) 6

石鎚山今宮山道入口の鳥居














【 今宮山道入口に立つ石柱(鳥居) 】



 前回より8ヶ月もあいだが空いてしまいましたが、「春の伊予路をゆく(霊峰石鎚山へ)」第6回がようやく完成しました。あまりのブランクの長さに『もう更新無いんちゃう?』と思われた方も多いと思います。本当に申し訳ありませんでした!

 石鎚登山の道、殊に河口から成就社に至る行程は、自分にとってはあまりに厳しく過酷なものでした。それを言葉で表すことは正直とても困難な作業に思えたのです。2、3度文章に起こしてみたこともありましたが、あの行程の思い出をなかなかうまく表現できず、起こしては消去するということを繰り返した挙句、最後は筆が止まってしまいました。「どうせやるなら、あの時に感じたもの全てを正確に表現してみたい」と力み過ぎてしまったのがいけなかったのでしょう。結果、記事をつくることから遠ざかってしまい、気がつけば石鎚登山をした頃からはや1年もの月日が経ってしまいました。徐々に薄れゆく記憶を元にあの時の思い出を綴ることは更に困難な状況になってしまったわけですが、これ以上先延ばしにすることは自身にとっても良くないことのようにも思われ、覚悟を決めて(大げさかもしれませんが・・・)記事をつくってみました。当時の感情表現・詳細な行程の描写は、完璧な形では再現できないことを前提にできるかぎり頑張ってみました。記憶力の問題もあって、登山道の描写に間違いの記述もあるかもしれませんが、どうがご容赦下さい。この回以降も気力を維持しながら石鎚登山の道中、その後の遍路の経過を綴っていく予定です(予定ですけど・・・)。今後、石鎚登山をされる方々の参考資料になる代物には成り得ないものかもしれませんが・・・。



【2010年5月3日】 

 石鎚山という山について、ここで改めて振り返ってみたい。四国山脈の西方に位置し、その標高は1982m。西日本の中では最高峰と言われる。ちなみに四国山地東方の剣山(徳島県)は標高が1955mで、石鎚山に次いで西日本第2位の高さを誇る名峰である。両山共に信仰の山としての歴史を持つが、石鎚山が開山されたのは今からおよそ1300年前の事、かの修験道の祖である役の行者による開山と伝えられることから、霊山としての歴史の長さはこちらに軍配が挙がるようだ。また石鎚山は富士山や立山・白山などと共に、日本七霊山のひとつとしても数えられている。現在では登山ブームの影響もあって多くの登山者の訪れる、いわば観光の山としての印象が強いが、山道の険しさもさることながら、夜明峠から弥山に至る行程には「鎖場」も残っていることから、やはり修行場としての面影は色濃く残っていると言えるだろう。
 
 登山経験の乏しい自分が何故にこのような西日本の最高峰であり日本を代表する霊山に脚を踏み入れたいという気持ちを抱いたのか?何故に登山口から山頂までの行程を踏破するといった暴挙に出たのか?今にして思えば、不思議な気持ちもする。あの当時は弘法大師が歩いたといわれる「修行の道」を自分も辿ってみたいといった願望や、四国遍路最大の難所といわれる石鎚山への道に逃げることなく挑戦してみたいというある種の意地のような想いがあった。そういった心のエネルギーが僕をあの山へと向かわせ、ついには山頂まで誘ってくれたことも事実だろう。しかし、そもそも何故あのような願望や意地を抱いたのかということを今になって考えてみると、生来の自分の気性が影響したことももちろん否定はしないが、むしろ見えない外部からの力がそうさせたと考えたほうが自然な気がする。御山に呼ばれていたということではないだろうか。お遍路が「お四国さま」に呼ばれて巡礼をするように、登山者もまた御山に呼ばれて登山に赴くのではあるまいか。登山者の多くが山頂到達の成功が自力による成果だと考えておられることだろう。全くそのとおりで、登山に入る前の下準備から始まり山頂までの過酷な試練を乗り越えられる登山者の精神力・技術力は僕のような人間から見れば驚嘆の一語に尽きる。ただ、少し感じるのは(本当に山を愛する登山家の方はおそらくわかっていらっしゃることだと思うのでそういう方には読み流していただきたい)登山者の山に於いての活動は自身の身体能力・判断力を用いて為されるのはもちろんのことだが、それに加えて御山の発するエネルギー(山独特の新鮮な空気や木々から放たれる成分)を体内に取り込むことにより普段以上に身体の機能が活性化され活動能力が向上するということを考えると、これは『御山に力を貰っている』と言えなくもないのではないか。昔の日本人はそういうことをよくわかっていて、自分に力を与えてくれる御山の世界を崇拝し神格化した。御山には命がある、御山は生きているという思想。科学文明の発達した現代社会において、そういった思想はナンセンスなものとして捉えられがちだが、それでも自然が生み出す力に対して人間が抱く畏敬の念は幾時代を経ても完全には消え去ることはないように思われる。実際、山に魅せられ何度も山に脚を運ぶ現代の登山家の方達はそうした精神を受け継ぐ方達のように思える。「崇拝」「神格化」といった概念は別にしても、純粋に山の生命力を感じ自然の息吹を愛する人達ではなかろうか。自然に対して意識を開放し共有する登山家の姿、それは本来人間が持つべき姿であるのかもしれない。自然とのつながり無くしては人間は生きていけないだろうし、自然への敬愛の念を忘れてしまった時、人間は自身の姿を見失ってあらぬべき道を突き進んでしまうことだろう。

 山には命がある、そう考えれば人が或る山に惹かれその頂上を目指すという行為が、じつはその山に導かれ助けられてはじめて為し得るものなのだと言えなくはないだろうか。いや、もっと端的に言えば、人がその山を登ろうと志した時から、人はその山に選ばれているのかもしれない。呼ばれているのかもしれない。

 僕が石鎚山という山に御縁を持てたのも、登山を終えて月日を経た今にして思えば、山に呼ばれていたように感じる。「選ばれた」とまでは、とても厚かましく恐れ多い気もするのでそこまでは思わないが、なにかしらの不思議な力によってあの山に引き付けられたのだという気がしてならない。


 前置きが長くなってしまったが、そろそろ自分の体験したことを綴っていきたいと思う。


 2010年5月3日の午後2時過ぎ、前回で述べたとおり、後ろ向きな思考に捉われながらも河口の登山口より今宮山道に脚を踏み入れた。西日本を代表する霊峰の入り口にしては、あの登山口はどこかあっさりしすぎているというのか・・・。景観に少し物足りなさを感じたものだった。しかしながら、登山口というものはどこの山でもそんなに仰々しいものではないだろう。この登山口で印象に残ったものといえば、道の両脇に建てられた2本の古い石柱である。其々、「敬神」「愛國」と文字が刻まれている。「愛國」という言葉から、これらはおそらく大正か昭和初期あたりの時代に建てられたものだろうと勝手に推測したものだが、それはさておいて、このさりげない佇まいの石柱の存在感に妙に感じるものがあった。この2本の石柱はいわば登山口の門のような役割を果たしていて、ここから先は俗世間とは異なる「御神域」なのだと登山者に強く告げている。「本来ならば、身を清めてからこの先に脚を踏み入れるべし」と我々を戒めているようにも思えてくる。石柱を建てた昔の人達もそういった想いがあったのではないだろうか。

 身を清めることは残念ながらできなかったが、一応石柱の前に立ち一礼してから山道に入った。いよいよここから登山が始まるのだと思うと、少し気持ちが強ばってしまいそうだったが、力んでみたところで仕方がないので気持ちをリラックスさせながら歩くことにした。「もう山道に入ってしまったのだ、いらぬことは考えずに腹をくくらないと・・・」といったような事すら考えないようにした。硬い事ばかり考えてみてもしょうがない。まずは登山を『楽しむ』ことを考えよう、周りの景色を眺めながら自然と一体化するような気持ちで歩いていこう、そう心掛けるようにした。『楽しむ』気持ちが心を高ぶらせ、やがて無意識に脚が軽快に動いてゆくことにもなるだろう、そんなことを意識しながら進んだものだった。それにしても、「心掛ける」だの「意識する」だのと気が回るのは、まだ心身共に余裕がある証拠でもある。この数時間後に余裕のあった頃の自分の心持を嘲笑う状況に陥ろうとはまだ知る由もなかった・・・。



 杉木立の中の細い山道を2本のストックを左右に繰り出しながら軽快に歩いていく。軽快でいられる筈で、道の勾配はまだ緩やかで地面も至って歩きやすい。まだまだ序盤戦、最初のうちはこんなものだろうと安心しきってはいたものの、体から流れ出る汗の量が少し気になった。登山口からほんの僅かな距離しか歩いていないにも関わらず、ザックを背負った背中は衣類が既にぐっしょりと濡れていた。もともと汗かきな体質のせいもあるだろうが、やはりザックの重さには問題があるようだ。   

 以前にも述べたが、僕が5月の連休を使ってお遍路をする際に持参する荷物は、いつも重くなる傾向がある。重量の大半を占めるのは衣類だ。5月の時期というと春もたけなわといった季節であり、日中は暖かいのを通りこして若干汗ばむほどの気候である。ただ、夜間の気温がどうであるかを考えると少し神経質になってしまい、「ひょっとすると場所によっては寒くなることもあるんじゃないか?」「風邪を引いたら元も子もないから余分に衣類を持っていったほうが・・・」などと色々思案した結果がこの荷物の重量となるわけである。もう数回5月の遍路の旅を経験しているにもかかわらず、やることはなぜかいつも変わらないのだ。進歩のない奴だと言われれば返す言葉もない体たらくである。特に今回の旅に関しては石鎚山中腹で一泊するというスケジュールを入れているために、いつも以上に神経質になってしまい、必要外の衣類までザックに詰め込んでしまっている。これまでにない重量のザックを背中に背負いながら、未知の難関である石鎚登山道に挑もうというのである。無謀はなはだしく、無策この上ないといった案配となった。しかし、それでも進むしかない。すべては自らの気の迷いが招いた結果だ。そのツケを払う時がいよいよ来たのである。ツケを払う覚悟はあるものの、気になるのは水分補給の事である。今の段階での汗の量を考えたとき、果たして持参している飲料水だけで水分補給は間に合うのだろうかという疑問が湧く。現在所持している飲料水はキャップの開けていない状態の500ml瓶が2本のみ。中腹の成就社まで果たしてこの量だけでもつのだろうか・・・。不安が残るが、なんとかもたせなければ非常にまずい状況に陥ることになる。水分補給の仕方を少し工夫する必要があるかな・・・、などと考えながらなるべく汗の量を抑えるために歩くペースを控えめにしながら進むことにした。
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六根清浄

1969年4月20日生まれ

京都市在住
2007年5月から始めた区切り打ち四国歩き遍路も4年目をもちましてようやく結願いたしました。支えてくださった皆様に感謝です。2巡目の構想も視野に入れながら、さらに日本の各地を「歩き旅」で訪れてみたいと考えています。自称『歩き中毒患者』(笑)


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